富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

富島健夫書誌

2010-08-26 19:52:48 | 富島健夫研究会
編著者より許可をいただいたのでご紹介します。
※2010年8月30日追記あり


『富島健夫書誌』
荒川佳洋 編著/富島健夫書誌刊行会 発行
2009年10月発行 B5版 320p

※胸躍るこの装丁!


富島作品を読み始めてからずっと、これだけの人気を博した作家でありながら
きちんと整理された情報がないことを疑問に思っていました。


でも、あったのです、ちゃんと!



『富島健夫書誌』の編著者、荒川佳洋さんは、
中学生の時から富島作品を読み続けておられる、
氏のご次女お墨付きの“富島健夫研究家”でいらっしゃいます。

7年の月日をかけ編纂されたこの書誌には、
単行本はもちろん、未収録作品、インタビュー記事のリスト、年譜など、
作品を読み解くにあたっての重要な情報が盛りだくさんです。

しかしながら、制作にあたっては「思いつく出版社の所蔵図書を片端から調査する」という
多大なご苦労もあったようす。
(国会図書館に行けば何とかなる…というわけではないようです)

こうして「書誌」という形にまとめられたことで、その貴重な情報を共有させていただけることは
とてもありがたいですね。

なかには「欽ちゃんの仮装大賞に審査員として出演」なんて情報も!
(どんなコスプレだったのだろうか…み、見たい!)

このように興味深い書誌ですが、あんまり真剣に読むと、
情報すなわち“種明かし”となってしまうので要注意です。
(私の今までの感想がいかに妄想まみれだったかもわかります。
でも、もうちょっと妄想させて。そうしないとブログも続かない…。
ああ~私は研究者にはなれないなあ…)


国会図書館にて閲覧できますが、
8000円でお分けいただけるとのことですので、希望の方はメールください。
富島ファンならぜひ、持っていたい一冊。残部わずかとのことですのでお早めに!

それから、作品数の膨大さと、富島氏の「過去を振り返らない」というスタンスからか、
不明な点もまだまだ多いそうです。

みなさんの情報もお役に立つかもしれません。
「どんな大作家も持っていない書誌」づくりにどうぞご協力を!
私も富島作品がこれからも読み継がれていくことを願うものとして、
微力ながら応援させていただきたいと思っています。

※クリックすると大きくなります

  


※2010年8月30日追記
『烏森同人』4号 広告より転載:

青春文学の第一人者?ジュニアノベルの創始者?官能文学の巨匠?
没後10年、ここに富島健夫が全貌をあらわした!


昭和30年代から50年代にかけて、10代の若者像を描いて青春文学の第一人者として君臨し、今に語り継がれる数多くの作品を世に送り出し、80万少年少女の心をふるわせた作家・富島健夫。昭和30年代の「若人」「美しい十代」「女学生の友」、40年代以降の「ジュニア文芸」「小説ジュニア」「セブンティーン」や旺文社、学習研究社などの学習雑誌などに発表した多くの小説を中心に、純文学・推理小説・中間小説、エッセイにいたるまで、8百冊にも及ぶ全著書・共著を解題し、さらに富島健夫初の「詳細年譜」と「関連文献目録」を附して、この無冠の特異な文学者の46年にわたる文業を初めてあきらかにした。
とりわけ青春小説・ジュニア小説については可能なかぎり詳細に記した。発表時の「作者のことば」や見出し、単行本あとがき、帯文、宣伝文などを網羅して、かつての読者が往時を思い出せるように「読む書誌」としても編集した。団塊の世代が若き日に親しんだどのように小さな作品でも必ず見つけ出せると確信する。
富島健夫の青春小説は、それまでの少年・少女小説の枠を取り払い、おとなの鑑賞に堪える文学作品をめざして執筆され、それゆえ今も青春小説史に燦然と輝いている。近年、この富島ジュニア小説にたいし小谷野敦氏らの再評価の機運(「恋愛の昭和史」『文學界』03年)が高まっている。
また晩年、官能文学の流行作家として活躍し、不当な文壇評価のうちに66歳の生涯を閉じたが、その官能文学にも、谷沢永一氏の昭和文学史に位置づける高い評価(『三田文学』07年秋号昭和文学ベストテン)が起こっており、ひとりの作家のふたつの文業にたてつづけに光が当たるという稀有の現象がおきている。
代表作『黒い河』(同名映画)『雪の記憶』(映画「故郷は緑なりき」「北国の街」)『恋と少年』や舟木一夫の歌唱で一世を風靡した『明日への握手』(映画「高校三年生」)『君たちがいて僕がいた』(同名映画)、ジュニア小説の名作として知られる『制服の胸のここには』(同名映画)『初恋宣言』『おさな妻』(同名映画)、また大長編『女人追憶』など、人口に膾炙した傑作・話題作は数知れない。
本書は、著者の富島健夫研究の集大成であり、国立国会図書館をはじめ各文学館、各図書館に寄贈して研究者に寄与するべく刊行された。

「雪の記憶」のメタファー

2010-08-26 18:52:25 | その他
『女人追憶』の感想の中で、
『雪の記憶』を“初恋の美しさを純化し閉じ込めた”と称しましたが、
“結晶作用の最上の美しいかたち”といった方がイメージに近い。
そこには“閉鎖”のイメージもまたある。

どっかのレビューか何かで“初恋”と使われていたのを
無意識に持ってきたのかもしれません。

何が初恋かっていう定義も難しいですからね…。

「雪の記憶」というタイトルは、“結晶作用”をあらわすメタファーなのでは?
とふと思いついたので書いてみました。

女人追憶 第一部

2010-08-24 17:23:17 | 女人追憶
小学館 昭和56年1月初版
※集英社文庫版では 「小さな光の巻」と副題あり


作者のことば

一人の女体をきわめて女の真実に迫り、男女の関係に悟りをひらき、人間の本質を体得する。そんな驚異の男もいる。
逆に多くの女体を遍歴してなおかつ五里霧中の煩悩にふりまわされる凡夫もいる。多くの男は凡夫の側であろう。ただ、さまざまな制約によって世之介たることが出来ないだけの話である。どんなドラマだって、煩悩はじつは脇役ではないのである。人間が男と女に分けられていることこそ、最大のドラマの原点だからだ。

※『好色一代男』もかじってみるか?

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正直読むのに気が進まなかった。
どうせ都合いい女性ばっかり現れるんだろう。

そうではなかった、とは言えない。
けれども読み始めてすぐこう思った。

「おんなじだ!」

おんなじとは、つい引き合いに出してしまうが『雪の記憶』のことだ。
初恋の美しさを純化し閉じ込めた『雪の記憶』の世界を
性というレベルから描いた、もう一つの完全なる世界。

しかも『雪の記憶』はあたかも実話のような錯覚を覚えさせるが、
これは、完全なるフィクションの世界に仕上がっている(と思う)。

「都合のいい女性が…」とはまさにその通りで、
主人公である宮崎真吾に、次々と魅力的な女神が手招きする。
そして、年若い真吾はそれにひるむことがない。

現実的にはありえない話。これは、性を通した男性の理想像なのだろうか。

しかし、それに女性ながらの文句をつける気がないほど、完璧なのだ。
「まいった!」と思わず声が出た。

学校や親の信頼も厚い優等生。
女に対しては誘惑に臆したり動じることなく、女をうやまい、喜ばせる。
真吾のプライドの高さが随所にみられるが、「こうせねば」という理想をしっかり実現していっている。

真吾が小学5年生の時から物語は始まるが、いつもの作者を思わせる家族構成とは違い、
真吾が一人っ子であったり母が年若かったりと、
あえて作者から人物像を離して動かしているのかとも思う。

けれども、『本音で語る恋愛論』で書かれていることが随所に見られるように、
物語の底辺に富島哲学があることには変わりない(あたりまえか)。

真吾の女性遍歴である物語のはじまりは、やはり“母”だ。
(母というキーワードも、今度も読書を進めるにあたってのキーワードにしたい)

その後、真吾は、一つ年上の妙子を心情的恋人として持ちながらも、
数多くの女性との関係のなかで成熟し、
不思議な少女、路子と、互いの“実験”という形で初体験を迎える。

不良少女の文江と体験のチャンスがあったとき、
そうすれば、妙子の純潔はそっと保存しておいて真吾は女を知ることができる

とあるように、真吾は妙子には“純潔”を求めているのだ。

結局路子とのあとくされない実験ののち、真吾は妙子と結ばれるのだが、
真吾はそれでも他の女性と関係し続ける。
女性の心理の不可解さを感じ、妙子への若干の?うしろめたさを感じながら。

それでも、妙子とはちがう感覚を楽しみ、それを妙子とのセックスに活かそうとする冷静さ、
自信たっぷりに他の女性に応じる姿は、真吾の成長というべきなのだろうか。

『おさな妻』や『おんなの条件』は、男が女を育てていたが、
この話はその逆であり、また、どんな悪女であっても女神として描かれている。

そうして熟練した真吾の手によってまた、妙子のからだは開かれていくのだ。

そうは言っても、正直後半、元山のおばさん(30代でおばさんだって…)がでてくるあたりから
ちょっと興ざめして、
「いいかげんにしろ!」と思った部分もある。

けれども、愛のない関係に自ら飛び込みながら、心ゆらいでしまう安希子のように、
許してしまうんだなあ。この作品は富島マジックの集大成だな。

もうひとつ、この作品は時代がはっきりしており(昭和18年から物語は始まる)、
作者は性愛のみならず、この動乱の時代についても描きたいのではないかと思わせられた。
(このことを考えるにはまだ私の読み込みは足りないので、いつか先の課題としたい)


さて、物語に登場するすべての女が都合のよいものだっただろうか。

私は女郎のみよに悲しさを感じた。
みよが真吾を愛していたのかどうかはわからない。
けれども、読んでいてつらかった。何がどうってことは言わないが、
嫌われてもいいからすがりたい、そんな気持ちになることはあるのだ。(※)

また、真吾が中2のときからだをあげる約束を交わした千鶴が、
結婚前に真吾に抱かれながら、「忘れないで」と繰り返していたのが印象に残った。

富島作品を読むと「なんでこんなところで?」と思うような箇所で心が反応することがある。
今回は意外にも路子のセリフだった。

まるで人形のように真吾に処女をささげた路子。とても共感しようがない。

しかし、路子が北海道に去るときの、

「きみのぼくへのプレゼントを考えたら、当然だよ」
「あら、あたしだって大きなプレゼントを受けたわ。あのせせらぎの冷たさも、忘れないわ」


このセリフを読んで、なぜだか胸がくるしくて涙が出た。

女は、“忘れられたくない”とともに、“忘れたくない”ものなのかもしれない。


妙子が社会人となるところで第一部は終わる。


2010年8月17日読了


※第二部についてはまた1か月後くらいに上げます。



※8月26日訂正:
後半みよについて
「あんなふうにすがってでも、嫌われたくない」逆です。訂正しました。

実験室つくりました

2010-08-14 21:27:47 | つぶやき
せっかくの夏休みなのでホームページなんて作ってしまいました。

http://guitarfumi.web.fc2.com/index.html

ここでもまったく違った視点から富島健夫について書いております。
怪しすぎて友達がいなくなるかもしれません。
それもさびしいので気になる方は無視していただいても。

全然読書していないなあ。短い夏休みもあと2日。明日から読もう。

残暑お見舞い申し上げます

2010-08-09 17:12:14 | つぶやき
ここ数日過ごしやすい日が続いていますね。

先日長野へギター合宿に行ってきました。
ロッジの本棚を物色してみると、
新しめの文庫『初恋宣言』を発見!ついつい終日持ってしまいました。

さて、『女人追憶』1巻、半分まで読み進めました。
大変な作品です。うまく言語化できるか不安ですが(いつもそう!)、
再来週くらいには読み終えて、まとめようと思っています。

みなさまも楽しい夏をお過ごしください