沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

テンペスト(西のアザナ 寧温の巧みな外交)

2011-01-29 | 琉球・首里城

 首里城は西を向いて城を構えているが、城壁の最西端に西(入り)のアザナがある。

東(上がり)、西(入り)の読み方は、太陽と方角が一体ですね。

この写真は、京の内から西のアザナをみたところです。

城壁が狭まっていくのがわかります。

 西のアザナは物見台になっていて、那覇市街、遠くには慶良間諸島が展望できます。

左手の方に那覇港があります。

テンペスト第3話(第13章大統領の密使)に描かれていますが、日本開国の指令を与えられた黒船艦隊のペリー提督が、浦賀入港の1ヶ月前に琉球王国に立ち寄り、艦隊の拠点設置を迫ったことはあまり知られていない。

黒船来航は、鎖国していた日本にとって大きな衝撃でしたが、首里城は高台にあるので、多嘉良(たから)は西のアザナの物見台から黒船艦隊を見下ろしています(第3話p213)。 

 西のアザナから首里城を見た写真です。

大きな屋根は正殿。右手前の大きな建物は、奉神門(主人公が正殿と間違えた第1話p95)。

右側の白い屋根は、まだ工事中だった書院・鎖ノ間の仮屋根。

一番左の屋根だけ見えているのが北殿で、評定所があったところ。 

 

王府は1853年にペリー提督一行を北殿で歓迎したものの、内容は茶菓子程度とし、城外にある大美御殿では中規模の式典でもてなしました(第3話p264)。

それから約150年後の2000年に開催された沖縄サミットでは、首里城の北殿で主要国首脳をもてなす晩餐会が盛大に開催されました。

 ペリーとの交渉に尽力する主人公の寧温は、朝薫とともに西のアザナから東シナ海を眺めています(第3話p302)。

翌年の1854年、琉米修好条約を結びましたが、その内容は、テンペスト(第4話p22-28)にあるように、4か月前に交わされた日米和親条約に盛り込まれた米国人居留地の設置や米国の最恵国待遇の条文は盛り込まれませんでした。

琉球王府の外交力の高さを示すものと言われています。

テンペストの作者の池上さんは、琉球王国の役人の優れた外交能力を、主人公に通じて伝えているのですね。

日米和親条約(1854年3月)

  • (第二条)アメリカに物資を補給(薪水給与)するために下田、函館を開港
  • (第三条)漂流民の救助、引き渡し
  • (第五条)アメリカ人居留地を下田に設定
  • (第九条)片務的最恵国待遇

琉米修好条約(1854年7月)

  • (第一条)自由貿易
  • (第二条)アメリカ船舶に対するに薪水の提供
  • (第三条)アメリカ船からの漂流民の救助
  • (第四条)アメリカに領事裁判権を認める
  • (第五条)アメリカ人墓地を設置及びその保護
  • (第六条)琉球国の水先案内に関する規定
  • (第七条)アメリカ船舶への薪水の提供に関する費用等

条約は、Wikipediaより

クイーンの塔(横浜税関資料展示室)

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BS時代劇テンペスト


テンペスト(おせんみこちゃ)

2011-01-22 | 琉球・首里城

首里城の正殿の2階、階段を上がったところに「おせんみこちゃ」と呼ばれる部屋があります。

国王は女官とともに毎朝、東方に向かって拝んでいました。(窓の方向が東です)。

「御床(おとこ)」には神棚として神霊が祀(まつ)られ、女官は抹香(まっこう)を焚いて「火の神(ひぬかん)」等を拝礼しました。

身分の高い神女(しんじょ)の任命儀式なども、国王、王妃臨席のもとここで行われました。

首里城公園Official Sitehttp://oki-park.jp/shurijo-park/guide/inside_s.html

テンペスト第3話p134では、「神棚のおせんみこちゃに線香当番の女官が火を灯しにやってきた。」とあります。

神棚にある香炉に、線香か抹香を炊いて、火の神(ひぬかん)を礼拝したのですね。

実際はもっと暗いのですが、写真を工夫したら、香炉が写っていました。

夕方だったので、ちょうど、女官が火を灯しにやってきたところでした。

おせんみこちゃでは、朝と夕方の2回、礼拝が行われます。

テンペスト第3話p175では、「真美那の安産を祈るため、国王と神女・さしのあむしられ、随行を許された女官だけの特別な儀式が行われた。」とあります。

この時、恩戸(うみとう)は、おせんみこちゃ拝礼供之勢頭部(作事のあむしられ)として、用意した供物を差し出していました。

しかし、恩戸は心の中では、女官の世界にクーデターが起きることを火の神に祈っていた。

このクーデターが現実に起こり、恩戸は主人公への約束(第2話p300)を果たすとともに、主人公を助けることになります。

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テンペスト(寧温発見!)

2011-01-19 | 琉球・首里城

南殿(なんでん)の裏の狭い通路を通って、御内原(うーちばる)へ向かう琉装の人を発見。

紫の帽子だ。琉球王国では、紫は、親方など特別に身分の高いものだけが着用を許される。

この人は、テンペストの主人公の孫 寧温(そん ねいおん)なのか。

王府内の阿片密売組織を解明した功績により、寧温は大臣職である表十五人衆へ登用され、国王から「紫冠の帽子」をいただき、親方となった(第2話p170)。

 

寧温が、ある事情により、誰にも気づかれずに、御内原(女の世界)と王府(男の世界)を行き来する必要に駆られ、兄の嗣勇(しゆう)により、教えられた方法がこの道を通ることだった(第3話p279)。

御庭(うなー)を避けて、御内原から南殿の裏で、書院・鎖の間(さすのま)との間の狭い通路を通ることで、奉神門の外側の下之御庭(しちゃのうなー)に出ることができる。

これは御庭から、南の廊下(赤い色)と南殿を見たところ。この裏に、通路を挟んで、書院と鎖之間がある。

鎖の間は、琉球のお茶菓子を楽しめる休憩施設になっています。(300円)

花ぼうる、ちいるんこう、くんぺん、ちんすこう、さんぴん茶。

お茶菓子、建物、庭園の復元について、琉装の女性から丁寧な説明を受けられます。

庭園は、明治時代に撮影された写真が復元の重要な手掛かりとなった。

明治時代の写真と、同じ場所から撮影した復元後の写真

このほか、遺構、分析、検討、復元の様子が記された資料もいただけます。

古文書に記された琉球のお菓子の説明もあります。

右下3番目には、真美那が得意とする千寿糕(せんじゅこう)も紹介されていました。

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テンペスト(京の内)

2011-01-16 | 琉球・首里城

縁があって、急遽、沖縄へ行ってきました。

テンペストの舞台の首里城にも行きましたよ。

 

首里城は3つの空間(1政治・行政空間、2祭祀(さいし)空間、3国王の生活空間)に分かれていますが、現在開園されているのは1,2です。

首里城の祭祀空間は、京の内(きょうのうち)と呼ばれ、聞得大君(きこえおおきみ)が支配していました。

聞得大君は、琉球王国の神女(ノロ)の頂点として、国王や王国を守る存在で、王の親族が任命されています。

テンペストでは、主人公の敵役というか、かなり個性的な描き方がされていて、大丈夫かなと、心配ですが…。

聞得大君が支配する京の内。

入口から、中に入ると森が広がっています。

 まだ樹木の支柱が外れていませんが、時間の経過とともに、もっと大きな森に成長していくのでしょう。

奥には、神秘的な祠があります。もちろん、立ち入り禁止です。間違っても入ってはいけません。

この広場のような場所は、祭祀が行われたのでしょうか。

テンペスト第2話p269で、主人公の孫親方がうっそうと茂る原生林の祭壇に立ち、馬天ノロの勾玉を頭上に掲げ、琉球の大神キンマモンを降臨させた、とあります。

京の内は、神聖な区域ですので、城壁に囲まれています。

 

 ここを抜けると、京の内のアザナの物見台があります。

テンペストのラストシーンで、聞得大君だった真牛は、ここにやってきます(第4話p302)。

真牛は、この物見台から見る首里城正殿が好きだった。

正殿の屋根の龍が迫って見える、聞得大君だけが知る王宮の横顔。

目の前に広がる王国南部、自分の領地だった知念間切を望み、真牛は、この城壁から身を投げた。 

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テンペスト(暗シン御門)

2011-01-03 | 琉球・首里城

琉球小説テンペストに出てくる首里城の舞台。

上の写真は、正殿の2階の窓から、南側の未開園区域を望んだもの。

左の建物は、二階御殿(未開園区域)。

正面の草地は、奥書院や近習詰所(きんじゅうつめしょ)があったところ。

手前の芝生地は、黄金御殿(くがにうどぅん)があったところ。

黄金御殿の1階には、暗シン御門(クラシンウジョー)があった。

上の写真は、同じ場所から、少し西側(右側)を見たところ。

手前の細長い屋根が、南風(はえ)の廊下(南殿と正殿を結ぶ廊下)。

その上にある屋根が、南殿の屋根。

奥に見えるやや白い屋根が、書院。

書院と南殿の間には、細長い通路があり、奉神門に至る。

 

【真鶴が寧温に入れ替わる時】

 画面左側の世添殿から黄金御殿2階へ来て、1階に下りる。

 暗シン御門(クラシンウジョウ)内の「げらゑの間」で寧温に着替えて、南風の廊下から南殿と書院の間を通って行政空間へ出る。

【夜は真鶴、昼は寧温として二重生活をした時】

 上と同様に、寧温に着替えた後、「暗シン御門から出て久慶門から入り直す」とあるので、歓会門又は木曳門から城外へ出た後に、久慶門から入城。

 真鶴に戻るときは、上記の逆。

【寧温が、真美那から世添殿に招待され、門限ぎりぎりで急いで帰る時】

 世添殿から黄金御殿2階を通り正殿2階へ、1階に降りて南風の廊下から、暗シン御門へ。(ここで寧温が消える)

 げらゑの間で真鶴に着替え、二階御殿の前を通って、写真左の御内原入口の中門へ飛び込む。(真鶴は城外にいたことにしていたため)  

写真から、想像できるでしょうか。

沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座 久宜氏が、首里城の復元図として有名な沖縄県首里旧城図(横内扶氏の資料)をトレースした図には、暗シン御門(赤い部分)が明瞭に記されていました。げらゑの間の位置を加筆してみました。

http://www.maizou-okinawa.gr.jp/sokuho_2009/sokuho2009rezyume.pdf 

上の写真は、最近復元された書院。下の写真はその庭園。

書院は国王の執務室で、尚育王の抜擢により科試に合格した主人公の孫 寧温(そん ねいおん)の戴帽式が行われた場所だ。

その場で13歳の主人公は、三司官(行政の最高責任者)から、評定所筆者主取(ひょうていじょひっしゃぬしどり)という課長級の辞令を受け取る。

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