沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

大宜味村(2)陸上競技大会

2007-09-29 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
三連休の中日はいい天気。
本島最北端の辺戸(へど)岬に行ってみようかな。
片道50kmで往復100kmあるけど、7時間あれば戻れると計算。
前回の山越えは時速10kmだったけど、今回は海沿い。時速14kmで頑張ろう。

名護市から大宜味村に入ったよ。
やぎさん、売られているんだ。

道の駅「おおぎみ」。

パイナップル、バナナ、ドラゴンフルーツ、パパイアなど果物が豊富。

車があふれてる集落、どうしたんだ。

大宜味村陸上競技大会でした。
伝統のある大会で第60回目だそうです。
「砲丸投げ」もあるよ。すごいね。

こっちは「走り高跳び」。
運動会じゃなくて、本格的な陸上競技大会なんだ。
地区で争い、優勝すると国頭郡の大会に参加でき、さらに勝つと県大会に出場できるらしい。

「5000メートル走」もあったよ。
ずっと見ていたいけど辺戸岬にたどり着かないので、前に進みます。

出発からちょうど2時間が経過。
正午に響く音楽は、「芭蕉布」だよ。

おっと、やぎの放し飼い。
飼い主は、大会に行っちゃったか。

海水浴をしている人がいるよ。
地元の人は服を着たまま海水浴をすると聞いたけど、ほんとだった。

村営診療所だよ。

中秋の宴

2007-09-29 | 琉球・首里城
今年も首里城で「中秋の宴」を見てきました。
9/28(金)、9/29(土)、9/30(日)の3日間、18:30~21:00まで入場料無料です。
オープニングは、お馴染み「四つ竹」。
紅型衣装に花笠を被り、手で四つ竹を打ち鳴らしながら踊ります。

続いて沖縄が誇る人間国宝の唄と演奏です。
照喜名朝一さんの「こてぃ節」です。
三線と声が首里城に響きます。


次は、組踊(くみおどり)「二童敵討」。
中城の護佐丸が、見張っていたアマオエに破れましたが、生き延びた2人の子供が母から父の懐刀を預かり、敵討ちをする話です。
歴史上の阿麻和利と護佐丸の戦いをヒントに作られたもので、中国の使者をもてなす宴で演じられたようです。
護佐丸を倒し、わが天下を豪語するアマオエ。

母から父の形見の懐刀を受け取り、母と別れる護佐丸の子供達。

原遊びでアマオエの前で踊り、油断したアマオエを倒す。

今夜は立待月。
2時間待って、正殿の上に、月が出てきました。
人間国宝が「十七八節」を演奏し唄います。


大宜味村・三線の聞える海辺集落

2007-09-26 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
東村から、ゆるやかな上り坂を進むと、大宜味(おおぎみ)村へ出た。
自転車は快調。追い風なのかな。
峠越えの恋愛ドラマはないけれど、野生生物の生存ドラマがあった。

通称「クイナ・フェンス」。
ヤンバルクイナを守るため、沖縄県が設置したマングースの北上防止フェンス。
地元の小学校の子供達の絵がフェンスに掲げてある。
マングースは泳げないことを前提に、塩谷湾と福地ダムとの間に延々と設置してある。

フェンスより北部でもマングースは確認されているが、フェンスの中でマングースを捕獲し続けていくことで、マングースのいない聖域にしようという考えのようだ。
マングースのほかにもノネコやカラスなど、飛べない鳥ヤンバルクイナの敵は多い。

間もなく、塩屋湾に出ました。


水面に木が植えてあるよ。
ヒルギを植えて、マングローブを作ろうとしています。
温暖化対策の植林と書いてありました。

東シナ海に出ました。
だんだん日が暮れていきます。
津波(つは)の集落です。

耳を澄ますと、波の音に混ざって、かすかに三線の音色が聞えますか?
自転車を止め、たたずむ。
夕暮れの海辺の集落で、偶然聞えた音楽。
ディープなオキナワです。


東村へ行こう(2)パインアップル

2007-09-25 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
マングローブの向かい側に共同売店がありました。
ここの売店の良さは、地元の農産物。
慶佐次共同売店の過去記事
売店部分もコンビニのように品数が多い。

パイナップル、やや小ぶりだけどなんと100円。
たくさん買いつけたいけど、重たいので3個が限界(ーー;)
海ブドウ、たっぷり入ってタレ付きで500円。2箱ゲット。空港なら倍だね。

買物成果に満足して、河口から海に向かいました。
高台になっていて、あたり一面はパイナップル畑。
お日様をたくさん浴びて、パイナップルが育つんだ。

写真を撮っていたら、畑の手入れをしていたおじさんがこっちへ歩いてくる。
「暑いですね。」「アツイよー。」
おじさんの顔は真っ黒だ。大変な仕事だと思う。


おじさんに心の中で感謝して、集落を通り抜ける。

この先左に曲がったところで、道端に寝そべる犬が待っていた。
首輪はあるけど、鎖はない!

身の危険を感じて自転車を方向転換すると、犬はスイッチ・オン。
吼えながら、こっちに走ってくる。

逃げ切れないと判断し、再び方向転換して、強行突破を図る。
犬は、びっくりして、逆上してより激しく吼えながら、突進してくる。
言うことを聞かないヒツジを追う犬のように、並走して吼える。

必死の思いで、噛みつかれないうちに集落から脱出できた(^o^)丿
犬も、不審者を追い払う役目を果たして、さぞ満足だろう。
ー教訓:よそ者は集落に用事もないのに入ってはならないー

もう戻るのはイヤだし、荷物も重たいし、平らな遠回りの道を選ぶ。
岬を回ると、東村の中心部の平良が見えてきた。
ゴルファー宮里藍さんの故郷だ。

結構風があって、時々、道路にも波が飛びかかる。


ずっと海を見ていたいけど、日暮れも近いので帰路につく。
今度は、大宜味(おおぎみ)村へ向かう。

東村へ行こう(1)恥うすい碑

2007-09-24 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
東村へサイクリングしようと思いたった。
東シナ海から太平洋に抜けるには、近道を選ぶと距離は20kmだけど高低差200mの山がある。
一方、さらに8km遠回りの道を選ぶと高低差は50mですむ。
急がば回れとか、いろいろ走りながら考えたけど、海岸通りは向かい風も強いし…。
やっぱ近道が魅力的。

名護市の北端にある源河(げんか)を右折して山道に入ると上り坂が続きます。
おまけに、ここにも向かい風。
心臓がバクバク、脚にもキテます。
早くも自転車を押して歩いていました。
いつになったら、上り坂が終わるのか。

最初の峠に「恥うすい碑」がありました。
源河の青年と東村の娘が、毎晩密会していたそうです。
この近くで二人とも自害した悲しい民話が琉歌になっています。
「野山越る道や 幾里隔みても 闇にただひとり 忍で行ちゅん」
 名護市の芸能と民話
隣村の人と付き合うのは許されなかった事情があるらしい。
それにしても、この坂を通うとは脚力あるね。

この後、せっかく上ったのに直ぐ下ったり、また上ったり…。
肉体的はともかく精神的にサイクリングには適さない道だ、と何度も思った頃、太平洋の海が見えてきました。
下り坂を、爽快に走ります。

果実の王様パイン。
パインの村、東村(ひがしそん)と書いてあります。
いいね。うれしくなる看板です。
お土産にパインを買いたいなぁー。

慶佐次(げさし)のマングローブに到着です。
共同売店に直行です。

検定された教科書

2007-09-22 | 戦跡・沖縄戦・米軍
高校生が学ぶ日本史の教科書の沖縄戦に関する記述が、文部科学省の教科書検定制度により、来年度から変更される。
沖縄では検定撤回を求める意見書の採択が、全ての市町村議会と県議会で相次いで議決され、9月29日には大規模な県民集会が予定されるなど県土全体に動きが広がっている。

沖縄戦の最後の激戦地、糸満市摩文仁の丘にある平和祈念資料館に、実物の教科書が比較展示してあった。

+++++++++検定前(三省堂 日本史B)+++++++++


+++++++++検定後(三省堂 日本史B)+++++++++


高校教育でさえも沖縄戦の記述は5行と少ない。
検定前は、「日本軍に集団自決を強いられたり、戦闘の邪魔になるとか、スパイ容疑をかけられ殺害された人も多く」とあり、悲惨な戦いになった理由に日本軍が関与したことが明記されていた。
しかし検定後では、「日本軍」が削除され、何に追い詰められて集団自決したのか、民間人が誰に殺されたのか、日本兵士が関与したのかどうか判らない記述になっている。

文部科学省が検定方針を変更したのは、住民の集団自決が「日本軍の命令だった」とする部分をめぐって裁判で係争中のことが大きな要因らしい。
大江健三郎の著書で自決を命令したと名指しされたと主張する元少佐が、2年前大江氏らを大阪地裁に提訴し、裁判は進行中である。
裁判の争点

沖縄では地元2大紙が一般的で産経新聞を見る人は少ないと思うが、本土では次のような報道もされている。
産経新聞2007/3/31

検定に対し、沖縄の学識者は「合理的根拠がなく、日本軍の加害責任を薄める政治的意図が見える。住民が『集団自決』に追い込まれた実態がぼやけてしまっている」と指摘。
沖縄タイムス2007/3/31

教科書の検定は十分な審議で事実を検証して行なうべきものだが、どのような議論がなされたのか。
感情的、政治的問題ではないはずだが、一つの進行中の民事裁判を理由とするのは、沖縄の歴史を消してしまう問題なのに慎重さを欠いていないか。
終戦後60余年経過し生存者が少なくなり事実確認が困難になってから、なぜこのような問題が生じてくるのか。

平和祈念資料館で、戦争に巻き込まれた住民の証言集を読んだ。
食事中に突然現れ、住民から食べ物を奪う日本兵…。
「アメリカ兵は住民を殺さないから米軍に投降しなさい」と勧め、自分は自決した日本兵…。
証言の中に、様々な日本兵が出てくる。
住民の身近に日本兵がいて、住民の行動に影響を与えたのは確かなことだろう。

歴史は後から作るものではなく、事実を積み重ねるものだと思う。


日本が国家主権を回復した1952年のサンフランシスコ講和条約。
連合国との戦争状態が終結し、日本が国際社会に迎えられた喜ばしい日。
しかし、沖縄では抗議集会が行なわれていた事実が展示してあった。
日本唯一の地上戦で県民の4人に1人が犠牲になり、講和条約によりさらに20年間も”日本”から切り離された事実が、沖縄の人の心に刻まれている。

伊江島へ行こう(13)降下訓練

2007-09-07 | 伊江島(伊江村)
伊江島のグスク山に、飛行機が近づいてきました。
伊江島空港に着陸するには、高度が高すぎです。
変だなっと思ったら、パラパラと10個くらい何かを落としています。
パラシュート降下訓練でした。

飛行機は右から来て落とした後、旋回して向きを変え、右に戻っていきます。
2回繰り返して(もっと多かったのかもしれませんが)、今度は米軍飛行場に着陸です。

伊江島には滑走路が3本あります。
上の写真は、右から城山越しに見ています。
降下訓練は、中央(二番目)の米軍補助飛行場で実施したと思いましたが、過去の新聞記事から推察すると、一番西(左)の基地フェンス内で行なったようです。
(訂正します)


   米兵畑に着地パラシュート降下訓練中 【伊江】
4日午後零時15分ごろ、米軍伊江島補助飛行場上空でパラシュート降下訓練中の米兵一人が基地フェンス外の黙認耕作地に降下した。
降下地点は同飛行場の最も西側の滑走路南のサトウキビ畑で、付近に人はいなかった。(2006年10月の新聞記事)

伊江島へ行こう(12)

2007-09-04 | 伊江島(伊江村)
伊江ビーチで、ボートシュノーケルしました。
他のお客さんは親子3人連れ。
サンゴ礁のリーフの端まで、数分をボートで進みます。
デジカメの防水をチェックしているうちに、もう到着。


引き潮なので、結構水面近くまでサンゴ礁があります。
この複雑な地形が、魚たちには絶好の住処。
餌場と隠れ家にもなっています。


これはヤマブキベラ君のオスかな。

アオヒトデ君もいます。
手触りは堅いです。

シライトイソギンチャクとクマノミ。



お魚さんたちとも、お別れです。

伊江ビーチに戻ります。



伊江島へ行こう(11)米軍基地

2007-09-02 | 伊江島(伊江村)
米軍基地が本島面積の20%を占める沖縄で、土地奪回闘争の発火点が伊江島といわれる。
伊江島の米軍基地は、本土復帰2年前の1970年には、500haが返還された。

1976年の日米安保協議委員会では、伊江島米軍基地の全面返還が合意された。
しかし、現実はそれとは逆に、基地機能は強化されていった。

本島の国頭村で地元が反対し中断した垂直離着陸機(ハリアー)の訓練施設を、伊江島が受け入れるか、伊江島の基地の全面返還か、二者択一を迫られた。
(契約)地主会は訓練施設の受け入れを全会一致で要請し、伊江村はこれを受け入れた。

1996年のSACO最終報告では、読谷補助飛行場のパラシュート降下訓練施設の伊江島移転が盛り込まれ、実現した。
産業廃棄物最終処分場や多目的ホールなど村に必要な施設など様々な見返り措置があった。

基地があれば、契約地主には借地料が入り、村には交付金等が入り財政を支えてくれる(一般財源の30%:H13)。
基地を失えば、地主も村も、基地に代わる収入源確保が必要となるが、離島のこの村に、基地以上に有効な収入源はなかなか見つからないのが現実なのか。

伊江島の基地は、基地問題に苦しむ沖縄の他の都市を救うことにもなった。
なお、阿波根さんなど反戦地主会の人たちは、契約地主とは異なり、土地使用契約を結んでいない。

そして、現在米軍基地は800ha残存し、伊江島の35%を占めている。伊江島補助飛行場

ここは米軍基地内だけど、黙認耕作地と呼ばれるところ。
米軍に提供する肉類などの牧草地で、米軍が使用を認めている。

牛小屋も基地の中です。

このサトウキビ畑も米軍基地内にあります。

この先は、米軍補助飛行場があります。
通行可能と資料に書いてあります。
どんな飛行場なのだろう。
サトウキビや牧草地の中を走ります。

道が消えていくよ。
飛行機の代わりに、驚いたバッタが、次々と飛び立つ。


この方角に、阿波根さんたちの団結道場があるはずだけど、フェリーの時刻が迫っており、断念。

思いっきり漕げば、飛び立つような気分です。


ここは、基地の外です。
サトウキビを手作業で収穫しています。

暑いし、大変な重労働に見えます。

このサトウキビ畑も夫婦で作業しています。

「軍用地」を求める看板がありました。


参考文献
沖縄タイムス特集10 
沖縄米軍基地の返還. SACO 合意の実施状況を中心にー福田 毅 レファレンス 平成15年10月号http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200310_633/063301.pdf
沖縄の米軍基地 沖縄県 平成15年3月


伊江島へ行こう(10)

2007-09-01 | 伊江島(伊江村)
日曜日、朝一番のフェリーが伊江港に着く。
沖縄は旧盆。観光客に加えて、故郷へ帰る人が多い。
港には、子や孫やひ孫を待つおばあの姿。
無事に会えたかなあ。

伊江島といえば、話題のバイオマス・エネルギー。
サトウキビからアルコール燃料を作る実験施設がこれ。

ガソリンに混ぜて車が走るらしい。
ビールだけでなく新エネルギーでも頑張っているんだ。アサヒビール

おぉ!公園に、牛を放し飼いするのか。

と思ったら、馬だった。
まぎらわしい模様を持つ馬といえよう。

おぉ!農協前にバス停があるぞ。
診療所前⇔郵便局前を、バスが運行しているのか。

どうしたんだ。時刻表がないぞ。

公益質屋跡です。
銃弾を受け、ボロボロの戦跡です。

戦闘の激しかった伊江島で、唯一原形をとどめている建物です。


飛行場です。
予約制で、那覇空港から30分で伊江島空港に着くそうです。