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かむとけの木から(6)【船材伐るトブサ立て】

2013年05月07日 21時00分00秒 | 船木氏

★「かむとけの木から(5)」のつづき 

 伊勢の船木直には、小子部連の始祖伝承と似たようなそれ(雷神との神婚で生まれた英雄が、やがてその一族の始祖となるといった伝承)があったとして話をすすめる。

 小子部連の場合、そのような伝承は、雷神(=おそらく三輪山の神)の後裔であることによって、彼らの一族に雷神を制御する呪能があることを説明するものでもあった。とすれば、伊勢の船木直も同じような呪能をもつとされていたのではないか。

 しかし、船材を出す杣山の管理を職掌していた彼らに、どうして雷神を制御する呪能が必要だったのだろう。

 古代人は樹木に精霊がやどるというアニミズムの信仰をもっていた。「木魂=コダマ」信仰である。ところでコダマは必ずしも木が伐り倒された時点で死滅するとはかぎらなかった。キチンとした作法にしたがって伐られた樹木のコダマは、材木になってからもその中にやどりつづけ、それをつかって建てられた家や船を守護するものとされたからである。たとえば船材になった樹木のコダマは、船玉となって航海の安全を守護するとされた。こうした信仰の痕跡は各地のフォークロアに多く残っている。

 いっぽう、宮殿や神殿のような建物につかう大黒柱や忌柱、あるいは外洋航海を行うような大型船の帆柱の場合、それをとる樹木はたんに物理的に大きくて丈夫であるだけでは不じゅうぶんであった。そのような重要な建築物等の材として使用される木には、しばしば信仰の対象になるような神聖な樹木が選ばれたのである。そのような樹木のコダマは霊威が強いので、材木になってから建物や船を守る力もそれだけ強いと考えられたのだ。『類従国史』天長四年条にみられる、東寺の塔を造るために稲荷山の神木を伐って出した記事などはその一例であろう。

 しかしそのいっぽうで、神聖な樹木を伐ることにはたいへんなリスクがあった。そのような樹木にやどる精霊は非常に恐ろしい存在とされていたため、不用意にそれを伐り倒すと人間たちを祟ってもうれつな害をなすと考えられていたからである。杣人の間には現在でもこういう信仰が生きている。とある山間部を車で走っていた時、道のド真ん中に年ふりた、どことなく威厳のある巨木が立っていて、その木を島に、車線が両サイドを行き交うようになっているのに出くわしたことがある。近隣の人に理由を聞くと、あれは「天狗様の木」で、伐ると祟りがあるからどこの伐採業者に頼んでも手を出したがらない、仕方がないので道路も線形を犠牲にしてあんな格好になってしまった、とのことだった。こういう話はわりとどこにでもあり、さほど珍しいものではない。

 それはともかく、こうしたことから樹木を切り倒そうとする時、人間を祟らせないようにコダマを慰撫し、かつ、その強度が損なわれないままにその霊威を材木に固着し、その材で建造した家や船をつかって人間が行う活動を守護するようにする儀礼が重要となってくる。『万葉集』には次のような大伴家持の歌があるが、

 とぶさ立て 船材伐るといふ 能登の島山 今日みれば 木立繁しも 幾代神びぞ

ここに見られる「とぶさ立て」は杣人たちの間で行われたそうした儀礼であったらしい。

 船材をとる杣山の管理をまかされていた船木氏も、こうした儀礼にひいでていただろう。伊勢の船木直が、小子部連と同じく雷神を制御する呪能をもつとした先ほどの仮定はここに関係してくる。船木氏が管理したような杣山の木は普通の船ではなく、外洋航海に使用されるような比較的大型なそれに使われたらしい。それで建造された船は遠く半島まで航海するもので、外交や交易、そして海戦に使用されたろう。『住吉大社神代記』の船木氏等本記にも、神宮皇后が熊襲と新羅を討つとき、船木氏の遠祖、大田田命とその子の神田田命が杣山から木を伐って船を三艘、建造した記事がある。彼らが社人を務めていた住吉大社も新羅遠征と関係ぶかい由緒をもっており、こうした伝承から船木氏の杣山から出された木材は、しばしば軍船の建造に使用されたことがうかがえる。

 さて、そういう時、軍船に使用される木材をとる木として雷神がやどる木、つまり「霹靂の木」が選ばれたのではないか。つまり、そういう船材で建造された船は、船玉として雷のもうれつな破壊力がやどるので、海戦でつかうと一撃で敵軍を破れるという一種の類感呪術があったと考えるのである。

 海戦で使用される兵器の破壊力を雷にたとえた日本語の例は少なくない。例えば「魚雷」をつかって攻撃することを「雷撃」というし、駆逐艦などから水中の潜水艦に投下する爆薬は「爆雷」で、敵艦の通過しそうなところに敷設するのは「機雷」である。もちろん、「地雷」というのもあるが、そうじて「雷」のつく兵器は明らかに海戦でつかわれるケースのほうが多い。

 また、戦前の海軍が開発した戦闘機にも「雷電」「天雷」のように「雷」のつくものがある。やはり海軍の開発した「紫電」「轟電」「震電」といった戦闘機につく「電」も稲妻のことだろう。こうしたネーミングには、上で言ったような古代人の類感呪術の残響が聞き取れるのではないか(もっとも「雷」や「電」のつく戦闘機は艦載機ではなく、大戦末期に本土に襲来したB29等を迎撃するための、局地戦闘機として開発されたらしいが。)。


アメリカの博物館で保存されている旧日本海軍機の雷電
風防下の機体に塗装された稲妻が印象的だ
ウィキ様からのいただきもの

 そうして、伊勢の船木直が船材となる杣山の管理を職掌するようになったのも、彼ら一族が小子部連のように雷神の子孫とされ、この神を制御する呪能があるとおもわれていたからではないのか。つまり、軍船建造のための船材として雷神がやどる神聖な「霹靂の木」を伐り出す際の「とぶさ立て」に、彼らのこの呪能が必要とされたのだ。

 

「かむとけの木から(7)」へつづく

 

 



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