映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(比叡山紀行)(1)「共通語それは…A山…」

2006-07-11 00:15:09 | 旅 おでかけ
 比叡山は我が十代の頃の想い出がいっぱいの山です。
 あの頃は今のようにドライブウェイもなかったし、人影も少なくて緑と涼風がそよぐ山上は、下界に比べれば格段に爽やかでした。
 頂上へ登るのは琵琶湖側からは、山麓の坂本から登るケーブルだけ…それを降りたら、山道をてくてくと歩いて頂上へ… 
 京都側からは八瀬からケーブルとロープウェイで頂上へ…勿論、漱石の「虞美人草」の甲野君みたいに山麓から笹原の山道を、ふうふう云いながら歩いて登ったことも… 
 山頂へ辿りついてからの眺望は、疲れが吹っ飛ぶ程でしたが…クルマで一気に登って仕舞う今時とは大違いでした。

 私がお付き合いしていた音楽や映画マニアのクラブは、共通語「Å山」こと比叡山へしばしば登りました。目標は山頂にあるA山名物の「オバケ屋敷」です。
 この日ばかりは私達もまるで中世のナイト…騎士気分で、次から次へと現れる「オバケ」達から、必死になって女の子を守りましたね…(ほんまかいな?)
 女性達も心得たもので…日頃はお淑やかな女性方も、わざとオーバーに恐がってみせたり、悲鳴もけたたましく男性たちにしがみついてみたり…この時ばかりは…それはそれは、最高にモテモテで幸せいっぱいの日でしたよ。
 夏の比叡山の「オバケ屋敷」…そして近江舞子への「スイミング・ツアー」…夏こそは我が青春時代の最良の日々でした。

 あれから数十年の歳月が流れて…あの頃はお寺さんだらけの京都で、そばを通っていても「抹香臭い」とか「年寄りみたい…」などと文句をつけて、敬遠していた不良少年?の私にも、今や心境の変化でお寺さんや神社のお参りに、いそしむ日々が訪れて来ました。
 と、いうのも…地元のお寺や神社、或いは住職や神主さんなどと接する機会も多くなり、自然とそんな方向に傾くようになったからです。
 特別になにかをインストールされて、そんな殊勝な気持ちになった訳ではありませんが、成り行きでなんとなくヨソのお寺さんにも関心が向くようになりました。

 その反面…若い頃の「オバケ屋敷」や、娘を連れて行った頃の山上遊園地…今はどーなってるのかな?…お寺参りといいながら、内心はこんな気持ちもあったのかも…
 今の「比叡山」にアノ頃の「比Å山」の名残りを探してみよう…なんて、不届きな気持半分で私は夏のドライブウェイを登って行きました。

 
 

 

(比叡山紀行)(2)「横川(よかわ)エリア」

2006-07-11 00:14:43 | 旅 おでかけ
 と、云う訳で今年の冬に一度お参りしようと思って、積雪のために途中で断念した比叡山中のお寺の一つ「青龍寺」へ、再度お参りすることにしました。
 ここは私が以前から続けている法然上人の「遺跡めぐり」で、上人が叡山で修行されていた頃のお堂で、ハイキング旁々…と思い立ったものです。
 そこで「奥比叡ドライブウェイ」へ入ったのですが、入り口がよく判らずこのまま走っていると琵琶湖の方へ降りて仕舞うがなぁーなどと、と思っているうちに「横川(よかわ)」駐車場へ着きました。

 延暦寺は比叡山全体を寺域として、大きく分けて釈迦堂を中心にした「西塔」(さいとう)と、根本中堂付近の「東塔」{とうとう)そして横川中堂などのある「横川」の3エリアに分かれます。私が目指す「青龍寺」は「西塔」エリアですので、どうも大分通り越しているようです。
 この「横川」エリアは観光客で賑わう「西塔」「東塔」エリアに比べると、かなり観光客も少なくなり静かなたたずまいですが、親鸞 日蓮 道元などの名僧が修業した幽玄の地です。
 大いに心が動きましたが「青龍寺へは山道を歩かねばならず、時間の都合でまた元の道を戻ることになりました。



 
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〔比叡山紀行)(3)「青龍寺へ…でも挫折」

2006-07-11 00:14:11 | 旅 おでかけ
 延暦寺方向へ戻って途中ののレストラン付近に、青龍寺へ行く道の入り口があるとかで、そこからお寺へ電話してみたのですが、どうも住職は京都の本山の方へ行かれたのか、お留守のようでした。
 本来はこのお寺は京都側の八瀬から登ってくる「黒谷道」と云う、山道の途中にあり一度は通ってみたかったのですが、いずれ夕方までに総本山知恩院の方へお参りするとして、青龍寺へのお参りは断念することになりました。
 このお寺は法然上人が比叡山で修行されていた旧跡で,京都へ下りられてから開かれた庵が現在の「金戒光明寺」で、昨秋にもお参りしたお寺です。
 「青龍寺」があった「黒谷」の地名はこの金戒光明寺が受け継いでいます。
 と、云う訳で厚かましくも私が予定していた、「千日」ならぬ「比叡山半日回峰」は最初から挫折することになりました。

 写真は撮れませんでしたので案内書掲載のお寺のスケッチです。