神社の世紀

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(8)伊勢津彦捜しは神社から【伊勢命神社(1/4)】

2010年09月08日 23時06分19秒 | 伊勢津彦

 伊勢津彦捜しをしているうちに、国名がついた式内社について考えるようになった。どうしてそうなったかは、いずれ分かるようにするが、とりあえず国名がついた式内社について述べてみる。

 国名がついた式内社には、鎮座地の国名がつけられたものと、鎮座地の国名ではないそれがつけられたものがある。

 後者のほうがより重要だと思うが、まず前者について考察する。鎮座地の国名がつけられた式内社には(主として)次の3パターンがあるとおもう。

 その1.その国を代表する神社として、神社名に鎮座地の国名がつけられたパターン

 その国を代表する神社という意味で社名に鎮座地の国名がつけられたパターン。安房坐神社とか伊豫神社とかはこれに当たるだろう。総じてこのような神社は明神大社になっている。また、通常は他国に勧請されることはない。祭神は地域の土着神なので、その土地を離れると機能しなくなるからである。
 


安房坐神社(千葉県)

伊豫神社(愛媛県伊予郡松前町)

伊豫神社(愛媛県伊予市)
 

 その2.国名の付いた祭神が社名となったため、結果として鎮座地の国名がついたパターン

 吉備津彦神社とか伊豫豆比古命神社とか若狭比古神社とかは国名というより、祭神の名前に国名が付いており、その祭神名が社名となったため、結果として神社の名に国名がつくことになった、と考えられる。


吉備津彦神社




伊豫豆比古命神社
 

 その3.他国にある同名社と区別するため、鎮座地の国名がつけられたパターン

 同名の式内社が他国にもあって紛らわしいため、区別のために鎮座地の国名をつけたというパターン。例えば『延喜式』神名帳には、大和国城下郡に倭恩智(やまとおんち)神社という神社が載っているが、これは河内国高安郡の恩智(おんち)神社と区別するために国名をつけたのだろう。どうようのケースとしては他にも、大和日向神社や伊豆三嶋神社や淡路伊佐奈伎神社の例があり、いずれも他国に鎮座する日向神社や三嶋神社やイザナギ神社と区別するため、社名に鎮座地の国名をつけたとおもう。  



倭恩智神社(奈良県)

恩智神社(大阪府)
 

 もとより、この3パターンで全てのケースが説明できるとはおもっていない(例えば尾張国山田郡の尾張戸神社や尾張神社は、「その1」~「その3」のいずれでもなく、祭祀氏族だった尾張氏の名前がつけられたものではないか。)。しかし、かなり多くのケースがこれで説明できるため、当座の議論を進めるに当たってはこれで差し支えない。

 さて、大和国山辺郡に大和神社が鎮座しているが、『延喜式』神名帳では、「大和坐大国魂神社」という名称となっている。この神社は「その1」~「その3」のどのパターンに該当するだろうか。


大和神社(大和坐大国魂神社)
 

 その1「その国を代表する神社として、神社名に鎮座地の国名がつけられたパターン」であることは否定できない。『延喜式』が編集された10世紀前半において、大和神社は大神社、高鴨社、飛鳥社と並んで社格が高く、超一流の名社が目白押しの大和国においても抜きんでた存在だった。大和国の土着神である国魂を祀る社という意味でも、当国を代表する神社といって良く、したがって「その1」のパターンに完全に当てはまる。

 その2「国名の付いた祭神が社名となったため、結果として鎮座地の国名がついたパターン」にも含まれそうな感じがする。「大和坐大国魂神社」という社名は、大和国の国魂神を祀っている神社、という意味なので、一見、確かに「その2」のパターンにはまるようなのだが、、、。

 しかし、本当にそうだろうか。それでは社名に「坐イマス(いらっしゃる)」という自動詞がついた理由を取りこぼしてしまうのではないか。というのも、「大和国の国魂神を祀っている神社」ならば「大和大国魂神社」でかまわないはずだからである。どうしてわざわざ社名に「坐」を入れて「大和坐大国魂神社」としているのだろうか。ここには何か訳があるに違いない。

 ちなみに、国魂神を祀る式内社で社名に国名がついている例としては、他に「河内国魂神社」「尾張大国霊神社」「能登生国玉比古神社」、さらには山城国久瀬郡の水主神社の割註にある「水主坐山背大国国魂神命」の例がある。いずれも国名の後に「坐」は入っていない(河内国魂神社は摂津に鎮座しているので入ってないのは当たり前だが。)。

 そこで考えられるのは、大和国の国魂神を祀る式内社は、淡路(大和大国魂神社)と阿波(倭大国玉神大国敷神社)にもあるので、これらと区別するために、あえて本来は不要である「大和坐」を社名に入れたのではないか、ということである。そしてそうなると、ある程度は「その2」に該当しそうだが、より「その3」のほうに当てはまることになる。


淡路の「大和大国魂神社」

医家神社(徳島県)
阿波国美馬郡の式内社「倭大国玉神大国敷神社」に比定されている。
 

 注意されるのは、「大和坐大国魂神社」の社名にあえて「坐」を入れたときの、古代人の心理である。わざわざ「坐」を入れないで「大和大国魂神社」、あるいはたんに「国魂神社」としても、本来なら全く問題はないはずである。原則として大和国の国魂神が祀られている神社は大和国に鎮座しているのが当たり前なので、この場合の「坐」はその意味で重言なのだ(「参拝中なう」の場合の「なう」のように)。しかし、彼らだってそんなことは十分、承知していたろう。それでもそうしなければならなかった理由は、本来、大和国で祀られているはずの大和国の国魂神が、淡路や阿波でも祀られているからであり、彼らは本国で祀られている本社であることを強調したくてこの「坐」を使ったのである。逆に言うと、「ほんらいは本国で祀られているはずの国魂神が、他の国でも祀られている。」という逆説に対し、彼らは敏感であったのだ。

 ここまできたところで、鎮座地の国名ではないそれがついた式内社へと話を進める。

 鎮座地の国名ではないそれのついた式内社として河内国魂神社の例がある。さっきもちょっと触れたが、この神社は河内国の国魂神を祀っているにも関わらず摂津国の式内社で、神戸市灘区に鎮座している。いっぽう、本国の河内国のほうには河内国魂神を祀った式内社はない。極めて変則的な事態だ。このことについては、かつての河内国のエリアはこの神社の辺りまで広がっており、後に摂津国が新設された際、そこの領域に取り込まれて河内国ではなくなったためである等々の説明がなされるようだが、ここではそういうことに深入りはしない。それよりも、どうして当社の社名に「河内」という国名がついたのか、そのことが問題である。つまるところこれは、摂津国に鎮座する当社をたんに「国魂神社」としていたら、河内国の国魂神を祀っているにもかかわらず、摂津国の国魂神を祀っていることになってしまうからだろう。


河内国魂神社(兵庫県)
 

 総じてクニタマ神社(国魂神、大国魂神、国魂命、国魂ヒコ、国魂ヒメ等々)という式内社は全国各地に多くあり、陸奥、常陸、尾張、遠江、伊豆、伊勢、大和、和泉、能登、壱岐、対馬などに鎮座している。しかしその中で国名が付けられたものは、次の6例だけである(後ろの【】内は鎮座地の国名)。

 (a)大和坐大国魂神社【大和】
 (b)河内国魂神社【摂津】
 (c)尾張大国霊神社【尾張】
 (d)能登生國玉比古神社【能登】
 (e)大和大国魂神社【淡路】
 (f)倭大国玉神大国敷神社【阿波】

 このうち、(b)(e)(f)は鎮座している国いがいの国の国魂神を祀る神社だから、そのことを明示するために国名が付いているのであり(今も言ったとおり、たんに「国魂神社」としてしまうと、鎮座している国の国魂神を祀っていることになってしまうから)、(a)は(e)(f)と区別するために本国にあることを強調して社名に「大和坐」が入れられたのだろう。(c)は、尾張国中嶋郡の式内社だが、同国には海部郡にも「国玉神社」という式内社があるため、これと区別するための表記ではなかろうか。(d)については説明がつかない。あるいは上のその2「国名の付いた祭神が社名となったため、結果として鎮座地の国名がついたパターン」である程度、説明できるかもしれない。


能登生國玉比古神社
 

 いずれにせよ、こうしてみると非常に地域性の強い神格と言える国魂神が、何等かの事情で他国でも祀られる場合に、その神社名に本国の国名が付く傾向が見て取れるとおもう。

 国魂神というのはその神が鎮座する国の地霊であり、ほんらい、国土から切り離されると機能しなくなる神である。その場合、それが他国に勧請されて祀られるのは極めて異例なことと言える。さっきも言ったが、古代人たちはこうした事態に含まれる逆説に敏感だったのではないか。だから、他国に鎮座している国魂神にはあえて(本国で祀られていたらつける必要がなかった)本国の国名をつけたり、そのいっぽうで、本国に鎮座している本社のほうにはあえて「坐」を入れたり等々、表記に意を用いたのである。

 国魂神を祀る式内社の例はやや極端かもしれないが、こうしたことは「鎮座地の国名ではないそれがつけられた式内社」ぜんたいにある程度、当てはまるのではないか。つまり、「鎮座地の国名ではないそれのつけられた式内社」というのは、どこかある国で祀られている非常に地域性の強い土着神が、何かの事情で他国に勧請されてそこで祀られた場合に、特に本国の国名が付いたようにおもわれる。




 

 ところでその「鎮座地の国名ではないそれのつけられた式内社」につく本国の国名も、どこの国でもよいという訳ではなかったらしい。

 「鎮座地の国名ではないそれのつけられた式内社」の例としては、まず「出雲」のついたものが多い。以下のような例がある(後ろの【】内は鎮座地の国名)。

     出雲井於神社【山城】
     出雲高野神社【山城】
     出雲建雄神社【大和】
     伊豆毛神社【信濃】
     出雲伊波比神社【武蔵】
     出雲乃伊波比神社【武蔵】
     出雲神社【丹波】
     出雲神社【周防】
     出雲崗神社【伊予】
     出雲伊波比【武蔵】


出雲建雄神社(奈良県)
 

 それから「伊勢」のついたものがある。

     伊勢田神社【山城】
     伊勢命神社【隠岐】
     伊勢神社【備前】
     伊勢久留眞神社【淡路】
     伊勢天照御祖神社【筑後】


伊勢天照御祖神社(福岡県)
 

 「大和(倭)」もやはり多い。

     倭神社【近江】
     倭佐美命神社【因幡】
     大倭物代主神社【播磨】
     大和大国魂神社【淡路】
     倭大国玉神大国敷神社【阿波】)


大倭物代主神社(兵庫県)
 

 他に淡路(淡路神社【和泉】、阿波遲神社【播磨】)、阿波(阿波神社【伊賀】、阿波神社【伊豆】)、安房(安房神社【下野】)、河内(河内国魂神社【摂津】)の例や、それ以外の私が見落としているものがあるかもしれないが、「鎮座地の国名ではないそれのつけられた式内社」の国名は出雲・伊勢・大和が代表的なものだろう。
 大和は古代に政治の中心があった場所なので別格として、出雲と伊勢と言ったら出雲大社と伊勢神宮という、それぞれ国津神と天津神を代表する存在を祀ったもっとも著名なる神社の鎮座している国である。国内に鎮座する式内社の数で言っても全国的にみて伊勢の232社がもっとも多く、その次が大和の216社で、続いて出雲の187社がくる。こうしてみると、「鎮座地の国名ではないそれのつけられた式内社」の国名はどこの国でも良かったのではなく、出雲と伊勢のような、特に宗教的な権威があるようなそれが選ばれる傾向があったと感じられる。阿波や安房なども忌部がらみでやはり特別な宗教的オーラがあったのではないか。


下野の安房神社(栃木県)
 

 以上、長々と理屈っぽい話を続けたが、要するに私が主張したいのは、「鎮座地の国名ではないそれのつけられた式内社」には、(国魂神の場合に顕著なように)地域性の強い土着神が他国に遷されて祀られている傾向があった、ということと、そのような神社につく国名はどこの国でも良かったのではなく、特に宗教的な権威があるようなそれの選ばれる傾向があった、ということである。