沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

富士山に沈む夕陽

2008-12-28 | 
私の住む街では「正月の三ヶ日に、夕陽が富士山の真中央に沈む。」と言われています。
日没地点は冬至から少しずつ北へ移動し、澄み切って雲のない今日、富士山の真中央に近づいているのがわかりました。

この微妙な距離だと、ちょうどあと2,3日もすると富士山の真中央に太陽が沈むかもしれないです。

富士見町、富士見通りなど地名になったり、小学校の校歌に出てくる富士山ですけど、高い建物が増えて富士山を見る機会が少なくなりました。
でも、どうやら言い伝えは本当らしいです。

私の住む街から見て、富士山の向こう側の方角には、浜松があるんですよ。

Danny Boy Ireland

2008-12-27 | 音楽
アイルランドに、いつか行ってみたい。
Danny Boy Ireland

Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen, and down the mountain side
The summer's gone, and all the flowers are dying
'Tis you, 'tis you must go and I must bide.

But come ye back when summer's in the meadow
Or when the valley's hushed and white with snow
'Tis I'll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny boy, oh Danny boy, I love you so.

And if you come, when all the flowers are dying
And I am dead, as dead I well may be
You'll come and find the place where I am lying
And kneel and say an "Ave" there for me.

And I shall hear, tho' soft you tread above me
And all my dreams will warm and sweeter be
If you'll not fail to tell me that you love me
I'll simply sleep in peace until you come to me.
作詞:フレデリック・エドワード・ウェザリ(Fred E. Weatherly)

ダニーボーイよ。(戦いの)バグパイプが山谷に響く。
夏はすっかり過ぎ去り、花は枯れていく。
君は行かねばならなく、私は待たねばならない。

でも帰ってきて。
草原に夏が来ても、雪が降り谷が静まっていても。
そのとき、光や影となって、私はここにいるよ。
ダニーよ。ダニーボーイ。こうして愛しているよ。

帰ってきた時、全ての花が枯れているかもしれない。
私も死んでいて、会うことはできないかもしれない。
君は、私が眠っている場所を見つけるでしょう。
ひざまずき、アヴェマリアに祈ってください。

君がそっと私の上を歩いても、私には聞える。
すべての夢が、暖かくて甘いものとなるでしょう。
私を愛していると、君が必ず、言ってくれるなら。
君が私の元に帰って来るまで、私は安らかに眠ります。
(意訳:forever-green)

アイルランドの歌ですが、英国で詩がつけられ、戦争に行った息子を思う親の気持ちが込められていると言われています。

50万語だよ

2008-12-22 | 映画・テレビ・本・英語
前回から39冊読んで20万語増えました。
たくさん読んだように見えるけど、易しい本を数多くこなしました。

Nate the Great「少年探偵ネイト君」シリーズは21冊読みました。
文章も面白いし、絵もかわいいし、謎解きも見事で、面白かったです。
もし、図書館にあったら、お薦めです。

記念すべき50万語は、Black Beauty 「黒馬物語」。
表紙の写真で左側が簡略本(1.5万語)、右側が完全本(6万語)。

19世紀後半の英国。
馬が生活に欠かせない時代、ブラック・ビューティと呼ばれた黒馬の物語。
馬は従順に働くが、飼い主の事情で馬車や荷役など仕事が変わり、酷使され、やせ衰えて死んでいく馬も多い。
馬に対する十分な知識と愛情を持つことが、馬の能力を引き出し、時には馬に助けてもらえることにもなる。

人の言葉を話せない馬が主人公の物語で、事故で足を痛め外出できなくなった作者が亡くなる数ヶ月前に残した唯一の小説。
その後2000万部頒布され、5回映画化されている。

この場面は、酒に酔ったライダーが馬蹄が外れたのに気づかず、主人公の馬が怪我をしてしまうところ。

「馬は、何からできているのか?」と主人公が嘆くところ。
馬に無知な人間は、蒸気機関車のように馬を酷使し、多くの馬をダメにしてしまう。

心優しい馬車業(タクシー)もいた。
自分の家族と馬のため日曜日には決して仕事を入れなかった飼い主が、危篤の親を見舞うため乗せて欲しいと要請を受けた。
休息日を失う馬のために、牧場での休日をプレゼントしたところ。

簡略本は粗筋を追いかける感じがしますが、完全本は作者の気持ちが伝わってきました。
多読は辞書は使わない方針ですが、性格でしょうか単語帳を作ってしまいました。
ペーパーバックの完全本をスラスラと読めるようになりたいです。

松本清張記念館

2008-12-15 | 国内旅行
小倉城の一角にある松本清張記念館に行ってきました。
北九州市小倉で生まれ育った偉人で、記念館は市の施設となっています。
外部から見ると、生垣の上に瓦屋根しか見えないよう配慮してあります。

記念館の入口は小倉城の石垣に隣接しており、入口に近づくと記念館だと判るくらい控えめです。
建物の内部は、杉並区高井戸にあった松本清張の仕事場である邸宅を再現した内容になっていました。
松本清張記念館

1909年に小倉で生まれた清張は、下関に疎開後、再び小倉で学び、手に職を持てという父の言葉もあり、朝日新聞で印刷工、広告の版下として働きます。一家八人を養うため大変な苦労だったと思います。
41歳、生活苦から「週刊朝日”百万人の小説”」に応募した「西郷札」が三等に入賞。翌年、「西郷札」は直木賞候補に。
43歳、「或る「小倉日記」伝」を発表。翌年、芥川賞受賞。東京に転勤。
社会的に弱い立場の人に焦点をあてています。
47歳、朝日新聞を退職、「点と線」を連載、ベストセラー作家に。
推理小説は犯行を隠すためのトリックの巧妙さに関心が集まりますが、清張は犯行の動機やその社会的背景に目を向けていました。

高校生の頃、清張を多読したなあ。
原稿用紙に20枚レポートを書いたことを思い出しました。
清張の生まれ故郷、育った風景が少し感じられたのでした。
映画では「砂の器」ですね。

ストーン牧師の森

2008-12-03 | 
多摩平の一角に、今では「多摩平の森」とよばれる豊かな森があります。
昔は、「宮内省林業試験場(御料地)」で、戦後に移転した後は、カナダ人伝道師のストーン牧師がこの土地を気に入り「農村伝道学校」を設けました。
その開所式は、教会へと続くユリノキ並木と満開の桜の中で行なわれたそうです。
昭和31年から始まった団地建設で、この土地は「多摩平団地自然公園」として保存されてきました。
40年後の平成9年から始まった老朽化団地の建て替え計画で、この土地は「多摩平の森」として残されています。

森の中に、ストーン牧師の悲話が紙芝居となって展示されていました。
昭和29年、北海道から帰る途中、死者1,155人を出した洞爺丸事故に巻き込まれます。
救命活動をしていた牧師は、一人の若者に目をとめます。
「あなたは私より若い。これからの日本はあなた達若い人が作り上げるのです。」と、自ら救命胴衣を譲り渡し、52歳の生涯を閉じました。
森林公園のかみしばい1

森の中は、モミの大木があり、ひんやりとしています。
コゲラ(キツツキ)が飛び交う森です。
林床を保護するため、木道になっています。

ここでは、自転車や犬を連れた散歩は、禁じられています。
オーストリアのウイーンの森もそうでした。犬が野生の本能に戻って小動物を殺してしまうからと、理由を話していました。

戦後の混乱期に東京では農地解放などにより多くの緑が失われましたが、ここではストーン牧師の努力により今日の豊かな緑に継承されています。
豊かな森は、生き物だけでなく、人の心も育てていきますね。