左:立風書房「富島健夫青春文庫3」1977年(S52年)9月初版
読んだのは 右:春陽文庫 1978年(S53年)8月初版 装画:水戸成幸
※水戸さんの装画はきちんと原作を読んで描いてくれているのがわかるのでうれしい。(黒く塗りつぶされませんよ…しつこい?)
当時としては斬新だったのだろうか、ワードアート風のタイポが気になるけれど…。
2013年1月7日追記:学研新書(1963年5月刊)の目次には章題がついているのを、研究会忘年会で発見!いい章題だなあ。ラストの「雪」に思わずじーん。
始まりは知子の姉が両親と口論となり家出するシーン。物騒だが、冒頭から主人公の知子が自分の意志をしっかり持つ(しかも心優しい)少女だということがうかがえて清々しい。
映画「高校三年生」を先に見てしまったのでまた比較になるが、原作も映画も両方いい。『明日への握手』では、重要な脇役として裕福な家庭に育つ小路がいるが(知子もいちおう由緒正しい家柄なのだが)、映画ではこの小路が第二の主人公になっている。浴衣姿をみて担任が目をみはるシーンや父親の失墜など、知子に使われていたエピソードが小路に応用されている部分も全く違和感がなく、うまく再構成したと思う。
(ちなみにわたしのイメージでは知子が高田美和で小路が姿美千子、なのだ)
他の違いは、映画で宏は(おそらく健康上問題ない)母と暮らしている設定なのに対し、原作では病弱な父とのふたり暮らしであるところ。『雪の記憶』のように富島の分身的である。
映画で知子が姉と恋人のキスに驚くシーンがあるが、原作ではもっとなまなましく描かれているし、不良の子供を妊娠し自暴自棄になるクラスメートが登場したり、家庭の事情で宏も知子も自立を迫られたりしたりと、単なるさわやかな青春小説にとどまっていない。まあ、映画も面白いのだけれど、やっぱり原作の方が富島らしさが表れている(当たり前だが)。
ちなみにこの作品は『美しい十代』に連載されていたのだが(1962/4~1962/3)、宏は左傾した少年だし(優秀なのにあえて工員になって改革を起こそうとしている)、知子はそっち系の本を読み宏についていこうとしているし…問題視されなかったのかどうかが気になる。
まあ、小路がそこで
主義だとか階層だとか言ったって、たいせつなのは自分自身だけよ。紀井さんの考え、今はとっても純粋だけど、やがて紀井さんを裏切るのは、同じ階級の人たちよ。
と語るそれが富島の考えに近いと思うのだが。
でも応援団に対する反乱は『青春の野望』っぽいし、富島自身、宏のキャラクターに思い入れがあるのかもしれない。
ラストの雪の夜のシーンは実にうつくしい。富島健夫は九州人なのに、雪を非常に効果的に使う作家だと思う。
2012年12月8日読了
※今年も残り少なくなりましたが、今年中に『黒い河』、別室では今年観た映画、今年読んだ富島以外の本を上げるのが目標。できるかな…。