富島健夫作品 読書ノート ~ふみの実験記録

富島健夫の青春小説を読み感じたことを記録していきます。

長岡ロケ映画 「故郷は緑なりき」 35mmフィルム上映会

2015-01-31 20:33:17 | 映画

長岡アジア映画祭実行委員会!さまより、
富島ファンにはたまらないお知らせです!

 

映画、ドラマなど、いくつかの『雪の記憶』の映像化作品のなかでも、
最高傑作(とわたしは思う)である 映画「故郷は緑なりき」が、
なんと、35mmフィルムで上映されるとのこと! 

会場はこの映画のロケ地、新潟県長岡市にある長岡市立劇場。

登場する撮影スポットとして「長岡駅、大手通り、信濃川土手、長生橋、旧長岡商業高校校舎」と挙げられています。

わたしは映画冒頭の吹雪のシーンでなみだが出たものですが…。
本当に、うつくしいんですよ、風景が。
昭和36年という時代、そして(福岡ではないけれど)長岡の持つ雰囲気が作品世界を見事に表していたのですね。

ふみのレビューはこちら(若干ネタバレ注意)。
 

ブログより引用させていただきました↓↓

ニュー東映作品で決して映画史に名を残す名作という評価は得なかったようですが、
公開時に観賞された方の間ではヒロイン・佐久間良子の初々しいセーラー服姿と
四季折々の長岡の風景の中で描かれた純愛映画として密かに語り継がれてました。
それが2009年・東京の神保町シアターで開催された
特集企画 “川本三郎編 鉄道映画紀行 ~思ひ出は列車に乗って~”の中で
ニュープリントとして甦り上映されて大きな評判となりました。
このたび、多くの方々のご協力をいただき撮影地・長岡で上映します。
いまだDVD化もしていない貴重な作品でもありますので、
ぜひこの機会に足を運んでいただき、昔の美しい長岡の風景の中で繰り広げられる
純愛映画に胸をときめかしてほしいと願います。

案内には、英題「Fateful Birthplace」とありますね。初耳!

関東からはちょっと距離がありますが、
お近くの富島ファン、ならびに映画好きの方は、ぜひご覧になってください!
なんてったって、こんな名作なのにDVDになってませんから…。 

見て損はありませんよ~! 

↑主演の水木襄、佐久間良子と富島健夫(「別冊ジュニア文芸 富島健夫作品集」小学館 昭和42年8月発行より)
※クリックすると大きくなります

「故郷は緑なりき」 @長岡市立劇場(新潟県長岡市幸町2丁目1番2号)

2015年2月28日(土)
①11:00~ ②13:30~ 

詳しくは 長岡アジア映画祭実行委員会!ブログ  をご覧くださいね。


テレビドラマ「おさな妻」

2013-06-12 20:50:30 | 映画

今さらなんですけれど…。
ケーブルテレビ「ファミリー劇場」で、テレビドラマ版の「おさな妻」が放映されています。

主演は麻田ルミ。まさに幼くて純粋なイメージが好感を持てます。
関根恵子は“エロ”かったけど、ルミちゃんは“かわいい”。
映画よりテレビ版のファンが多かった(ふみ調べ)のもうなずけますね。

もう11話…ふみはつてをたどって何とか観ることができています。

この再放送で、麻田ルミファンも増えているみたい?原作にも注目が集まるといいなあ。
観ることができる方はぜひ!

↓↓観られない方は…こちらで気持ちだけでも…↓↓

・Twitterで「サンタ朗」さんが毎週細かなレポートをしてくださっています。
・知る人ぞ知る??「麻田ルミさんのおさな妻」サイト。これだけ愛されているドラマがあるとは!


スクリーンで観る舟木一夫と時代を彩ったヒロインたち…の感想

2012-11-07 23:41:01 | 映画

何とか休暇をとって目当ての3作品を観ることができました。
客層は…いつもかなり年配。なぜか「君たちがいて」のときだけ小さな女の子連れの母子が。
では見た順に感想を。

君たちがいて僕がいた
1964年東映 監督:鷹森立一

 以前ビデオで観たのと感想はさほど変わらない。前ここで「パンチラ」と書いたのが「短パン」の間違いだった(短パン逆上がりのアップ。ラグビーボールを蹴り上げるところはパンチラだったけど)という発見はあったけれど。

本間千代子はかわいいけど、わたしの富島ヒロインのイメージとはちょっと違うかな?(富島研究会のメンバーには人気ですけれども:笑)

※2012年12月4日追記:原作を読んで評価が変わりましたのでこちらもお読みください。

高校三年生
1963年大映 監督:井上芳夫

この映画の原作が富島健夫と聞いたときびっくりした。わたしでも幼い時から歌だけは知っていたものだから。

富島ファンになってからは、Wikipediaで「ヒット曲に便乗しての小説・映画化」といったような誤った情報を流されたために、出版物の記述にまで影響したことに気をもんでいた。Wikipediaに加筆・修正したり、荒川さんがTwitterでつぶやいてくれたことから、だいぶ事態は好転したと思う(推測)。
→役名を確認するためにちょっと検索かけてみたら、「原作は富島健夫の『明日への握手』で…」となっているブログなどが多いですねえ。これは『福岡文学事典』、直さないとまずいんでないかい。「美しい十代」のオークション出品画像でも「『明日への握手』を映画化。題名に舟木一夫のヒットソングを借り」というような文面を確認。

さて、映画自体については、娯楽映画だから「君たちがいて」みたいな感じだろうとさほど期待はしていなかったのだが、これがなかなかいいのである。富島ジュニア小説を読んでいる時の「ときめき」感が、映画のなかにあふれている。

主役が二人の美少女なのも大きな理由だと思う。姿美千子と高田美和は、どちらも芯のある和風美人の顔立ちで、わたしのイメージの中の「富島ヒロイン」に近い。舟木一夫は脇役。ユーモラスでちょっといいやつ、といったキャラクターで、なかなかいい味を出している(存在感はあるので舟木のためにわざわざ作った役だと思うが)。

教師に対するほのかな恋心、友達から一歩進みたい心の葛藤やじれったさ。性への不安、社会の理不尽さ。原作とは若干異なるようだが、「まじめ」さからはずれていない。知子(姿美千子)が姉と恋人のキスシーンを目撃して動揺するシーンは、あまりにも純粋でほほえましい。街並みやインテリアも時代を映し出していて、じっくりと観てしまった。ラストもさわやかで、小路(高田美和)を見送るクラスメートのひとりになったような気持ちになった。

おそらく、富島はこんな乙女チックな物語は書かないだろう。「原作者」本人にしては一人歩きした映画作品になっているかもしれない。けれども、ファンが富島作品を通じて求めているものが、よりわかりやすく描かれているのではないだろうか。

※ところで、パンフレットに原作者名が記されていない件は、荒川さんがツイッターで一つの仮説を立てているのでご覧ください。→富島健夫研究者のつぶやき(やりかたよくわからなかったので…1と2に分かれています)

北国の街
1965年日活 監督:柳瀬観

富島ファンからの評判が一番悪い作品。そもそも、原作となった『雪の記憶』自体ファンの思い入れが強いものだから、そんなこともあるだろう。『おさな妻』程度の崩れ方かな、くらいに思っていたのだが…。

これはひどい!

これで「原作」なんて言えるのだろうか。原作の何を生かしたかったのか。
独創性を出したかったのだろうか、しかし「芯」を抜いて解体して、再構築に失敗したとしか思えない。
『君たちがいて』にしても、娯楽性は強くなっているものの、姉のために大学進学をあきらめようとするところなどに富島作品の根っこが少しは残っている。けれどもこれは…

もう箇条書き

・雪子(和泉雅子)と海彦の印象深い出会い→海彦の落とした万年筆を雪子が拾ってあげるというありきたりなエピソードになってがっくし。
・時代設定が昭和40年代の豊かな時代のため(いちおう海彦は新聞配達しているが)、男女交際がはばかられたり、貧困に悩むということがない、ただの男女のほれたはれたになっている。
・帽子が飛ぶシーン→雪子が落ちないように必死にかばうのではなく、人ごみに揉まれてもだえる雪子をぼーっと見ていたら、帽子が飛んでっちゃった、みたいな感じ。
・海彦がよわっちい。芯があるのが富島キャラなのに。ラストのへたり込むシーンは、怒るよ。
・雪子が「白血病」である理由があるのか。ただ「私は白血病なのー」って台詞だけが浮いていて、雪子が倒れたり鼻血を出したりするわけでもなく、何のために余命を縮めたかったのかわからない。
・「6年」?という中途半端な余命は、大学に行かないで海彦と結婚すればいいのに、という展開から逃れるため? それに、病気のひとり娘を親が東京にいかせるものなのか?海彦への愛より学問を選んだとして、その理由も曖昧。
・藤田(山内賢)のほうが好感的に描かれ、海彦の魅力が半減(どころか薄い)。主役はひとりでいいのでは? 藤田を盛り込んで友情を描きたかったのか。でも『雪の記憶』を使ってそれをすることないんじゃないの。

とにかく、富島哲学と言うべき点がすべて覆っているところがファンには許せないのである。

『故郷は緑なりき』も「死」という点で共通するが、雪子を潔く殺してしまったことがかえって良かったと思う。根本的には原作を良くわかっているし、ラストで男女がサイクリングを楽しんでいるシーンに、わたしはとても感動した。
脚本家の倉本總は、果たして原作に感動したのだろうか…。

同時上映の「絶唱」(監督・脚本:西河克己 原作:大江賢次)との落差がはげしい…。

ちなみにこれは荒川さんと観に行ったのだが、出演者のクレジットに富島の名が?ということで注意深く観ていたら、汽車のシーンでそれらしき人物が…。ビデオで確認したらクレジットはなかったのだけど、左の人物何となく似てる?


似てない?

ちなみにこの映画のキャッチコピーは…

舟木だ、強いぞ、愉快だぜ!
山内だ、パンチだ、イカシたぜ!
ムードとセンスで勝負するぼくらのドラマ!!

舟木弱いが…。

舟木は全然アクションしてないのに、ビデオのジャケットには「青春アクション・ロマン」ともあり、よくわからない映画。
もう観なくていい。

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正直言うと、舟木一夫という俳優にあまり魅力を感じていませんでした。特に美男子でもないし、八重歯だし…。けれども、絶唱含めて4作も続けて観ると愛着が湧いてきて、ファンになりかけてしまった…。
未だに現役というところもすばらしい。今度テレビで観かけたら、テレビの前に座るとしよう(うたえる歌も増えたし:笑)。


つい買ってしまった…。

舟木ファンにも富島ファンにもうれしい企画だったと思う。

あとは『制服の胸のここには』『青春の海』(以下ロマンポルノ)『初夜の海』『火照る姫』『ひめごころ』を観れば完璧!ロマンポルノはいろいろな映画館で特集されているけど、残念ながらプログラムには入っていないな。機会を楽しみにまとう。

『君たちがいて僕がいた』と『高校三年生(明日への握手)』は原作を未読。ぼちぼち読もうと思います。年内に『黒い河』も読めるといいのですが…。


貴重な秋元ジュニアシリーズの『君たちがいて』はお借りしたもの。大切に読みます! 


スクリーンで観る舟木一夫と時代を彩ったヒロインたち

2012-10-24 22:49:54 | 映画

こういう情報はもっと早くあげるべきでしたね。


ここからチラシPDF見られます。

銀座シネパトスにて上映中。
「故郷は緑なりき」や「黒い河」に引き続き、富島作品を映画で観る機会が!

「君たちがいて僕がいた」と「高校三年生」の上映は終わってしまいましたが、
まだ10/31(水)~11/2(金)「北国の街」が残っています。
(同時上映は「絶唱(原作:大江賢次)」これも有名なので観たい)

「君たちは…」はDVDで観た通り、スクリーンで観てもうーん…という感じでしたが(でもテーマソングは好き:笑)、「高校三年生」は富島ジュニア小説の雰囲気が醸し出されてなかなか良かった。
もう一度観たいな、と思う作品でした。

10/20には本間千代子さんのトークショーがあり満員御礼だったようですね。残念ながら仕事で行けませんでした。


きれいな字。


iPhoneで撮ったので写りがイマイチ。

…で、ですよ。Twitterでもつぶやきましたが、パンフレットの「高校三年生」のところに「原作:富島健夫」と書いてないのです。映画のクレジットにはちゃんと「原作 富島健夫 『美しい十代』(○○年○○号~○○号←文字がつぶれていて読めず)」とありますが、もしWikipediaを参照し、「富島に『高校三年生』という作品はない」というところだけ見て誤解があったのならいけません。
ちゃんと『富島健夫青春文庫3巻』のあとがきで、『明日への握手』は「刊行後間もなく、これは『高校三年生』という題で大映で映画化された」と作者が書いていることを、出典として記載しなければと思います。詳細が分かり次第修正します。 
しっかし(もしそうだとしたら)Wikipediaの影響力って大きいですね。ネットで何かを調べる際は注意しないといけないですね(物書きは特に)。

では中途半端ですが取り急ぎご案内まで。作品の詳しい感想はまた今度!


映画『故郷は緑なりき』

2012-08-14 20:14:57 | 映画

昭和36年 白黒 監督:村山新治 出演:佐久間良子、水木襄、三国連太郎、大川恵子、中山昭二

原作は富島ファンにいちばん愛されている(と思う)『雪の記憶』。同原作の映画『北国の街』に比べると原作に忠実だと話は聞いていたが、あまり期待はしていなかった。『雪の記憶』は、読者が自分でうつくしい世界をつくりあげてしまう作品だからだ。

車窓からの雪景色が大画面に広がったとき。つくりものでない風景に「あ」と思った。
海彦役の水木襄は、和風の顔立ちで少し幼い印象。美男子過ぎず素朴なところが、自然でよい。

朝鮮から引き上げた後母が死に、病弱な父と長兄・義姉と九州の町に暮らすという設定は原作通り。みんなが洋傘なのに海彦だけが番傘を差し、寒い冬にオーバーも着ず下駄履きといういでたちも富島が描いた通りだ。もちろん、二人の出会いや帽子が飛ばされる場面も。
そして雪子。佐久間良子は自ら原作を読み、映画化を監督に申し出たという。雪子のイメージを崩さない凛とした美しさがある。

ほぼ原作通りの流れだが、雪子も母を亡くしており、姉と父とで暮らしているというところは原作と異なる。雪子の母は海彦に優しく接していたが、その役割を映画では姉が担っている。ラストシーンに向け、雪子に初恋について語る必要があったからかもしれない。

まだ戦後の風景がさほど失われていないときに撮影されただけに、当時の空気が感じ取れるのがうれしい。本当に何もない海彦の住む田舎町と雪子の住む町の雑踏。土間とやぶれたふすまの貧しさただよう海彦の家と書棚に文学全集がならぶ雪子の家の対比。汽車にわれさきにと飛び乗ろうとする人々。不良も頭が上がらない教師の威厳(不良ファッションは赤いマフラーに高い下駄!)。町並みの看板ひとつひとつにも目を奪われてしまう。ビデオがあったら何回でも見てしまうだろうな。

愛すべき脇役たち。藤田や和田、村井もいい味を出している。丸眼鏡で目の下に隈をつくった村井のキャラクターは観客の笑いも誘っていた。

富島氏はよっぽどガリ勉が嫌いなのだろう。原作では村井も村井の母も悲劇的な最後を遂げる。『夜の青葉』に出てくるガリ勉もそうだ。映画の中で不良の藤田が「けんかもするし勉強もするし面白いやつだな」と海彦を見込むが、富島作品の主役たちは男女ともにバランスがある。

ラストはやっぱりそうなるか、という感じ。海彦が東京にわたって4年、一度も会わなかったのはなぜか、という疑問以外は、作品の世界観を十分出していたと思うので、わたしは許してしまう。原作は「男女共学」という社会の変化で区切りをつけているが、この映画のように、二人の過ごした時間だけを「回想と死」として閉じ込めてしまうやりかたのほうが、作者の意は別にして読者としてはいいかもしれない。
男女仲良くサイクリングを楽しむ学生たちの姿がラストに登場するのも、古き時代の恋愛のきびしさ(と不条理)がわかりやすく伝わってくるやり方だと思う。

この映画を見ると、『君たちがいて僕がいた』が“あたらしい”映画に見えてしまう。さらにジュニア小説は60〜70年代を反映した物語だ。作者がいくら“不易”といえども、作者が物語の原点としている恋愛の心とはかなり距離のあるものとなっていただろう。純文学時代の作品は大事に読みたい。

ところでこの映画は「ニュープリントで蘇った名画たち」という企画で観たのだが、今だかつてビデオ化もDVD化もされておらず、このサイト(「時計仕掛けの昭和館」:画像がいっぱい!)によると一度テレビで放送されたきりだとか。
(ちなみに荒川さんもこの放送を録画したそうだが、ものすごく昔のものなので行方不明になってしまったらしい…。深夜放送で若干カットされていたかもしれないとのこと)

とてもきれいな画面で観られた。この機会にぜひDVD化してほしい。

2012年7月24日 神保町シアター