![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/88/5199d7c09506a6b738af3729a8a078cc.jpg)
戦火で焼失した本堂は江戸時代の寛永年間に再建されたそうですが、それも老朽化して現存の「本堂」は昭和63年(1988年)に落成したものです。
本堂に安置されている阿弥陀如来坐像は、高さ2.4メートルという大きなもので、一本の欅から彫り出されていて重要文化財に指定されています。
胎内に天慶9年(946年)制作の銘が書かれていて、作者は行基と伝えられます。
ここで私が不思議に思うことが出てきました。源平時代以降の戦乱により神社仏閣が戦火で焼失したと云う事実は理解できるのですが、こんな都から遠く離れてこんな僻地のお寺が、何故に戦火に遭ったのか?と云う疑問です。
そもそも「承久の変」というと…鎌倉幕府にないがしろにされた京都朝廷が幕府を追討するつもりが逆に敗れて、後鳥羽上皇などが島流しされた…という事件だったと思います。
本堂に安置されている阿弥陀如来坐像は、高さ2.4メートルという大きなもので、一本の欅から彫り出されていて重要文化財に指定されています。
胎内に天慶9年(946年)制作の銘が書かれていて、作者は行基と伝えられます。
ここで私が不思議に思うことが出てきました。源平時代以降の戦乱により神社仏閣が戦火で焼失したと云う事実は理解できるのですが、こんな都から遠く離れてこんな僻地のお寺が、何故に戦火に遭ったのか?と云う疑問です。
そもそも「承久の変」というと…鎌倉幕府にないがしろにされた京都朝廷が幕府を追討するつもりが逆に敗れて、後鳥羽上皇などが島流しされた…という事件だったと思います。