(日本古代文字〜漢字以前の世界より転載)
http://ameblo.jp/amaterasu567/entry-11801997441.html
通説によると、日本には漢字以前に文字は存在しておらず、仏教伝来と時を同じくして漢文が日本に伝わり、以後、いくつかの口承をもとに古事記、日本書紀が編纂されたとされている。
しかし、実は真偽がはっきりしていない古文書の中には、記紀以前に、日本独自の文字で編纂されたと思われる歴史書やその他の痕跡が、数多く残っている。
その種類、およそ四十数種類。概ね、それらは平仮名、カタカナのような表音文字であったと思われる。
■ほつま基本四十八文字 ■
(「日本古代史:ほつまつたゑ:新歴史誕生 」より)
■ホツマツタヱフトマニ図 ■
(日本翻訳センター によるサイト「ホツマツタエ 」より)
上記の2つの図を比べてみると、若干字形は違っているものの、同じ文字であることがわかる。
「ホツマツタヱ」は、真書であれば、日本最古の叙事詩集であり歴史書であるとされているが、現在は事実上黙殺されている状態である。
「フトマニ図」は、「四十九(ヨソコ)神の座席図を五十一文字で表わし授けた」ものとされている。このフトマニ図を用いて吉凶を占おうと考えたアマテル神(天照神)が著したものが「フトマニ」なのだそうである。
(「伊勢神宮の神代文字 」より)
「神代文字」には他にも種類があり、例えば、伊勢神宮の神宮文庫に収められている奉納文の中には、藤原鎌足や稗田阿礼のものもあり、これらの奉納文は「アヒルクサ文字」と「イヅモ文字」(他にも数種有り)を主体にしたものだとされる。「神代文字」には他にも種類があり、例えば、伊勢神宮の神宮文庫に収められている奉納文の中には、藤原鎌足や稗田阿礼のものもあるそうで、これらの奉納文は「アヒルクサ文字」と「イヅモ文字」(他にも数種有り)を主体にしたものだと言われている。神社の奉納文には、このように古代文字が使われている例が他にもあって、宮崎の住吉神社にも、「伊予文字」と呼ばれる文字による奉納文が残されているそうである。
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参照
【第3章 古代日本は中国に占領された―漢字文化に抹殺された真実】
http://ameblo.jp/tsukioto2011/entry-11391175392.html
神代文字を抹殺した恐るべき〝黒い勢力〟がある。
奈良時代以前の日本に文字があったことは、文献にもはっきり書かれているし、遺物にもはっきり刻まれている。
したがって、文献と遺物の両方から、日本に古代文字があったことはすでに立証済みである。
にもかかわらず、そのことがこれまで周知の事実とならなかったのはなぜだろうか。
古代史の権威が口をそろえて神代文字を否定したり、日本の古代文字を無視してきたのはいったいなぜなのか。
ここには私たち日本人のすべてが、いまだにその真相をつかんでいない歴史上の大きなトリックがあるように思われる。
そこには、これまでの権威すらも呑みこんでしまう歴史上のブラック・ホールのようなもの、つまり私が先に〝漢字の呪縛〟と名づけた、
私たちの目には見えない巨大な意志が存在し、この恐るべきカが日本の古代文字資料を抹殺して奈良時代以前の歴史を封印してきた背景が
あるように思われるのだ。
その恐るべき力の正体とは何か。
私たち日本人の奈良時代以前の歴史に、誰が考えても異常としか思えない巨大な空白をもたらした力の実体とは何か。
日本古来の文字で書かれた文献を奪い取った、途方もない勢力とはいったいなんだったのだろうか。
私には、その力の実体がどんなものであったのか、今のところすべてを正確に述べることはできない。が、一つだけはっきりしていることは、
その勢力が今から千三百五十年ほど前の大化改新(六四五年)と白村江の戦い(六六三年)の時代に、日本海周辺のほぼ全域に台頭し、
それまでの日本にあった固有の文字と文化、王家と有力氏族の記憶をほとんど消し去ってしまった、という点である。
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