富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

知的恋愛の本

2010-02-27 21:33:04 | エッセイ
青春出版社 昭和55年5月初版


やっと仕事がひと段落した。
前回の記録は仕事のストレスを発散させていただけかもしれぬ。
先生ごめんなさい。

なぜこんなことを書くのか。
前回「単純だ」と終わりに書いたが、今回も単純だ。
この本を読んだからだ!

パラパラめくってみたところ、正直「またか」と気が重くなった。
帯の内容も何だか…。

しかし、あまりにソフトな語り口と著者近影の素敵なお姿に、それは一変。
もう「富島せんせい~」である。



前書きには
「若さに郷愁を感じながらしゃべったものです。
ねころんでおせんべいでもかじりながら読んでください」だって。

ちゃんと背筋を伸ばして読みましたが、対象年齢は20代くらいか?
娘に語りかけるのと同じ感覚なのかもしれないな。
「青春をぶっつけろ」の攻撃性は全くない。年数もかなり経っているが。


さて、


セクシャルな女になるには8つの才覚がいる。
その女性が、顔や容ぼうによってモテるのではない。
すべては、この8つの要素から発散するセクシャルに、
いかに男は弱いのかを本書が教える。



帯にこう書いてあるが…誰が書いたのだろう、
セクシャルになる方法は書いてありません。
(ああ、「いかに男は弱いのか」を書いてあるのか。それならその通りだ)


普段はプライド高いのに、ふとしたときに涙を見せる。
ブサイクだけど「こんなもんか」と気落ちせず鏡につぶやく。
例はいろいろあれど、
つまりは、「可愛い女」「素直な女」に男は弱いということだ。


彼の言うことがうなずけたら、「はい」というのです。
悪いと思ったら、「ごめんなさい」とあやまります。
甘えたかったら甘えるのです。



これだけ抜き書くと、なんじゃそりゃという感じだけど、
気づいたのは、ここで書かれている可愛い女たちは恋したときの自然な姿なのだ。


だから、なるほど、「素直になれば」「可愛い女」になれるのだな。


さて、素直になるには…


人間誰でも、自分を持っています。
自分の目で見、耳で聞き、舌で味わい、感じています。
これは直感と言ってもいいでしょう。
考えてみれば、素直であることは、簡単なことなのですね。
この直感を、そのまま表現すればいいわけです。
ところが、これが意外にできない。


ここはひとつ度胸を決めて、いまの自分をこれだけのものだと、
ありのままに見つめることです。
そして自分の直感で、まわりのものを受け止めてみましょう。
何がほんもので何がにせものか、自分の直感に立つと見えてくるものです。
ほんものには刺激されます。影響も受けます。それが成長にもなるのです。



直感!ほんもの!どこかの自己啓発本でいわれるよりよっぽど説得力あるわ。


さらには


女が容姿にこだわる理由の大きなひとつは、男に好かれたいからです。
男に好かれて、恋愛して、結ばれ、幸せになりたいからですね。
つまり、幸せになればいいわけです。
問題は幸せになることなのです。


あなたはたったひとりの男を選べばいいのだし、ひとりの男に選ばれればいいのです。
モテてチヤホヤされて、それだけで満足なのですか?
そうではないでしょう?
あなたは一人の男に対して決定的な存在になりたいのでしょう?
それが幸せなのではありませんか?



今でも書店にいけば恋愛指南書はいっぱい売っている。
私は特に中年男性の書いたそれらが大嫌いなのだ。
そりゃあうまくいくわ、男のセックスをピンポイントで刺激し、
不倫を推奨したり、男にとって都合のいい女になれという内容なのだから。
ひどいものになると同性までそんな本を書いている。
でもそれで本当に幸せになれるのだろうか。


だからこの本を読んで不覚にもじーんときてしまった。
「フェミニストのぼくは」という言葉が何回かでてくる。
果たしてそのためか、経験のなせるわざかわからんが…、やられた。


他にも全体的にこうしなさい、ああしなさいという小手先のことは書いていない。
結局のところ、最終的な判断は本人にゆだねられている。

彼が浮気をしたら…「喧嘩しなさい」と!

ちなみにテクニックらしきものは2つほど、「嘘も方便」と「ベッドでは小出しに」。



愛を主体にし
知性とともに
やさしさを添えて
明かるく
ときにははげしく
あるいは静かに
ユーモアを忘れず
未来を向いて
ほほえんで



巻頭カラーページの言葉を手帳に貼ることにしました。
しばらくはわたくしも「素直で可愛い女」でいられることでしょう。
ちなみにもちろん古書で購入したのだが、あちこちに鉛筆で線を引いたあとがあり、
笑ってしまった(ふだんなら怒るのに…)。


ところで初版が昭和55年5月1日、6月1日に8刷。すごい売れ方だ。
今でいうと渡辺淳一や五木寛之のエッセーが売れるようなものか。
しかしこの二人が死んでも作品が絶版になると思えない。
なぜ今こうして苦労しながら作品を集めなければならないのかがわからない。


2010年2月26日読了

今度こそ >>のぶ子の悲しみ (あ、チェーホフの「可愛い女」も読まねば!)

青春をぶっつけろ

2010-02-21 17:07:40 | エッセイ
青春新書 初版:昭和43年9月


ここ1週間仕事が忙しく(今日も会社でこんな文章書いている)、
かなしい話よりもこっちのほうが元気が出ると思って読んだのだが、逆効果だった。

頭のなかがCSSで侵されていたのもあるかもしれないが、
読むのにも感想をまとめるにもてこずり、結局1週間かかってしまった。


カバー見返しより

君たちには君でなければできない特権があり、生き方がある。
「一体この世はどうなっているのだろう?」「俺はどう生きればいいのだ」
そのための手段と知恵は、「青春とは何なんだろう、そして俺の青春を、
一度だけの青春をどう挑戦(チャレンヂ)すればいいのだろう」
君がふっとこんなことを感じたとき、本書は絶対的な必要性を持っている。
「どうも人生論は読む気になれない」そう思っている人がいる。
それは今までのきなくさい人生論がまやかしであり、新しい時代の、新しい若者には、そんな分別くさいお説教が全く無意味であるからだ。
どんな人生論にも飽きたらない思いをしている人、また馬鹿馬鹿しくて読む気になれない人、そんな人たちにこそ本書は読む意義がある。



さて、これでおおよそ推測できよう。
しかし読んでみると想像以上だった。
言ってしまえばテニスの誰かさんにずっと説教くらっているような感じだ。

今まで恋愛小説というフィクションの世界に酔い、うっとりしていたのは私の勝手だ。
しかし、人間〝富島健夫〟のダイレクトなメッセージには、まるで甘さなどない。



初版は昭和43年、ちょうど今の私と同じ年齢の時の本だ。

「読んで反発を感じる人、ぼくに書をよこせ」とある。
でも今となってはそれもかなわない。富島くん、だからここに書かせていただく。

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「このごろの若いものは」という言葉は千年前から使われてきたとある。
それは君がこの本を書いて40年経った今でも同じなのだ。

君は大人を痛烈に批判している。
そして君を慕う若者たちの味方であるかのごとく、お説教をしているね。
でも君もまた大人なのだ。その立場を明らかにすべきだ。

白と黒をはっきりさせず、いいとこどりをしたグレーなアドバイスは、
それもまた大人のずるさとは言えないか。

「大人に従属しているだけではいけない。
だからといってただ逃げ出すのは得策ではない。戦術を考えろ」

「性に興味を持つのは当然のことだ。だが純潔は美しい」

青春の渦中にいる若者たちにそんな冷静さを求めるのはどうだろう。
それができないから苦しみもがいているのだと私は思う。


そして、この本に勇気づけられた若者が大人になり、親になり、
今では孫の世代になるだろう。

世の中は良くなったか?若者が溌剌と青春を謳歌できる世の中になっただろうか。

君の小説以上に青少年の世界では性がはびこっている。
レイプ、妊娠、中絶、麻薬、売春…そんなことがリアルだと言われるくらいに。

ベトナム戦争で戦っている若者のことを考えろ、とよく書いてあるね。
今では日本がアメリカと戦争したことも知らない若者がいるらしい。
勇気を起こして行動する若者が、「自己責任」とかいう言葉で社会から制裁を受ける、
そんな世の中をどう見るだろう。


そうだ、若者が輪になって立ち上がったときがあったじゃないか。
彼らは実社会の一員となり、どう社会を変えてくれたのだろうか。

お説教より、愛と許し、包容力が重要視される世の中だ。
君が今生きていたら、どんなメッセージを若者にくれるのか、
私はそんなできもしない想像をしている。


私には君のように、敗戦という強烈な経験もなく、
豊かではなくとも衣食住に困らず、中流の生活を送ってきた、
生ぬるい根性の持ち主だ。
だから君のメッセージは少々押し付けがましく感じた。

私もこの年になって、知らず知らずのうちに若者に説教することがある。
それは、今の自分が彼らだったらどうしたいのか、それに基づいているのだと思う。


君は青春をぶっつけられただろうか。
私の青春時代は最悪だった。
今でもこうして文章を書くくらいの中途半端な自己実現しかできていない。

もし君が悔いのない青春時代を送れたがゆえに、
こんなメッセージを若者たちに送ったのなら
それはとてもうらやましいと思ったのだ。
君が批判する、青春を放棄した過去を送った自分に、胸が痛かったのだ。

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私も富島作品をまじめに読んでるつもりだが、
リアルタイムで読んでいた若者たちは、もっと切実な思いで読んでいたのだろう。
ファンレターはもちろん、悩みをもって直接たずねてくる読者も大勢いたようだ。

だからいいんだ。
手元にあるのは昭和52年36刷。
頼れる兄貴からのメッセージは、それだけ多くの若者に受け入れられたのだ。
ここに書いた私の意見も、あくまで大人目線のものなのだ。
だから的外れなんだろう。


机上の議論ごっこをしてしまったが、
会ったこともない人間について書籍からあれこれ推測するのは愚かしいことだと思う。
小説の世界を勝手に分析するのとは違うのだ。
この文章をまとめるのにてこずったのも、そんな無用なことをしたからかもしれない。


ただ、ちょっと夢からさめたような気持ちになったのは事実だ。
勝手に夢を見て勝手に現実に失望する。単純だ。


(つづく…かも)