映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(映画音楽) (64)「キッス」(映画「ナイアガラ」)

2006-01-31 00:12:34 | 映画音楽
 先日の京都宝塚劇場ラスト・イベントの「帰らざる河」を観る代わりに、いずれはブログで取り上げるはずだった映画「ナイアガラ」をレンタルしました。この映画は云うまでもなくあのマリリン・モンローの日本での初の主演映画ですが、あの有名なモンロー・ウオークを演じたことで知られている作品です。
 しかしこの映画の主題歌「Kiss」があまり知られていないのは‥勿論知っている人も沢山いるのですが、「帰らざる河」ほどは知られていません。
 映画でモンローがホールに現れて「キッス」の曲をリクエストします。モンローがその曲を口ずさんでいるところへ、夫役のジョセフ・コットンが出てきて、レコードを止めて仕舞います。彼にとって余程イヤな想い出の歌だったのでしょうか?このあたり「カサブランカ」みたい‥勿論、雰囲気は大違いでしたが‥
 でも同じ頃に発売されたこの主題歌のレコードを歌っていたのは、劇中で歌っていたモンローではなく、ディーン・マーティンでした。彼はジョー・ルイスと組んで「底抜けコンビ」として有名なお笑い役者でした。私がモンロー自身が歌った「Kiss」をCDで始めて聴いたのはまだ昨年のこと‥彼女のアルバムを買ってからです。この曲を最初から彼女が最初から歌っていたら、もう少し目立っていたのではないかな?と残念にも思います。
 でもモンローが歌えて踊れて演技も出来る‥器用なスターだということが判って来たのは、「紳士は金髪がお好き」「帰らざる河」前後のことですから、当時では仕方なかったのかも‥
 
 モンローの日本公開作品は「ナイアガラ」の一足先の「アスファルト・ジャングル」なんですが、これは普通のサスペンス映画だったし、それも後から判ってきたと云う程度の扱いでした。でも私が見た「紳士は金髪がお好き」の予告編での彼女はとても可愛く見えました。それは大阪スバル座でビング・クロスビーとジョーン・フォンティーンの「皇帝円舞曲」を観た時でした。その私は本命の「皇帝円舞曲」より「紳士は‥」の予告編に出て来たモンローの方が気になりました。
 私が強烈な衝撃をを受けたのはそれから一カ月ほど後のこと、某月刊総合雑誌に掲載された彼女の有名な「Nカレンダー事件」でした。モノクロの写真でしたが、彼女らしきブロンドの女性像に私の心臓は一瞬停止しました。過去の事とは云えなんとまぁ‥と私は絶句しました。それは私が純情多感(?)なりし十八歳の頃のショッキングな出来事でした。

 肝心の映画ですがレンタル現役中のサスペンス映画なので、ネタバレはまずいので多くは云えませんが、とにかくあのナイアガラの雄大な光景をバックに生かし、迫力は十分でした。共演のジーン・ピータースは外の映画で、海賊の愛人役などやってたので、あまりいいイメージはなかったけれども、この映画ではなかなか可愛い感じで見直しました。
 J・コットンは私も好きな役者で「第三の男」や「旅愁」と違って悪役でしたが、ラストで人間味のあるところを見せてくれたのでやっと救われた思いをしました。最後まで悪役に徹し切れなかった‥彼はやっぱりいい男でした。
 私は大スターになってからのマリリン・モンローの映画は、殆ど観ていませんのであまり云えませんが、やはり彼女は私達の青春時代を、華やかに飾ってくれた器用で綺麗なトップ・スターでした。 

(CD雑記帳) タンゴ「碧空」 (アルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラ)

2006-01-30 00:10:54 | 音楽
  <魅惑のムード・ミュージック・CDアルバム>より
 雪が多い今年ですが今日は久しぶりに、紺碧に澄み渡った青空が覗きました。冬の透き通った大気の中で聴くのには、少し古いですがちょうど良い曲があります。それはアルフレッド・ハウゼ・タンゴ・オーケストラが演奏するタンゴ「碧空」です。
 戦時中には英米系の洋楽は敵性音楽として、聴くのは勿論のことレコードを持つことすら、禁止されていた暗黒の時代がありました。戦前からジャズにかぶれていた人達は、当時は同盟国として共に戦っていたドイツやイタリアの音楽に、抑圧された音楽熱のはけ口を求めました。
 南国の情熱を秘めたアルゼンチン・タンゴは、戦前に遥か大西洋を越えてヨーロッパに渡り、やがてドイツ・タンゴまたはコンチネンタル・タンゴとして、洗練されたスタイルとセンスに溢れたミュージックとして生まれ変わりました。
 タンゴ「碧空」は戦前、戦中は勿論のこと、敗戦国として復興の道を歩む戦後の日本やドイツの人々に、絶えず生きる喜びと勇気を与え続けて来た不滅のヨーロッパ・タンゴの一つです。
 
 雲一つない穏やかな大空を思わせるような静かで快い序奏から始まり、それが徐々に高まって行き、やがてそのリズムが最高潮に到達すると‥それがまた急にトーン・ダウンして‥わずかな余韻を残しながら消えて行き‥‥再び訪れる静寂の世界‥ 
 アルフレッド・ハウゼとか、リカルド・サントスなど、ドイツ系のオーケストラはリズミカルな流れの中で、チラリと感じる知性のかけらみたいなもの‥‥そしてまるで少年時代にでも戻ったような、郷愁みたいなもの‥ドイツ・タンゴは今ではすっかりと、私の心のふるさとみたいなものになりました。
 少し苦味走ったマスクで女性方にも人気のあった、アルフレッド・ハウゼ氏の他界は昨年でしたが、それにつけても一入寂しさを感じるこの頃です。
 



緊急情報 「京都宝塚劇場ラスト・ショー」

2006-01-29 07:16:10 | 映画
 私達の青春時代に限りない夢と希望を与えてくれた、京都宝塚劇場と京都スカラ座(京都市河原町六角)が遂に閉館することになり、ラスト・ショーが行われます。
こうして私達世代にとっての想い出が‥‥また一つ消えていくことになりました。
  以下は劇場のビラの文から‥‥  

 70年間の御愛顧、誠にありがとうございました!
 2006年1月29日をもって京都河原町に、長年灯してまいりましたネオン看板を2つ消灯し、閉館することになりました。
 1935年にオープン以来、河原町の顔として70年間にわたりご愛顧いただいてまいりました「京都宝塚会館」と1954年12月から51年にわたり、ご愛顧戴いてまいりました「京極東宝1・2・3」です。
 河原町における有終の美を飾り、これまでご来場いただきました約2500万人の皆様に、感謝を込めて閉館イベントを実施いたします。
  ではラストショーでお逢いしましょう!(原文のまま)
 
 ラスト・ショーの日程 前売り券好評発売中 全作品500円均一 入替制
 1/28(土) 京都宝塚劇場 太陽がいっぱい 十戒 ローマの休日
      京都スカラ座 日本の一番長い日 用心棒 また逢う日まで
      京極東宝   戦場にかける橋 ジョニーは戦場へ行った 海底軍艦
 1/29(日) 京都宝塚劇場 日本沈没 七人の侍 
      京都スカラ座 ベン・ハー 街の灯 
      京極東宝   荒野の七人 慕情 帰らざる河 

 しばらく出来ていなかった京都のお寺さん参りを1月28日に再開しました。
 前回はウオーキングで少し疲れたので、今回は全コースをクルマで出かけることに致しました。
 目標は四個所の予定でそのうち山科の「元慶寺」と、上京区の「清浄華院」のお参りを済ませ、三番目の「誓願寺」へ向かうため、今出川付近から四条方面へ河原町通を南下しました。
 ご存知の方も多いと思いますがこのお寺さんは、京都一の繁華街「新京極」のド真ん中に鎮座しておられることから、場所が良すぎてクルマでは大変行き難いお寺です。
ですから御池あたりの市営駐車場へ車は放り込んで、‥と云うのが常道なんですが、とにかく行ける所まで行くのが私の悪い癖でして‥
京都のメイン・ストリートの河原町通りも結構交通量は多かったのですが、歩行者の列をかき分けながら幸い裏通りから、うまくお寺の裏門に車が入れたので、お参りの後はお寺さんに車を置かせて貰って、近くの新京極界隈をブラつくことに致しました。
 新京極から四条通へ、そして河原町を北へとお決まりのコース‥すると六角辺りで人ざかり‥スワ何事!と思いきや‥上記の大ニュースだ‥
 これが最後と人目もはばからずシャッター切る人も‥こうなると私も‥と云う訳で今日の緊急特報(?)となりました。
 28日は済んで仕舞いましたが29日はまだ間に合います。
 京極東宝であのマリリン・モンローーの悩ましい歌声が響く1954年本邦公開 総天然色 シネマスコープ(勿論、当時の言葉です)「帰らざる河」「River Of No Return]を観に(聴きに)行って下さい。勿論、立見席でもチケットがあれば‥ですが‥
 長距離夜行列車とか廃線や第三セクター化などによるサヨナラ列車なども、映画館のラスト・イベントもなんか哀愁を誘うと云う点で、共通するものがあるように思います。
 一流ロードショウ劇場としての京都宝塚劇場の、総動員観客数2500万人の中の一人として、都合により参加できなかったことと共に、私にとって‥あるいは京都近辺のオールド・フアンにとっても‥大変寂しい記念日になりました。
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(映画音楽)想い出のスクリーン・バック・ミュージック・アルバム(1)

2006-01-28 05:33:02 | 映画音楽
 このアルバムは「映画音楽」として、永遠不滅ともいえる曲の中から厳選された10曲が入っています。これは二十世紀の映画を特集した雑誌を、継続的に購読したときの特典品でした。
 ①「エデンの東」(ヴィクター・ヤング・オーケストラ) 
 どういう訳か私はジェームス・ディーンというスターに、あまり関心を持ちませんでした。そのうち若くして世を去ったので、殆ど知らないままに現在に至っています。彼の映画はこのほかに何があったっけ‥「理由なき反抗「ジャイアンツ」後は‥もっとあったんですか‥この程度の知識です。
 でも「エデンの東」の主題曲はとても綺麗で印象に残りましたが、これもヴィクター・ヤングの作曲でしたね。
 女性歌手が歌っていたヴォーカル盤も出ていたはずですが、歌手の名は少し思い出せません。日本語盤は雪村いずみが歌っていたのを覚えていますが、歌詞は手元の彼女のカセットにも収録されていないのでよく判りません。    
 ②「禁じられた遊び‥ロマンス」(ナルシソ・イエベス)
 この曲のことはこのブログにも再三‥つい先日も触れたばかり‥それほど出番の多い、話題の多い曲なんですね。このギターの哀切な調べは戦中に生きて,命ある私達世代には大変重く聞こえるメロディです。
 あの二人の少年少女を演じた二人は今‥少年役の男の子は1960年代若手スターとして活躍、その後は声優に転向したそうです。少女役の女の子はその後美しく成長して、1967年に「さすらいの青春」と云う作品に出演、再評価されたその後も1980年代まで多くの映画に出演したそうです。
 立派に成人した写真を見て、あのあどけない子供達が‥と胸が熱くなりました。(写真は映画[禁じられた遊び」での幼い時のもの)
 スペースの都合で大人になったあの子達の写真、載せられないのは残念ですね。
                                 (続く)

CD雑記帳)  「雨に唄えば」 (ジュディ・ガーランド)ほか 

2006-01-27 06:02:42 | 映画音楽
 別のCDにはまた「雨に唄えば」が収録されていました。それは定番のジーン・ケリーではなくて、ジュディ・ガーランドが唄っている盤です。最初にジュディがなにか陽気にしゃべっている言葉が入っていて、それから曲が始まるのですが、またこれも変わっていていいのかな?とも思いました。ジーン・ケリーの歌に比べてやや違和感がありますが、元々彼女の持ち歌だったそうです。
 「春のごとく」 これはアメリカ南部の村で行われる「ステート・フエア」という催しを扱った、1945年製作の同名の映画の主題歌で、ジーン・クレインが主演した映画だそうです。主題歌はこの年のアカデミー歌曲賞を得た曲で、黒人女性歌手のサラ・ヴオーンが唄っています。
 「センチメンタル・ジャーニー」私ら世代はすぐドリス・ディとくるのですが,近年は違うようですね。検索してみたら「不滅のアイドル!松本伊代‥」と書かれてありました。「1981年この歌で彗星のごとく登場‥」可哀そうにドリス・デイはどこへ行った‥と探しまくらねばならない時代となりました。それでは寂しいので私がしっかりとドリス・ディちゃんのお守りをしましょうね。
 私の好きなダイナ・ショアの歌がありました。真夏になるとよく耳にする「サマー・タイム」ですね。これはG・ガーシュインの「ポギーとベス」の主題歌ですが、これは1945年の作品なので私もよく知りませんでした。
 「黄色いリボン」映画は観てませんが・歌だけは早くから知っていましたよ。
   あの娘(こ)の黄色いリボン 誰に見せよか髪飾り
   夕陽さす あの丘‥
だっかな?騎兵隊の勇壮な活躍を描いた、西部劇だったと思うのですが‥男性コーラスと云えば、お馴染みのミッチー・ミラー楽団です。
 もう一人私の好きな歌手に「ジャニー・ギター」で有名になった、ペギー・リーがいます。「ゴールデン・イアリング」」ですが、これもしっとりと情緒のある歌なのでよいと思います。同名の映画の主題歌だそうですが私は知らないよ。
 外に先に触れたビング・クロスビーの「イースター・パレード」や、「グレン・ミラー物語」の「真珠の首飾り」「イン・ザ・ムード」「南太平洋」より「バリ・ハイ」などがありますが、いずれもブログで何度も触れている、よく知られた曲ですね。いずれまた昨年分の記事をご覧戴ければ‥と思います。
  

(シネマ雑記帳) (64) 「恋の手ほどき」

2006-01-26 00:03:51 | 映画
 メトロ‥‥MGM映画最後のミュージカルと位置づけられたこの作品は、しばらく年代の新しい作品を見ていた私には先に観た、「イースター・パレード」と共に久しぶりに生き返ったような気分になりました。 
 1900年代初期のパり‥少し「晩生(おくて)」のジジは歌手志望の母親が歌の修業に忙しく娘を育てることを放棄したので、二人の叔母が彼女の教育や躾に当たっています。
 パリでも女性に手が早いので有名な、プレィ・ボーイのガストンが彼女に関心を示します。叔母たちは彼の気に入るようにジジを仕込みます。
 だんだんと大人の世界に踏み入れる彼女‥でもジジには何かが欠けている‥それは女性らしい「思いやり‥優しさ‥つつましさ‥」とガストンは云います。
 こうしてジジは少しづつ成長して行くのですが‥

 でも私の好みから云うとレディらしくなったジジよりも、少女時代を演じていた頃の彼女の方が良かったように思いました。やっぱり映画「リリー」で‥この映画は観れませんでしたが‥主題歌の「ハイ・リリー・ハイロー」を歌っていた頃の、清新なイメージが残っているからでしょうか。
 レスリー・キャロンのお相手のルイ・ジュールダン私は初お目見えですが、なかなかええ二枚目役者でした。
 でもねえー、これアメリカ映画なんだから仕方ないけれども、パリジェンヌなんだからフランス語でしゃべって欲しかったですねえ。花のパリなら「メルシー」とでも云って欲しかったですね。
 それでもライオンが咆哮するお馴染みのトレード・マークが象徴するような、ミュージカル映画の王者として多くの名作を送り出してきた、メトロ‥MGM映画の最終作品に相応しい、華やかで夢がいっぱいの愉しい映画でした。


 
 

(CD雑記帳) 今日もMy music dayです

2006-01-25 06:57:59 | 映画音楽
 昨日にインプットした一枚目のCDはなじみのある曲が多かっのですが、二枚目はどうかな? うーん知らない曲があるよー‥知らない曲ははパスして‥
先ずは「チャタヌガ・チューチュー」(Chattanooga choo choo)タイトルだけなら覚えてますよ‥「グレン・ミラー物語」でしょうが‥との私の予想は見事に外れて仕舞いました。
この曲は「銀嶺セレナーデ」と云うアメリカ映画の主題歌だったと云うのです。そんな映画いつの映画?と云う訳で調べてみました。これは1941年のアメリカ映画で当時のフイギュアスケートの第一人者で、古めかしい言葉ですが「銀盤の女王」と言われたソニア・ヘニーが主演した映画だそうです。
 ノルウエイからアメリカへやってきた女性が、ハンサムのジャズ奏者と恋に陥る‥というストリーだそうで、スポーツの花とも云えるアイス・スケートと、ジャズ音楽が一体化した映画で、これはとても人気があり我が国でも大ヒットと思いきや‥それが割合と目立たず軽く扱われているのですね。
 この映画が封切られたのは戦後の1946年で、この年に我が国で公開された映画はお馴染みの「カサブランカ」それにビング・クロスビーの「Going My Way」 で知られる「我が道を往く」それにオーストリア皇太子と貴族令嬢との悲恋を描いた、フランス映画「うたかたの恋」勿論、私は見てませんが後年に雑誌のポート・レートで見た、主演女優のダニエル・ダリューの美しさには息が止まりましたね。
 こんな名作が目白押しの1946年は敗戦直後で娯楽が少なかった時代でしたが、それでも余程の力作でないとあまり話題にならず、単なる娯楽作品は文字通り「うたかた」のように忘れられたのでしょうか
 でも私の予想‥グレン・ミラーとの関連ですが‥実はこの映画にはグレン・ミラー本人‥勿論、ジェームス・スチュアートではなく正真正銘の本人さんが出ているのですよ。ミラーが他界したのは戦争中で大西洋上で墜落のためですから、時系列的には合って来ます。この映画がもう数年後から公開されていたら、グレン・ミラー・ブームに乗ってヒットしたはずなのに不運な映画でした。
 次は「愚かなり我が心」(My Foolish Heart) この映画は以前にこのブログで紹介したので、重複するかも判りませんが、私の好きな映画音楽の一つです。
私の持っているもう一枚のCDは、ミンディ・カースンが歌っているのがあって、それがとても気分が出ていてお気に入りなんですが、この曲はBilly・Eckstineと云う男性歌手が歌っています。ビリー・エクスティーンとでも読むのかな?これはこれで気分も出ていていい歌でした。
 「ワンダフル・ガイ」(Wonderful guy) この歌は映画「南太平洋」にも出てきた歌なんだって‥私は「魅惑の宵」と「バリ・ハイ」しか知らんぞ‥一体誰が歌ってるンや‥とラベルを見てびっくり!Dinah Shore これって‥わが青春時代の懐かしのアイドル‥ダイナ・ショアではないか!私は貴重品を再発見したような、トクをしたような気分になりました。
外に「ボタントリボン」がボプ・ホープの歌でありますが、先日記事にしたばかりなので省略します。
 「モナ・リサ」(Mona lisa)若い頃に流行ったように思いますが、肝心の映画の「別動隊」と云うのが判らないので、なおさら判らないようです。
 一枚のCDに凄く時間をかけて、こんなペースで行くと全部インプット出来るのはいつの日か‥前途多難のようであります。
 
 
 

(雑記帳) 今日は My music day です

2006-01-24 06:01:08 | 雑記帖
 「今年はやるぞ!」と決めてからも、満足に実行出来たためしがないのが私の「元旦の計」です。今年は新しいパソコンに音楽をインプットする予定でしたが、いざとなるとそれが結構 面倒な仕事で‥でもいずれやらなくては‥とやっと始めました。
 最大手の「フオーク&ニュー・ミュージック・セレクション 私の青春譜」13枚約250曲は昨年中に、なんとか入力してあったので今度は主として今まで集めた、洋楽盤を主体にインプットすることにしました。
 トップは「映画音楽」関連からですが、これもきちんとしたシリーズとか、アルバムでなくばらばらに集めたものです。
 一枚目の「カサブランカ」より「時の過ぎ行くままに」このCDを聞いていると、歌が始まる前に会話が入っているのに気がつきました。サントラ盤なので多分バーグマンがボギーの経営する酒場へ入って来て、以前から顔見知りのピアノ奏者に歌を所望するシーンだったのかな。
 ボギーにとっては彼女とのパリでの愛の日々が甦り、別離そして再会した今は聴くのが辛い歌‥彼はピアノの演奏を止めさせようとしますが‥‥このドウリー・ウイルソンの歌「As time goes by」は、映画の雰囲気を最高に盛り上げましたね。
 次が「愛のロマンス」タイロン・パワーとリタ・ヘイワーズの映画「血と砂」の主題歌‥と云うよりも、「禁じられた遊び」と云うほうがよく判るかな。
 待ってました!「雨に唄えば」でーすよ。なんと云ってもジーン・ケリーが降りしきる雨の中を、蝙蝠傘を片手に踊りまくる場面はクライマックスでした。1950年代のミュージカルの代表選手みたいな素晴らしい映画と音楽でした。
 「ムーン・ライト・セレナード」云うまでもなく「グレン・ミラー物語」ですが、この曲は私が入っていた例のマニアの会の、人気投票では長期にわたり第一位だったことあります。
 ディキー系のホット・ジャズ愛好者から見ると「温和しくて頼りない‥と」言ってましたが、どちらか云えばムード派指向の私は、なんといってもミラー様を聴かないと夜も眠れない時代があったのですよ。
 こんなことを考えたり想い出に耽ったりして、一向に仕事が進まず当面はこれにかかりそうです。          (続く)
   

(映画音楽) (63) 「イースター・パレード」(同名の映画)

2006-01-23 07:19:15 | 映画音楽
 「イースター・パレード」‥この映画の題名だけは、何故か映画キチになる前から知っていました。勿論、内容とかキャストがどうのこうの‥といったことでなく、この題名からなんとなく暖かい春めいた、ほんわかりんとしたムードを、本能的に感じ取っていたのかも判りません。
 さて、この「イースター」とは‥「復活祭」とも称されますが、キリストが数日後に十字架から復活したことを記念して行われる行事です。この日はアメリカの人たちは着飾って町へ出かけて、陽気にパレードなどのイースター恒例の行事を楽しんだそうです。
 ここしばらく年代の新しいミュージカル映画を観ていたのですが、少しリアルな部分が多すぎてどうも馴染めなかったので、もう一度1950年代初頭の映画に舞い戻って観ることにしました。
 それにしても‥この映画の若い頃のフレッド・アステアも、いつやら「パリの恋人)で観たアステアも、どちらが新作やら旧作やら判らない程、多少の年月は感じさせない凄いエネルギーを感じました。
 この映画で最初にジュディ・ガーランドの相手役に予定されていたのは、ジーン・ケリーだった‥そうです。がケリーが急に腰痛を起こし」引退寸前」のアステアが急遽起用されたと言うことでした。それから後で「バンド・ワゴン」など名作を作り上げたのですから、アステアもし引退してたら「パリの恋人」も存在しなかった‥と云うことになりますから大したものです。
 映画としてのストリーはあるのですが、この映画に関してはあまり気にせずに、お気楽に歌と踊りを楽しむことにしました。
 私の手元にあるCDの「イースター・パレード」は、ビング・クロスビーが歌っています。
「ザッツ・エンタティメント」でも云われていましたが、ミュージカルはやはり1950年代に限ります。次回はミュージカル映画の黄金時代、この1950代(MGM)メトロ映画のラスト(おそらく‥?) を飾ったあの映画を観ることにしました。この映画の題名は‥‥
  またの楽しみにしておきましょうか。
 






 


(映画音楽) (62)「はだしのボレロ」(映画「裸足の伯爵夫人」}

2006-01-22 05:57:22 | 映画音楽
 数十年前のある日、郵送されて来たリクエスト・マニアの会の機関誌に掲載された公告です。
  「私儀 一身上の都合により『アンドレ・リポア』と改名致しますので、今後共よろしくお引き立ての程をお願い申し上げます。 旧名 ブロードウエイ小僧」
 
 ニックネームが示すようにミユージカルを中心に映画全般について博識の方で、マニアの会の中で「映画部」を主宰していられました。補足説明として近年の映画輸入の多様化傾向‥例えばヨーロッパ映画‥特にフランス映画が増えて来たので、新しい時代の流れに対応するため‥というのが改名の趣旨でした。
 この「アンドレ・リポア」とは一体何者か?と云うと、当時はこの世界では有名人物でフランス映画「しのび逢い」の主人公でした。とにかく女性方にモテモテ‥のプレイ・ボーイで「禁じられた遊び」のルネ・クレマン監督の、彼には珍しいコメディ風の作品で「チューリップ坊や」ことジェラール・フイリップが出演していました。
 
 ブ小僧改め「A・リポア」さんは「映画評論家」としても機関誌の花形で、彼が執筆した「映画ぺあふっと・こんてっさ」の記事が手元に残っています。この映画はスペインの踊り子の女性が伯爵夫人地位に登りつめて、その悲劇的な死までを描いた作品でした。
 実は私はこの映画の無料招待券を「アンドレ・リポア」さんから貰ってありました。しかし予定の調整がつかず、キャンセルして仕舞いました。
 その後は再び観る機会がないまま現在に至っていますが、実はその頃は伯爵役のハンフリー・ボガートをそれほど高く評価していませんでした。名作「カサブランカ」でさえ何故こんなにボギーの人気が高いのか、最初は不思議に思っていた程ですから‥
 「伯爵夫人になってからも彼女は踊り子時代の気分から、いつまでも抜け出せなかった‥踊り終わってシューズを脱いで、土の上に足を載せたときの感触‥ヒヤリとした冷たい、感触が彼女に心の平安と幸福を感じる時間だった‥」と云うような意味のことを述べていられました。暮らしなど外見的には貴族であっても、精神構造は踊り子のままだった‥ところに悲劇の要因があったと云うことでしょうか。
 伯爵夫人役のエヴァ・ガードナーはもともと大女優でしたが、彼の評論によれば‥「濡れた黒髪 澄んだ瞳 豊かな肢体などは観客にアピールしている」とベタ褒めでしたが、当時は「プロポーション」とか云う便利な言葉も聞かなかったし‥(あっても一般化していなかったかも)‥映画評も難しかったでしょうね。
 と云う訳で私はこの映画は観ていないのですが、主題曲の「はだしのボレロ」は私の手持ちのCDは「SONG OF THE BAREFOOT CONTASSA」というタイトルで、ユーゴー・ウインターハルター楽団の演奏したものがありますが、この曲を聴くと古い昔のほろ苦いものを思い浮かべます。