(40s-50s ポピユラー・ヒット・アルバムより 歌 エディ・フイッシャー)
1950年末期、この「オー・マイ・パパ」は、当時の人気ラジオ番組「S盤アワー」でグレン・ミラー・オーケストラやマリリン・モンローと共に、日本ビクター発売のレコードの中でもヒット・ナンバーでした。
雪村いずみが確か三枚目ぐらいと思いますが、出した日本語盤も大ヒットしました。
(Oh! My Papa To me he was so wonderful Oh! My PaPa>
(上記のアルバム歌詞カードより)
日本語盤の歌詞は
<オー・マイ・パパ 帽子を横ちょにかぶり おどけていた…>
だったかな? 後が続きません、どうでもよいことなら覚えているのですが…
原歌詞は良い歌詞と思いませんか。 手放しの親父讃歌というところでしょうか。
その頃はキング・レコードの江利チエミ 日本コロンビアは美空ひばり 日本ビクター雪村いずみのこの歌のヒットなどで、和製ジャズ・シンガーが続々登場しつつある時期でした。勿論,笈田敏夫 ペギー・葉山 ナンシー・梅木などの本格派がいたのですが、この三人娘の方が目立つようになりました。
実は今日ジャズ・ポピュラー系のアルバムを整理していたら、あのエディ・フイッシャーが歌うこのヒット曲が、私のパソコンから外れているのに気がついて、少し可哀想になりました。
彼はリズとも別れて後は自暴自棄となり、酒浸り 薬物漬けの荒れた日々を送り、歌手生命を自ら捨ててしまいました。
しかし彼も精神的に苦労を重ね反省しているようなので、「もう許してあげようね、浮気はもうあかんえ」と言い聞かせて、五十年ぶりに我がファミリーの一員に、復帰してもらいました。
…という訳で私の「『たそがれ部屋』も先輩歌手やスターたち、家族がが増えて満員となり『たそがれマンション』になりそうになりました。
私にとっても、エディにとっても今日はハッピー・サンデーになりました。
※ 送稿したつもりでしたが、どーゆー訳か消えました。で、また書き直しましたが、もう眠いので今夜は予定の半分にカットしました。明日は早いのでおやすみ…
1950年末期、この「オー・マイ・パパ」は、当時の人気ラジオ番組「S盤アワー」でグレン・ミラー・オーケストラやマリリン・モンローと共に、日本ビクター発売のレコードの中でもヒット・ナンバーでした。
雪村いずみが確か三枚目ぐらいと思いますが、出した日本語盤も大ヒットしました。
(Oh! My Papa To me he was so wonderful Oh! My PaPa>
(上記のアルバム歌詞カードより)
日本語盤の歌詞は
<オー・マイ・パパ 帽子を横ちょにかぶり おどけていた…>
だったかな? 後が続きません、どうでもよいことなら覚えているのですが…
原歌詞は良い歌詞と思いませんか。 手放しの親父讃歌というところでしょうか。
その頃はキング・レコードの江利チエミ 日本コロンビアは美空ひばり 日本ビクター雪村いずみのこの歌のヒットなどで、和製ジャズ・シンガーが続々登場しつつある時期でした。勿論,笈田敏夫 ペギー・葉山 ナンシー・梅木などの本格派がいたのですが、この三人娘の方が目立つようになりました。
実は今日ジャズ・ポピュラー系のアルバムを整理していたら、あのエディ・フイッシャーが歌うこのヒット曲が、私のパソコンから外れているのに気がついて、少し可哀想になりました。
彼はリズとも別れて後は自暴自棄となり、酒浸り 薬物漬けの荒れた日々を送り、歌手生命を自ら捨ててしまいました。
しかし彼も精神的に苦労を重ね反省しているようなので、「もう許してあげようね、浮気はもうあかんえ」と言い聞かせて、五十年ぶりに我がファミリーの一員に、復帰してもらいました。
…という訳で私の「『たそがれ部屋』も先輩歌手やスターたち、家族がが増えて満員となり『たそがれマンション』になりそうになりました。
私にとっても、エディにとっても今日はハッピー・サンデーになりました。
※ 送稿したつもりでしたが、どーゆー訳か消えました。で、また書き直しましたが、もう眠いので今夜は予定の半分にカットしました。明日は早いのでおやすみ…