78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎期待を越えたい物語(後編)

2012-09-06 09:19:37 | ある少女の物語
 8月29日、僕は21時半にはT店に出勤していた。24時までに来れば良いものを普段は23時に早出していたが、この日は更に早く出向いた。防犯ビデオに記録された前週金曜の夜勤の映像を観る為である。
『月・水が僕さんと一緒で、金曜だけK君と一緒ですね』
 そう、毎週金曜はKSMとKの2人で夜勤。その2人がどんな感じで動いているのかをこの目で確認したかったのだ。
 週2ペースで2年は勤務しているという大学院生のアルバイトKもベテランの内に入るだろう。ならば辛いほうの「品出し担当」を選択しているはずだと思ったが、なんとここでもKSMが「品出し」をしておりKは「洗い物担当」になっていた。しかも雑誌の品出しはKSMが行っていた。僕と違い24時ギリギリに出勤するKに雑誌を処理する余裕は残されていなかったのだ。
『本来は私の仕事なんですから』
 その言葉は本当だった。とは言え、面倒なカップ麺の品出しは愚か、極寒のウォークイン作業までやらせておいて雑誌の処理まで女性に投げるとは、Kは給料泥棒以前に男としてどうなのか。
 映像の研究を程々に済ませた僕は22時前には仕事に取り掛かった。雑誌が納品される22時半より前に返品する雑誌を下げる作業を先に行いたかったのだ。そして下げた雑誌をマットと呼ばれる機会で返品処理をし、段ボールに詰めた。本来なら明け方の終了間際に行う作業である。極め付けは22時半に雑誌が納品されるや否や即品出し。2日前は2時半にKSMに手伝わせてしまった作業をこの時点で済ませた。これで前回の悪夢を繰り返す心配は無いし、雑誌の処理をしているだけでも僕はKに勝っている、そう自負したかった。しかし、
「お疲れ様でーす」
 24時半、ある2人組の男が来店。一人は紛れも無く映像に出ていたKだった。KSMは作業をしつつもKと雑談をしていた。彼女の満面の笑顔を見た僕は愕然となった。
「ああ、あの2人とはプライベートで良く飲んだりしているんですよ」
 僕がどんなにKSMの負担を減らす事を考えて仕事をしても、彼女と仲が良いのはそんな事を微塵も考えていないKのほうである現実。
(何だよ……あんなに仲が良いなら付き合っちゃえば良いのに)
 しかも僕は頑張っているというよりはただ早出をしてその分多く仕事をしているだけ。早出とは月給完全固定で時間外手当も出ない社員の僕にしか出来ない技であり(人件費に変動が無いので会社への迷惑も皆無)、実は1分単位で給料が発生する時給制のアルバイトに1時間や2時間の早出は当然許されていない。その時点でアンフェアであり、それで本当に勝っていると言えるのだろうか。プライベートで負けているのだから、せめて仕事ではKに圧勝したい。早出のハンデを差し引いても僕のほうが役に立っていると思われたい。KSMの期待を遥かに越える仕事をしたい。その為には今日のように雑誌を処理するだけでは駄目だと悟った。では何をすれば良いのか。どこまで頑張れば仕事に“取り組んだ”事になるのか。



 考えれば考えるほど、思考回路が原点へと戻っていく。大学を卒業してからの4年半は、仕事とは何かを悩み、職場の人間関係に苦しむ葛藤の歴史だった。建設業、新聞配達、鳶職、倉庫内作業。何をやっても駄目な僕が最後に行き着いた先が接客業だった。前職となる漫画喫茶の姉妹店舗でその接客さえも良い評価を貰える事は無かった。それでもお客様に褒められる事も片手で数える程度はあり、接客を好きになっていく自分がいた。しかし、今は本当に好きなのかと疑問符を投げている。猛暑や極寒の外で仕事をしたくない、豪雨の中バイクを走らせたくない、危険の多い場所で上司の暴力まで存在する仕事は嫌だし、かといってFラン大卒の僕に学歴が絡む職業は不可能、となると消去法で接客しか残されていなかった、ただそれだけなのではないか。今の段階でその疑問に答えは見出せない。K店で毎日のように怒られている現実が更に迷わせる。怒られる度に僕は接客に向いていないのではないかと思ってしまうし、Wの件も含め既に職場の何人かに嫌われている可能性も否定できない。しかし、ここまで職を転々としておいて簡単に辞める訳にもいかない。
 答えを出せないのなら、せめて……。

――笑顔――

 その2文字が僕の脳裏をよぎった。前職で27歳のマネージャーを好きになった理由は彼女の笑顔だった。僕がヘタレでいるだけで彼女は笑ってくれたが、今KSMを笑わせているのはKのコミュニケーション能力。彼に勝つには、今回ばかりはヘタレキャラで笑わせる訳にはいかない。他の方法で、かつ僕の力でKSMを笑顔にする事、それが期待を越える事なのではないか。確証は持てないが、どうせやってみないと解らないのだ。
 次こそ見せてやる、ちっぽけな僕にできることのすべてを。



 9月5日、24時。
「おはようございまーす」
「おはようございます。今、直前にカップ麺とカップ味噌汁と無印良品の在庫の品出しをしておいたので」
「おーー、ありがとうございます(笑)」
「納品されてきたら在庫を気にせずどんどん品出しして下さい」

 その、ほんの一瞬の、ささやかな笑顔を見るだけの為に、僕は21時半に早出して色々と準備を進めてきた。まずは前回同様雑誌の処理をし、それを終えてからKSMが出勤する24時までに、これも本来はKSMの役目であるカップ麺の在庫の品出しを僕が代わりに行ったのだ。
「いつもありがとうございます、何でもやってくれて」
 何でもやってくれる人――自店では怒られてばかりの屑社員をこんな風に思ってくれるだけで救われる。それがKSMの期待を越えているのかどうかは解らない。ただ、彼女を笑顔にした事実だけは確かに残った。



 Iのリハビリが順調に進んでいるという情報が入った。彼が職場に復帰すればT店における僕の役目は終わる。近いうちにKSMとの別れも訪れるだろう。あと何回会えるかさえ不明だが、残りの回数を、KSMと居られる限られた時間を大事にしたい。僕は顔が格好良い訳ではないし、根暗で見た目も暗いし、笑顔も作れないし、コミュニケーション能力も乏しい。だからこそ動いて、汗をかいて動き回って相手の期待を越えるしかない。
 それが、誰かの笑顔に繋がる事を信じて。


(Fin.)


◎期待を越えたい物語(前編)

2012-09-06 09:15:35 | ある少女の物語
※先に『7月第5週(番外編1)』『同2』をお読み下さい。
※都合により『カピバラルート攻略物語』の公開は延期します。ご了承下さい。



「髪を切られたんですか?」
「そうなんですよ、もうバッサリ。涼しくなって動きやすくなりましたよ(笑)」
 黒髪セミロング眼鏡っ娘改め、黒髪ショート眼鏡っ娘、いずれにせよ略すと“KSM”。彼女の居るT店へのヘルプ出勤は、7月30日以降も週2ペースで続いた。そして8月22日。
「KSMさんは主に誰と組んでいるんですか?」
「僕さんです(笑)。月・水が僕さんと一緒で、金曜だけK君と一緒ですね」
「ああ、曜日固定の週3勤務なんですね」
「I君が事故る前までは彼と月・水で組んでいたんですよ。僕さんはその代わりなんで」
 そう、そもそもK店配属の僕が週6日勤務の内2回もT店に回されているのは、過労による疲労が招いた交通事故で自宅療養中のIが復帰するまでの期間限定の措置なのだ。
「昼は小学生のサッカーチームのコーチやっているのに週4でウチの夜勤ですよ? 皆ちゃんと寝ろって言っているのにロクに寝もしないで車乗って事故って、もうどうしようもない駄目駄目君ですよね(笑)」
 容赦無くIを貶す女子力MAXのKSMだが、仮にも彼は、4月に入社したばかりの僕よりは上のキャリアを持つ。世間的には新人に過ぎない僕にIの代役は務まっているのだろうか。
「何回か立場を逆になりましょうか? 品出しとウォークを僕がやる感じで」
 僕は躊躇いも無くそう言った。T店の夜勤は2人体制で、一人はレジ応対をしつつ揚げ物や中華まん、おでん等の什器の洗浄と床の清掃をする「洗い物担当」、もう一人は納品されるカップ麺とウォークイン飲料を売り場に並べるのが主の「品出し担当」。これまで8回に及ぶヘルプ出勤の全てにおいて前者を僕が担当してきたのは、自店のK店のやり方でも出来る簡単な仕事だからである。品出しは店によって微妙に方法が異なり、6年のキャリアを持つKSMが担当せざるを得なかった。期間限定だから許される事だと自分に言い聞かせてきたが、全治3週間のはずだったIの復帰が延び延びになっており、このまま半永久的にヘルプ出勤が続くのであれば、先入れ先出しの原則を遵守する面倒なカップ麺の品出しと5℃にも満たない極寒でのウォークイン作業を女性であるKSMに毎回やらせる訳にはいくまいと思った。しかし、
「大丈夫ですよ。洗い物をやってくれるだけでも助かります、ありがとうございます」
 結局僕の申し出は受理されなかった。洗い物と清掃、そんな家政婦の真似事をするだけで感謝されても僕の心は晴れなかった。言われた仕事を“こなす”だけなら誰にでも出来る。それ以上の仕事に“取り組む”事で初めて評価される。こなすのではなく取り組むのが仕事、それは自店でマネージャーに散々言われてきた事であり、男である以上女性に過度な負担をかけさせたくない僕自身が心の底から思う事でもあった。とどのつまり僕はKSMの“期待”を越えたかったのだ。
 しかし、その思いも空しく、次のヘルプ出勤で事件は起きた。

「雑誌手伝いますね」
 8月27日の深夜2時半。売り場にある雑誌から返品するものを下げる作業をしていた僕の横で、自主的に納品された雑誌を開封し始めるKSMの姿があった。
「すみません、雑誌までやらせてしまって」
「イヤいいんですよ。本来は私の仕事なんですから」
 それは言われなくても解っている。本来「品出し担当」が処理する雑誌を僕が代わりにする事でKSMの負担を少しでも減らしたかった。過去8回はそうして来たが、ここに来て痛恨のミス。彼女に雑誌を手伝わせる失態を犯してしまった。
「本当にすみません、これは一生の不覚です。もう二度と雑誌はやらせません」
「何を言っているんですか(笑)」
 過剰に謝るネガティブキャラを演じるだけで精一杯だった。KSMが最低でも24歳であると以前書いたが、後に僕と同じ26歳である事が判明した。同じ時間を生きてきて、片や職を転々としてきた駄目人間、片やアルバイトとは言え同じ仕事を6年も続ける女子力MAX。何故ここまで差がついてしまったのか。慢心環境の違い等と言っている場合ではない。期間限定の“期間”が未定の中、このままの状態が半永久的に続くとどうなるか。

――嫌われる――

 その4文字が浮かぶまで時間はかからなかった。無断欠勤少女もWも最初は僕の前で笑ってくれた。彼女達の笑顔どころか存在自体までもを消してしまった責任は僕にもあるかもしれないと今でも被害妄想をしている。真相は闇の中である事がまたもどかしい。とにかくこれ以上、異性に嫌われたくは無い。


(つづく)