映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(季節の便り)「ジャガイモ戦争敗北!」①

2006-07-04 00:28:40 | 季節の便り
 オキラクにもバーチャル旅行や日帰りドライブに、飛び回っていた時…おサル軍団が我が菜園のバリケードを破って侵入して、ジャガイモを三十本程引っこ抜いて逃走しました。植え付け本数は僅か100本分ですから大損害です。
 サル軍団のボスの写真を入手して、全国指名手配すべくデジカメを待機させて見張りましたが、一向に姿を見せません。こちらがくたびれて監視の手を緩めて外出したり、会社へ行ったりすると、そのときは現れて暴れまくります。
 これでは人間がサルに監視されているみたいで、どうも以前に観た「サルの惑星」の映画のようにになって来たみたいです。つまり人間がサルの為に働いてサルの餌を提供する…と云う図式です。
 そんな馬鹿な…と思っていたことが、現実になりつつあるのですよ。

 この写真は襲撃を受ける以前の、我が菜園の写真です。

〔季節の便り)「ジャガイモ戦争敗北!」②

2006-07-04 00:28:11 | 季節の便り
 この写真はおサルさんたちが暴れた後の菜園です。
 留守役の家内は家にいても怖がって家から出て来ないので、おサル軍団は恐い者なしで至近距離で暴れ放題ですが、どうしょうもありません。
 実はおサルは自分と対する人間との力関係を、判別する能力を持っているらしいのです。女性や子供などいわゆる「社会的弱者」には、時には立ち向かって来るという体験をした人もいます。近年はサルのIQも人間に比べて急速に進化しつつあります。
 
 サルにはいくら「狩人」のCDを聞かせても、シカと違って全然通用しません。と云うのはサルは銃砲の免許持ちの人間が銃を撃っても、「空砲」でタダの「脅し」と云うことを知っています。イノシシやシカには容赦なくぶっ放す鉄砲持ちのヒトも、サルにだけは発砲せず音で脅すだけです。

 私たちがサル軍団に使える「武器」は「ロケット花火」ですが、これも風向きによっては自分の方へ落ちるかも判らず、扱い方ではヤケトするかも知れません。
対イノシシ戦では効果がある「低圧電気作戦」も、サルの場合は設備が大型化して、コスト高になってアホしくてやっていられません。
 
 昔は植えてもサル族に狙われたら絶対助からない作物は「スイート・コーン」程度でしたが、今はサルも人間の食べるものなら何でも好むようになりました。
 サルの食生活も時代の流れと共に変化して、今や人間とサルの生活圏も好みの食べ物も、境界線がなくなりつつあるのが現状なのです。
 


(季節の便り)「ジャガイモ戦争敗北!」③

2006-07-04 00:27:33 | 季節の便り
 6月に入って3波にわたって来襲し、残っていたのを残さず引き抜きました。
 今年は春になっても気温がなかなか上がらず、発芽も遅れていたところへ天候も晴れの日が少なく日照時間の不足でかなり生育が遅れていました。
 それでおサルたちもきっと期待はずれだったと思います。
 こうして我が家ではジャガイモは今年は収穫ゼロになったので、近くのスーパーに全面依存することになりました。

 サル対ヒトの関係は開拓時代の、大陸先住民対白人の関係に似てます。サルとヒトとどちらに大義があるのか…とも思うし、ヒト族がサル族に挑戦しされて、ぼこぼこにやっけられても仕方ないのかも…とも思います。

 農村地帯の「農協」みたいに私の住む山深い(?)地域には、山林所有者の組織として「森林組合」と云う団体があります。若い頃に私はこの組織の中で、上司の指示で「ある仕事」を実行していました。
 それは国の政策として当時は不足していた住宅建設材料確保のために、ナラ、クヌギ クリなどの広葉樹林から、スギ ヒノキなど針葉樹林への転換する大事業でした。
 膨大な国庫補助金を投入して行われた大事業でしが、私の仕事は関連した事務やガリ版切り 補助金の申請や配布 それにトラックで苗木を運んだり、山林の測量に行ったり…今のOLみたいな仕事からからヤマの現場まで…我が国の未来の為に使命感に溢れてそれはそれは頑張りましたよ。

 でも、今それがどーなんかと云いますと、補助金付きで植えまくった広大な針葉樹の山林は、手入れ不足で荒れ放題で環境破壊と災害の元になり、スギの木は花粉症の元凶にされ、野生動物は住処を追われて人類に対して、報復攻撃を加えるようになりました。
 我が人生の一部分…それは…十代から二十代の間の十数年ぐらいかな…と思いますが、一体なにをして来たのかな?と疑問に思うことがあります。

 古人たちは広葉樹を伐採して木炭に焼いたり薪にしても、再び芽を出して15-20年で又利用できる…と云う合理的なシステムで生きて来ました。
 野生動物はクリやクヌギ(ドングリ)などの実を食べて生き、人里へ現れることもなく長年間にわたり人類と共生して来ました。
 しかし近代人はこの自然に近い、生体系をぶち壊して仕舞いました。
 針葉樹林はマツ以外は自力で再生することはありませんし、野生動物の餌を補給することもありません。動物たちは木の実などがないので当然人間の餌に手を出すことになります。
 我々の場合はサルに食われてもスーパーへ行けば済む訳ですが、サルたちは今年のように不作の年は大変なんですね。彼らも生きるために必死なんですよ。
と云う訳で果てしないこの野生動物との戦い…私たちにあまり勝ち目はないようです。
 我が人生に悔いあり…とすれば…私には当時の国の政策だった…とは云え、過去において環境や生体系の破壊に手を貸した…と云う「負の遺産」があります。
 そんな訳でこれからでも野生動物たちと、共生する道を模索しなくては…と考えたりする今日この頃です。