映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

〔孫の日〕「七五三」

2006-10-03 05:58:26 | 雑記帖
 今年満4歳になる孫が七五三を迎えるとかで、着物の着付けの練習もしました。娘達はやはり小さい頃は女の子ですから、着物を着ると嬉しかったようで、「わーい…お嫁入りや…結婚式やぁー」などと喜んでいました。
 ところが孫達は着膨れるのがイヤなようで、制服などはは仕方なしにいやいや…と云う感じできますが、平均して薄着の方がいいようです・
 特に今回の着物を着るのを嫌がって、ずい分逃げ回った挙句やっと取り押さえられて無理矢理に着せられました。
 なんとか着せて写真…と云うとこれが又大変…、逃げ回るうちに帯は緩むわ、袴はずり落ちてくるわ…で、不細工なところを又無理矢理…子供達にしてみれば何故こんなこと…と云うところでしょうか。 
 七五三の衣裳も3人が交代で使っているので、実家としては結構高くてもこれだけ使えばモトは取れたかな…と云うところです。
 大人の都合ばかりで子供も大変ですね。

〈孫の日)「電車少年?」

2006-10-02 00:02:41 | 雑記帖
 昨日は孫達が二人やって来ました。
 この前に紹介したように来るとすぐに模型電車を、引っ張り出して来て組み立て始めました。私は最近は細かいものに触るのが苦手になってきたのですが、孫達はだんだん慣れて来て勝手にレールをつなぐようになりました。
 途中で勘定が合わずにレールが余って来て、その分カーブがきつくて脱線事故続出でしたがなんとか納得したようです。
 京都の梅小路…JR京都駅の近辺で昔は機関区があって、SLのたまり場みたいなところでしたが今は展示館もあって、SLなどが動態保存してあるそうなので一度連れて行ってやろうかな?などと思いますが…
 …なんて…ほんとは自分が行って見たいのではないですか…?

(CD落書帖)「ペギー・リー&ダイナ・ショア」

2006-09-27 00:17:12 | 雑記帖
 Play the guitar
 Play it again, my Johnny
 Maybe you're cold
 But you're so warm inside
 I was always a fool
 For my Johnny
 For the one they call Johnny Guitar
 Play it again, Johnny Guitar
 
 この歌詞を読むと…メロディが自然と湧いて来て…思わず遠い昔に帰ってしまうのです。勿論、すぐに現実に戻ってちょっぴりし寂しくなるのですが…
 西部劇の主題歌と云えば「駅馬車」「黄色いリボン」や「ボタンとリボン」など、軽快な感じのが多かったようですが、やがてマリリン・モンローがハスキーな歌声で歌う「帰らざる河」のように、やや哀調を帯びたものがヒットしました。
 でも、極め付きは何度も何度も執拗に書きますが、やはり私はなんと云っても
「Peggy Lee」の「Johnny Guiter」が一番いいと思います。
 ベニー・グッドマン楽団の専属歌手としてデビューして以来、有名なの歌のほかにその後は女優に転身して、アカデミー助演女優賞にノミネートされるなど異色の歌手でした。
 
 前回のブログでジューン・アリスンも彼女と同系列の「癒し糸」のアーティストだ…と書いたあるブログ記事を紹介しましたが、その記事は外に歌手のダイナ・ショアの名も挙げていられました。
 ほんとにその通りで「落ち着いて気取らず、近づきやすい親しみと暖かみを感じる演技」(記事の表現)やヴォーイスに、どれ程癒されたことでしょうか。
 またP・リーやD・ショアーの二人の歌手はCDを聞き比べてみると声質は少し違うような気がしますが、落ち着いた雰囲気は共通したものと思います。
 そのブログの主の方は「彼女達はいずれも、第二次大戦の厳しい試練の時期に青春を迎え必死に耐えて生きて来た年代のアーティストだ…」とも云っていられましたが、ほんとに真実を衝いた見方と思いました。
 1940-50年代のスターやアーティストに私たちが、いまだに鮮烈な記憶や憧れを持っているのは、そう云うことだったのかな?と今頃になって気づきました。

 私が始めて興味を持った外人女性歌手はパティ・ペイジでしたが、彼女の「涙のワルツ」を聴くと本当にいっしょに泣いてやりたい…ような気分になった云々などと、ブログに書いた記憶があります。 
 喜怒哀楽の気分的な共感を持ったことはあっても、あまり「癒し」にはならなかったようで、この点は「シークラット・ラヴ」などのドリス・ディにも云えます。
 ジューン・アリスンは雑誌で見る程度で映画では、そうたびたびお目にかかれませんでしたが、この点ペギー・リーとダイナ・ショアはラジオでしばしば耳にしていたし、あの頃は「癒し」という言葉も意識もありませんでしたが、特にダイナ・ショアの場合は「ボタンとリボン」のように陽気に歌っていても、「チェンジング・パートナー」のようなスロー・ワルツでも彼女が歌うと、別れの歌なのに何故か暖かい雰囲気に包まれて来る…これはきっと声の質もそうさせるのかな…とも思いました。PCで彼女の歌を聴きながらそんな風に思います。

 さっきのブログの中に「癒し系」としてジョー・スタッフオードも、その一人…と書いてあるのを読んで飛び上がりました。
 彼女に昨夜は一晩中「You Belong To Me」を歌いまくって貰ったばかりだからです。でも、残念ながら私は彼女と、あんまりお付き合いがありませんが…
 ひょっとしたら彼女の歌は私PCに、もっと入っているのかも判らない…と云う訳でこれから調べることに致しました。
 (写真はペギー・リーでした。ヒット曲「ブラック・コーヒー」です。)
 
 


  
 
 


(宇治・南山城)「鳳凰堂」

2006-09-26 00:00:09 | 雑記帖
お寺になった翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落成しましたが、堂内には平安時代の最高の仏師の、定朝によって作られた阿弥陀如来坐像が安置され華やかさを極めたとされています。
 約1000年前に建立された建造物や仏像は、世界遺産にも登録されております。

 華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築です。
 最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面 に映しています。
 堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来像が端座し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれています。
 そして左右の壁の上部には52体の雲中供養菩薩像が懸けられています。

 源平時代以降は京都も何回も戦乱の巷になっていますが、この宇治周辺はやはり田舎だったのか戦火は免れたようで、この古い貴重な建築物などが昔のまま残されています。

(雑記帳) 「定年後11年目突入!」

2006-09-24 00:03:51 | 雑記帖
 現役の頃…いずれ退職して暇が出来たら余って来る時間をどのように過ごすか…が私の最大の関心事でした。 それは家庭で居場所がなくなって粗大ゴミ…と云うマイナーなイメージが私の頭に定着していたからです。
 私としては「晴耕雨読」が理想みたいに思えましたが、なにか「余暇対策を」を考えて置かなくちゃ…などと、漠然と思っていた頃がありました。
 
 そして、いよいよ…会社からは「定年退職」の、辞令が出たのは十年程昔のことです。が、直ちに現職のまま「再採用」であっと云う間に五年…それからまた五年…合計十年…
 いよいよ今度こそは危ないな?…と思いながら、会社から音沙汰ないのを幸いに「頬被り」してまた一年…そして遂に十一年目に突入!

 流石にけじめがつかないので「午前中出勤」と云う事で再々延長になったのですが…貰った書類では期限は特に定めなし…と云うことは「無期」と云うこと…???
 実務面での仕事はすでに若い世代に引き継いで仕舞ったので、あまり出しゃばることもありません。
 しかし管理面の仕事での私の後任者が、一向に任命される様子がない…じゃあ今まで通りの仕事を続けよか…とデンと居直ることに決めました。
 と云う訳で変ったのは勤務時間が短くなったのと、〇〇〇が少し軽くなっただけ…外は何も変らずです。
 
 帰宅してからはたっぷりと「昼寝」と云う名の「充電」や、ブログの「点検と反省?」をしてしているうちに陽が西に傾いてきます。
 少し日陰が出来た頃に少しばかり菜園の世話をして…そうこうしている内に今日も一日が平凡にに過ぎて行く…と云う仕掛けです。
 でも季節も変わってそろそろ「昼寝」も、うすら寒くなって来るし…どうも今は中途半端…なにか落ち着かない日々であります。
 



(敬〇会)「ちびっ子達」

2006-09-18 00:03:01 | 雑記帖
今年は私も満〇〇歳だそうで「敬〇祝賀会」に招待戴いたので、折角のご好意を無駄にするのも申し訳ないの出席しました。
 〇と云う字は私も一般的な使用は別として、私個人についてはブログ上は禁句でして今でも〇〇とごまかしております。
 でも考えてみればずい分と不自然な感じもしないではありませンし、わが身の置かれた現実を冷静に見つめて今日から解禁しようと思います。
 
 敗戦後の日本に最高権力者として君臨した、連合軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が日本を去るときに残した言葉は
 「老兵は死なず ただ消えてゆくのみ…」
 その頃はまだ十代だった私は「老兵」と云う言葉に驚きました。彼が「老兵…?」あの活気と精力的に満ちた彼の風貌は「老兵」には程遠いものでした。
 その彼にしてこの言葉あり…ですから、ぼちぼちと人生のたそがれを迎えつつある私も、おとなしく今日から「〇人」の仲間入りをすることにしました。

 今日の祝賀行事で近くの保育園のちびっ子達が、遊戯をしてくれましたがとても無邪気で癒されました。私の孫達は別の保育園ですので出ていませんが、自分達の園で同じようなことしてると思います。

(敬〇会)「コーラス・マダム」

2006-09-18 00:02:34 | 雑記帖
 ご婦人の有志も出演して日頃の成果を発表して下さいました。
 指揮者やピアノ伴奏はそれぞれ教職などで現役として活動されている方で、会員は一般の主婦や勤めている人たちです。
 曲目は「峠の我が家」「埴生の宿」「赤とんぼ」「夏の思い出」など…往年を思い起こすような懐かしい歌ばかりでした。

(敬〇会)「河内おとこ節」

2006-09-18 00:01:54 | 雑記帖
 ある踊りの師匠さんが特別出演で、粋な姿で景気よく民謡を踊って下さいました。最初はは着物姿でお淑やかに舞っていられたのが、お次は一転してぱっと鮮やかにキメテくれたので、みんな大喜び…大喝采でした。
 暗くて見えない…プライバシー保護のため…?すいません…

(敬〇会)「マツケン・サンバ」

2006-09-18 00:01:24 | 雑記帖
 今日のフイナーレを飾ってマツケン・サンバが始まりました。本当はもっと大勢の人でしたが最後に主役のお二人できちっと締めて呉れました。
 きちんと自らのパートをこなす人、
 アドリブ連発でピエロ役に徹する人…
 それぞれが持ち場で協力し合いながら、盛り上げて下さいました。
 思えば十年ほど前は地域の役員の時は、こちらが主催者だったので招待した皆さんに祝辞を述べていたのですが…好む、好まざるに拘わらず、こればかりは待ったが利きません。
 ま、今日を最後に「老」の字の使用を解禁して…らしく生きて行きましょうか。
  

(雑記帳)「地方版の記事から!」

2006-09-05 00:57:31 | 雑記帖
 ある新聞の地方版でこんな写真を見つけました。
 どこかの動物園の記事ですが、あのキリン君が…
 ダチョウ君?と「チュツ」をしてるんですよ!
 なにかほのぼのとした暖かーい気分になりました。
 
 公務員の飲酒事故、裏金17億円も…燃やした…と云うのは実はウソで
 飲み食いに使っちゃつたとさ…と呆れている毎日です。
 そんな余分なお金があるのなら、恵まれない人たちのためとか、
 もっと有益な使い道があるはずです。
 少しは光が差してきたようですが、出口の見えなかった不景気な時代を乗り越えて来た、中小企業の経営者や県民の皆さんがが怒るのはムリもありませんよ。

 事故とか事件とかイヤなお話ばかりが目立つこの頃でしたが…
 こんな記事と写真を見て久しぶりに思わずニコッとして仕舞いました!
 新聞もこんな楽しい記事や写真ばかりだったらいいのにね…