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78回転のレコード盤◎ ~社会人13年目のラストチャンス~

昨日の私よりも今日の私がちょっとだけ優しい人間であればいいな

◎カピバラルート攻略物語(最終話)

2012-09-28 07:32:18 | ある少女の物語
 壮絶な戦いを繰り広げた6月30日。実は朝10時に出勤した時点で説教を喰らっていた。
「最近、事務所に何時間もこもって何をやっているの?」
 アラフォー女性店長である。ここ数日の僕の異変に数名のスタッフが気付き、店長に報告していたのだ。
「事務所で調べ物するより今のあなたは現場で動きなさいよ」
 防犯ビデオでUとカピバラの動きを研究していた行為そのものを全否定された。映像を見ないと煙草の攻略法は見出せなかった。意味があると思っていたのに、もう二度と出来ない。しかも、駄目出しはそれだけではなかった。
「パンの配置をメモしていたって聞いたけど、無駄な努力だよね。配置は毎週変わるんだから、品出ししながら大体の法則だけ覚えればいいでしょ?」
 数日後にマネージャーからも説教。何も解っていない。僕の為ではなくカピバラがパンを品出しする際の補助ツールとして配置表を作ったのだ。しかも毎週変わるなんて関係ない。単に6月30日を含む週の配置を知りたかっただけなのだ。
「データを取るのも一つの方法ではあるけど、僕はアラフォー店長のその場その場の勘で動く所を見習って欲しいと思うの」
 極めつけはオーナーからの説教。男は論理的、女は感情的に動くと良く言われるが、単にその違いではないか。
 どいつもこいつも何も知らないで言いたい放題。全てはTを怒らせない為に、Tからの信用を取り戻す為にやってきた事なのだ。6月30日が僕にとってどれだけ命をかけた日だったか、一体何人が解っているのだろうか。努力は必ず報われるとは良く言ったものだ。報われるどころか、今の僕は努力そのものを否定されている。

 とはいえ、もう動き方は大方理解できたので、データを取る必要も無くなった。もう何も怖くない。
翌週の土曜、7月7日も午後勤は僕とカピバラ、夕勤にTが来るシフトだった。6月30日と同じように、ほとんどの作業を僕が行った。
「とにかく動きなさい。動けばスタッフはあなたを信用してくれるから」
 店長の説教で発せられた言葉を信じ、僕は慣れないカピバラの分も必死に動いた。結果、センター便の大量の冷やし麺の品出しを少し残してしまった以外は完璧だった。6月30日は時期的に冷やし麺が少なかった事も奇跡だったのだ。
 更に翌週、その翌週と繰り返していくうちに、僕は動き方が解ってきた。あれほど攻略は不可能だと思っていたカピバラとの午後勤。起きる可能性があるから奇跡って言うのだと改めて確信した。



 しかし、あの戦いの日から1ヶ月以上が過ぎ、事件は起きた。
「カピバラに揚げ物しかやらせていないんだって? それじゃ何も覚えないでしょ?」
 土曜の午後勤が軌道に乗ってきた8月中旬。マネージャーからまさかの説教を喰らった。
「それは土曜だけです。日曜は時間的に余裕あるから色々教えています」
「そんなの関係ねえよ。全部カピバラにやらせて動けるようにならないと、彼女が他のスタッフと組んだ時にそのスタッフに迷惑がかかるんだよ」
 下っ端の僕は何をやっても否定される運命なのだ。Tを怒らせないように努力すれば今度はマネージャーが怒る。そもそも動けと言ったのは店長であり、いつかのマネージャー自身も「動きなさい」と確かに言っていた。それがここに来て「全部人にやらせろ」か。こうなったのも全ては僕の気持ちを滅茶苦茶に掻き回したT、彼が発端ではないか。Tだけの為に無償の早出と残業を繰り返してデータを取り、それでも説教を喰らい、あらゆるものを犠牲にしてきたのだ。やってやろうじゃないの。今度はマネージャーの言うとおり、カピバラをちゃんと動かした上で勝利を掴もうじゃないの。Tをギャフンと言わせてやる。

 僕はTを当面のライバルに決めた。試合に勝つのではなく、本当の意味で勝ってやる。

「センター便の検品をやって下さい」
 それ以後、僕は自分が動くよりもカピバラに教えるのをメインにした。
「ああ、違います。検品しながら冷やし麺だけ冷やし麺のコーナーに移動するんです。そうすれば品出しする時に楽でしょ」
 僕の作業さえも何度も止まる。人に教えるほど効率の悪い事は無いと思い知らされた。それでもいつかはカピバラが戦力になってくれる事を祈り、カピバラルートの攻略に努めた。
 同じ女子高生でも、Wに嫌われない事だけを考え何でも僕がやっていたあの頃とは真逆。カピバラに嫌われる覚悟を持ってやらせているが、彼女はとりあえず従順になってくれている。
「多少厳しくしても良いですよ」
 いつかの彼女の言葉を今は信じるしかない。怒りもせず、かといってフォローもせず、褒める回数も減った。余計な感情は抱かず、淡々と仕事を教える事だけに徹した。それが社員とアルバイトの本来の関係なのかもしれない。



 しかし、悲劇は最悪の形で起きた。



「Tさん辞めたんですってね」
 8月25日、Tの突然の辞職。最後に出勤した日に早退し、勤務希望用紙に○を付けていた日を全て×に書き換え、以後一度も姿を見せていないのだという。
 おい、逃げるなよ。まだ勝負は終わっていない。散々人の心を掻き回しておいて、簡単に逃げていく。無断欠勤少女、Wに続きお前もか。お前の為にどれだけ身を削ってきたと思っているのだ。



 2ヶ月弱にも及ぶTとの戦いは、無常にも僕の不戦勝で幕を閉じた。

(Fin.)

◎カピバラルート攻略物語(第3話)

2012-09-28 05:12:48 | ある少女の物語
>燃え尽きた・・・
>見事に燃え尽きた。
>ぶっちゃけ今日(土曜)は勝負の日だったんですよ。
>この日のために準備に準備を重ねてきた。
>あらゆる研究やデータ収集をして15時間拘束の日もあった。
>それがね
>いざ終わって振り返ってみると
>何だったんだろうって・・・
>いつもどおりなんだもん。
>誰も褒めてくれないのは当たり前だとしても
>結局いつもどおり駄目出しを喰らって終了。
>イヤ、それどころか、
>当方の努力と苦労の過程すら否定された。
>誰だよ、「努力は報われる」とか言った某6位のアイドルは。
>報われるどころか努力そのものが否定されてるじゃねえか。

>この詳細を書ける日は来るのだろうか。
>先日みたいな物語三部作を作る気力は今のところ無い。
>気力っつーか、そもそも気持ちが冷めた訳で。
>本当に申し訳ないです。
>てか何時まで起きてるつもりだ・・・



 2012年7月1日、午前2時56分9秒、僕はブログを更新した。

 その17時間前から勝負は始まっていた。

「おはようございます」
 6月30日、午前10時。13時までに来れば良いものを、僕は当然のように早出をした。13時から17時までのカピバラと乗り越える4時間が勝負なのであり、その間に精算などやっている場合ではない。ならばカピバラが来る前に精算作業を終えてしまえば良いのだ。IN打刻するや否や精算作業に取り掛かる。しかし、こんな日に限ってトラブルは起きた。詳細は省くが、精算時のトラブルとしては極めて稀有なケースであり、それをやらかしたスタッフがまた1年以上のベテランUであった事実も奇跡に等しかった。あちこちに電話をかけ慌てながらの対応。予定時刻は大幅にオーバーし、パンの配置整理等やりたかった事をいくつか出来ないまま時刻は12時40分になっていた。ここで本来は13時に行うトイレと外の清掃を前倒しで行う。終わる頃カピバラが出勤し、短針は1を差した。



 240分の戦いが幕を開けた。まず僕はスケジュール通りに競馬新聞の返品作業を行う。16日はカピバラが行っていたが、1分1秒が運命を分ける今日はこれが必然の選択だった。一方カピバラは僕の指示に従い揚げ物を次々と揚げていく。これも15時頃から行う作業を前倒している。新聞の返品を15分で終えた僕はおでんの作成にとりかかる。これはこの週の月曜から新たに午後勤に加えられた作業。事前に知っていたのでスケジュールに組み込んではあったが、予想以上に時間を要した。予定を大幅に超過し14時半過ぎに終了。
 30分以上も押した状態のまま、いよいよ研究の成果を発揮する時が来た。バックヤードから煙草の在庫を持ってきて売場の棚を埋める作業である。最初の奇跡はここで起きた。午前勤のスタッフUがそれをほとんどやってくれていたのだ。おでんで消費したロスタイムをここで解消できた。
 14時45分にはレジ点検を45分も前倒しして行った。効率を考え、夕刊と煙草が納品される前までにこの作業を終わらせたかったのだ。15時に夕刊が納品され、16日はカピバラが品出しをやっていたが今日は僕が行う。終える頃には煙草も納品。煙草の処理を17時の時点で残すとTはボイコットも辞さないと言っている。それを回避する為に僕はただただ闇雲に、大量のカートンを売場の棚に突っ込んでいく。その間カピバラには揚げ物とレジ応対しか任せていない。それだけでもやってくれれば助かるのだ。
 16時に最後の関門、センター便が納品された。カピバラはレジを見つつパンと惣菜の品出し、僕はそれ以外の品出しを、原点に還り「一秒でも早くやろうとする気持ちで」手を動かす。しかし、無常にもレジに並ぶお客様が次第に増えていく。ここで二度目の奇跡が起きた。
「いらっしゃいませー」
 なんとベテランの女性パートが発注業務の為に出勤し、レジを見てくれたのだ。まるで僕等のピンチを察して助けに来てくれたかのように。

 そして17時。センター便の品出しはギリギリに終了し、煙草を売場の棚に入れる作業も無事済ませた。出勤してきたTは結果的に誰にも何も言わなかった。もちろんボイコットも無し。壮絶な戦いの末、クズ社員と新人女子高生の駄目駄目コンビが奇跡を起こした。それはUやパートさん、そして実は朝におでんの具材の仕込みをしてくれたパートさんも居て、本当にたくさんの人の支えがあったからこそ掴んだ勝利だった。
 しかし、得たものと失ったものは比例していた。

(つづく)

◎カピバラルート攻略物語(第2話)

2012-09-22 05:24:56 | ある少女の物語
 翌日、6月25日は夜勤だった。その明けとなる26日朝6時、勤務が終わるや否や僕は事務所の防犯ビデオと睨み合っていた。僅か4日後に控えたカピバラとの午後勤で、やるべき作業を全て終わらせるのが最終目標であり、その達成の為に慣れているスタッフのやり方を盗むという考え方は決して不自然ではなかった。Tは1年以上在籍するベテランスタッフであり、その彼が僕に「出来ていない」との評価を下すのは、出来ているスタッフが居るからこその相対評価。ならば出来ているスタッフの動きを見てみよう。Tと同じく1年以上のベテランであるUと、新人のカピバラが組んだ唯一の日、6月23日の13時から17時までのアーカイブを呼び出す。相方の条件はフェアであり、相方の使い方も含め僕とUの違いが如実に現れるのはこの日しか無いと踏んだ。32倍速で再生しながら、気になった部分のみを1~2倍速で観察し、余す事無くメモをとる。A4用紙3枚にも及んだそのメモをとる最中に僕は鳥肌が立つ事になる。

「 そ の 発 想 は 無 か っ た わ 」

 それは煙草の品出しだった。説明が少し難しいが、煙草を10箱まとめてラッピングしたものを“カートン”という前提を頭に入れて良く読んで欲しい。カートンの状態を脳内で具現化出来ない方は、ググるかコンビニに行って実際に見ていただきたい。煙草はカートンの状態で100~200カートン納品される。カートンを保管する棚は売場とバックヤードの2箇所にあり、納品された煙草は(1)まず売場の保管棚に入れ、売場に入りきらないカートンのみバックヤードに運ばれ、それらを(2)バックヤードの棚に入れる。後者(2)の作業は最悪、夕勤の時間でも可能なのだ。ならば前者(1)、売場の保管棚に入れる作業だけでも午後勤のうちに終わらせれば良いのだ。
 そして重要なのはここから。極端な話だが、その売場の保管棚が15時の時点で満杯だとしよう。その場合、(1)の作業はやりたくても出来ない。入れる場所が無いのだから。つまり、同時刻に納品された煙草はそのまま全部バックヤードに持っていくだけ。これほど早い作業は無い。ならばその状態に少しでも近づけるべく、15時までにバックヤードに保管されたカートンを売場の保管棚へ移動し、売場の保管棚を埋めていけば良いのだ。
 その作業をUは当たり前のようにしていたのだ。無論、売場の棚を100%満杯には出来ないが、(1)の作業時間は大幅に削減されていた。これだけでも鳥肌ものであり、3時間もかけて映像を研究した意味は確かにあった。

 だが時すでに朝9時。ある事情により大幅な早出で前日17時からずっと店にいずっぱりの僕の疲労はピークに達していた。それでもまだ帰れない。今度は売場のカートン保管棚に行き、どこにどの銘柄が入るのかをメモする。それは後にパソコンで綺麗に清書される事となる。それを見ながら煙草の品出しをすれば作業効率は更に上がる事は間違いなかった。10時頃にやっと終わり、まさかの17時間拘束の末に僕は退勤した。

 この日はただの明け休みに過ぎず、翌27日には普通に日勤として勤務せざるを得なかった。この日の夕勤は僕を含め3人。3人も居るなら一人ぐらいデータをとっても構わないだろう。僕はお客様の少ない時間帯を見計らってパンと惣菜の売場へ行き、それぞれの配置をメモした。これはセンター便対策である。16時に納品されるセンター便にはおにぎり、弁当、パン、サンドイッチ、パスタ、惣菜等が含まれ、中でも配置が明確に決められているのはパンと惣菜なのだ。

 この日は勤務が終わっても家に帰らず、職場近くの漫画喫茶で一夜を過ごした。そこでエクセルを開き、今度は揚げ物の管理表をコピーしたものを表にまとめる。過去4回の土曜日(6月2日、9日、16日、23日)の午後勤(13時~17時)において、何時にどの揚げ物をいくつ揚げているのか、その平均的なデータを導き出す事に成功した。そして、今まで取ってきた膨大な量のデータを元に、決戦の日に僕とカピバラがどう動くべきか、ワードでスケジュールを作成した。

 出来る限りの準備はした。全てはTへの迷惑を回避する為に。Tとの戦いに勝つ為に。
 そして、運命の6月30日が幕を開ける。


(つづく)

◎カピバラルート攻略物語(第1話)

2012-09-22 04:07:20 | ある少女の物語
「どちらか好きなほうを選んで下さい」
「じゃあこれで」
 勤務に必須とも言えるボールペンすら持っていない女子高生スタッフの為に、僕は様々な店を渡り歩きプーさん、カピバラさん、センチメンタルサーカスのキャラクターが描かれたボールペンを自腹で購入した。人生で異性にプレゼントなんてした記憶はほぼ無いから本当にこのセンスが正しいのか不安だった。まずWに選ばせ、彼女はプーさんを選んだ。残る2本からKが選んだのはカピバラさんだった。
 これは、今や女子高生スタッフ唯一の在籍者であるK改め“カピバラ”を育てる立場になってしまった僕と、ある男子大学生スタッフとの戦いの物語である。



 事の始まりは2012年6月16日まで遡る。この日は土曜日で、カピバラは“午後勤”と呼ばれる13時から17時までの勤務だった。僕は13時から22までで、17時までは5月に入ったばかりのカピバラと2人のみで乗り越えなければならない。しかも、社員である僕は午後勤の仕事と並行して精算作業を15時までに終わらせる義務があった。12時30分に出勤するや否や、2台のレジを1台ずつ締める作業に入る。12時50分にカピバラも出勤し、まずはトイレ清掃と店の外の清掃をやって貰う。レジ締めを終えた僕はバックヤードのPCを使って精算作業に入り、その間カピバラはレジ応対の傍らで前日納品された競馬新聞の返品作業をする。僕は防犯ビデオを見つつお客様が込んできたら売場に出てもう1台のレジで応対に入る。つまり、ただでさえ時間のかかる精算を何度も中断させなければならないのだ。カピバラも慣れていない上にレジをやりつつなので返品作業に多大な時間を要しており、通常なら5分もあれば終わる作業を40分以上もかかっていた。
 やっとの思いで精算作業を終えると時すでに14時半。レジ横のホッターの揚げ物商品がほとんど無くなっていた。カピバラに指示を出しチキンやフライドポテトを揚げてもらうも、お客様もそれなりに訪れる為上手く進まない。短針は3の方向を差し、夕刊及び競馬新聞と煙草がほぼ同時に納品される。新聞の品出しはカピバラに任せ、僕は150カートンもの煙草をレジの真後ろ、単品売場の上にあるカートン保管棚に置いていく。これが地味に時間を要する。半分も終わらないまま15時半にレジ点検を始める必要があった。これは2台あるレジを2人同時に行う。15時45分に廃棄商品の撤去、16時にはセンター便が納品され息つく暇もない。夕方に向けてお客様も増えていく為、カピバラはレジ応対優先で、大量にあるセンター便の品出しは僕一人で行う。といっても精算時と同様、混雑時は僕もレジフォローに入らざるを得なくなり、品出しは思うように進まない。全ての作業がお客様の為に存在するのに、そのお客様を優先する事でいかなる作業も中断されるパラドックスに悩まされ、気が付くと17時を回ってしまった。

 ESを維持する為にも無駄な残業をさせないのが僕のスタンス。すぐにカピバラを退勤させ、入れ替わりで2人の男性スタッフが顔を出す。そのうちの一人が、後に宿命のライバルと化す大学生のTだった。
 17時の時点では悲惨な状況だった。センター便の品出しがほとんど終わっていない上に、煙草の品出しもほとんど手付かず状態。それは僕とカピバラ、新規スタッフ同士の2人では止むを得ない事だと思っていた。しかし、
「T君がアンタに怒っていたよ」
 それはマネージャーの言葉だった。
「センター便が終わっていない、煙草も手をつけていない、揚げ物もすっからかん、割り箸やストローの補充も出来ていない。何一つ出来ていないから最初からやる気を無くしていたって」
 Tは僕に直接怒れば済む事を、わざわざマネージャーに報告していた。故にTの感情にすら気付かなかった。
「アンタもう入社して2ヶ月以上、この店に来てからも2ヶ月近くいるんでしょ? もう新人だからじゃ済まされないんだからね」
 カピバラはともかく、僕はいつまでも新人気分で居る訳にはいかなかった。仕事を完璧に覚えるまで3年はかかる業種もたくさんある中で、コンビニは僅か数ヶ月でマスターしなければならないのだと悟った。現に何人かの社員は入社2~3ヶ月で店長やマネージャーに昇進している。大器晩成型の僕には辛い現実だった。もう少し待ってくれ。今の僕にはキャパオーバーだ。



 そんな弱音を吐いている場合でも無い事に気付かされたのは1週間後の事だった。6月23日、僕は夜勤の明け休みとはいえお休みを頂いた。接客業で土曜に休めるなんて奇跡に等しかったが、僕を絶望の淵へ突き落とす奇跡も同時に起きてしまった。この日の午後勤はカピバラと、僕の代打としてUという大学生スタッフが勤めていた。
 翌日、24日の朝に僕が出勤すると、またしてもマネージャーの怒号が飛んだ。
「Uから聞いたけど、カピバラが仕事何も出来ていなかったって。宅急便も検品も揚げ物も。アンタ今まで彼女に何を教えてきたの?」
 ちょ待てよ。宅急便は何度も教えてきたし、検品も一回は教えている。揚げ物なんて先週の土日にやらせまくったはず。だが、問題はそこではなかった。
「で、それを聞いたTがカンカンに怒っていたよ」
 何故Tまで怒るのだ。13時から17時までカピバラと一緒に組んでいたのはUであり、Tは17時から21時までの夕勤で、マネージャーは21時から。この3人が同じ日にその場に居ない人間に対して怒りを露にしたのだ。一体どういう事なのか。
「今のアンタ、Tからの信頼はゼロよ、ゼロ。俺にいくら迷惑かけてもアルバイトだけは困らせるなよ」
 冷静に考えると簡単な話だった。UとTは仲が良く、両者は共にマネージャーのお気に入り。Uの怒りはTの怒りに繋がり、その現状をマネージャーは許せなかったのだ。
「で、来週の土曜だけど」
 この業界に限らずだと思うが、一週間は月曜から始まる。故に“来週の土曜”とは6日後の30日を差す。
「午後勤がアンタとカピバラ、夕勤がアンタとT。先週みたいに17時の時点でやるべき作業が終わっていなければTは何もせず帰るって。そうなったら夕勤はアンタ一人だけになるよ。いいか、本当に帰るって言っていたからな」
 この日から、僕の壮絶な戦いは始まった。


(つづく)

◎期待を越えたい物語(後編)

2012-09-06 09:19:37 | ある少女の物語
 8月29日、僕は21時半にはT店に出勤していた。24時までに来れば良いものを普段は23時に早出していたが、この日は更に早く出向いた。防犯ビデオに記録された前週金曜の夜勤の映像を観る為である。
『月・水が僕さんと一緒で、金曜だけK君と一緒ですね』
 そう、毎週金曜はKSMとKの2人で夜勤。その2人がどんな感じで動いているのかをこの目で確認したかったのだ。
 週2ペースで2年は勤務しているという大学院生のアルバイトKもベテランの内に入るだろう。ならば辛いほうの「品出し担当」を選択しているはずだと思ったが、なんとここでもKSMが「品出し」をしておりKは「洗い物担当」になっていた。しかも雑誌の品出しはKSMが行っていた。僕と違い24時ギリギリに出勤するKに雑誌を処理する余裕は残されていなかったのだ。
『本来は私の仕事なんですから』
 その言葉は本当だった。とは言え、面倒なカップ麺の品出しは愚か、極寒のウォークイン作業までやらせておいて雑誌の処理まで女性に投げるとは、Kは給料泥棒以前に男としてどうなのか。
 映像の研究を程々に済ませた僕は22時前には仕事に取り掛かった。雑誌が納品される22時半より前に返品する雑誌を下げる作業を先に行いたかったのだ。そして下げた雑誌をマットと呼ばれる機会で返品処理をし、段ボールに詰めた。本来なら明け方の終了間際に行う作業である。極め付けは22時半に雑誌が納品されるや否や即品出し。2日前は2時半にKSMに手伝わせてしまった作業をこの時点で済ませた。これで前回の悪夢を繰り返す心配は無いし、雑誌の処理をしているだけでも僕はKに勝っている、そう自負したかった。しかし、
「お疲れ様でーす」
 24時半、ある2人組の男が来店。一人は紛れも無く映像に出ていたKだった。KSMは作業をしつつもKと雑談をしていた。彼女の満面の笑顔を見た僕は愕然となった。
「ああ、あの2人とはプライベートで良く飲んだりしているんですよ」
 僕がどんなにKSMの負担を減らす事を考えて仕事をしても、彼女と仲が良いのはそんな事を微塵も考えていないKのほうである現実。
(何だよ……あんなに仲が良いなら付き合っちゃえば良いのに)
 しかも僕は頑張っているというよりはただ早出をしてその分多く仕事をしているだけ。早出とは月給完全固定で時間外手当も出ない社員の僕にしか出来ない技であり(人件費に変動が無いので会社への迷惑も皆無)、実は1分単位で給料が発生する時給制のアルバイトに1時間や2時間の早出は当然許されていない。その時点でアンフェアであり、それで本当に勝っていると言えるのだろうか。プライベートで負けているのだから、せめて仕事ではKに圧勝したい。早出のハンデを差し引いても僕のほうが役に立っていると思われたい。KSMの期待を遥かに越える仕事をしたい。その為には今日のように雑誌を処理するだけでは駄目だと悟った。では何をすれば良いのか。どこまで頑張れば仕事に“取り組んだ”事になるのか。



 考えれば考えるほど、思考回路が原点へと戻っていく。大学を卒業してからの4年半は、仕事とは何かを悩み、職場の人間関係に苦しむ葛藤の歴史だった。建設業、新聞配達、鳶職、倉庫内作業。何をやっても駄目な僕が最後に行き着いた先が接客業だった。前職となる漫画喫茶の姉妹店舗でその接客さえも良い評価を貰える事は無かった。それでもお客様に褒められる事も片手で数える程度はあり、接客を好きになっていく自分がいた。しかし、今は本当に好きなのかと疑問符を投げている。猛暑や極寒の外で仕事をしたくない、豪雨の中バイクを走らせたくない、危険の多い場所で上司の暴力まで存在する仕事は嫌だし、かといってFラン大卒の僕に学歴が絡む職業は不可能、となると消去法で接客しか残されていなかった、ただそれだけなのではないか。今の段階でその疑問に答えは見出せない。K店で毎日のように怒られている現実が更に迷わせる。怒られる度に僕は接客に向いていないのではないかと思ってしまうし、Wの件も含め既に職場の何人かに嫌われている可能性も否定できない。しかし、ここまで職を転々としておいて簡単に辞める訳にもいかない。
 答えを出せないのなら、せめて……。

――笑顔――

 その2文字が僕の脳裏をよぎった。前職で27歳のマネージャーを好きになった理由は彼女の笑顔だった。僕がヘタレでいるだけで彼女は笑ってくれたが、今KSMを笑わせているのはKのコミュニケーション能力。彼に勝つには、今回ばかりはヘタレキャラで笑わせる訳にはいかない。他の方法で、かつ僕の力でKSMを笑顔にする事、それが期待を越える事なのではないか。確証は持てないが、どうせやってみないと解らないのだ。
 次こそ見せてやる、ちっぽけな僕にできることのすべてを。



 9月5日、24時。
「おはようございまーす」
「おはようございます。今、直前にカップ麺とカップ味噌汁と無印良品の在庫の品出しをしておいたので」
「おーー、ありがとうございます(笑)」
「納品されてきたら在庫を気にせずどんどん品出しして下さい」

 その、ほんの一瞬の、ささやかな笑顔を見るだけの為に、僕は21時半に早出して色々と準備を進めてきた。まずは前回同様雑誌の処理をし、それを終えてからKSMが出勤する24時までに、これも本来はKSMの役目であるカップ麺の在庫の品出しを僕が代わりに行ったのだ。
「いつもありがとうございます、何でもやってくれて」
 何でもやってくれる人――自店では怒られてばかりの屑社員をこんな風に思ってくれるだけで救われる。それがKSMの期待を越えているのかどうかは解らない。ただ、彼女を笑顔にした事実だけは確かに残った。



 Iのリハビリが順調に進んでいるという情報が入った。彼が職場に復帰すればT店における僕の役目は終わる。近いうちにKSMとの別れも訪れるだろう。あと何回会えるかさえ不明だが、残りの回数を、KSMと居られる限られた時間を大事にしたい。僕は顔が格好良い訳ではないし、根暗で見た目も暗いし、笑顔も作れないし、コミュニケーション能力も乏しい。だからこそ動いて、汗をかいて動き回って相手の期待を越えるしかない。
 それが、誰かの笑顔に繋がる事を信じて。


(Fin.)


◎期待を越えたい物語(前編)

2012-09-06 09:15:35 | ある少女の物語
※先に『7月第5週(番外編1)』『同2』をお読み下さい。
※都合により『カピバラルート攻略物語』の公開は延期します。ご了承下さい。



「髪を切られたんですか?」
「そうなんですよ、もうバッサリ。涼しくなって動きやすくなりましたよ(笑)」
 黒髪セミロング眼鏡っ娘改め、黒髪ショート眼鏡っ娘、いずれにせよ略すと“KSM”。彼女の居るT店へのヘルプ出勤は、7月30日以降も週2ペースで続いた。そして8月22日。
「KSMさんは主に誰と組んでいるんですか?」
「僕さんです(笑)。月・水が僕さんと一緒で、金曜だけK君と一緒ですね」
「ああ、曜日固定の週3勤務なんですね」
「I君が事故る前までは彼と月・水で組んでいたんですよ。僕さんはその代わりなんで」
 そう、そもそもK店配属の僕が週6日勤務の内2回もT店に回されているのは、過労による疲労が招いた交通事故で自宅療養中のIが復帰するまでの期間限定の措置なのだ。
「昼は小学生のサッカーチームのコーチやっているのに週4でウチの夜勤ですよ? 皆ちゃんと寝ろって言っているのにロクに寝もしないで車乗って事故って、もうどうしようもない駄目駄目君ですよね(笑)」
 容赦無くIを貶す女子力MAXのKSMだが、仮にも彼は、4月に入社したばかりの僕よりは上のキャリアを持つ。世間的には新人に過ぎない僕にIの代役は務まっているのだろうか。
「何回か立場を逆になりましょうか? 品出しとウォークを僕がやる感じで」
 僕は躊躇いも無くそう言った。T店の夜勤は2人体制で、一人はレジ応対をしつつ揚げ物や中華まん、おでん等の什器の洗浄と床の清掃をする「洗い物担当」、もう一人は納品されるカップ麺とウォークイン飲料を売り場に並べるのが主の「品出し担当」。これまで8回に及ぶヘルプ出勤の全てにおいて前者を僕が担当してきたのは、自店のK店のやり方でも出来る簡単な仕事だからである。品出しは店によって微妙に方法が異なり、6年のキャリアを持つKSMが担当せざるを得なかった。期間限定だから許される事だと自分に言い聞かせてきたが、全治3週間のはずだったIの復帰が延び延びになっており、このまま半永久的にヘルプ出勤が続くのであれば、先入れ先出しの原則を遵守する面倒なカップ麺の品出しと5℃にも満たない極寒でのウォークイン作業を女性であるKSMに毎回やらせる訳にはいくまいと思った。しかし、
「大丈夫ですよ。洗い物をやってくれるだけでも助かります、ありがとうございます」
 結局僕の申し出は受理されなかった。洗い物と清掃、そんな家政婦の真似事をするだけで感謝されても僕の心は晴れなかった。言われた仕事を“こなす”だけなら誰にでも出来る。それ以上の仕事に“取り組む”事で初めて評価される。こなすのではなく取り組むのが仕事、それは自店でマネージャーに散々言われてきた事であり、男である以上女性に過度な負担をかけさせたくない僕自身が心の底から思う事でもあった。とどのつまり僕はKSMの“期待”を越えたかったのだ。
 しかし、その思いも空しく、次のヘルプ出勤で事件は起きた。

「雑誌手伝いますね」
 8月27日の深夜2時半。売り場にある雑誌から返品するものを下げる作業をしていた僕の横で、自主的に納品された雑誌を開封し始めるKSMの姿があった。
「すみません、雑誌までやらせてしまって」
「イヤいいんですよ。本来は私の仕事なんですから」
 それは言われなくても解っている。本来「品出し担当」が処理する雑誌を僕が代わりにする事でKSMの負担を少しでも減らしたかった。過去8回はそうして来たが、ここに来て痛恨のミス。彼女に雑誌を手伝わせる失態を犯してしまった。
「本当にすみません、これは一生の不覚です。もう二度と雑誌はやらせません」
「何を言っているんですか(笑)」
 過剰に謝るネガティブキャラを演じるだけで精一杯だった。KSMが最低でも24歳であると以前書いたが、後に僕と同じ26歳である事が判明した。同じ時間を生きてきて、片や職を転々としてきた駄目人間、片やアルバイトとは言え同じ仕事を6年も続ける女子力MAX。何故ここまで差がついてしまったのか。慢心環境の違い等と言っている場合ではない。期間限定の“期間”が未定の中、このままの状態が半永久的に続くとどうなるか。

――嫌われる――

 その4文字が浮かぶまで時間はかからなかった。無断欠勤少女もWも最初は僕の前で笑ってくれた。彼女達の笑顔どころか存在自体までもを消してしまった責任は僕にもあるかもしれないと今でも被害妄想をしている。真相は闇の中である事がまたもどかしい。とにかくこれ以上、異性に嫌われたくは無い。


(つづく)

◎7月27日(番外編3)

2012-08-17 23:07:21 | ある少女の物語
「僕さん、一部の人からロリコンって言われていますよ」
 言いたいなら言えば良い。
「Wさんの件でめちゃめちゃフォローしまくったそうじゃないですか」
 僕はただ、健気に頑張る女子高生を正当に評価しない人たちに憤りを感じているだけだ。努力している人を助ける行為をロリコンの4文字で片付けられるとは、呆れて反論する気力も出ない。
 しかし、もしも僕が原因でWが辞めたとしたら――そう考えた事が無いと言えば嘘になる。最初は厳しいアラフォー店長に全ての責任があると思っていた。だが本当にそうなのか。考えれば考えるほど、Wが最後に姿を見せたあの日が脳裏をよぎるばかりだった。
 これは、本編では語られなかったW最終日に起きた悲劇の全貌である。


(※W編は今回が本当のラストです。もう少しだけお付き合い下さい)


「逆プリンになっちゃったんですよ」
「え、つまり上だけ失敗したって事ですか?」
 2012年7月27日、僕はショックを隠しきれなかった。Wの染髪は身だしなみ規定に引っかかるとかそれ以前に、ギャルへのスタートを踏み出してしまったのではないかと危惧したからだ。黒髪こそが日本の女子高生の最大にして唯一の魅力であり、彼女がいつかの婚活パーティーで見たギャルの様相を呈した軍団に一歩近づいたのであれば、自分の娘が大人への坂道を登っていく現実に涙する世の父親たちの気持ちが少しだけ分かったような気がする。
「ちなみに次までに髪を染め直す事は出来ますか?」
「え、出来ないです」
「イヤ、でも店長絶対怒るんで、せめて規定をオーバーしない程度まで染め直して来て下さい」
「ハイ……」
 フォローしたくても出来ないもどかしさに苦悩する自分が居た。店長の性格からして茶髪が嫌いである事は容易に想像でき、こればかりはどうにも出来なかった。

 言いたい事は山ほどある。でも一番言いたい事は何か。それを限られた時間で正しい日本語で矛盾無く伝えるにはどうすれば良いか。
「とりあえず……この紙を鞄に入れて下さい。後で暇な時にでも読んで下さい。僕の言いたい事は全部そこに書いてあるんで」
 僕の出した答えは手紙だった。前職で片想いした27歳の女性マネージャーがいたからこそ仕事を頑張る事が出来たエピソードを軸に、努力して得られる“結果”こそが大事で、その動機は何だって良いのであり、お客様を大事にする気持ちを持てなくても大切な誰かの為に仕事を頑張れば結果的にそれはお客様の為にもなる。要約すればそのような文章が書かれてある。15歳の女の子にお客様は神様とか綺麗事を言うつもりはさらさら無い。ただ、誰にでも大切な人は一人は居るはずであり、その誰かへの想いを仕事へのモチベーションに変え、レゾンデートルを見出して欲しい。そんな僕のささやかな願いが1350文字の中に込められている。そう、僕はWに辞めて欲しくなかったのだ。
「これからはレジに突っ立ったままにならないように僕がちゃんと指示を出していきます。シフトを一日でも多く入れて貰えるように頑張りましょう」

 Wはこの日、レジ応対のみならず、アイスや栄養ドリンクの品出しに加え、自らHOT缶の補充もしてくれた。この一週間ずっと不安に駆られていた僕の心は安堵へと変わった。やはりWは頑張っている。僕の目に間違いは無かった。過小評価をしている店長がその場に居ないのは惜しいが、失われた信頼はこれから少しずつ取り戻していけば良い。7月27日、Wは新たなスタートを切った……はずだった。

「このチケット誰の?」
 20時45分に出勤したマネージャーからの指摘で、その事件に気付いた。バウチャープリンタから印刷された2枚のtotoチケットのうち、2枚目をお客様に渡し忘れる事態が起きてしまったのだ。防犯ビデオをチェックした結果、やらかしたのはWと判明。すぐに本部に連絡するも、お客様情報を特定する事は出来ず、そのチケットは今もなおデスクの引き出しに眠っている。もしこのチケットが当選していればお客様の被る損害は考えるまでも無い。たった一度の失敗で、この日のWの努力は全て水の泡となった。
「どっちが(渡し忘れを)やったか解りました?」
「イヤ、解らないですね……」
 Wの問い掛けに僕は嘘をついてしまった。彼女が気にしているのは明白であり、少しでも真実を曖昧にして済ませようとした。そもそも気付かなかった僕にも責任がある。しかし、この事件に気をとられているうちに、僕は本当に大事な事を忘れていた。
「お先に失礼します」
 定時の21時を20分もオーバーし、ようやく帰る事が出来たW。その5分後に気付いた。彼女がシフト希望用紙に何も書いていない事に。
「ああ~、そうだった。まさか書き忘れるなんて……」
 負の連鎖とはこの事だった。希望用紙が空白だと、シフトにWの名前を入れて貰う事は不可能。僕が気付いて教えてあげれば良かったのであり、それがフォローというものではないのか。迷わず僕は受話器を手に取った。来週のシフトは既に決まっているので、8月6日以降の一週間だけでも電話で聞いておいて僕が代わりに記入するしかない。しかし、
「ああ、バスに乗っちゃったか……」
 Wは電話には出なかった。翌日の午前中にかけ直すしかない。何故僕はいつも肝心な時に何もしてあげられないのか。女の子一人助けられないで何が接客業だ。僕は自暴自棄になった。


――あれからずっと もしもああしてたらって 思ってるのがくやしくて
   まだまだ終わってなんかないよねって 誰かうそぶいてる



 この店に配属になってから2ヶ月半。僕は女子高生に、Wに嫌われたくない、ただそれだけの想いを仕事へのモチベーションに変えてきた。だからこそあらゆる仕事を僕が進んでやった。社員の権力を濫用しアルバイトにやらせれば良いなんて考えは決して持たなかった。しかし、それは裏を返せば自分の事しか考えていないのと一緒だった。アルバイトにちゃんと教えなければ彼等は仕事を覚えないし、特に社会経験の少ない高校生なんて実際にやらせなければ覚えない。それにやっと気付いたのは今の話より少し先の、ある事件が起きてからの事だった。


――そう季節はめぐって すべてかわって 見える景色の中にきみはいなくて
   ただ時は過ぎていくだけって またうそぶいてる



 翌日、僕は2時間もの早出となる午前11時に出勤したが、時すでに遅し。
 物語は終焉を迎えていた。


――戻ってきてほしいなんていわない ただひとつきみに確認したかったんだ
   例えばきみは愛されていた、とか 例えばその愛を誇れる?とか



「さっきまで居た店長から聞きましたけど、Wさんが茶髪になっていたんですって? 店長怒ってシフト表から除名しましたよ」
 思った通り、マネージャーは茶髪の件をアラフォー店長に報告していた。信頼はゼロどころかマイナスになっていた。
「シフト希望用紙にも何も書いていないですし、私物も持ち帰っているじゃないですか」
 それには言われるまで気付かなかった。Wのチノパンと靴が見当たらない。前日に持って帰っていたのだ。15歳の女の子なりの辞意の表明の仕方だった。シフト希望用紙を空白にしたのもわざとだろう。念のため彼女の携帯電話にかけたが繋がる事は無かった。

 無断欠勤少女に続き、Wまで。僕の心を散々掻き回しておいて、簡単に逃げていく。こんな悲惨な結末になるとも知らずに僕はWに嫌われない事だけを考えてきたのだ。せめて辞職の原因に僕が絡んでいるのかどうかだけでも教えてから消えて欲しかった。ろくに指示を出さなかった僕に恨みを抱いているかもしれない。そもそも手紙は読んでくれたのだろうか。
 全ての真相は、本人のみぞ知る。


――人は出会う、だけどいつかはお別れのベルが鳴る
   人は気付く、何が大切だったのかを



 僕はこの失敗を胸に、三人目の女子高生アルバイトの攻略に挑む事になる。

(Fin.)



◎挿入歌♪別れのベル/三浦大知

◎7月第5週(番外編2)

2012-08-09 22:11:09 | ある少女の物語
「本当にすみません。もう二度と邪魔はしませんので」
「イヤ、何でですか?(笑) 全然大丈夫ですよ」
 結局KSMに場所を聞いてしまった。彼女の手を止めた以上、この程度の事で過度に謝るネガティブキャラを演じる事が僕に出来る精一杯だった。イヤ、演じていないのかもしれない。Wの一件で女性が何を考えているのか解らなくなった自分がいる。今のKSMも本当は少し怒っているのではないか。あんなに辞めなさそうだったWの笑顔を見る事が出来なくなったショックがそう思わせる。
しかし、余計な事を考えている暇は無かった。夜勤はまだまだ長い。雑誌のコーティングと品出しを急いで終わらせるも、流石は中ボス、時間が予定を超過してしまった。次はいよいよ洗い物軍団のラスボス、揚げ物を保温するホッターの洗浄である。部品が多く一番厄介な奴だが、遅れた時間を取り戻すべく巻きで作業する。それを終えると、既に短針は3の方向を向いていた。カップ麺の品出しと保管場所の整理を終えたKSMはいよいよウォークインで極寒との戦いに向かう。それなのに僕はバフで延々と床を磨いているだけ。色々な意味で温度差を感じる。代わってやりたくても出来ない辛さを噛み締めながら、山パンの納品・品出しを挟み一時間もかけてひたすらバフを動かす。そして、

「えっ、こんなにあるんですか?」
4時10分、容積50リットルのオリコン5ケース分にも及ぶアイスと冷凍食品が納品された。ウォークインでの格闘を終えた勇敢なヒロインも合流し、これまで別行動だった僕とKSMが初めての共同作業に取り掛かる。
「僕さんは揚げ物の冷凍をバックの冷凍庫に入れて下さい」
今までが逆だっただけに、女の子に指示をされるというだけで情けなく感じる。だが仕方ない。僕は3回目のヘルプ出勤に過ぎず、彼女は正式な配属スタッフ。指揮棒を握るに相応しい者がどちらかは考えるまでも無い。揚げられる前の無様な姿のコロッケやチキン達を急いで冷凍庫に投入した僕は急いでアイス売り場の彼女の元へ。
「すみません、お待たせしました(?)」
「あ、イエイエ。冷凍庫に在庫保管する余裕ありました?」
「イヤ、そんなに無いですね」
「マジか……ああもうこれ多すぎ! 入らない! この店ホントに取りすぎなんですよいつも」
「誰が発注しているんですか?」
「Hさんです。あの6時に来る女性の」
「Hさんってマネージャークラスの社員ですよね?」
「そうなんですよ。ほぼ毎日売場見ているはずなのに、動きが解っていないというか」
「あ、これラムネバーですよね?」
「それもう入らないです。冷凍庫に無理矢理入れるしか」
「新商品のコーラバーと同じフェイスにしたらどうですか? コーラ全部入れても下が空いています」
「ああ、そっか。コーラ1箱だけですからね」
「あ、でも(発注倍数が)2倍ってオチじゃないですよね?」
「イヤ、1箱だけだったと思います」
「あ、2倍でした。普通にもう1箱ありました」
「ああもういいです、ほっときましょう(笑)」
 アイス売場のわずか2m圏内に女の子と二人きりで会話を交えながらの共同作業。ブギーナイトはクライマックスを迎え、僕のエクスタシーはレベル99を突破した。と同時に僕とKSMの手際の良さの違いも明確になった。
「あ、新聞が来たので品出しと、あとレジ点検もお願いします」
その一言で確信した。アイスの品出しは女子力MAXのKSM一人で充分であり、僕が手伝う意味はそれほど無かったのだ。ブギーナイトは終わり、色々な意味で朝が来た。再び単独行動になった僕は朝刊をラックに並べ、エンゲルに小銭を積もうとしたが、
「レジ点検の前に中華まん入れて貰えますか?」
「あ、そっか。すみません気付きませんでした」
「イヤ、こっちも指示出していなくてすみません」
「何だかすみません、全然役に立ってなくてばかりで」
「イヤ、別にいつもこの店にいるわけじゃないんだから仕方ないですよ(笑)」
女の子にフォローされても悲しくなるだけだった。自店で怒られても基本「何だよウゼエ」と思うだけなのに、今は怒られなくても自ら自分を責めている。結局僕は新米社員のペーペーに過ぎない現実に改めて気付かされた。

「え、もう卒業されているんですか?」
最後の最後に、KSMは大学生ではない事が判明した。
「どれくらいこの仕事やってらしているんですか?」
「この店の立ち上げの時から居ますから、もう6年になりますね」
 6年間ずっと夜勤だけ、つまりKSMは最低でも24歳。四半世紀プラス1年生きてきた僕とほとんど変わらないではないか。それなのに、職を転々としている僕とは違い、アルバイトとはいえ同じ仕事を、小学校に入学してから卒業するまでと同じ期間も続けてきたのだ。彼女が乗り越えてきたものは僕の想像の範疇を超えているだろう。
振り返ってみろ。僕はそんな女の子に「ウォーク代わりにやりましょうか?」とか「学生さんですか?」とか、小馬鹿にするような発言を幾度もしてしまった。
 しかし、それでも彼女は……。
「6年間“居るだけ”ですよ(笑)。まだ宅急便とか良く解らないんですよ。夜って宅急便あまり来ないじゃないですか。だから僕さんが一緒だと、宅急便が出来る人が居るってだけで心強いです」

 6時を過ぎても僕の仕事はまだ終わらない。発注業務がある為、眠気を抑えつつも自店のK店に移動しなければならないのだ。
 何だか落ち着かない。相鉄線の車内で、僕の心は身体と共に揺れていた。
「今日は本当に助かりました。ありがとうございます」
 それは、人から感謝される事に慣れていないからだった。


(Fin.)

◎7月第5週(番外編1)

2012-08-08 13:31:20 | ある少女の物語
 自宅に一番近いコンビニで1リットルパックのジュースを購入し、ついでにSuicaをチャージしてもらう。店を出て、目の前の押しボタン式の横断歩道を渡り、左へ50m程進むとバス停が見えてくる。そこで少し待つとオレンジ色の大型二種の車体が現れ停車。前方の入口から入り、運賃箱の横の黒い部分にSuicaをタッチすると、残額から210円が差し引かれる。運転手の真後ろの座席に腰をかけ、20分ほど身体を揺らされる。終点のバスターミナルで下車し、橋を歩いて渡ると目の前にコンビニがある。今日の勤務地となるT店だ。
「僕君、T店の夜勤が人足りないからヘルプで行ってくれる?」
 7月30日。アラフォー店長のその一言で、僕は1時間弱の出勤時間を要している配属店舗のK店を離れ、自宅から比較的近いT店の夜勤として勤務する事になった。今回で3回目だが、K店以上にモラルの低いお客様が多いのであまり気が進まなかった。偽造した保険証や、顔写真を差し替えカラーコピーした免許証を提示して煙草を買おうとする未成年のお客様が相次いでいるという、とても危険な店でもあるのだ。ただ、Wの件で傷心になっていた僕にとって、いつもと違う職場で違うスタッフと組むのは良い気分転換になるのではと思った。

 夜勤は24時から翌6時までだが、僕は23時にはIN打刻をしていた。仕事の遅い僕にとって、それを1時間の早出で補う事はもはやデフォルトになっていた。既にセンター便が納品されており、まずはその品出しを手伝う。23時半には済ませ、ひたすら洗い物と清掃が続く家政婦地獄が幕を開ける。まずは揚げ物を揚げるフライヤーとその周辺器具から。レジの真向かいに水道があり、洗い物をしながらもお客様が来たらキッチンペーパーで素早く手を拭いてレジ対応する。
 夜勤の面白みは皆無に等しい。眠気を堪えながら様々な器具にシャワーを浴びせ、洗剤を含ませたスポンジで身体を洗ってあげる、まさに“作業”である。
「はあ……今日も長くなるな」
 そう思っていた矢先、時計の2本の針が共にてっぺんを向こうとした時だった。
「おはようございまーす」
 まさかの女性だった。もう一人の夜勤者が姿を現したのだ。
「あら、夜勤の女の子が来たわね」
 推定30代後半の準夜勤の女性スタッフ(喫煙者)がボソっと呟いた。“女の子”だと……? 彼女から見ても“女の子”なら当然若い、かといって法的に夜勤で雇えるのは18歳以上。ということは、
「JDキターーーーー(゜∀゜)ーーーーー!!」
 僕は心の中でガッツポーズをした。今から6時間も女子大生と二人きり。テンションが上がってきた。つい最近まで一回りも歳の離れた女子高生スタッフの事で悩み続けていた僕にとって、少しでも歳の近い女性と仕事が出来るのはとても貴重だった。しかも、黒髪セミロングに眼鏡っ娘ではないか。今夜は“作業”ではなくブギーナイトになりそうだ。
「初めまして、夜勤スタッフの黒髪セミロング眼鏡っ娘です。今日はわざわざ来ていただきありがとうございます」
 丁寧な挨拶に加え、いきなり感謝された。異性にありがとうと言われたのはWにプーさんのボールペンをプレゼントした時以来である。女子高生に感謝されたいが為に、たかが仕事で使うボールペンを恋人にプレゼントするかの如くハンズやロフト、ディズニーやサンリオのオフィシャルショップにまで足を運び、いずれ裏切られるとも知らず必死に探し回っていたあの頃が懐かしい。
「すみません黒セミ眼鏡さん、勝手に洗い物始めちゃいました」
「イヤイヤ、ありがとうございます、とても助かります」
「もう常温便が来ちゃいましたけど、2人で品出しする感じですか?」
「イヤ、いつも私一人でやっていますよ。雑誌とカップ麺とウォークは一人でやります」
 待て、ウォークインだと……?
 説明しよう。ウォークインとは、冷蔵した状態のままペットボトル飲料やアルコール等を陳列できるガラス扉付きの什器の事で、その裏側に商品補充用の部屋があり、その部屋自体をも空調で冷やしているのだ。24時に納品される常温便にこのウォークインの飲料も何十ケースと含まれており、それらを全て品出しするには数時間単位もの時間を要する。納品量が倍増する夏場に加え、新商品が多数加わる月曜である今日は更に手間暇がかかり、その間ずっと5℃にも満たない補充部屋に居なければならない。
 そのような無理ゲーを女の子にやらせて良いのか。僕は迷わず口を開いた。
「ウォークだけでも僕がやりましょうか?」
「イヤ大丈夫ですよ」
「だって寒いですよね? しかもマスク」
「大丈夫です(笑)」
 結局KSM(黒髪~の略)に押し切られた。彼女の丁寧な態度と僕への気遣い、そして何よりも無理ゲーに果敢に挑む強い心は正に大人であり、これが女子力というヤツなのだろうか。

 常温便(カップ麺とウォーク飲料)の検品を終えたKSMはカップ麺の品出しに入る。これも地味に面倒な作業である。賞味期限の早いものを先に売る“先入れ先出し”の原則があり、例えばAというカップ麺を品出しするなら、まず既に売り場にあるAを全てカゴ等に入れ、新たに納品されたAを奥に置き、カゴのAを手前に戻す。
 それを見守りながらも僕は自分の作業を続けなければならない。フライヤーの次は中華まん什器の洗浄をし、新聞の返品作業も終了。早く出勤した事が功を奏し、時間に余裕が出来た。KSMの負担を少しでも減らす為、彼女がやる予定だった雑誌の品出しに取り掛かる。
 これは僕にとって中ボス級の難易度を誇る。手順を書けば(1)返品リストにある雑誌を撤去、(2)空いたスペースに納品された雑誌を入れる、ただそれだけなのだが、(1)だけでは納品された大量の雑誌を全て入れる事は皆無に等しく、更に雑誌をたくさん撤去しなければならない。雑誌の裏表紙に小さく書かれた発売日をチェックし、1週間以上前なら容赦なく撤去。ファッション誌なら数日前でも撤去する事がある。コンビニの雑誌は本屋よりも販売期間が短いと思った事は無いだろうか。そのカラクリはここにあったのだ。どうしても欲しい雑誌は早めに購入しよう。お兄さんとの約束だよっ。
 そして厄介な点がもう二つ。(3)品出しする雑誌に付録(ファッション誌のポーチ等)があればそれを一冊一冊に挟み込み、黄色いゴムバンドで縛らなければならない事と、(4)一部の雑誌は立ち読み防止の為に専用ビニール袋でコーティングしなければならない。これも時間をかける要因になっている。とりあえず挟んだり縛ったりコーティングする必要の無い雑魚の雑誌を先に品出しし、(3)も何とか終了。あとは中ボスの(4)である。しかし、ここまで順調だった僕に最初の試練が訪れる。
「無い……どこに置いていたっけ」
 コーティング用のビニール袋が見当たらない。過去2回の勤務でやっていたのにも関わらず、場所を忘れてしまっていた。ふと視線を売り場に向けると、そこには未だに大量のカップ麺と格闘しているKSMの姿が。彼女に聞けば教えてくれるだろう。だがそれは彼女の作業を止める事になってしまう。だが、聞かないまま探し続けると今度は僕の貴重な時間が奪われる。どう考えても聞くしかない。イヤ待てよ。
(何だよ2~3回来ているんじゃなかったの? 忘れているんじゃねーよキモヲタが)
 KSMにそう思われたらどうする。Wの件で負った僕の傷は更に深まるばかりではないか。レジ周りもバックヤードもそんなに広くはないのだ。落ち着いて探せばすぐに見つかるはず。さあ決めろ、聞くのか自力で探すのか、どっちだ?

(つづく)

◎7月第4週(最終話)

2012-08-04 09:06:15 | ある少女の物語
 大人の世界で一番辛い事は、怒られる事ではなく、褒めてくれない事である。
どんなに努力してもスルーされ、ミスをした部分ばかりが強調され、そこだけで評価が下される。
アラフォー店長のWに対する評価を僕は不服に思っている。確かにレジで突っ立っている事も何度もあったと思う。しかし、それ以外で頑張っている姿をちゃんと見ていただろうか。6リットルものつゆが入ったおでんの什器を自力で運んだのは高校生でWしか居ないし、レジ誤差も出さなくなってきたし、特に指示を出さなくても最低限やるべき事は進んでやってくれていた。在籍中のスタッフで一番彼女を見てきた僕にはそれが解る。
それよりも、Wの前に怒るべきスタッフは何人も居るのではないか。遅刻常習犯のアイツや、常温便が納品されたのに品出しをせずにレジに突っ立っていたアイツ、そして「なります」等の言葉遣いを一向に改善しない奴等。彼らに注意喚起すらしない現状にも憤りを覚えている。
果たして全てのスタッフに平等な評価を下しているのか。たった一人の健気な女子高生スタッフすら正当に評価できない店長に店長の資格はあるのか。
21世紀にマリー・アントワネットが存在するとするなら、それはWだと僕は思う。彼女は頑張っている。ただ色々とタイミングが悪いだけだ。このままでは彼女が処刑台に立つ事になってしまう。それだけは避けなければならない。
僕は店長と戦う。Wを育て、正当な評価をさせてやる。そう思っていた矢先だった。



彼女が  茶 髪  になって姿を見せたのは。



「Wさん、見た目が明るくなったのはすごく良いんですけど、髪の色が規定をオーバーしています」
髪の色は、日本ヘアカラー協会の定める「レベル11」以内と明確に決められている。Wの髪は頭頂部に限り規定より明るくなってしまっていた。逆にそれ以外の部分はセーフの色だったのだが。
「あ、これ逆プリンになっちゃったんですよ」
「え、つまり上だけ失敗したって事ですか?」
「ハイ」
「ああ、マジか……」
失敗さえしなければ良かった。上だけ明るいだけなのに、髪全体が明るく見えてしまう。人間の評価なんてそんなもの。本当にタイミングが悪かった。店長からの評価がどんどん下がっているのに、それを勇気を出してWに伝えたはずなのに、まさか病み上がりのタイミングで髪を染めてくるなんて、本当に風邪だったのかと疑われても仕方ない。僕は前日の電話で辛そうな声を聞いているから信じるが、もちろんそれも店長は知らない。
「本当に申し訳ないんですけど……」
 僕は恐る恐るWに語りかけた。言うべき事の全てを話せば間違いなく傷つく。どこまでを話せば良いのだろうか。
「Wさん、シフトの希望用紙、来週の分書いていないじゃないですか。それでどうなったかと言うと……来週は1日も入っていません」
「あ、別に良いですよ」
Wの反応が明らかに今までと違う。少し前の彼女なら一日でも多くシフトインしたがるはず。
「まあ……人間、頑張るだけじゃ駄目なんですよ。良く思われないといけないんですよ。Tさんっているじゃないですか」
「あの黒縁の眼鏡をかけている人ですか?」
「ハイ(それは俺もなんだが)。あの人、遅刻常習犯なんですよ。しかも彼もレジに突っ立っているだけの事あるんですよ。でも店長はそれを一度も怒った事がありません。何故なら……気に入られているからです。つまりはそういう事なんですよ」
上に気に入られる人が勝つ。Wがいずれ大人になれば嫌でも知る事になる社会の理不尽さをあらかじめ教えたまでの事だった。
「まあ、タイミングが悪かったですね……風邪を引いたタイミングが。ぶっちゃけWさん、店長からの信頼が今ほぼ無いです」
「別に良いですよ。ウチあの人嫌いですし」
一人称が“ウチ”なのが超絶に可愛くもあり、彼女がまだ子供である証拠でもあった。そして、店長を嫌っている事も確定。ざまみろ。アンタのやり方は敵を増やすだけなんだよ。
「とりあえず……この紙を鞄に入れて下さい。後で暇な時にでも読んで下さい。僕の言いたい事は全部そこに書いてあるんで」
 この数日、僕にしか出来ない事を考えてきた結果、前職で唯一褒められた「文章力」を駆使するという結論に帰結した。

===

『仕事とレゾンデートル』  当方128

「俺、卒業しちまった。二度と、あの学校の生徒にはなれない」
 卒業式から帰ってきた岡崎朋也は、一つ年上の彼女・古河渚の前で涙を浮かべながら言った。
「学校なんて大嫌いだったけど、お前となら、いつまでだって過ごしたいと思っていたんだ。ずっと腐ったみたいな学生生活を続けてきて、でも、お前と過ごした最後の一年だけは楽しかったんだ。幸せだったんだ。やっぱり俺も、留年すれば良かった」
 病弱な渚は出席日数が足りず、4月から三度目の高校3年生を迎えなければならなかった。
 岡崎は遅刻常習犯で授業もしょっちゅうサボる不良だったが、3年生の始めに渚と出会い、親友・春原陽平を始めとする数名の仲間と共に演劇部を結成し活動していくうちに学生生活にやりがいを見出した。彼を更正させたのは、他でも無い渚だった。

 2007年から分割4クールにも渡り放送され、社会現象にもなった(※なっていません)TVアニメ『CLANNAD―クラナド―』の有名なシーンである。私は主人公の岡崎朋也とある意味似たような境遇になった事がある。それは一年前、まだ今の仕事に就く前の事だった。
私は前職も接客業だった。漫画喫茶が好きでその仕事に就いたはずだった。しかし配属された店舗は、漫画もフリードリンクサーバーも無い、ただのPC付きの個室を激安で貸すだけの店で、帰る家の無いオッサン達と、ラブホに行く金の無い貧乏カップルの相手をする毎日。モラルの低いお客様を大事にする気持ちを持てず、トラブルは何度も起きた。理不尽な事で上司に怒られた回数も数知れず。自分なりに努力しているつもりでも一切評価されず、たった一回の大きなミスで全て水の泡となり、給料が一気に4万下がった月もあった。何人もの後輩が私を追い越していった。彼等は上司の前でだけ良い所を見せているだけだった(※本当は真面目に頑張る人も何人もいました)。不器用な私にはそれが出来なかった。

 絶望に打ちひしがれ、辞める事を何度も考えていた私を救ったのは、同じ職場の27歳の女性マネージャーだった(※本当は違う職場です)。彼女は夜勤で長時間働いた後に起きたある事件を慌てず冷静に対処し、疲労と睡魔に襲われながらも私の前では笑顔を見せた。その時、本物の天使には羽が生えていない事を知った。
 それ以後、目つきの悪さを隠す為に伊達眼鏡をかけたり、眉の整え方やワックスの付け方を勉強したり、勇気を出して美容院を予約してみたり、とにかく自分を少しでも良く見せる事だけを考えるようになった。マネージャーに嫌われたくない、ただそれだけの想いを仕事へのモチベーションに変え、レゾンデートル(存在意義)を見出し、何とか前職を一年間続ける事が出来た。

 それは、渚との出会いによって不良を卒業できた岡崎と酷似しているような気がする。ただ私の場合、お客様の為ではなくマネージャーの為に仕事を頑張っていた事が人として最低だった。それに気付いた時は自分を責めたが、やがて考え方を改めた。学校も仕事も、努力して得られる“結果”こそが大事なのであり、その動機は何だって良い。勉強が嫌いでも、大切な人の前で恥をかかない為に授業を真面目に受ける。お客様を大事にする気持ちを持てなくても、大切な誰かの為に仕事を頑張れば結果的にそれはお客様の為にもなる。
 自分の為でもお金の為でもない、誰かのために働く事こそが仕事であると、私は思う。
 あなたの大切な人は誰ですか?

===

Wはこの日、自分から積極的に動いてくれた。今までで一番頑張っていた。
そして、シフトの希望用紙に何も書かず、いつもは置いていくはずのチノパンと靴を持ち帰った。
茶髪の件を知った店長は激怒し、とうとうWを除名した。



7月第4週は、Wの「自己都合退職」と「解雇」の同時発生で幕を閉じた。



 無断欠勤少女に続き、また一人、仲間を失った。
僕はWを助けられなかった。何度もフォローをし、庇い続けてきたが、全てが水の泡。散々僕の心を掻き回しておいて、簡単に逃げていく。実は僕もWに嫌われていたのではないかと思ってしまう。楽しそうにしていたのは上辺だけで、笑っている顔も偽りだったのではないか。
今の僕の喪失感、空虚感、絶望感はとても言葉では言い表せない。本当は文章力なんて皆無に等しいのだから。
「怒る時は怒らなきゃ。後輩に嫌われないようにしている人は上に上がれないよ」
ある友人のアドバイス。確かにそうかもしれない。だが、嫌われる覚悟なんて今の僕には出来ない。人に嫌われる辛さを何度も経験しているから。



 Wの携帯電話の着信音は浜崎あゆみの『SEASONS』だった。発売当時彼女はまだ4歳。このセンスの高さはガチだと感じ、僕は3枚組のベストアルバムをレンタルし全曲をDAPに入れてしまった。少しでもWの事を、現役女子高生のリアルな気持ちを知りたかったから。


 今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても
 そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう



 この曲はもう、この世で一番聴きたくないし、聴きたいし、聴きたくないし……。


(Fin.)



※近日「番外編」を公開予定