10月5日に読了したもののいまだ感想をまとめられない。
付箋を貼った箇所を洗い直しながら、考えをまとめていくという方法をとっているので、もう一度読み直しているようなもの。こんなことしていたら一向に終わらないなあ。
そもそもこのブログを始めたのは、富島作品を読んだ時の瞬間的な“ときめき”みたいなものを記録しておきたいと思ったからで、作品の分析をして意見をまとめて…といった経過をとらないうちに、個人的であろうが“超観念的”であろうが、感じたことをすばやく記録することを意識していた。
コバルト系しか知らなかったのでそうしたのだが、『女人追憶』のように“心ときめく”ことのない作品を読むと、逆に頭は“考える”ことをしだす。それはまるで主人公のように。
『恋と少年』は官能に特化した作品ではなく青春ものであり、何度かページをめくる手を止めて、天井を見あげてためいきつくこともあった。でも、それはこの作品自体にときめいたのではなく、今まで読んだコバルト系の残像を思い起こして心をあそばせたのだ。
富島作品は、いってしまえば底辺に流れるものはみな同じ。『恋と少年』もその一つなので、もしかしてすごく簡単に感想がまとまるかもしれないと思ったのだけれど、これを観念的な印象だけでまとめてしまうのはとてももったいない気がする。
『雪の記憶』のときはことばなくその印象を閉じ込めておきたいと思ったが、『恋と少年』は一行一行のことばに作者が生きている。だから読み飛ばすことができないというのも感想がまとめられない理由のひとつ。
“自伝的”という意味では二つの作品は似ているが、『雪の記憶』がファンタジーであるのにたいし、『恋と少年』はどこまでもリアルなのである。
杉良吉という名の富島少年と語り、時には同化しながらいろいろなことを考えさせられている。
この作品を愛してきた読者も、こんな心の対話をしたのかな、と思いながら…。
長くなりそうです。もう少しおまちを。