南殿(なんでん)の裏の狭い通路を通って、御内原(うーちばる)へ向かう琉装の人を発見。
紫の帽子だ。琉球王国では、紫は、親方など特別に身分の高いものだけが着用を許される。
この人は、テンペストの主人公の孫 寧温(そん ねいおん)なのか。
王府内の阿片密売組織を解明した功績により、寧温は大臣職である表十五人衆へ登用され、国王から「紫冠の帽子」をいただき、親方となった(第2話p170)。
寧温が、ある事情により、誰にも気づかれずに、御内原(女の世界)と王府(男の世界)を行き来する必要に駆られ、兄の嗣勇(しゆう)により、教えられた方法がこの道を通ることだった(第3話p279)。
御庭(うなー)を避けて、御内原から南殿の裏で、書院・鎖の間(さすのま)との間の狭い通路を通ることで、奉神門の外側の下之御庭(しちゃのうなー)に出ることができる。
これは御庭から、南の廊下(赤い色)と南殿を見たところ。この裏に、通路を挟んで、書院と鎖之間がある。
鎖の間は、琉球のお茶菓子を楽しめる休憩施設になっています。(300円)
花ぼうる、ちいるんこう、くんぺん、ちんすこう、さんぴん茶。
お茶菓子、建物、庭園の復元について、琉装の女性から丁寧な説明を受けられます。
庭園は、明治時代に撮影された写真が復元の重要な手掛かりとなった。
明治時代の写真と、同じ場所から撮影した復元後の写真
このほか、遺構、分析、検討、復元の様子が記された資料もいただけます。
古文書に記された琉球のお菓子の説明もあります。
右下3番目には、真美那が得意とする千寿糕(せんじゅこう)も紹介されていました。
*****テンペスト関係記事一覧*****
紫は、染料として貴重で、万葉集にも額田王が紫草を詠んだ歌が出てきます。(実は、この幻ともいえる紫草を探しに荒野を歩いたことがあります。)色合いと材料が貴重なことから高貴な色とされたのでしょうね。
御内原は、男子禁制のいわゆる大奥ですね。
鎖の間は、お勧めですよ。
首里城は、明治以降に大和の人たちが残した古写真や測量図などが、遺構だけではわからない復元の手掛かりとしてとても役立っているそうです。
琉球王国も紫は高貴な色だったんですね☆
御内原と王府との区分があったとは驚きでした
鎖の間は落ちついた感じで ゆっくりできそうですね^^
行った際には、必ず立ち寄りたいです♪
復元の役になる写真保存には、ありがたいですね^^
ますます 現地に足を運びたい思いで~す
テンペストをお読みいただき、どうもありがとうございます。
日本の歴史物語との大きな違いは、沖縄はペリー来訪を始め、中国・欧米との外交交渉が格段に優れていることでしょうか。
途中読みにくい個所もあるかと思いますが、遠慮なく読み飛ばして、最後まで到達してくださいね。
「テンペスト」読みはじめています。
まだ一冊目ですが惹かされます。
forever-greenさまが写真に添えて解説してくださいますので、
本の読み進みに合わせて拝見しますとよく分かります。
ありがとうございます。