富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

余談

2010-05-29 22:04:34 | 番外編
長ったらしくなってしまうので分けて書くことにした。

『制服の庭』の中で、出張から帰ってきた校長が、家でお茶づけを食べるシーンがある。

外食続きだったので、メザシとタクアンでお茶づけを食べたいのだ。


やがて、台所のほうから塩ザケを焼くにおいがしてきた。

「塩ザケでもいい」

校長はそう思った。メザシよりもいい。そう考えた。
あれをこまかくもみほぐしてご飯の上にかけ、ノリをもんでまく。
その上に熱いお茶をそそぎ、タクアンをかみながら胃に流し込む。



ああー!なんておいしそうなんだーー!!
『おとなは知らない』の、洋子が水野に作ってあげた料理、ビフテキの油で作った炒め物とか…もおいしそうだったなあ。
他の作品にも、いろいろあった気がする。


私は富島作品に出てくる、食べ物の描写が大好きなんです!!
それだけ。

制服の庭

2010-05-29 21:58:19 | コバルト
集英社文庫 コバルトシリーズ(初版:昭和52年6月)


青春時代をいかに生きたか。

この物語の登場人物、松ヶ丘高校の松岡校長は、今まで読んできた作品の主人公の「その後」とも言えよう。

松岡校長は「自分の青春時代を忘れてしまった」大人ではない。
そして、青春時代に後悔のある大人でもない。

松岡少年は、おおっぴらに恋もできなかった旧制中学時代、
信枝と静かに恋をはぐくみ、その初恋を実らせ結婚した。

年月はたてども、校長の心の中には、青春時代の思い出が綿々と流れているのだ。

そして今の(?)時代、素直でおおらかな新太郎と洋子の、何の隠し立てもない交際。
校長は二人をほほえましく見守る。

しかし勉強一点張りで中高をすごしてきた赤池教師は、二人を苦々しく思い、転校させようとする。

校長室で4人で昼食を取るのだが、湯飲みにお茶を注いでくれた洋子のことを校長は言う。


「これはきみ、よく思われようとか、罪を軽くしてもらおうとかいう気持ちからじゃないんだ。
人間の思いやりから出発しているんだ」



生徒を人間として見るか、ある物差しに外れていないかだけを見るか…。


高校時代というのは、人生でもっとも美しく重大な意味をもつ時代だから


もしかしたら、単に青春とか恋とか、そんなことではなく
「自分自身、一人の人間として生きたのか?!生きているのか?!」ということを問われているのかもしれない。





さて、この物語は「ミコの“おにいさま”への手紙」として、第三者的にまとめられている。
果たしてこの形式は必要だったのか…と疑問はあるのだが、
もしかしたら、物語全体が、作家志望の“おにいさま”(富島健夫と知り合い!)の書いた小説なのだろうか。

それはさておき、「おにいさま」って、これもドキドキする言葉だな。
池田理代子の『おにいさまへ』ってマンガも好きなのだが、
恋未満の男性へのあこがれ…そう、ステキな男性はあこがれの存在なのだ!

対して男性は「かわいい妹」が好きなんだろうな。
男女平等っていっても、こんな感情は認めていいよね。



<友情の条件>

足のわるい少年良夫と佐知子が、(ちょっと恋のまざった)お友達になるまでの話。

普通に「いい話」なのだが、
「助けようか、助けまいか、それでよかったのだ、いやよくない」…というような、
心の葛藤の表現にいつもながらうなってしまう。


2010年5月26日読了


>>次は…『少年 十七歳異聞』