映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(19) ジャニー・ギター (映画「大砂塵」)

2005-07-29 00:09:40 | 映画音楽
 ルーレットの廻る音を聞いていないと落ち着かないという、賭博場の女主人のところへ拳銃の代わりにギターを抱えた男がやって来た。元は拳銃の名手の彼がなぜ丸腰で…それから…実は私はこの辺からすっかり寝込んでしまった。友人に起こされて気がついた頃には映画は終わりに近く、やがてラストシーンに…主題歌の「ジャニー・ギター」が流れてきた。
 主演のジョン・クロフオードは昔にグレタ・ガルボと「グランド・ホテル」に出た大スターで、目元に特徴がある女優だったが中途半端で映画館を出るのもそう惜しいとは思わなかった。というのは私のお目当ては主題歌だけだったからだ。
 この「ジャニー・ギター」は歌詞を歌手のペギー・リー自身が作り、自ら歌って哀愁を帯びた歌声と綺麗なメロデイは大ヒットした。私の手元にこの歌のCDなどはないので、もう一度聴くことは出来ないがフランス語の歌詞と、ギター・コードのついた譜面が残っている。この西部劇の主題歌がはるか海を渡りシャンソンの「ジョニー・ギター」に変身して歌われたようだ。
 この曲は「シエーン」「エデンの東」など映画音楽の第一人者ヴィクター・ヤングの作曲で、彼の美しい旋律はフランスの人々に、なんの抵抗もなく受け入れられたものと思われる。
 シャンソンがアメリカでジャズやポピュラーに化けた例は、ドリス・デイの「ドミノ」ルイ・アームストロングの十八番「ばら色の人生」誰の歌か忘れたが「愛の讃歌」などがあるが、この逆のケースは珍しいようだ。
 私の手元のペギー・リーのCDは「ゴールデン・イヤリング」という曲があるだけだが、
しっとりした良い曲なのでPCに覚えさせてある…がPCが音楽だらけになってパンク寸前のようだ。
 ペギー・リーは単なる歌手に終わらずその後は女優業にも挑戦して、映画「皆殺しのトランペット」で1955年度アカデミー助演女優賞にノミネートされた。私は全く気が付かなかったが、2002年に他界したそうだ。映画については全部見ていないのでなんとも言えないが、主題歌はいつまでも心に残る名曲だと思う。  

(18) 帰らざる河/バイバイベビー(同名の映画/紳士は…)

2005-07-26 06:41:52 | 映画音楽
 同じ西部劇でも「シェーン」「真昼の決闘」などと、また異質のとにかく面倒な理屈ぬきで観る娯楽作品だった。見所は何といってもマリリン・モンローの強烈な個性と、当時ではまだ珍しかった縦横比率が1:2.5のワイド・スクリーンの特長を生かした点だろう。
 標高数千メートルの急峻な山々が連なるロッキー山脈の麓を流れる激流を、インデイアンに追われながら必死で下る場面では、ほんとに水しぶきが飛んでくるような迫力を感じた。ちょうど真夏の季節でもあり涼味100%の効果があった。
 私がM・モンローを初めて観たのは1958年の、「紳士は金髪がお好き」の予告編だった。これはジェーン・ラッセルとの共演だったが、この二人は優劣つけ難いグラマーで、映画よりも主題歌の「バイバイ・ベビー」の方が少しだけ流行ったようだ。
 モンローが「帰らざる河」の中で歌った同名の主題歌は映画以上に大ヒットした。決して美声ではなかったがあのけだるいような、ハスキーな歌声は瞬く間に日本列島に拡散した。以前にも触れたように当時のヒットナンバーというのは、アメリカ本国→アメリカ駐留軍→日本人という順序で伝わるケースが大半だった。遠く故国を離れている駐留軍兵士たちにはモンローは抜群の人気があった。
 彼女は楽しい話題をしばしば提供してくれたが、中でも最大の傑作は来日時の記者会見で語った「シャネルの5番」発言だろう。生活するのがせい一杯の当時の我が国の多くの人に、この有名海外ブランドの名を知らしめた効果は絶大だったと思う。
 私の手元にある「マリリン・モンロー・ヒットアルバム」には「帰らざる河」「バイバイベビー」の外に「恋よりダイア」「キッス」が収録されている。
 モンローの日本初お目見えはA・ヒッチコックのサスペンス「ナイアガラ」だが、この主題歌が「キッス」だ。お笑い役者兼歌手のディーン・マーティンが歌ってヒットしたが、モンローの歌も気分が出ていて良いと思う。ジャケットは「七年目の浮気」のあの有名なシーンである。全23曲、演奏時間は1時間以上 とても付き合い切れないので、このうち4曲だけPCに覚えさせた。
 彼女のイメージは決して健康的とはいえないし評価はさまざまだが、洋画の黄金時代といわれる1950年代を語るとき、避けては通れないスターの一人ではないかと思う。
                               たそがれ

 

 (17) 旅情のボレロ/ヴェニスの夏の日(映画「旅情」) 

2005-07-23 00:59:14 | 映画音楽
 日本列島もようやく梅雨が明けて、連日カンカン照りが続いている。梅雨時期には白い花を咲かせていたくちなしの花も、すっかり色が褪せて散ってしまったようだ。くちなしの花と言えばまず思い出すのは同名の歌謡曲だが、私の脳裏に印象に残っているのはくちなしの花を手に、懸命に列車を追い駆けるあの映画のラストシーンである。
 水の都 ヴェニス(ヴェネツィア)を舞台に、行きずりの中年アメリカ人女性とイタリー人男性との恋物語「旅情」…ヴェニス名物のゴンドラが往来する運河や、サン・マルコ広場の情景がふと目に浮かんだ。
 ある日突然、彼女に微笑んだ恋の女神…きらめくようなつかの間の恋…そして別れ…
 大体プレイ・ボーイタイプのスター…主演のロッサノ・ブラッツイもその一人だが…何か油断できないしたたかなタイプのようで、あまり好きでなかったがどういう訳か、いつの間にか彼を応援している自分を発見して苦笑した。
 主演女優のキャサリン・ヘップバーンは一昨年あたりに他界したが、アカデミー賞にノミネートされること12回 そして受賞4回の大女優だ。彼女を始めて観たのはハンフリー・ボガートと共演した「アフリカの女王」だ。第一次大戦中、ドイツ領アフリカが舞台の冒険物で、泥んこになって熱演したが、少しロマン味に欠けているような気がした。しかし「旅情」での彼女は急に降って湧いたような恋に迷いながらもぶつかって行く新鮮さに、久しぶりに彼女を見直すことになった。
 あの頃私達がラジオなどで聴いていたこの映画の主題歌は、「コール・ケリーノ」というオーケストラが演奏していた「旅情のボレロ」という曲だった。しかしこれが正体不明の楽団で「なにかマカロニ臭い名前やからイタリーの楽団とちがうか?」とか、「イヤ実は日本のコロンビア・オーケストラや」とか諸説あって、結局真相は判らないままになった。
 ここまで一気に書いて急に不安になってきた。果たして「コール・ケリーノ」という楽団があったのかどうかである。早速パソコンで検索した。結果は…
 全部で3件しかなく、① 某電器メーカーのコードレス・チャイムのこと…違う!
 ② 1955年8月洋楽ヒット第4位「旅情のボレロ」(コール・ケリーノ楽団)日本コロンビア
 ③  同年12月 第5位 同じ という訳で実在はしたが実体は謎のままだ。
 また別にロッサノ・ブラッツイが歌った英語盤があったようだ。私のCDアルバムには「慕情」(7/5参照)
「南太平洋」(6/26参照)の映画主題曲と共に、マントヴァーニ^・オーケストラの演奏で「Summer time in Venice]が収録されている。
 1955年の公開だがまだ戦後十年、観光目的の海外渡航がまだ不自由だった時代に、満たされぬ異国への思いや憧れを誘ったことがヒットの要因だったと思う。
                                  たそがれ


 パリのお嬢さん(映画「水色の夜会服」)(No16)

2005-07-20 00:14:58 | 映画音楽
 今日は映画は目立たなかったのに、主題歌が大ヒットしたフランス映画とその主題歌についてです。
 この映画のタイトルにある「夜会服」という言葉自体,今でも使われているのか?フアッションには全く無知の私ですら、疑問に感じるような古めかしい言葉です。曲のタイトル「パリのお嬢さん」は、広い意味では文字通り「パリ娘」ですが、この頃はパリの「お針子」…これも何か遠い昔に帰ったような言葉ですが…を意味していたようです。
  パリの婦人服店に勤める彼女は下町の貧しい家庭の娘、可愛いい小さな手で毎日服を縫っています。
  今日もどこかのご婦人が着る豪華なドレスを縫いながら、注文されたお客様はきっと素敵な女性だろう な…などと思いを馳せたり、ある時は大好きな歌などを口ずさみながら、恋の夢を見ては ふと涙…の  純真可憐なパリ娘でした…。
 遠い記憶ですが多分こんな感じでストりーは展開していったと思います。内容は当時の私には全く興味のないフアッションの世界を扱ったものでしたが、それではなぜこの映画を観たのか?と言うと友達に誘われたせいもありますが、大きな理由は当時の大歌手ジャクリーヌ・フランソワが出演していたからでした。
 この映画は1955年の公開で最近は映画関係の出版物にも、データが殆ど掲載されていない程目立たない映画でした。話題になったのはフランス映画で初のワイド・スクリーンだったということぐらいでしょうか。
 しかし主題歌の「パリのお嬢さん」(Mademoiselle de Pris マドモアゼル・ド・パリ)…は以前に彼女が歌った「私の心はヴァイオリン」に劣らない大ヒットとなり,今でもよく耳にする名曲になりました。
 ネットで掘り出し物を探していたらJ・フランソワが歌うLPが特価で販売されていました。
「パリのお嬢さん」「私の心はヴァイオリン」は勿論、外に「愛の讃歌」「ラ・セーヌ」「パリ祭」「枯葉」等シャンソンの代表曲が全部で12曲 多少キズあり、歌詞と解説書なし…だから安いのだそうです。
 確かに安いけれども肝心のレコード・プレーヤーがないし、CDがあるので止しました
 さて、フランス革命記念日を中心に我が国では、日本独自の行事「2005年度 第43回パリ祭」が、全国各地で行なわれました。
 公式ホームページの発表では東京でも石井好子 高英男 芦野宏 深緑夏代 それに作家兼歌手の戸川昌子等懐かしいメンバーの出演で、盛会のうちに終了したそうで私も一安心致しました。
                                    たそがれ
 




 

モンマルトルの丘(映画「フレンチ・カンカン」)

2005-07-17 00:31:43 | 映画音楽
 今、我が国では「愛・地球博」が開かれてれています。
 今から百数十年前の1889年にパリで万国博覧会が開かれました。それに時を合わせて華やかに開店したのが、赤い風車で有名な「ムーラン・ルージュ」でした.映画はこのキャバレーの開店をめぐって創始者(ジャン・ギャバン)と踊り子(フランソワーズ・アルヌール)が織りなす物語です。
 このキャバレーについては本ブログ(6/21 参照)でも触れたことがありますが、この映画の見所は何といっても華やかに繰りひろげられる踊り「フレンチ・カンカン」です。オッペンパックの{天国と地獄」などスピード感のある音楽が効果を上げています。
 以前に観た「アンリエットの巴里祭」で可愛いいパリ娘を演じた ダニー・ロバンの大フアンになったはずでしたが、この映画を観て今度はフランソワーズ・アルヌールに惹かれるようになりました。といいながらその後彼女がジャン・ギャバンと再度共演した「ヘッドライト」を見損なっているのだから、フアン失格かも判りませんね。
 だからどうした…と言われると困るほど古い映画なので、彼女の印象については某誌で見た彼女評
  「愛らしい表情の中に、どこか翳りをたたえた女 冷たい雨の中を寂しげに歩く女… 」
と言う言葉が彼女のすべてを表現していると思います。
 この映画が注目されたのは当時現役シャンソン歌手が、多数出演していたことです。エディット・ピアフ
アンドレ・クラヴォー等の歌手が、十九世紀当時の人気歌手に扮して歌いました。
 この中で歌われた「モンマルトルの丘」が、ワルツ調のとても親しみやすいメロデイで私はたちまち気に入りました。この歌は映画では歌手に扮した女優が歌っていたのですが、実際に歌ったのはコラ・ヴオケールと言う新人歌手で吹き替えといわれました。
 彼女の歌うこの曲のCDを手に入れたのは、あれから数十年もたった昨年のことでした。早速 PCに覚えさせて繰り返し聞いているうちに、シャンソンには珍しく(?)凄い巻き舌なのに気がつきました。
それもやや早口のそれでいて耳ざわりの良い歌い方で、なにか新しい発見をしたような楽しい気分になりました。この歌手がその後どうなったのか、全く判っていないのが私にとって新しい気がかりになっています。
 さて、ロンドンのテロ騒ぎなどの影響で心配していた、七月十四日の「フランス革命記念日」の諸行事は無事終了したようで、エッフェル塔を背景に華やかな花火の様子がテレビで報じられました。
 翌日はシャンゼリゼ大通りを大統領のオープンカーを先頭に、軍や警察、消防などのパレードが行なわれたそうですが、この日パリはカンカン照りで暑さを我慢して観ていた市民たちは、終ってから涼を求めて木陰に駆け込む姿が見られたようです。(たそがれ)
 

巴里祭/巴里の歩道で(映画「巴里祭/アンリエットの巴里祭)

2005-07-14 00:07:26 | 映画音楽
 私が生まれる前のことだがフランスから原題が「七月十四日」(Quatorze Juillet)と言う映画が輸入された。「七月十四日」フランスの人々が王制打倒のために立ち上がった記念すべき日「革命記念日}として、フランス国民にとっては最も大切な日だ。
 それをあえて「巴里祭」という邦題名をつけたことで、題名が柔らかな感触になり映画も大ヒットになったと言われる。この映画の主役のアナベラという女優も主題曲も綺麗なのだが、何分古い映画なのでコメントのしようがないので資料の紹介に止めておこう。
 私が観たのは「アンリエットの巴里祭」という1952年のフランス映画である。何分、古いことなので詳しいストリーなどは忘れたが、華やかな花火に彩られた巴里祭の夜、ダニー・ロバン扮する巴里娘とミシエル・オークrレ-ルと言う二枚目スターが繰りひろげるコメデイだったと思う。
 ここで私はこの映画の主役ダニー・ロバンという、とても愛くるしい感じの女優に心惹かれるようになった。彼女はこの作品で一躍有名になりその後は「パリの気まぐれ娘」あるいはカーク・ダグラスとアメリカ映画{想い出」や A・ヒッチコックのサスペンスに出たり、国際女優としても活躍するようになる。
 ところでこの映画の主題歌として、「パリの歩道で」という歌を聞いたことがある。
誰が歌っていたのかは判らないが、とても可愛い声で印象に残ったのだが、不思議なことにその歌をあれか
らあまり聞いたことがない。
 あれだけヒットした映画の主題歌なら、耳に入らない方がおかしいのだが聞いたことがない。それではあの歌声は一体なんだったのか、全くの空耳であったのか、今となってはまぼろしに消えた謎のシネマ・ミユージックと言えよう。
 パリ祭…フランス革命記念日には…
   あちこちで華やかな花火が打ち上げられ、シャンゼリゼの大通りには三色旗が飾られ…、
   恒例の軍事パレードには過去の栄光と、ロマンを象徴するように外人部隊の列も…
   紺碧の大空にはミラージュ戦闘機が轟音を響かせて…
   街角にはパリの庶民の哀歓を綴ったシャンソンの歌声が流れ…
   広場では大勢のパリ野郎 パリジェンヌ、マダムたちが踊りの輪を繰りひろげ…
 私の空想ではこんな風景が繰りひろげられるはずなのだが…
 最近ロンドンで起きた不幸な出来事…無差別同時テロの発生で各先進国でも、警戒が厳しくなり果たしてどうなのかな?と気がかりの咋今である。
                               たそがれ

 
 

ラ・クンパルシータ(映画「歴史は夜作られる」)

2005-07-11 00:09:19 | 映画音楽
 「あのタンゴのリズムにのって、空が白むまでステップを踏むシーンの美しさに観客は思わずため息をついた…}曲の名は勿論、不朽の名曲「ラ・クンパルシータ」…これは1937年に帝国劇場で、映画「歴史は夜作られる」が公開された時の情景です。
 勿論、その時私が劇場に居合わせる訳はないし、今でもこの映画を観る機会はないし参考資料を引用しましたが,何故か私はここ数十年間この映画にこだわって来ました。
 この作品は有名な豪華客船タイタニック号の遭難にヒントを得て作られたそうですが、「シェーン」のジーン・アーサーがハリウッドでトップ・スターとして輝いていた頃の作品であったことと、このタンゴの名曲が物語の雰囲気を盛り上げるのに、重要な役割を果したからです。
 七月九日は何の日でしょうか?そうですよ、アルゼンチンの独立記念日なんですよ。1816年のこの日
スペインの植民地から独立した記念すべき日なのです。
 ある日のことです。ラジオを聴いていたらタンゴの特集番組がありました。その中で早川真平とオルケスタ・ティピカ・トウキョウの「ラ・クンパルシータ」と、藤沢嵐子の「さらば、草原よ}が流れてきて私は思わず涙がこぼれそうになりました。
 久しぶりに聞くランコ・フジサワのアルゼンチン・タンゴ「Adios Panpa Mia]でした。
 たそがれ迫る果てしない草原に 響くのは馬のひづめの音 心残し去り行く人々の群れ…
などと見たこともない風景を心に描いて、しばし空想の世界に遊ぶ私でした。
 ネットで検索したら「若き日の歌姫 プリンセーサの魅力」として藤沢嵐子のCDが出ていました。「ママ恋人がほしいの」「カミニート」「エル・チョクロ}等々懐かしい曲が一杯…心に沁みるようなバンドネオンの響きも懐かしく…これ私にとって値打ちものかも判りません。
 アメリカの独立記念日を尋ねられても答えられない私ですが、七月九日だけは永久に忘れない…それはこの日が二十歳の昔に帰ることが出来る大切な日だからなのです。
                                   たそがれ

河は呼んでいる(同名のフランス映画)

2005-07-08 06:33:43 | 映画音楽
 この歌を耳にしたのは二十代はじめ頃だったでしょうか。ヒットしたので歌詞を覚えている方もいられると思います。
      デュランス河の清き流れに
      小鹿のような その足で
      駆けろよ駆けろよ 可愛いいオルタンスよ
      小鳥のように いつも自由に 
                   (NHK みんなの歌 作曲 G・ベアール 作詞 水野汀子)
 この歌がNHKの放送からヒットしたことや、中原美沙緒が歌っていたことは知ってましたが、同名のフランス映画の主題歌であったことはつい最近まで知りませんでした。 
 私が20歳前後の頃の我が国のシャンソン界は「女王」淡谷のり子「宝塚出身」越路吹雪「大臣令嬢」石井好子「パリ仕込み」高英男などの大先輩歌手がひしめく中で、新進若手歌手として芦野宏などと共に頑張っていたのが中原美沙緒でした。
 私は彼女の歌では「花祭り」が一番のお気に入りで、シャンソンには珍しい明るく軽快なリズムが大好きでした。この歌は元は南米の民謡でそれに南フランスの農村の、行事風景を描いた歌詞をつけたもので彼女のヒット曲となりました。
 「河が呼んでいる」が映画主題歌であることを知ったのは、ある通販カタログからでした。演奏がレオン・ポップス(外に「いそしぎ」「シャルウイー・ダンス」など)で掲載されていました。この映画は1958年の製作でフランスの田舎でダム工事をめぐって、大人たちの争いに巻き込まれながら、強く成長して行く少女を描いた映画だったそうですが、日本で公開されたという記憶はありませんでした。
 しかしこの主題歌はヒットしてある時期にはシングル第一位にランクされたり、中原美沙緒もNHKの紅白の出場も果たしました。また創成期だったテレビでは「シャンソンの花束」という番組でシャンソン・ブームの起爆剤になったり長年にわたり活躍していた彼女でしたが、その後病に倒れ1997年7月8日 65歳で世を去りました。中原淳一と共に日仏文化の交流に貢献した彼女の、若すぎる他界に私は一つの時代の終焉をしみじみと感じるのでした。

恋は美しきもの(映画「慕情」)

2005-07-05 21:44:44 | 映画音楽
 「恋は美しきもの」という主題曲のタイトルは、19世紀のある詩人の作品からの引用といわれますが、この甘い旋律を耳にするとあの香港の風景や映画のシーンが瞼に蘇ってきます。
時は1950年ごろ朝鮮戦争前後、当時はイギリスの統治下にあった香港を舞台に、イギリス人と中国人の混血女性とアメリカ人新聞記者との恋物語でした。香港は西欧と東洋文化の接点として、ヨーロッパの近代美と中国古来の伝統美が一体化した不思議な都会でした。海外へ出かけるなんて全くの空想に過ぎなかった私たちの青春時代「香港なんてまァ一生行くことなんてないだろうなぁ…」などと薄暗い映画館の片隅でため息をついたものでした。
 それから数十年の歳月が流れ我が国の高度成長の波は、あの夢を現実のものとしてくれました。「慕情」の主役ジェニフアー・ジョーンズとウィリャム・ホールデンの二人が、熱い愛を囁きあったヴィクトリア・ピークから眩くきらめく夜景を眺めて、時のうつろいをしみじみと感じました。
 夕暮れせまるレパルス・ベイの浜辺を走りながら、美人ガイドが「慕情」の主題曲を歌ってくれました。
   Love is a menyspiendred thing…
まるで私の心の動きを見通したようなガイドのサービスは、旅のロマンを最高のものにしてくれました。
あのきらびやかな水上レストラン、食欲をそそる海鮮料理、私は香港が大好きになりました。
 香港がイギリスから中国に返還されてから、再訪する機会がありました。初回ほどの感動はなかったけれど変わった経験もしました。
 ヴィクトリア・ピークへ今度はケーブルで登りました。日本のケーブルと違って客席が階段状になっていないので斜面を登りだすと、まるで倒錯の世界に迷い込んだような不思議な気分になりました。
 水上レストランはバブルが弾けたせいか、やや寂しい感じがしましたが、それでも関西弁でしゃべっている団体さんと隣り合わせとなりました。翌日シヨッピングでまた再会したので、中年のご婦人に「どちらから…?」と聞いてみました。私は「〇〇県(府)です」という答えを期待したのですが「日本からです…」私「…」と言う結果になり、帰国後も(一体私は何人…?)なんて考え込む毎日でした。
 プッチーニの歌劇「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」に、よく似た感じの主題曲はマントヴァーニ・オーケストラ・ヒットアルバムとして収録されています。ヴォーカル曲もあったと思いますが、手元にないので
よく判りません。ご存知の方お教えください。
                                       たそがれ

愛のロマンス/禁じられた遊び (映画「血と砂」/「禁じられた遊び」)

2005-07-03 00:09:28 | 映画音楽
 先日CDの掘出し物捜しに行ったら、「永遠の映画音楽名曲集」というアルバムを見つけた。その中に映画「血と砂」より「愛のロマンス」という曲があった。
 この映画は確かスペインの闘牛士を題材にした作品だったような気がするな、などと思いながら聴いてみて驚いた。これ「禁じられた遊び]と違うの?しかも歌詞つきだ!ひょつとしたらスペイン語?私の脳内マイコンは混乱して思考を停止した。
 図書館で調べた結果では『映画「血と砂」は1922年にルドルフ・ヴァレンチノが主演した映画で、彼を一躍スターとして有名にした作品らしい。また宝塚月組が大空祐飛 汐見真帆の主演で公演を行なった…』などの情報があった。今度は「愛のロマンス」で調べてみたら、『スペインに伝わる古曲でフランス映画「禁じられた遊び」の主題曲として使われ、特にギターの定番曲として有名になった…』そうだ。
 第二次大戦のさなか、舞台はフランスの農村地帯、ドイツ軍機の容赦ない機銃掃射、逃げ惑う避難民の群れ…戦火により両親を失った幼な子たちが始めた禁断の遊び…
 戦争の悲惨さ非情さを描いた名作のショッキングなシーンをふと思い出して胸がつまった。
 私が幼時を過ごしたのは戦時中の大阪だったが、大空襲を受ける前にさっさと生まれ故郷へ引越した。
だから本当の戦争の悲惨さは知らない。でもひょつとしたらこの映画の少年や少女のような運命が、私を待ち受けていたかも判らないのだ。
 資料によれば『監督ルネ・クレマンは非常にリアルな目で二人たちを追っているが、後年になって作ったアラン・ドロンの「太陽がいっぱい」でもこのあたりは共通している』そうだ。
 映画でも使われたナルシソ・イエベスのギター曲…と、この「愛のロマンス」(Romance De Amore)の二曲がパソコンに仲良く同居して、時々私を遠い昔へと引き込んでくれるのだ。
                                      たそがれ