富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

鈴木英生『新左翼とロスジェネ』

2012-02-22 21:17:00 | ☆学生運動と60~70年代

集英社新書 2009年4月初版

「映画祭1968」ですっかり火がついてしまった。こんな読書が続く。

1975年生まれ、わたしと同世代の毎日新聞記者がタイトルそのまま、「新左翼とロスジェネ」を“自分探し”という点で結び付けようとしているのだが、読み始めからなんだか恥ずかしくなってしまった。

『蟹工船』ブームに始まり、赤木智弘の「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」や雨宮処凛…“いかにも”という感じだ。確かにこの世代の生きづらさを象徴しているし、筆者も何らかのシンパシーを持ったのだろう。けれども、同世代なのにそこに踏み込めていないのだ。恥ずかしさのひとつは、30代なら誰にでも思いつくような論旨で、短絡的に論を進めてしまった感があるところ。2009年の本なのに話題にものすごく古さを感じる。ただ取り上げているだけだから、ロスジェネの問題がまるで「流行」かのような印象を与えているのだ。

恥ずかしさのもうひとつは、“自分探し”という言葉そのもの。そもそも、その渦中にある人間は今の状況を“自分探し”なんて言われたくないんじゃないか(「ロスジェネ」とも言われたくないな)。わたしも朝日新聞で連載されていた「リアル30's」を切実な気持ちで読んでいたが、すべてに共感できたわけではない。安易にくくっていはいけないのだ。筆者は幸いにも、同世代のロスジェネの不幸を“他人事”(俯瞰ではない)の目で見られる環境にあったから、軽く言葉を使えるし、その心境も掘り下げきれなかったのだろうか。

新左翼の心理についても、文学作品(!)の描写からの推測だけでは甘い。特に学生運動の熱気は、自分を探すどころか、見つけて納得して同化できたからだと思えるのだが。筆者自身「『足で稼ぐ』はずの記者が、ほぼ文献資料だけで書いた」と「軽率」さを自覚しているが、「新左翼」にしても「ロスジェネ」にしても、実際彼らの肉声を聞いたら違った印象を持つのではないかと思う。それで筆者の些細なシンパシーが具体化すれば論が深まっただろう。

左翼→新左翼の歴史の流れはつかめるし、紹介された文学作品にはいくつか読んでみたいものがあったので参考にはなるが、主題の“自分探し”には安易で安っぽい印象が否めない。

左翼という“当事者”だからか、同世代でも山本直樹『レッド』3巻に載っている、紙屋高雪(1970年生)「なぜ彼らは<革命>を信じられたのか?」のほうがずっと説得力があっておもしろい。

ところで昨日の(2012年2月21日)毎日新聞夕刊の「読書日和」というコーナーに「佐藤信さん 60年代を若者の目線で追体験する」という記事が載っていたが、全体から何ともいえない違和感がただよってきた。

『60年代のリアル』という本は読んでないので、重要と思える「皮膚感覚」がわからず何とも言えないが、この記事の言葉の端々に首をかしげてしまう。佐藤氏は1988年生まれの東京大学大学院生でわたしより15歳若いが、この違和感は年の差によるものか。しかし同世代の鈴木氏にわたしが感覚の隔たりを感じるように、“世代”というもので価値観や人生観を括ることはできないだろう。広く言えば「人それぞれの人生」だが、それだけでなく世代のなかにもヒエラルキーというものが関わってくるのだろうか。学歴であったり、職歴であったり、はたまた“頭の良さ”か。

わたしは学生運動について“研究”するつもりはない。本は読むが、考えたことを書くだけ。だからといって“当事者”になるには、理解も浅いし度胸もない。でも『日大闘争』のときに書いたが、知識だけで考えたくない。だからこれからも機会があれば、あの時代に青春の日を駆け抜けた人たちから話を聞く。そして、考えたことをまずしいボキャブラリーを駆使して書く。
富島健夫も読む。そして書く。
ん、このプロセスが“自分探し”だと、さんざん書いてきたっけ!

最後に“自分探し”の渦中の人間からの蛇足。(新左翼と言わないまでも)学生運動やらに何かしらのあこがれを持っている人は、無意識のうちに“自己批判”しているのだと思う。運動の目的への共感ではなく「何となくステキ」程度のあこがれだけでは、目的は“自分探し”にすり替わり、波にのまれてしまうだろう。当時もそんな人がいたのではないか。

「私に、何かを教えてくれそう!」
「私をひっぱりまわして、知らない世界に連れてってくれるかも」

二村ヒトシ『恋とセックスで幸せになる秘密』に書いてあったこれみたいに。

そういう意味では“他人事”の目を持つことも時に必要なのかもしれない。

2012年2月16日読了


『圧殺の森 -高崎経済大学闘争の記録-』といったんまとめ

2012-02-09 11:10:43 | ☆学生運動と60~70年代

監督:小川紳介 1967年、モノクロ、105分、16mm 
2012/2/3 オーディトリウム渋谷「映画祭1968」にて

「大学側の不当な…」といったナレーションや効果音、演出などで、学生側の視点で作られたことがうかがえる。『日大闘争』『パルチザン前史』が“記録映画”なのに対し、これは“ドキュメンタリー”と言えるだろう。

『日大闘争』のように、運動の発端は学校の不正(裏口入学)。学校側の呼び出しに応じるか応じないかというところで映画は始まる。学生個人個人に焦点を当て、状況より心情に迫る撮り方をしているような印象だった。デモのシーンも少ない。

「生きるとはどのようなことか、何のために苦しい戦いをしているのか」学生たちの言葉は哲学的だ。同時に、運動から離脱するもの、突然尾瀬に行きたくなるもの、親との対立…。学生らしい心の迷いもうかがえる。

「学生ホールの封鎖」に反対して立てこもる学生たち。水浴びする姿はさながら普通の夏休みだ。しかし、学校側は彼らがアルバイト中を狙い、2時間だけ「退去勧告」の貼り紙を出すという“卑劣な”手段を用いて逮捕に持ち込む。裁判所になだれ込む覆面の学生たちとアジテーション(“全共闘”でなく“全学連”の時代で、ゲバ棒やヘルメットは身に着けていない)には激しさを見たが、ナレーションや演出とはうらはらに、それでも全体的に“静か”な印象しか得られない。

タイトルは『圧殺の森』だが、背景を知らないから、木かせいぜい林しか見えないのだろう。正直この作品がいちぱんよくわからなかった。ただ、その静けさの中にあるべき学生たちが、「逮捕」や「指名手配」という事態に巻き込まれることが異常なのだと、あとになりじわじわと感じられてきた。

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中学生の時から60~70年代にひかれていたわたしは、必然的に学生運動にも興味を持った。けれども、当時のわたしには書籍を読んでそれを理解できる頭もなく、真崎守の『共犯幻想』を読んで何となく雰囲気にひたるだけだった。大学生になって高野悦子の『二十歳の原点』も読んだが、同じく雰囲気だけ。

それから20年以上たって、ようやくいろいろなことを考えたり、調べたりしたわけだが、わたしの感想は観念の域を出ない。実体験にはかなわないのだ。

「あの時代に生まれていたら、学生運動で命を落としていただろう」とずっと思っていたし、そう言われたことも一度ではない(こっちから何も話してないのに!)。けれども最近は、冷めた目で運動を批判していたのではないかとも思うのだ。それは、あまのじゃくなわたしの資質なのだが。

ネットで、今でも全学連があり、各地で学生運動がおこなわれていることを知った。わたしが大学生の時、何をしただろうか。今、何をしているだろうか。

この感想はアタマと心に頼った観念的な産物だ。ただ、3本の映画を見て、ブログの感想をいくつかもらって、多面的な目で物事を見なければならないと思ったのは一つの気づきだった。歴史を見るときは、特にその意識が重要になると思う。わたしの感想は、一つの視点にすぎない。

 

 

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『共犯幻想』はひさしぶり…といってもたぶん1~2回しか読んでいなかったから20何年振りに読んだ。これも観念重視の作品だけどあまり好みではなかったな。中学生のときよりは理解できただろうが、抜けてる一巻も読めばまた違うのだろうか。
『はみだし野郎』シリーズは、『子守唄』『挽歌』『死春記』と全部読むといっそうしびれます(『子守唄』虫プロ版持ってるけど行方不明)。

「四角い荒野」から(『はみ出し野郎の子守唄』)


映画祭1968『パルチザン前史』

2012-02-06 21:40:11 | ☆学生運動と60~70年代

監督:土本典昭  1969年、モノクロ、120分、16mm
2012/2/2 オーディトリウム渋谷「映画祭1968」にて
 
『日大闘争』の感想にコメントをくれたJUNさん、ロビーに(元、と思っていた)日大全共闘らしき方々が集っていたので、声をかけてみようかと思っていたところ、正面から「ふみさんという女性が…」と話し声が! 「ブログでなかなか…」というところで名乗り出てしまった。「なかなか」のあとを聞いてからにすればよかったと悔やむ。帰り際、名刺交換。
仕事が休みだったので、18時より上映のこの作品を観ることができた。富島研究の荒川さんとともに行く。上映後に一気に質問をぶつけると(「そもそも、パルチザンって何?」というところから)、全部答えてくれた。荒川さんがいなかったら、火炎瓶を作るところと予備校のシーンがおもしろかったくらいで終わっていただろう。

さて、当初「パルメザンチーズ」なんて冗談を飛ばしていたわたしだが、上映が始まってまもなく疑問符が生じる。なぜだろう、『日大闘争』の時のような感情移入ができない。
『日大闘争』では、“使途不明金”と学校側の不誠実さという、学生の怒りの対象が明確だった(『圧殺の森』もそうだが)。だから納得し、共感できたのに対し、この映画でのそれは京大を一つのシンボルとした“帝国主義”のようだ。スケールが大きいだけでなく、漠然としてつかみどころがない。
 
レンズは京大の経済学部助手 滝田修の姿を追う。仲間ら(助手仲間か)と狭い部屋で、紫煙をくゆらせながら行われる議論は、学生のそれと違って知的で学問のかおりがする。
それに対比するように、ドラム缶にゲバ棒で突進したり、夜中にランニングしたりと、軍事訓練を思わせるシーンや、機動隊に火炎瓶で応戦する過激なシーンが映し出される。火炎瓶を作る様子を、字幕を添え淡々と映す演出は、ジョークにもアイロニーにも見える。タイトスカート姿の女の子がゆっくり座り込み、筆にペンキを浸し、壁に「斗うぞ」と書くシーンも。
 
全編にわたり滝田の発言がクローズアップされるが、まず「全共闘の解体と再編」という言葉がわからなかった。これは映画冒頭のシーン、集会場での「8派(ハッパ)ばかりやないか。ノンセクはどこに行けばいいんや」という学生同士のやり取りに表れていたらしい。ただ聞き流していたが、本来学生のものであった“学生運動”は、違った方向に動いてきたことを示唆していたようだ。
 
「大衆の怨念を各自が掘り起こす」と語る滝田は、「パルチザン五人組共産主義労働団」を提唱する。パルチザンとは遊撃隊、ゲリラのことで、ただ強いだけでなく、全人的に魅力のある人間を育成し、小さなグループを全国にばらまいて世の中を変革していこうとするものだったらしい。
 
「石や棒では世直しはできない」「暴力に対するあこがれではなく(暴力が主体になるのではなく)、我々が主体にならなければならない」「暴力は悪ではない」…特に最後の言葉は理解しがたいものだが、一方でそんな発言と結びつかないような姿を滝田は見せる。
 
ローザ・ルクセンブルグの研究家でもあった滝田は、自然や人間への愛情を説き、アルバイト先の予備校では、学校を解体しろと言いながら、君たちには学校に入れと言う矛盾を認める。「月収が10万、家賃が6万、幼稚園に1万5千円」と自身の生活をあけっぴろげにし、運動については「道楽やからやめられないし君たちに強制できない。(やるかやらないかは)縁というもんや」というようなことを言っていた(ような気がする)。こんなところには革命家ではなく、人間くさい一面が感じられる。
 
関西弁で気さくな感じに魅力はあるけど、いやいや、教室から学生を追い出して椅子を壊したり、火炎瓶投げたりするのはやっぱり迷惑だと思うのだ(行為を寛容できないということ)。
 
トークショーはカメラマンの大津幸四郎さん。「日本のゲバラ」を探して滝田に興味を持ったという大津さんは、ナレーションで誘導することなく、カメラの前に広がる世界を客観的にフィルムに収めるとともに、滝田の内面に迫る作業をしていったという。
質疑応答では、学園の内部の中で、頭の中で作り上げられた理想を「マンガチック」と称し、これでは世の中は変わらない、もっと違うところにカメラを向けなければならないと考えて「水俣病」にカメラを移していった、と語っていた。
 
完璧な理論は数式のような美しさを持つ。しかし、現実のゆらぎや矛盾の中にそれを持ち込んでは、それは狂気をもたらすだろう。
『日大闘争』は若い学生の汗のにおいがしたのに対し、『パルチザン前史』には冷たい血のにおいがただようという感じか。
 
自分で働いて飯を食い、自分の金で武器を買い、地域の人々から信頼されて人間の絆、戦士の絆を深めていくべきだという言葉とともに、映画は、滝田が仲間と船で瀬戸内海にわたり、琵琶湖の食堂で食事を掻き込むところでのどかな感じに終わる。エンドロールでは延々と「一、二」の掛け声。

 
ネットで見ると、1969年から3年後の1972年、滝田は朝霞自衛官殺害事件の首謀者と容疑をかけられ指名手配され、長い逃亡生活に入ったらしい。今は「滝田修」というペンネームを捨て、政治活動も絶ったようだが、かつての著書からその変遷を見てみたいと思った。

※セリフ等については暗がりでとったぐちゃぐちゃのメモを頼りに書いていますので、相違があるかもしれません。ご容赦ねがいます。

※2012年2月16日追記
「トークショーは監督の土本典昭さん」は「カメラマンの大津幸四郎さんの誤りでした。申し訳ございませんでした!


映画祭1968『日大闘争』『続日大闘争』

2012-02-01 13:40:28 | ☆学生運動と60~70年代

製作:日大全共闘映画班 1968年、モノクロ、113分、16mm
2012/1/31 オーディトリウム渋谷


パンフは品切れ


現役の日大芸術学部の企画という「映画祭1968」。ツイッターで流れてきて知ったのだが、作品ラインナップを見て「何これ?!」と興奮してしてしまった。

5年くらい前か、「地下広場」という記録映画を見た。新宿地下広場に集まり、議論し、歌い、座り込む人々の熱気とその終わり。もう、あの時代はやってこないのだから、当時の空気感を知るには話を聞いたり、こうして映画を観るしかない。この話題に関しては、わたしは書物という手段をあまり頼りにしたくない。

大学の20億円にものぼる使途不明金問題をきっかけに、団結する日大生たち。怒るのは当然と思うのだが、非誠実な学校側の対応、さらに裏切りに(ここにも時代を感じた)、彼らの怒りは爆発し、行動はエスカレートする。機動隊まで出動されては、もうゲバ棒や投石で戦わざるを得ないだろう。

これはひとつの戦争だと思った。学生がなぜ命をかけてまで戦わなくてはいけないのか。仲間は次々に逮捕され、バリケードは破壊される。結集するものも少なくなり、運動の行き詰まりからか少しずつ初心からズレていく(ようにみえた)全共闘たちの心境が痛い。

他に方法はなかったのか? なかったのだとわたしは思う。教室の壁に「こわい/しかし/やる」とペンキで書かれていた。国家権力の圧迫のなか、袋小路の中で行動するしかなかったのだと。
「やりたくてやってるんじゃないんだ」と学生は教授に詰め寄る。学校を、社会を良くしようとするために戦わねばならず、しかも報われない社会ってなんだろう。

今の社会だって暴動が起きかねない状況だ。そうならないのは学生運動の教訓だろうか。でもそれは、あきらめと虚しさ、無関心だけではないと思いたい。きっと、違う戦い方をみんなしているはずだ。

上映後、撮影に参加した日大全共闘映画班(パンフには“元”とない) 塚本公雄さんのトークショーがあった。撮影技術についての質問が多かったのだけど、最後に学生に向けてメッセージを求められたとき、「上映の話がみなさん学生からあって、わたしはめまいがする思いでした。逆にみなさんがこの映画をどう捉えたのかをお聞きしたい」というような回答だった。
わたしもそう思う。客席は全共闘世代と学生(おそらく日大生)が半々だった。若い人たちはこの映画を映画史的以外にどう見たのか、当時の学生のことをどう思ったのか。学生からのメッセージももっとほしいと思った。

さて、質疑応答をのがしたわたしは、たまらずロビーで塚本さんに声をかけた。聞きたいのは、“その後”のことだ。

塚本さんは大学を頼りにせず、自分のやりたいこと、できることを模索し、映画の世界に入った。途上国を撮影する機会も多かったことから、その世界の現状を日本に伝えたいと思っていたとのことだ。現在は定年されている。
「(社会に出てからは)日大闘争のことは考えませんでした。というより、日大闘争のことは忘れたかったんです」

トークショーの時に、「改めて作品をご覧になっていかがですか」と聞かれ、「怒りを感じました」と答えていた塚本さん。その回答にわたしはホッとしたのだが、そのことを伝えると「そうですか」とにっこりと、やさしい笑顔で応えてくれた。

※次回の上映は2/3(金)18:20~
※『死者よ来たりて我が退路を断て』は2/3(金)16:40~

※見に行けない方はGoogleビデオでどうぞ! 『日大闘争』 『続日大闘争』