富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

映画『故郷は緑なりき』

2012-08-14 20:14:57 | 映画

昭和36年 白黒 監督:村山新治 出演:佐久間良子、水木襄、三国連太郎、大川恵子、中山昭二

原作は富島ファンにいちばん愛されている(と思う)『雪の記憶』。同原作の映画『北国の街』に比べると原作に忠実だと話は聞いていたが、あまり期待はしていなかった。『雪の記憶』は、読者が自分でうつくしい世界をつくりあげてしまう作品だからだ。

車窓からの雪景色が大画面に広がったとき。つくりものでない風景に「あ」と思った。
海彦役の水木襄は、和風の顔立ちで少し幼い印象。美男子過ぎず素朴なところが、自然でよい。

朝鮮から引き上げた後母が死に、病弱な父と長兄・義姉と九州の町に暮らすという設定は原作通り。みんなが洋傘なのに海彦だけが番傘を差し、寒い冬にオーバーも着ず下駄履きといういでたちも富島が描いた通りだ。もちろん、二人の出会いや帽子が飛ばされる場面も。
そして雪子。佐久間良子は自ら原作を読み、映画化を監督に申し出たという。雪子のイメージを崩さない凛とした美しさがある。

ほぼ原作通りの流れだが、雪子も母を亡くしており、姉と父とで暮らしているというところは原作と異なる。雪子の母は海彦に優しく接していたが、その役割を映画では姉が担っている。ラストシーンに向け、雪子に初恋について語る必要があったからかもしれない。

まだ戦後の風景がさほど失われていないときに撮影されただけに、当時の空気が感じ取れるのがうれしい。本当に何もない海彦の住む田舎町と雪子の住む町の雑踏。土間とやぶれたふすまの貧しさただよう海彦の家と書棚に文学全集がならぶ雪子の家の対比。汽車にわれさきにと飛び乗ろうとする人々。不良も頭が上がらない教師の威厳(不良ファッションは赤いマフラーに高い下駄!)。町並みの看板ひとつひとつにも目を奪われてしまう。ビデオがあったら何回でも見てしまうだろうな。

愛すべき脇役たち。藤田や和田、村井もいい味を出している。丸眼鏡で目の下に隈をつくった村井のキャラクターは観客の笑いも誘っていた。

富島氏はよっぽどガリ勉が嫌いなのだろう。原作では村井も村井の母も悲劇的な最後を遂げる。『夜の青葉』に出てくるガリ勉もそうだ。映画の中で不良の藤田が「けんかもするし勉強もするし面白いやつだな」と海彦を見込むが、富島作品の主役たちは男女ともにバランスがある。

ラストはやっぱりそうなるか、という感じ。海彦が東京にわたって4年、一度も会わなかったのはなぜか、という疑問以外は、作品の世界観を十分出していたと思うので、わたしは許してしまう。原作は「男女共学」という社会の変化で区切りをつけているが、この映画のように、二人の過ごした時間だけを「回想と死」として閉じ込めてしまうやりかたのほうが、作者の意は別にして読者としてはいいかもしれない。
男女仲良くサイクリングを楽しむ学生たちの姿がラストに登場するのも、古き時代の恋愛のきびしさ(と不条理)がわかりやすく伝わってくるやり方だと思う。

この映画を見ると、『君たちがいて僕がいた』が“あたらしい”映画に見えてしまう。さらにジュニア小説は60〜70年代を反映した物語だ。作者がいくら“不易”といえども、作者が物語の原点としている恋愛の心とはかなり距離のあるものとなっていただろう。純文学時代の作品は大事に読みたい。

ところでこの映画は「ニュープリントで蘇った名画たち」という企画で観たのだが、今だかつてビデオ化もDVD化もされておらず、このサイト(「時計仕掛けの昭和館」:画像がいっぱい!)によると一度テレビで放送されたきりだとか。
(ちなみに荒川さんもこの放送を録画したそうだが、ものすごく昔のものなので行方不明になってしまったらしい…。深夜放送で若干カットされていたかもしれないとのこと)

とてもきれいな画面で観られた。この機会にぜひDVD化してほしい。

2012年7月24日 神保町シアター