富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

月刊ジェイ・ノベル12月号 愛と官能の小説特集

2012-11-22 21:12:42 | その他

実業之日本社といえば「MyBirthday」の復刊で個人的に盛り上がっていましたが、荒川さん情報を受け「ジェイ・ノベル」を探すことに…。発売日から一週間、なかなか見つかりませんでしたがついに発見。

新鋭と昭和の大家が競演!
愛と官能の誘惑

新鋭はともに女流のうかみ綾乃、蛭田亜紗子。
“昭和の大家”は宇能鴻一郎とわれらが富島健夫!

今号の特集は官能小説。昭和四〇年代から五〇年代にかけて、多くの男性読者を獲得、小誌前身の「週刊小説」誌でも健筆を振るった名手・宇能鴻一郎氏(「女あぐら」)と富島健夫氏(「可愛いおとこ」)の官能短編を再録します。この大家二人に新進女性作家が新感覚の官能小説で挑みます。うかみ綾乃さんの「お松明」、そして蛭田亜紗子さんの「シルバー925の失望」です。出版社サイトより)

うーん…


中原修の挿絵も再録

「可愛いおとこ」の初出は、「週刊小説」昭和51年4月26日号。版を変え二度単行本に収録されていますが我が家にはありませんでした。

いつもの「女から誘ってきて複数プレイ」…という展開ではなかったので、まあそれなりに面白く読めました。官能小説としてはどこで興奮するのだろうという感じなんですけどね。

せっかくブログに挙げるので、新鋭ふたりの作品も読んでみたのだけど…どうも鼻につく。書いているときの「計算」と、「胸の高鳴り」が予想できてしまうのだ。「胸の高鳴り」っていうのはいやらしい意味ではなく、「文章としてかっこがついてきたぞ」という意味。

「可愛いおとこ」も実につまらない話なのだが、媚びたり立派にみせようとする様子がまるで感じられない(まあ、適当に書いたのだろうが)。それでも流れるような文章で一つの作品を完成させているのが富島健夫の筆力なのだと思う。

つまらない話でもちょっとだけひねくり、過激に性交を描き、ちょっとだけ“闇”を加えることでそれらしくなる。けれども読了後に一息つけばやっぱりつまらないなと思う。(松浦理英子の『ナチュラル・ウーマン』はただひねくった話ではないということだ!)
文章を書くときはナルシシズムは必要。でも俯瞰してみることも必要。『新左翼とロスジェネ』を読んだ時と似たような気分になった。自分も注意しなければいけない。

ぱらぱら眺めるだけでも、“昭和の大家”のほうが文章がすっきりしているのがわかる。
特に富島は擬音を使わない。「ぐちゃぐちゃ」言わない。「いっちゃう」とも言わない。で官能小説になってるところがすごい。

宇能先生は特別。さすが“大家”ですよ。擬音ひとつでも生きてるもんね。

ツイッターで「どうせなら『初夜の海』に挑め」とつぶやいたけど、『女人追憶』に挑んだ神崎くんにだって酷評するんだから、まあ同じか。
富島びいきですみません。

プロフィールはこんな感じ。

“官能小説”以外の作品を紹介してくれる雑誌はないのかなあ。


青春の野望 第三部 早稲田の阿呆たち

2012-11-16 20:45:22 | 青春の野望

左:集英社 1977(昭和52年)年3月初版(写真は77年10月 第3版) 装丁:土居淳男
右:集英社文庫 1981(昭和56)年8月初版(読んだのは83年9月 第8刷) カバー:土居淳男

飲屋街での有志による同人雑誌発刊の打ち合わせの場面から始まる。良平はいつのまにか早稲田仏文科に入学していた。『女人追憶』もそうだが、大学受験の経過は飛ばされている。『雪の記憶』では夜の工場に通って受験勉強する海彦の姿が描かれていたが、あのような感じだったのだろうか。いよいよ単なる男女の物語ではなく、作家富島健夫像が浮かび上がってくる物語に突入したという感じだ。
良平たち同人は丹羽文雄の門を叩くのだが、富島の指導をすることになる中村八郎をはじめ、実在の作家名が次々と現れる。物語自体はフィクションとノンフィクションが入り交じっているにしても、さすがに実名で登場している作家については嘘は書かないだろう。学習院のカップル、吉村昭と津村節子も登場する。
丹羽邸では毎週月曜に編集者や作家が集まり“文学談義”が繰り広げられていた。紫煙漂う部屋での熱気が感じられるような描写だ。これが実話だと思うと文学に詳しくなくとも面白い。

石川利光、八木義徳、多田裕計、十返肇、峰雪栄、瀬戸内晴美…何人知っていますか。私は瀬戸内晴美しか知りませんでした。

丹羽は良平たちの創刊する同人誌にプロを何人も輩出した同人誌『街』の名を惜しげもなく授け、しかも創刊の巻頭文まで書いてくれるという好意を見せた。同門出身とはいえあり得ないことだろう。良平が丹羽の『海戦』に感動したことについての記述があるが、この部分で富島もまた、良平の姿を借りて丹羽に対する敬意を示しているように思える。中村八郎についても、その人柄の良さがうかがえるような述べ方だ。

さて、この『街』。国会図書館にも所蔵がなく、なかなか読むことが叶わなかったが、昨年の冨島家訪問の際、お借りすることができた。全4号のうち3冊。冨島が書いていない4号だけが見つからなかった。


おそらくネット初公開の第二次『街』 (コピー)
※火野葦平が「大変きたない」と酷評した表紙。モダンでいい感じだと思うのだが…(とりあえずケチをつけておきたかったのかも)。

目次

「街」の再刊に就いて…丹羽文雄
聖(サン)パウロの使徒…関根民耶(作中関本?)
沼岸の町…神野洋三(早野?)
鷹野という男…波山茫(飯塚??)
静かな街の風景…高名矯太郎(高山?)
甚三の死…冨島健夫
詩 草原…神野洋三

表紙…無所属 吉田漱


「街」の再刊に就いて 丹羽文雄

若い文学者の中には、二つの流れがある。私のところに来る学生の中にもはっきりと二つに分かれている。絵画でいえば、いきなりアブストラクトから出発しようとするのと、従来リアリズムを基調として出発しようというのと二通りの文学精神を抱いている。私はそのいずれもよいと思っている。究極するところは一つである。新しい人間像の確立である。
「街」の同人の主義主張は、必ずしも一致はしていないように聞いている。それでよいのだ。若い時代には若さでなければ書けないものがある。私はそれに期待する。出来ていようと出来ていなくとも、将来への希望が感じられたらよいのだ。
「街」は二十数年前に私たちではじめて早稲田で出した同人雑誌の名前である。いまもさかんに書いているのは、火野葦平、寺崎浩、三好季雄(月光浩三)それに私。故人には、田畑修一郎、中山省三郎、坪田勝というのがいた。一つの同人雑誌から出てこれだけそろって文壇ではたらいた例は少ない。第二次の「街」の同人も、私たちの頑張りをうけついで貰いたい。
私はよろこんで、「街」の名を諸君に送りたいと思う。

冨島は巻頭9ページを取り、「甚三の死」という作品を発表している。タイトルのまま火葬場で働く甚三が死ぬまでの物語だが、救いがなく重苦しい作品。良平の新恋人になろうとする小里が「おそろしい作品」と称しているが、その通りだ。『黒い河』など初期の作品の世界のイメージで、富島作品の源流はやはりここなのだな、と思わせる。勢いがあり、ぐっと読者を引き込む文章はデビュー後と遜色ないが、最後の最後で素人っぽさを見せる。しかし他の作品と比較すると、文庫本の解説に引用されている中村八朗の回想のとおり、「富島は仲間の中では一人飛びぬけた筆力を持っていた」(「十五日会と『文学者』」)ことがわかる。

冨島の編集後記は奇をてらわず、至極まっとうに抱負を述べたもの。


奥付

『早稲田の阿呆たち』では、良平が『街』に発表した作品は『新作家(文学者)』や『早稲田文学』で取り上げられ、習作「ある出発」が『新作家』に掲載されることになる(実際『文学者』に発表された作品のタイトルは「例外」)。良平は作家としての一歩を踏み出したわけだ。
しかし締めくくりは“新しい恋”の始まり。美子と結ばれながらのこの展開は、実話であろうとなかろうと、まあ…どうでもいいやという感じ。
米軍女性相手の“奇妙なアルバイト”(富島には同名の作品もあるので実話かもしれない)、早大事件など、当時の空気感を伝える話題も盛りだくさん。女性関係だけを拾い読みしてはもったいない、富島健夫の証言になっている。

退廃の雰囲気に酔うエキセントリックな登場人物たちよりも、富島は異彩を放っていたのかもしれない。


スクリーンで観る舟木一夫と時代を彩ったヒロインたち…の感想

2012-11-07 23:41:01 | 映画

何とか休暇をとって目当ての3作品を観ることができました。
客層は…いつもかなり年配。なぜか「君たちがいて」のときだけ小さな女の子連れの母子が。
では見た順に感想を。

君たちがいて僕がいた
1964年東映 監督:鷹森立一

 以前ビデオで観たのと感想はさほど変わらない。前ここで「パンチラ」と書いたのが「短パン」の間違いだった(短パン逆上がりのアップ。ラグビーボールを蹴り上げるところはパンチラだったけど)という発見はあったけれど。

本間千代子はかわいいけど、わたしの富島ヒロインのイメージとはちょっと違うかな?(富島研究会のメンバーには人気ですけれども:笑)

※2012年12月4日追記:原作を読んで評価が変わりましたのでこちらもお読みください。

高校三年生
1963年大映 監督:井上芳夫

この映画の原作が富島健夫と聞いたときびっくりした。わたしでも幼い時から歌だけは知っていたものだから。

富島ファンになってからは、Wikipediaで「ヒット曲に便乗しての小説・映画化」といったような誤った情報を流されたために、出版物の記述にまで影響したことに気をもんでいた。Wikipediaに加筆・修正したり、荒川さんがTwitterでつぶやいてくれたことから、だいぶ事態は好転したと思う(推測)。
→役名を確認するためにちょっと検索かけてみたら、「原作は富島健夫の『明日への握手』で…」となっているブログなどが多いですねえ。これは『福岡文学事典』、直さないとまずいんでないかい。「美しい十代」のオークション出品画像でも「『明日への握手』を映画化。題名に舟木一夫のヒットソングを借り」というような文面を確認。

さて、映画自体については、娯楽映画だから「君たちがいて」みたいな感じだろうとさほど期待はしていなかったのだが、これがなかなかいいのである。富島ジュニア小説を読んでいる時の「ときめき」感が、映画のなかにあふれている。

主役が二人の美少女なのも大きな理由だと思う。姿美千子と高田美和は、どちらも芯のある和風美人の顔立ちで、わたしのイメージの中の「富島ヒロイン」に近い。舟木一夫は脇役。ユーモラスでちょっといいやつ、といったキャラクターで、なかなかいい味を出している(存在感はあるので舟木のためにわざわざ作った役だと思うが)。

教師に対するほのかな恋心、友達から一歩進みたい心の葛藤やじれったさ。性への不安、社会の理不尽さ。原作とは若干異なるようだが、「まじめ」さからはずれていない。知子(姿美千子)が姉と恋人のキスシーンを目撃して動揺するシーンは、あまりにも純粋でほほえましい。街並みやインテリアも時代を映し出していて、じっくりと観てしまった。ラストもさわやかで、小路(高田美和)を見送るクラスメートのひとりになったような気持ちになった。

おそらく、富島はこんな乙女チックな物語は書かないだろう。「原作者」本人にしては一人歩きした映画作品になっているかもしれない。けれども、ファンが富島作品を通じて求めているものが、よりわかりやすく描かれているのではないだろうか。

※ところで、パンフレットに原作者名が記されていない件は、荒川さんがツイッターで一つの仮説を立てているのでご覧ください。→富島健夫研究者のつぶやき(やりかたよくわからなかったので…1と2に分かれています)

北国の街
1965年日活 監督:柳瀬観

富島ファンからの評判が一番悪い作品。そもそも、原作となった『雪の記憶』自体ファンの思い入れが強いものだから、そんなこともあるだろう。『おさな妻』程度の崩れ方かな、くらいに思っていたのだが…。

これはひどい!

これで「原作」なんて言えるのだろうか。原作の何を生かしたかったのか。
独創性を出したかったのだろうか、しかし「芯」を抜いて解体して、再構築に失敗したとしか思えない。
『君たちがいて』にしても、娯楽性は強くなっているものの、姉のために大学進学をあきらめようとするところなどに富島作品の根っこが少しは残っている。けれどもこれは…

もう箇条書き

・雪子(和泉雅子)と海彦の印象深い出会い→海彦の落とした万年筆を雪子が拾ってあげるというありきたりなエピソードになってがっくし。
・時代設定が昭和40年代の豊かな時代のため(いちおう海彦は新聞配達しているが)、男女交際がはばかられたり、貧困に悩むということがない、ただの男女のほれたはれたになっている。
・帽子が飛ぶシーン→雪子が落ちないように必死にかばうのではなく、人ごみに揉まれてもだえる雪子をぼーっと見ていたら、帽子が飛んでっちゃった、みたいな感じ。
・海彦がよわっちい。芯があるのが富島キャラなのに。ラストのへたり込むシーンは、怒るよ。
・雪子が「白血病」である理由があるのか。ただ「私は白血病なのー」って台詞だけが浮いていて、雪子が倒れたり鼻血を出したりするわけでもなく、何のために余命を縮めたかったのかわからない。
・「6年」?という中途半端な余命は、大学に行かないで海彦と結婚すればいいのに、という展開から逃れるため? それに、病気のひとり娘を親が東京にいかせるものなのか?海彦への愛より学問を選んだとして、その理由も曖昧。
・藤田(山内賢)のほうが好感的に描かれ、海彦の魅力が半減(どころか薄い)。主役はひとりでいいのでは? 藤田を盛り込んで友情を描きたかったのか。でも『雪の記憶』を使ってそれをすることないんじゃないの。

とにかく、富島哲学と言うべき点がすべて覆っているところがファンには許せないのである。

『故郷は緑なりき』も「死」という点で共通するが、雪子を潔く殺してしまったことがかえって良かったと思う。根本的には原作を良くわかっているし、ラストで男女がサイクリングを楽しんでいるシーンに、わたしはとても感動した。
脚本家の倉本總は、果たして原作に感動したのだろうか…。

同時上映の「絶唱」(監督・脚本:西河克己 原作:大江賢次)との落差がはげしい…。

ちなみにこれは荒川さんと観に行ったのだが、出演者のクレジットに富島の名が?ということで注意深く観ていたら、汽車のシーンでそれらしき人物が…。ビデオで確認したらクレジットはなかったのだけど、左の人物何となく似てる?


似てない?

ちなみにこの映画のキャッチコピーは…

舟木だ、強いぞ、愉快だぜ!
山内だ、パンチだ、イカシたぜ!
ムードとセンスで勝負するぼくらのドラマ!!

舟木弱いが…。

舟木は全然アクションしてないのに、ビデオのジャケットには「青春アクション・ロマン」ともあり、よくわからない映画。
もう観なくていい。

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正直言うと、舟木一夫という俳優にあまり魅力を感じていませんでした。特に美男子でもないし、八重歯だし…。けれども、絶唱含めて4作も続けて観ると愛着が湧いてきて、ファンになりかけてしまった…。
未だに現役というところもすばらしい。今度テレビで観かけたら、テレビの前に座るとしよう(うたえる歌も増えたし:笑)。


つい買ってしまった…。

舟木ファンにも富島ファンにもうれしい企画だったと思う。

あとは『制服の胸のここには』『青春の海』(以下ロマンポルノ)『初夜の海』『火照る姫』『ひめごころ』を観れば完璧!ロマンポルノはいろいろな映画館で特集されているけど、残念ながらプログラムには入っていないな。機会を楽しみにまとう。

『君たちがいて僕がいた』と『高校三年生(明日への握手)』は原作を未読。ぼちぼち読もうと思います。年内に『黒い河』も読めるといいのですが…。


貴重な秋元ジュニアシリーズの『君たちがいて』はお借りしたもの。大切に読みます!