![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/ff/d6f7c11bcc94007a0a5bdbbde030a0ae.jpg)
琉球小説テンペストに出てくる首里城の舞台。
上の写真は、正殿の2階の窓から、南側の未開園区域を望んだもの。
左の建物は、二階御殿(未開園区域)。
正面の草地は、奥書院や近習詰所(きんじゅうつめしょ)があったところ。
手前の芝生地は、黄金御殿(くがにうどぅん)があったところ。
黄金御殿の1階には、暗シン御門(クラシンウジョー)があった。
上の写真は、同じ場所から、少し西側(右側)を見たところ。
手前の細長い屋根が、南風(はえ)の廊下(南殿と正殿を結ぶ廊下)。
その上にある屋根が、南殿の屋根。
奥に見えるやや白い屋根が、書院。
書院と南殿の間には、細長い通路があり、奉神門に至る。
【真鶴が寧温に入れ替わる時】
画面左側の世添殿から黄金御殿2階へ来て、1階に下りる。
暗シン御門(クラシンウジョウ)内の「げらゑの間」で寧温に着替えて、南風の廊下から南殿と書院の間を通って行政空間へ出る。
【夜は真鶴、昼は寧温として二重生活をした時】
上と同様に、寧温に着替えた後、「暗シン御門から出て久慶門から入り直す」とあるので、歓会門又は木曳門から城外へ出た後に、久慶門から入城。
真鶴に戻るときは、上記の逆。
【寧温が、真美那から世添殿に招待され、門限ぎりぎりで急いで帰る時】
世添殿から黄金御殿2階を通り正殿2階へ、1階に降りて南風の廊下から、暗シン御門へ。(ここで寧温が消える)
げらゑの間で真鶴に着替え、二階御殿の前を通って、写真左の御内原入口の中門へ飛び込む。(真鶴は城外にいたことにしていたため)
写真から、想像できるでしょうか。
沖縄県立埋蔵文化財センターの仲座 久宜氏が、首里城の復元図として有名な沖縄県首里旧城図(横内扶氏の資料)をトレースした図には、暗シン御門(赤い部分)が明瞭に記されていました。げらゑの間の位置を加筆してみました。
http://www.maizou-okinawa.gr.jp/sokuho_2009/sokuho2009rezyume.pdf
上の写真は、最近復元された書院。下の写真はその庭園。
書院は国王の執務室で、尚育王の抜擢により科試に合格した主人公の孫 寧温(そん ねいおん)の戴帽式が行われた場所だ。
その場で13歳の主人公は、三司官(行政の最高責任者)から、評定所筆者主取(ひょうていじょひっしゃぬしどり)という課長級の辞令を受け取る。
*****テンペスト関係記事一覧*****
2011年、初コメントです。
やっとPCを購入し、なんとか繋がりました。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
仲間由紀恵さんの「テンペスト」も楽しみですね。
皆さんに当時の琉球王朝を知っていただくには
よい機会ですね。
私も楽しみにしています。
昨年9月の首里城は漆の香りがしました
テンペスト、盛り上がりますね。
首里城の復元も、期待が高まりますね。
また行きたくなりますね。
昨年の9月だと、正殿は塗り替え中でしたか。
15年に1度のことですね。
NHK衛星放送の「NHK BSプレミアム」仲間由紀恵さんの「テンペスト」を楽しみにしています。
イメージしながら想像できましたよ☆
益々、興味深くなるのと同時に記事が楽しみです
そういえば、琉球王朝のお正月してましたね
見たかったで~す^^
興味が湧いて、嬉しいです。
沖縄戦で焼失した首里城は、まだ復元途中ですが、テンペストを機に復元への期待が高まるといいです。
NHKもご覧になって、いつか沖縄もご訪問くださいね。
沖縄は海に囲まれているため気温が下がらず、最低気温が15度を下回るのは年に数日です。
どのお城にも、さまざまな物語があるのですが、中国と日本の両方に支配され、欧米列強が頻繁に訪れる琉球王国の歴史物語も興味深いですよ。
お正月、見てませんでしたー(+_+)
どんなんだったんだろー。
今日は雪道を歩いて近くの書店に行ってきました。
帰りは、「テンペスト」・・・これから読みはじめます。
ご紹介してくださり、ありがとうございます。
テンペストを購入されたのですか。
どうもありがとうございます!!
今日、首里城に行ってきました。
また、写真をアップしますね。