富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

きみが心は

2010-05-07 14:39:14 | コバルト
集英社 コバルト・ブックス 初版:昭和45年4月
装丁:谷俊彦
さしえ:小泉澄夫

集英社文庫 コバルトシリーズ 初版:昭和51年6月
カバー:オリオンプレス
カット:西島ヤスエ


2010年5月10日追記
小雪に対して辛口の感想を書きましたが、
コバルトブックスにあった「作者のことば」は以下のとおり。

この作品には、まったく性格の異なっているかにみえるふたりの少女が登場する。
その個性というものにはいろいろあって、AはよいがBはいけない、などときめつけられるものではない。ただ人が、そのどちらをより好きか、どちらにしたしみを感ずるか、だけだ。
こころすなおにして性美しい女性に対して、ぼくはつねにあこがれを抱いており、ぼくの書く長編のヒロインたちに、ぼくはひとつの夢を託しつつ作品を作っている。
この小説のなかのふたりの少女も、ぼくの夢のそれぞれのひとつであり、すべての少女には彼女たちと共通の個性がふくまれているとぼくは信じている。



<きみが心は>

人は誰でも自尊心をもつ。
人に好かれたい、嫌われたくないというのもそうだし、
少なからずの自己防衛と自己顕示がある。

ただそれは、自らが高まろうとする思いからきたものか、
暗に他人を否定するものかで変わってくる。

登場人物の章生は、周囲に心を閉ざし続ける小雪に恋をする。
そして章生もまた、小雪に近づく勇気を持てないまま、
小雪と対称的な少女、泰子と一線を越え(最後まではいかない)、苦悩する。

章生も泰子も自尊心のためにポーズを作ったと言えなくはない。
ただふたりとも、勇気を持って相手にぶっつかっていった。

自分の真実を相手に伝えたい、そのために、

心の葛藤と戦いながら自分の本心と向き合おうとした結果なのだ。


小雪は本当の自分を知られるのが怖い。
だからひたすら隠す。隙をみせない。


『秘密はふたりのもの』の安志はかわいいもので、
過剰な自己防衛は、時に社会との孤立感をみずから生み出す。


小雪がなぜそこまでかたくなになったのか、その理由はわからない。
そう、心の傷うんぬんの話ではないのだ。


小雪は泰子との会話の中で、
自分の気持ちを外に出せないがゆえに誤解されてしまう、
心の中ではうれしいのにそれを表情に出せないのだということをほのめかす。


しかし、


「あなたはきっと、恋愛でも結婚でも、理想が高すぎて、すぐに相手の欠点が目につき、なかなか行動に移れないと思うわ」


という泰子の指摘はその通りなのだ。



 誰か本当の私に気付いて!
 (本当の私に気付かないものはそれだけの人間だ)



そんなことはだれもわかりゃしない。
「本当は…」なんて言い訳だ。結局は冷たい人間なのだ。


小雪のような中学時代を送った私が、実は他人の好意を踏みにじっている人間であることに気付いたのは…いつのことだったか。


たとえ小雪がこの物語を読んでも、当時の私が読んでも、きっと変わらなかっただろう。ラストの通りだ。


 泰子は小雪をひっぱたいただろうか、
 章生と泰子はよりをもどすだろうか、
 いや、章生は小雪の心を開くことができたかもしれない…


読み終えたあと、いろいろな想像をめぐらせた。


もう一編…


<故郷の乙女たち>

竹島健太というどこかで聞いたゴロあわせの名前の作家が故郷に帰り、
高校時代のクラスメートと思い出話に花を咲かせる話。

自伝的要素を思わせながら、これまた「ウソとマコト」が入り混じっているのだろうな。

しかしずいぶん色気のあるエピソードが多い高校時代だ。私のときはそんなことなかったぞ。まあ私だからか。

ジュニア小説という感じのしない一編だった。


2010年5月6日読了

>>次は…『かりそめの恋』

ふたりの恋の物語

2010-05-05 18:04:45 | コバルト
集英社文庫 コバルトシリーズ 初版:昭和51年8月
カバー・カット:高比良芳実

※初出:集英社コバルトブックス(1969) (W)

このブログをはじめて3ヵ月になろうとしています。
よく続いたなと思いますが、逆にファンになってまだ3ヵ月なのだ!ということ。
10年くらいファンやってる気分でいましたが、まだまだですね。


<ふたりの恋の物語>

男の子が女の子にモテモテになり困ってしまう話はいくつかあり、
逆パターンはないものかと思っていたのだが、今回はまさにそれ。


明美は電車の中で、気分がわるくなった菊代を助けたのをきっかけに、
菊代の兄である雪彦と知り合う。


明美は雪彦に興味を持ちながら、
スレた少女百合子と町子にいやがらせされ、浦田というチャランポランな大学生に付きまとわれたり、
三木という少年を手玉にとったり、ナゾの少年鈴原と出会ったり…と忙しい。


この明美、女のズルさで動くところもある、珍しいヒロインなのだ。
『道は遙かなり』でもそんな女の子は出てきたが、あくまでも脇役。
今までのヒロインは、女の本能を自覚してもそれを自制する理性があった。


明美は心のもやもやを吹き飛ばすためにダンスパーティに行ったり、
昔ラブレターをもらったけどその気もない三木の心をくすぐりいい気分になったりする。


しまいには雪彦に「コケット」って言われてしまう。うーん。
ヤキモチやきを自覚する雪彦が妙にさわやかに見えてしまう。
冒頭の菊代を介抱するやさしさだけでいかないところが、リアルな女の子像ということか。
確かにそれが女心なんだけど、ヒロインだけに許せないものが…(主観)。
富島作品を読む楽しさのひとつは“現実逃避”だったのだけど…。


さて、この話は「キスがゴール」ではないところも大人びていて、
つ…ついに胸まで…。
飾りボタンをはずそうとしたり、フロントホックに奮闘したりと、
みなさん一度は経験したであろうシーンも。
そして男性の頭を胸に抱くことで感じる母性。

大学生カップルが秘宝館(!)に行ったり、「契約結婚」したりと、
そんなところからも大人の世界をのぞかせている。


でも特別章を設けて描かれたファーストキスシーンは、
キスしながら「唇が冷たいと思われてはしないだろうか」「歯をみがけばよかった」などと
変に冷静なことを考える明美の姿がかわいい。
まあ、照れなんだろうけどね。


謎の少年、鈴原の存在も重みがある。
不良とも言えず、どこか影がある、印象深いキャラクターだ。

当時は「私は雪彦派、私は鈴原派」なんて会話があったのではないだろうか。
鈴原を主人公に一話出来上がりそうだ(ハッピーエンドにはならないだろうけど)。
『おとなは知らない』の水野と洋子みたいな感じ。


対してどうしようもないただのワル?が、百合子と町子、浦田。

作中、「情熱のおもむくままに異性にすべてを許した少女」とは違うのだ、
と明美はプライドを持って思うのだが、
彼らにはそのプライドを持てるほどの信念はないのだろう。


作品は、高校生で大切なことは何かを考えながら、プラスになる交際になるよう、
自制して付き合っていこうという、そつないまとまりで終わる。

でも、どうも今までのヒロイン像と違うので、混乱したまま読み終えてしまった。

一足先に読んだ『純愛一路』はお風呂に入っちゃってるし、
他にもチラ見した作品ではもっとすごいことが書いてあったものもある。

時代とともに作品が変化(エスカレート)していくだろうことはわかっていた。
そしてキャラも変化していくのか。うーん。ちょっと複雑な気分だなあ。
夢見るままではいられないってことかな。
そして時代もまたそれを求めたのか。



2010年5月5日読了

>>次は…『きみが心は』

秘密はふたりのもの

2010-05-01 23:13:37 | コバルト
集英社文庫 コバルトシリーズ 初版:昭和52年3月
カバー・カット:田中ひでゆき

※初出:集英社コバルトブックス(1969) (W)


<秘密はふたりのもの>

まあ、これまたロマンチックなタイトル。
けれども、ロマンチックに至るまでの話が長いのよ。


主人公の安志は、啄木の短歌よろしく「友がえらく見え」て仕方ない。
ハンサムなやつ、口が達者なやつ、生一本なやつ、秀才、“経験”しちゃったやつ…
そんな周囲の仲間と比較して、自分をつまんない平凡な人間だと思っている。


(話が安志の一人称で進むせいもあるが、確かになかなかこの名前を覚えられない)


そんな安志に小学生の時から付き合ってくれる左千子。
物語は例によって、このふたりが互いに好意を持ちながら、
気のないふりをしたり、違う子とくっつけようとしたり…というじれったいお話だ。


ふたりは高2!現代では信じられないことだろうな。


しかもこの安志、いつもにまして鈍感すぎるキャラクターだ。


物語はいつまでたってもじれったいまま進み、もういいかげんにしてくれ…と思いかけたところで急展開?


秀才小林の“電子計算機”が、安志の核心を突く。
それはもちろん左千子のことでもあるが、安志自身のこともだ。


「人間には二種類ある。不当に自分を低く評価するやつと不当にうぬぼれるやつと。

おまえは前者だ。おまえはいつも、自分に都合のいいデータを捨て、自分に悪いデータをとりあげている。
最悪の場合を想定して、もしそれが現実になったときに、失望しないような用意をしている」

「おれがいままでおまえにいいたかったのは、その防御的な生き方なんだ。
それはたしかに自分の心を守るためのもっとも安全な道ではあろうけれども、
一方では自分の飛躍をさまたげている」

「もっと積極的に生きたらどうだ。?そしてあまり自分を卑下して考える態度をあらためろ」




ああ、ガツンとくるな。ふみさんも前者だからだ。
いったいいつまでモラトリアムやってんだ?と思ってしまった。



そして安志は、秀才小林に努力で追いつこうとする能登の姿から、またもや自分のあり方を考える。



まるで『心に王冠を』のようなメッセージ。
そうか、この話は恋愛よりもそっちがメインなのかな。



さて、安志と左千子はどうなるのか?


小林の説明どおり、ふたりは“速球投手の投球のように”急接近するのだが、
安志は自分の決意をつらぬくために、ふたりの仲はいったんおあずけ。


「ふたりの秘密」を胸にひめて。



でも、ラストの安志は、何だか頼もしく見えたぞ。
まるで、“経験”したとたん堂々としだした近江君のように。



何だかんだいって、ラストを何度も読み返してしまった。
『星と地の日記』のように、ふたりの幸せを祈りたくなる、胸があったかくなるラストだった。



…そしてもう一編


<うわさの少女>

「子どもを産んだ」と噂される信子と、信子を信じる吾郎。

信子は噂に翻弄されず、堂々と生きている。
それには理由があるのだけれど。

作家をにおわせる吾郎の父親もまた、さりげなく、吾郎に人のあり方を示唆している。

この話もまた、恋愛ものというより人生訓かな。



2010年4月30日読了



>>次は…『ふたりの恋の物語』




みなさま、よいゴールデンウィークを