富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

映画『黒い河』

2011-06-28 20:57:59 | その他

富島氏初の単行本描き下ろし作品として、S31(1956)年10月、河出書房より発刊された『黒い河』は、S32(1957)年10月、松竹より小林正樹監督で映画化。
原作は未読ですが、映画を某所で見ることができました。

スチール写真より。静子役の有馬稲子とジョー役の仲代達也

大学生 岡田役は永井智雄 西田役は渡辺文雄(←ガーン、なんちゅう間違い! 2016/8/3修正)
 

まず、映画を見てよかった。原作を読んでないながらも、富島作品の匂いがひしひし伝わり、ポイントを押さえた映画化なのではないかと思わせる。
それは全編に漂う絶望感と、かなしくも凛とした(特に女の)生き方なのだが、まず違和感のない配役がいい。静子役の有馬稲子は本当にうつくしい。仲代、永井のりりしさも写真のとおり。

そして一番は、時代の空気感を知ることができたこと。作中に「貧しい」とでてきても、昭和40年代生まれのわたしの想像力には限界がある。
あばら長屋、破れたふすま、穴だらけの窓、汲み取り式のトイレ、山のように本を積んだリヤカー、衣服の詰め込まれた行李、ポン引きの「カムオン、ハリーアップ」の声、旅館、駅のホーム…

「七つの部屋」や「喪家の狗」の世界が鮮やかになってきた。

ストーリーについては原作を読んでから考えたいが、上に挙げた2作品に印象は近い。ただ、特に暴行相手のジョーになぜかひかれてしまう静子の葛藤が胸に痛かった。
松竹大船撮影所の「大船タイムス」NO.65~2に「殺人という自分自身をも滅ぼすこんな形でしか自分を救えなかつた女の、ギリギリの心理を迫力あるタツチで画面に叩きつけてみたい」という小林監督の抱負が掲載されているのを読んで納得した。

「不良少年の恋」のように、原作にはジョーの心の闇についても描写されているかもしれない。
ネタバレには神経質なわたしだが、この映画を見て本当によかったと思う。原作と映画でうまくおぎないあい、イマジネーションがひろがりそうだ。

「女人」の読み方も変わるかもしれない。真吾や妙子のイメージを再構築する必要があるかも。

作品を読むうえでは“時代”をよく知ることも大切なのだな、と実感させられました。
しかし、映画公開時富島氏は26歳。25歳のときの作品だということにはうなるしかない。


「ジュニア文学論争」を読む

2011-06-19 20:56:00 | その他

富島健夫を「B級エロ小説家」と認識する人はすくなくない。わたしも以前付き合っていた異性に「なんで『おさな妻』みたいなポルノ書く作家に夢中になるんだよ」といわれたことがある(それが理由で別れたわけではないが)。

『おさな妻』は1969年8月から「ジュニア文芸」に4回にわたって連載され、翌年1970年3月に単行本化された。映画・ドラマにもなり、「富島健夫といえば『おさな妻』」とも言えるくらいの知名度を博した。
しかし、同時に多大なる“誤解”も世間に広めることになる。

先日、富島ファンの方より、スクラップブックに保存された当時の新聞記事を送っていただいた。毎日新聞紙上にて1970年2月から3月(関西版では4月)にわたってくりひろげられた「ジュニア文学論争」の記事だ。


ことの起こりは「ジュニア小説は文学か」(1970/2/7)。富島氏が自分自身の青春を描き続けてきたこと、「ジュニア小説」といえども手を抜かず、“大人の”鑑賞にも耐えうるものをという信念があること、十七歳を描くうえで性は切り離せないものであること…。富島ファンにとっては周知のことばかりだ。

それに対し、文芸評論家の松原新一氏は「ジュニア小説への疑問」として、富島氏へ反論する(1970/3/9)。

しかし、“ふしだら”という言葉や“性描写(の有無)”にただ反応しただけとしか思えない、富島作品を知らぬ者の意見である。このいきどおりは「ジュニア小説は文学か 再論 松原新一氏に答える」で富島氏自身が書いているとおりだ(1970/3/23)。

「『ふしだら』とは性的ルーズのみを意味するのではない。自分の真実にしたがって思考し行動しない少女をさしたのである」

というのは決して「珍妙な議論(「再び富島健夫氏へ」参照)」ではない。「制服の胸のここには」にも「おとなは知らない」にも、松原氏のとらえたであろう“(一見だが)ふしだらな少女”は登場する。しかし、彼女たちにはとても“ふしだら”とは言えないまでの魅力がある。それは感動に通じ、読者を“ふしだら”どころか、まさに「自分の真実にしたがって思考し行動」したいと思わせるものだ。

それに、富島作品の“性描写”はけっして「むだな望み」でも「一日二十四時間」うんぬんのようにばからしくもなく、「グロテスク」でもない。富島作品に“性描写”があらわれるとき、そのいとなみは十七歳にとって大切なものであり、きちんとしたプロセスの結果である。それをはしたないと切り捨てるとき、同時に自分の「青春前期」までも切り捨てている、ということではないだろうか。「おさな妻」で玲子が初夜をむかえるとき、玲子にとって性はグロテスクなものだっただろうか。

松原氏の再反論「再び富島健夫氏へ」(1970/4/6)は、自分自身が狼狽しているのではないか、というくらい論旨に説得力がない。最後まで“性描写”という表面上の問題をとらえていても、富島氏への反論は成功するわけがないのである。

さて、この論争を読んでわたしがいきどおり、愕然とするのは、富島氏への偏見が今だ残っていることだ。
最近発売された光文社文庫『桃源郷 ピンク・ユートピア』の解説でも、「おさな妻」はいかにもエロ小説であるかのような書き方がされている。自分も誤解していたが(過去の記事「映画 『おさな妻』」を読めばよくわかる!)、映画と原作では、印象がまったく違うのだ。それは“哲学”の有無ともいえる。


十七歳という特定の年齢層の読者の興味に迎合する小説を、長年書きつづけて、もはや「自分のもの」など書きようもなくなったひとの、にもかかわらずくすぶっている「文学」への郷愁を思わなければ、こういう矛盾の由来はわからない。

富島健夫は生涯にわたり、自分の青春を書き続けた。40年後の今、この文章をどう読むか。

 

最後に、

既存のジャンルにはいらない小説だから、文学における市民権の獲得まで、まだまだ道は遠いでしょうね。それにしても、ジュニア小説の半分以上が小づかいかせぎのために書かれていること、近ごろ性描写に傾斜したものが多くなってきた事実は残念。これではだめです。

わたしはこの記事を切り抜いていた当時の19歳にふたり出会いました。彼らは興味本位だったのでしょうか、傍観者としておもしろくこの論争を見守っていたのでしょうか。
富島健夫とはそういう作家だったのです。

いま、ジュニアを取り巻く文化で、そのようなものに出会うことはあるでしょうか。表現の名のもとに、それこそ“グロテスク”なものを垂れ流してはいないでしょうか。それとも、それが現代の作者の真実であり、ジュニアの真実なのでしょうか。

富島健夫を官能作家というのは間違ってはいない。でも、ただの“ふしだら小説”の作家ではない。その底辺に流れるものがあることを知っていただきたいとわたしは願います。 

 

※スクラップは毎日新聞関西版です。関東版とは日付やリード文に多少の相違があります。提供してくれたしょうさん、貴重な資料をありがとうございました。


藤田ミラノ展

2011-06-02 22:58:21 | 番外編


『藤田ミラノ ヨーロッパに花開いた日本の叙情』中村圭子編 河出書房新社(2011/3)

根津の弥生美術館にて開催中の「藤田ミラノ展」に行ってきました。

富島ファンにとってミラノさんといえば、「コバルトブックス」や「ジュニア文芸」の表紙でおなじみですね。
というわけで、何か新発見が得られればと足を運びました(初出不詳作品の挿絵が飾ってあるとか!)。

上記の2つはちゃんとコーナーがあり、『また会う日に』『制服の胸のここには』『ふたりだけの真珠』『湖は慕っている』の原画が飾ってありました。キャー!

「女学生の友」の別冊付録もガラスケースに並べられていました。驚いたのは保管状態。ミラノさん所蔵のものはとってもきれいで状態がいい!大事に取っておかれたのでしょうか。小学館は他の紙もの付録もちゃんと保管しているようで、こちらも感動。(学研や旺文社もそうだといいのだけれど…)

鮮やかな色彩感覚と繊細さ。原画にじーっと見入ってしまいました。パリに移ってからは、コントラストがはげしく、よりヴィヴィッドに。

でも、意外に美大時代の日本画がよかったなあ、と思ったのでした。

まだご活躍されているようで、ご本人が彩色されているというリトグラフも販売していました。


残念ながら富島作品関連のものはあまり見ることができませんでしたが、得たこと2点。

解説にコバルトブックスの表紙を手掛けていたのは1970年まで、と明記されていました。最近、パリ留学後、ミラノ装丁のものがいくつか新装されていることがわかり調査ネタに上がっていましたが、写真の書籍『藤田ミラノ』の巻末リストには、新装版が出たものは記載されていませんでした。

『小学5年生』別冊付録が展示されていました。これはマンガ本でしたが、学年誌にも別冊付録があることがわかり、調査の対象がひろがりました(…つらいところですが)。


平日でしたが、会場にはそこそこの来場者が。喫茶室ではミラノさんの知り合い?と思しき年配の女性たちがご歓談(声をかけに行こうと思ってしまった…)。

このような展覧会が開かれ、集まる人がいて、協力する人がいる…。まんざらではないと思いませんか? 書誌にも何かが起こりそうな予感(妄想)を抱いてしまうのです。ふふふふ。


6月26日(日)まで開催中。クーポンを持って行けば100円引きですよん!