映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(CD落書帖) 「オー・マイ・パパ」(Oh!My PaーPa)

2005-10-31 00:07:25 | 音楽
(40s-50s ポピユラー・ヒット・アルバムより 歌 エディ・フイッシャー)
 1950年末期、この「オー・マイ・パパ」は、当時の人気ラジオ番組「S盤アワー」でグレン・ミラー・オーケストラやマリリン・モンローと共に、日本ビクター発売のレコードの中でもヒット・ナンバーでした。
 雪村いずみが確か三枚目ぐらいと思いますが、出した日本語盤も大ヒットしました。
    (Oh! My Papa To me he was so wonderful Oh! My PaPa>
              (上記のアルバム歌詞カードより)
 日本語盤の歌詞は
  <オー・マイ・パパ 帽子を横ちょにかぶり おどけていた…>
だったかな? 後が続きません、どうでもよいことなら覚えているのですが…
 原歌詞は良い歌詞と思いませんか。 手放しの親父讃歌というところでしょうか。
 その頃はキング・レコードの江利チエミ 日本コロンビアは美空ひばり 日本ビクター雪村いずみのこの歌のヒットなどで、和製ジャズ・シンガーが続々登場しつつある時期でした。勿論,笈田敏夫 ペギー・葉山 ナンシー・梅木などの本格派がいたのですが、この三人娘の方が目立つようになりました。
 実は今日ジャズ・ポピュラー系のアルバムを整理していたら、あのエディ・フイッシャーが歌うこのヒット曲が、私のパソコンから外れているのに気がついて、少し可哀想になりました。
 彼はリズとも別れて後は自暴自棄となり、酒浸り 薬物漬けの荒れた日々を送り、歌手生命を自ら捨ててしまいました。
 しかし彼も精神的に苦労を重ね反省しているようなので、「もう許してあげようね、浮気はもうあかんえ」と言い聞かせて、五十年ぶりに我がファミリーの一員に、復帰してもらいました。
…という訳で私の「『たそがれ部屋』も先輩歌手やスターたち、家族がが増えて満員となり『たそがれマンション』になりそうになりました。
 私にとっても、エディにとっても今日はハッピー・サンデーになりました。

 ※ 送稿したつもりでしたが、どーゆー訳か消えました。で、また書き直しましたが、もう眠いので今夜は予定の半分にカットしました。明日は早いのでおやすみ…
 
 

(シネマ落書帖 42)「陽のあたる場所」 を再び観る

2005-10-28 00:25:07 | 映画
 以前にも書いたように私が十代末期に観た映画は、大半が消化不良で近年になってからテレビやビデオなど見直して、やっと理解出来たと言うケースが多かったようです。
 その中でこの映画だけは一度観ただけで、ほぼ内容が理解出来たと言う珍しい映画でした。それは新聞や雑誌などで,ある程度は予備知識を仕込んでから観た…ということもありますが、あの昭和二十年代頃は日本全体が貧しくて、なんとか這い上がろうと苦しんでいた時期で、このあたりが私や世間の共感を呼んだのではないかと思います。
 貧しい青年ジョージ(モンゴメリー・クリフト)は、金持ちの娘アンジェラ(エリザベス・テイラー〉と親しくなり、出世の邪魔になってきた恋人アリス(シェリー・ウインタース)に殺意を抱きます。
 「陽のあたる場所」…この言葉は当時のアメリカ社会の、底辺に暮らす人から見て上流階級を意味しています。薄暗い日陰の暮らしから、明るく華やかな暮らしに憧れを抱き、なんとか現状から抜け出したい…という強烈な欲望に負けた、一人の青年の悲劇を描いた作品でした。
 リズことエリザベス・テイラーの美しさは勿論ですが、私はむしろ相手役のモンゴメリー・クリフトという男優に関心を持ちました。憂愁というか常に陰影を漂わせた感じのスターでしたが、彼の強烈な個性がこの映画の印象を、更に鮮明にしたように思います。
 彼の映画では「終着駅」「地上より永遠に」の二本は、絶対には外せないようですね
 映画のなかでのリズの有名な、そして哀しいセリフ…それは
   「あなたとの楽しかった日々は、さよならを云うためにあったのね…」
 再び帰ることのない、永遠の旅路に向かう彼への惜別のことばに、彼女の真実の愛を感じるのです。
 
 古い話ですがこの作品に感動した私の友人が、こともあろうに大女優エリザベス・テイラーに、フアン・レターを「航空便」(あの頃にはエア・メールなんて言葉はなかった)で出しました。するとなんと、彼女からタイプ打ちの返事と、サイン入りのブロマイドが送られて来ました。彼は「家宝」にすると云っていましたが、その後この「家宝」の行方は杳として判りません。多分どこかにあるはずだと友人はいうのですが…ああ、なんて まぁ勿体ないことを…
 遠い外国のフアンまで大事にする…という姿勢に好感を持つた私は、その後「雨の朝巴里に死す」という作品を観ました。映画としてはBランクでしたが、同名の主題歌が気に入っていました。
 「The Last Time I Saw Paris]というタイトルでしたが、この歌はあとでシャンソンにもなったようで、日仏両方の歌詞がついた譜面が私の手元にあります。
  <花かおるパリ 雨もたのし 紅い灯の酒場 さざめく声…>
                      (シャンソン集「パリの思い出」より)
メロディはスローな四拍子の綺麗な曲で、今でもよく憶えていますよ。
 
 一時はリズ・フアンだった私の彼女へのイメージが、ある日突然変わる出来事が起きましたました。その訳というのは…
 「雨に唄えば」のデビー・レイノルズは、その後人気歌手のエディ・フイッシャーと結婚して、人も羨むおしどり夫妻として知られていました。一方でリズ・テイラーは夫を亡くし悲しみのため、ひどく落ち込んでいました。
 寂しかったリズはお見舞いと励ましに来ていた、エディと恋仲になり二人は結婚、デビーは離婚という悲劇となりました。これが有名なリズの略奪婚で、私の彼女に対するイメージは大きく崩れました。私が知っていたのはここまで…1958年頃の出来事でした。 ハリウッド雀は忘れていても、私は執念深くも今年まで憶えていたのですよー。
 
 ブログを始めた今年の六月頃、「雨に唄えば」の記事に関連して、我がアイドル、デビーちゃんのその後が急に気になり、友人へのコメントに書きました。
 そのコメントを見られた方が、親切にも早速 デビーのサイトを教えてくれました…勿論、私は飛んで行きましたよ!
 それによればデビーちゃんは立ち直って三回目の結婚を果し、エディとの間の娘は母親の後を継いで「スター・ウオーズ」(旧作)で有名になり、エディは手記を出版して反省の気持を表明したそうです。
 数十年という歳月の流れが、すべてを解決していたようでした。
 デビー・レイノルズは美人スターではありませんでしたが、可愛いい感じのミユージカル・スターでした。傷心と逆境の中で力強く生きた彼女に、私は惜しみない拍手を送りたくなりました。
 恋多き女 エリザベス・テイラーの男性遍歴は今更もう…という訳で、気分を変えても一度見直した往年の名作「陽のあたる場所」…やはり、リズは素晴らしく輝いて見えました。
 数十年もかかってやっと、私のリズへのイメージを修正できました。
 ずいぶんと時間がかかったけれど、よかったね…ほんとに
 …という訳でこの大女優の登場は今頃になりました。ごめんよリズ…


 

(CD落書帖) 続「海岸通」

2005-10-26 00:38:46 | 音楽
 前回のブログはアーティストだけは、何故か「イルカ」さんと決めていたのですが、肝心の曲目に迷っていました。イルカさんといえば、あの「……」なんですが、ふと思いついて「イルカさんの部屋」というホーム・ページを開いて見ました。
 これは「イルカさんフアン」のH・Pだそうで、公式のものではないようなので、更新もやや古いようですが一応の参考にはなります。
 その中にヒット曲ランキングというページがあります。イルカさんの定番といわれる曲は勿論、上位に入っているのですが、どーゆー訳か私の好きな「海岸通」が見当たらないのです。
『好きな曲がない時はその曲名を記入して投票して下さい』という表示にがあったので、その通りにすると「海岸通」1票と最下位のラインに、曲名が表示されやっと私は落ち着きました。
 若い頃はラジオ番組のリクエスト・マニアだったので、数十年ぶりにリクエストをやっちゃいました。今夜ランキングを見たら、先日の私の1票が何故か投票数も増え、ランクも最下位からぐんと上位に上がっていました。忘れられていた名曲を発掘したような、爽快な気分になりました。
 
 汽車の旅も良いけれど一度は、本格的な船の旅をやってみたいですね。
 旅と云う程ではありませんが、夏に京都府北部の宮津湾で遊覧船に乗りました。燦々と太陽が照りつける中を、日本三景の一つ天橋立とか、このあたりの独特の風景「舟屋」などを、海上からを眺めながら30分程の短いクルージングでした。
 古い話ですが四国へ宇高連絡船で渡っていた頃、汽車を終着の宇野駅を降りると、何も慌てなくても良いのに、何故かみんなが一斉に荷物を持って走りましたね。それで「マラソン桟橋」という異名があったそうです。
 今年の冬に瀬戸大橋を渡りましたが、滅茶に空いていたので、あーっと言う間に通り抜けて仕舞いました。走りまくった連絡船の旅を思い出して感無量になりました。 
 
 「トワイライト・エキスプレス」の終着、札幌は「雪祭り」で行つたのですが、まだまだ未知の部分もあり魅力のある街ですね。
 一昔前の私の夢はあの北海道の広大な原野を、信号とか横断歩道とか対向車など、あんまり気にせずに走ってみたい…ということでした。それには現地まで車を航送する必要があるので、本土ー北海道間のフェリーを本気で調べたことがあります。
 舞鶴ー小樽間 敦賀ー苫小牧間 いずれも約20時間 約1,000km 
 終着は小樽がええなぁ <粉雪舞い散る小樽の駅へ… >とか言う歌あったしなぁ…(鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽のひとよ」)知ってますかー?
 家内に言ったら「止めとき…直線道路になると、眠とうなるクセあるし…」と一蹴されました。そうなんですよ。私は急坂や九十九折りなどの、起伏に富んだ道には案外強いのですが、単調な道では決まって眠くなるのです。
 十年程前に家族四人で北陸へ行った時のこと、私は運転をみんなで交代してくれるものだと、勝手に決めこんでいました。ところが三人とも、免許証を家へ置いて来たと言います。仕方なく北陸自動車道を往復とも私が運転しましたが、眠くて難儀したことがあるのです。
 という訳で私の本土脱出計画は却下されました。勿論、ずいぶん前の話です。
 で、「カー抜き」の普通の船の旅を…などと思っていますが、云うは易く、されど…になりそうですね。
 

   



 

(CD落書帖〉 「海岸通」

2005-10-23 15:31:28 | 音楽
   CDアルバム「私の青春譜」より (歌 イルカ)  3分50秒 
   作詞 伊勢正三  作曲 伊勢正三  編曲 佐藤 準 
 私の住処は海から遠いので、夕陽の沈む海も夜明けの海も見られませんが…
<港に沈む夕日がとてもきれいですね あなたをのせた船が小さくなっていく>
 あとは私のオリジナル・イメージです。< >は歌詞の一部を拝借しました。
   空を朱色に染めて陽が沈み
   かもめも羽根を休めるころなのに
   私の心はあなたのことばかり
   「兄妹のままでいようね…」って
   あなたは言ったけど
   ちぎれたテープの切れ端は
   あなたが残してくれた あなたの分身
   思い切って捨てようか それとも出直そうか
   でも やはり自分の心は偽れない
   いつまでも いつまでも 
   切れたテープを 握りしめている私…
  
  雰囲気がが暗くなりました。イルカさんのくしゃみが聞こえました。

<夜明けの海が悲しいことを 教えてくれた海岸通>
   夜明けの海を見つめながら
   「兄妹のままで別れようね…」と囁いたとき
   素直にうなづいてくれたあなた
   でもあなたの澄んだ つぶらな眸に
   どこか寂しい影を見つけたとき
   僕の心はとても大きく 激しく揺れた…けど
   せめて残された ラスト・タイムだけでも…と
<あなたが船を選んだのは 私への思いやりだったのでしょうか
 別れのテープは切れるものだとなぜ 気づかなかったのでしょうか>
 深まる悲しみの中で <あなたをのせた船が 小さくなってゆく>  

 そうなんですよ 私も含めて男性は、女性に気を配っているようで、実は女性の微妙な気持には、気がつかない面も 時には、いや、多々かな…あるのですよ。
 ごめんよ 男性の皆さん!
 
 伊勢正三さん イルカさん ごめんね 歌詞に変な語句を入れてしまいました。
 あとはご覧の皆さんでよろしいように…無責任なことですが書いてる自分でも、どうすれば良いのか判らなくなりました。
 こんな時は占いがいいようですね。詳しいことはあまり知りませんが、花占い 動物占い 夢占い等々 但し私は今まで自分の直感だけで生きてきましたけど…
 香港か上海かは忘れましたが、占い師がいっぱいいる街があるとか。
先客万来の流行る占い師 一日中お客が来ない可哀相な占い師などいろいろだそうです。                    
 話題が脱線して仕舞いましたので、もう一回 続編を掲載します。 
                                    〈未完)
     

   
   
 

(CD落書帖) 「花嫁」

2005-10-21 00:05:06 | 音楽
 (フオーク&ニュー・ミュージック・CDアルバム「私の青春譜」より)
   歌 はしだのりひことクライマックス  2分51秒 
     作詞 北山 修  作曲 端田宣彦  編曲 青木 望
 この歌を通勤のカー・ラジオや深夜放送などで聴いていたのは、EXPO70 大阪万博の頃だったと思います。リズムの感覚は新しいし、テンポも結構速い曲なのに、中身は何か古風な感じがして,私は文句なしに好きになりました。
 殆どラジオで聴いていたので、ヴォーカルの女の子の表情はよく判らずじまいになりましたが、歌いっぷりものびやかで,声量もあってお気に入りの歌になりました。

 <花嫁は夜汽車にのって嫁いでゆくの あの人の写真を胸に海辺の町へ…>
 「夜汽車」…なんて最近はあまり聞かなくなった言葉ですが、旅のロマンを味わうのはやっぱりこれに限りますね。昭和40年代ならまだ通用していた言葉かと思います。
あの頃はローカルな線区の国鉄(当時)関西線あたりでは、まだSLが走っていました。この線路沿いを車でよく走りましたが、トンネルや鉄橋などの景色の良いところでは、カメラマンでいっぱいでした。
 昔は汽車賃の節約のため深夜に大阪や京都を出発して、早朝に南紀勝浦や北陸芦原などに着くように、わざと鈍行列車で一晩かかって行きました。
 細かい活字の列車時刻表で距離や運賃、接続時間などを調べながら、旅行プランを立てるのが、とても楽しみでしたね。
 夜行列車には「銀河」「彗星」「月光」など、とても綺麗な親しみやすい愛称がついていましたが、今でもあるのかな?長距離の夜行列車もだんだんと、姿を消すそうで淋しいことですね。

 「トワイライト・エキスプレス」 私のHNによく似た名前の豪華寝台列車に、一度乗って見たいな…と思うのだけれど、まだ運行されているのかな…とインター・ネットで調べて見ました。
 京都 12.37 青森 翌日02.12 札幌 09.08 総距離 1,502km 所要時間 21.時間8分 ほぼ一日がかりですね。
 途中でこの特急は別の特急「サンダー・バード」など3本に追い越されたり,青函トンネルは深夜の3-4時ごろに通過、その時にJRの車掌さんから説明やクイズや景品もあり…などと、写真入りで詳しい記事がありました。行きたーい!でももう寒いかな?
 このごろの駅風景もあの映画「旅情」の、ラスト・シーンみたいなことも出来なくなったし、あの古き良き時代の旅の雰囲気がが、だんだん消えていくようですね。
   
    <小さなカバンに詰めた花嫁衣裳は 
     ふるさとの丘に咲いてた野菊の花束>(中略)
    <帰れない なにがあっても 心に誓うの…>
  ここまで想ってもらえる男の子,幸せですよ ほんまに…
   <何もかも捨てた花嫁 夜汽車にのって(繰り返し)>
 このラスト・コーラスの部分も余韻があってよかったですね。
 
 はしだのりひこはシューベルツの頃、ふっくらとした愛嬌のある可愛ーい感じで、好感を持っていて、こんな男の子がほしいな…などと、ひそかに思っていた頃もあったのですが…これも遠い昔のお話です。
     この歌のことや、旅の思い出など、お聞かせ下さい。
  
  <追加記事> 
 夜行列車の記事について念のため検索しました。
  寝台特急「銀河」東京ー大阪間 2005.8. 1 現在では運転されているみたい。
   同  「彗星」大阪ー宮崎間 2005.9.30 で運転が廃止されました。 
 この列車は1968年運転開始、最盛期は5往復したそうですが、飛行機との競争には勝てず、ついこの間の9月末日で運行に終止符を打ちました。
 寝台急行は「明星」「月光}「金星」「すばる}など、いずれも統廃合され現存しているのは少ないようです。素敵なネーミングなのに残念ですね。
    





 


 (CD落書帖) 「アメリカン・フイーリング」

2005-10-18 00:25:12 | 音楽
 パソコンにCD音楽をインプットして、Windows Media PlayerでMusicを聴きながら、ブログ作りをしています。時には音楽に気を取られて文章が一向に進まないこともありますが、何もせずにボケーとしている時も心の安らぎになります。
 そんな音楽を聴きながら、思い出したこと、感じたこと、気づいたことなどを、あれこれ綴っていこうかと思います。
 音楽そのものはよく知りませんので、またコメントなどで教えて戴ければ嬉しいです。
 では、Music start !      <  > は歌詞又は資料引用箇所です

 「アメリカン・フイーリング」 (歌 サーカス)  3分26秒
  (フオーク&ニュー・ミュージック・CDアルバム「私の青春譜」より)
    作詞 竜 真知子  作曲 小田 裕一郎  編曲 坂本龍一
 この歌がベストテン上位を走っていた頃、私は不慮の怪我をして某病院にて毎日、夢ばかり見て過ごしていました。そしてサーカスが歌う「アメリカン・フイーリング」を寝転びながら聴いていました。
 当時は私もまだ中年の働き盛り…昭和54年秋のこと
<あなたからのエア・メール 空の上で読み返すの 窓の外はスカイ・ブルー…>
 高度9000m 天候は快晴 視界良好 行きたい! ベッドの上で身動き出来ない自分を忘れて、思いは遠く見知らぬ さいはての地へ  あっ 白熊だ!
 <ひとり旅の先々で いつもあなたを思っていた そうよ 初めて気づいたの>
 ひとり旅か…ロマンチックやなぁ 
 自由気ままなひとり旅 それは常に孤独と隣合わせ
 でもその寂しさから 今まで気づかなかった 新しい愛を発見するかも… 
<今私はコバルトの風 Feeling in America.in America
       ああ きらめく季節の中で 抱きしめるから …>
 アメリカねぇ パリの方がええんやけど…などとまだ執拗に、駄々っ子みたいなことを考えているうちに、ほんとに夢うつつの世界に落ちていきました。やがて急に廻りが騒々しくなったと思ったら、我が家のちびっこ達がどやどや入ってきて、夢ははかなく消えました。
 <兄弟姉妹の結びつきの深さから「鉄壁のハーモニー」といわれた>「サーカス」(叶高 叶正子 原順子 叶央介)の歌をNHKーBSの「我が青春のフオーク・ソング」で久しぶりに聴きました。
 <「海 夏 ブルー」などの魅惑的な言葉をちりばめた>この本格的コーラス・グループは、一昔も変わらない楽しい雰囲気で、とても懐かしかったです。
 このグループが活躍した頃、私はまだ四十代 高度成長を支えた「働き蜂」の一匹でした。 
 ちなみにこの頃のヒット曲「よせばいいのに」「魅せられて」「夢追い酒」など…
  あなたにとって、どんな時代でしたか、思い出したら教えて下さい…

 

 
 






(41)時の過ぎ行くままに (映画「カサブランカ」)

2005-10-15 00:11:27 | 映画音楽
 この映画が公開された1946年は敗戦から間もなくで、戦争末期から敗戦直後の日本人にとっては衣食住の確保など、生きて行くこと自体が大変な時代でした。
 戦時中も日本が勝っていた間は戦争ものやチャンバラなど、勇ましい映画も見たような気がするのですが、都市部への爆撃など本土が戦場になると、当然のことながら映画どころではなくなりました。
 戦争が終って焦土の中で久しぶりに公開された、アメリカ映画「カサブランカ」は久々のラヴ・ロマンスで日本人の心は大きく癒されたことでしょう。
疲れ果てていた日本人の心に女優イングリッド・バーグマンが光を灯したことは判るのですが、私にはよく判らないいくつかの疑問がありました。
 それはあのボギーことハンフリー・ボガートが、何故あんなに人気があったのか?あのフアッション…ちょうどデカが着るような…トレンチ・コートとか、タバコの吸い方がどうとか、「君の瞳に乾杯」とか言うあの有名な、しかもキザな言葉が何故…とそんなに…と言う疑問でした。
 で、初めて見たこの映画は、結論からいうとやはり良い映画だったように思います。あのボギーの格好良いところは、やはりラストの場面ですね。今ならどうだか判りませんが、日本人の大半がこの映画にしびれたのも判ります。
 私が特に興味を持ったのは、あの警察署長ルノーですね。
 第二次大戦の初期にフランスはナチス・ドイツに敗れて降伏、ヴィシー政権と言う親ナチス政府が支配していました。フランスの統治下にあった現地の警察署長は、本国政府とドイツ軍の間を上手く立ち回っています。ラストでドイツ軍将校が射殺されますが、署長は駆けつけた警官に、犯人は目の前にいるのに、「犯人を捜せ」と命じて追っ払います。
 このあたりの署長の始末のつけ方も上手かったですね。深い霧の中をリスボン行きの飛行機が、飛び立って行った時にはほんとにホッとしました。
 署長役のクロード・レインズは後年「汚名」で、I・バーグマンやケーリー・グラントと共演しますが、このDVDもあるので見るのが楽しみです。
 有名な主題歌「時の過ぎ行くままに」(AS TIME GOES BY))はバーグマンが、ボギーの酒場に初めて入ってきた時にドーリィ・ウイルソンが、彼女の為にピアノを弾きながら歌います。パリでの別離、そして遠い異境の地での再会…このシーンの雰囲気は、この主題曲により尚一層盛り上がりますね。
 手元にあるDooly Wilsonが歌う「時の過ぎ行くままに」のCDや、この映画のDVDなどは共に外国映画の黄金時代…1940年代後半から1950年代にかけての、名作映画の原点として永久に残ることでしょう。




 
 
 

(40) 愚かなり我が心(同名の映画)/私は死にたくない

2005-10-12 00:07:51 | 映画音楽
 「愚かなり我が心」は「ライ麦畑でつかまえて」で有名な、J・D・サリンジャー原作の短編小説を映画化したもので、私のお気に入りの一人スーザン・ヘイワードが、1949年度アカデミー主演女優賞にノミネートされた作品でした。
 愛のしるしを残して戦場に散った恋人、やがて生まれくる新しい生命の為に彼女が選んだ道とは…この作品には親子愛、略奪愛、そして友情…いろいろな愛のかたちが描かれています。
 この映画は出来栄えが単なるメロドラマ化しているとして、原作者のサリンジャー氏の気に入らず、同氏は代表作の「ライ麦畑で…」の映画化を頑なに拒んだ、と言うおまけがついています。
 この映画を盛り上げたのは、ヴィクター・ヤングが作曲した同名の主題歌です。
 この歌はどういう訳か 若い頃は、ナンシー・梅木という歌手が歌う日本語盤の方ばかり聴いていました。歌詞は
  月白き今宵 あわれ マイ・フーリッシュ・ハート…(My foolish heart)
だったと思います。
 不思議な事に当時は原語盤を全く聴くことがなく、ミンディ・カースンという女性歌手が歌っている、原曲を聴いたのは4年ほど前でこのCDを買ってからでした。
 ところがその歌がとても情緒があって、すっかり気に入ってしまいました。それから彼女の追っかけを始めたのですが、結局よく判らず今でも謎の女性歌手のままです。
 日本語盤を歌っていたナンシー梅木という歌手については、チエミやいずみに比べて目立ちませんでしたが、駐留軍キャンプで鍛えた実力派の歌手で、少しハスキーな感じの歌手でした。このあたりまでは一応は知っていたのですが、その後の経歴を見て吃驚!
 1955年渡米 1957年にマーロン・ブランドと共演した「サヨナラ」で、アカデミー助演女優賞を獲得、現在はアメリカに居住中、消息は近親者にしか判らない…そうです。この「愚かなり我が心」は、ベスト曲を選べと言われたら、私としてはベスト5に入れたい曲です。
 主演女優スーザン・ヘイワードは「愚かなり…」では、オスカーを逃しましたがその後の「私は死にたくない」で、待望のアカデミー主演女優賞を受賞しました。
 
 「私は死にたくない」は前科あるが故に無実の罪で、ガス室に送られる女性の悲劇を描いた作品で、美しい人妻役がお似合いの彼女が、冤罪に悩み苦しむ迫真の演技は心が寒くなりました。 彼女は死の瞬間まで女性としてのプライドを捨てなかった…本来は死刑囚には許されない靴をはいて、女性らしく身なりもきちんと整えて人生の終わりを迎えます。
 このあたりは最後までフランス王妃としての誇りを捨てなかった、マリー・アントワネットに通じるものを感じます。
 「私は死にたくない」は我がお気に入り(一体何人いるの…?)スーザン・ヘイワードが、単なる美人女優から演技派女優に転換した記念すべき作品でした。
 

 

(39) 駅馬車 (同名の映画)

2005-10-09 00:26:44 | 映画音楽
 私が少年時代に最初に覚えた映画主題曲がこの「駅馬車」だ。あの軽快なメロディは主にラジオを媒体として私たちの耳に入ってきた。この曲を聴きながら果てしなく続く大平原を、駆けて行く駅馬車の姿を想像して胸を躍らせたものだ。
1939年製作というこの古典的な西部劇を実際に観たのは,公開されてから六十数年も立った今年のことだった。
 考えてみればこの数十年間に西部劇を、数える程しか観ていないようだ。劇場で観た映画といえば「シェーン」「真昼の決闘」「帰らざる河」「大砂塵」「カラミティ・ジェーン」ぐらいに過ぎない。いずれも映画主題歌がヒットしたのが共通点で、すべてこのブログでエントリーしたものばかりだ。
 この「駅馬車」は西部劇のお手本といわれるだけに、西部劇で多用されるいろいろの要素がすべて揃っているように思われる。
 ジョン・ウエィンが扮する脱獄囚をはじめ、一癖ありそうな怪しげな男たち。酒場の女や騎兵隊将校の夫人など適当に女性方も登場、ほのかなラヴ・ロマンスもあり…騎兵隊や駅馬車の男たちと、先住民族インディアンとの戦闘場面、これは物凄い迫力だ。またガンマン同士の決闘シーン等、見せ場が沢山用意されている。
 私が最も気に入った場面はアパッチの出没が伝えられる中、駅馬車は騎兵隊の護衛なしで次の駅まで突走ることになる。
 その分岐点で騎兵隊は左へ、駅馬車は右へ…と分かれて行く。このシーンは奇岩巨岩が異様な姿を見せる背景と共に、モノクロ・フイルムならではの鮮烈なコントラストで描写している。
 音楽はおなじみのメロディが主体だが、時々遠慮がちにフオスターの曲が挿入されているのに気がついた。曲は「金髪のジェニー」と思うが歴史が浅く、ヨーロッパ諸国のような有名な音楽家が少ないアメリカでは、フォスターといえば国民的人気の高い作曲家なので、映画に取り入れられても不思議ではないように思われる。
 先住民族のインディアンはなぜ白人を襲うのか?近年になって彼らのなんとなく気持がわかるようになって来た。というのは最近の観光開発、自然破壊、生体系の変化などは、野生動物の人里への出没や被害の増加などをもたらして、各地で問題になっているが、これと共通したもののように考えられるからだ。
 欧米人は新大陸の発見以来、先住民との共生を考えず、弾圧や居住区への封じ込めなどで先住民の土地の収奪を行なったので、反乱や白人に対する襲撃が頻発しても当然だったようだ。不思議なのは先住民が小銃を持って白人と戦っている事だ。どうせ白人の武器商人たちが金儲け目的で売り込んだものと思うが,「死の商人」という言葉を思い出した。
 ジョン・フォード監督はおおらかな人物だったようで、この映画では娯楽性を優先して多少の矛盾や辻褄が合わなくても、難しい理屈はぬきにして撮影したといわれる。
 だからアパッチ族がなぜ駅馬車襲うのか、その必然性について説明はない。ただ映画を面白くするだけであったのか?
 若い頃に観た映画では「帰らざる河」以外はインディアンは登場しない。どうも敬遠していたようだが、近年は「シャイアン」「ダンス・ウィズ・ウルブス」など、先住民を扱った映画をテレビなどで観るようになった。
 「シャィアン」は昔は特異な風貌のため、悪役のイメージが強かったリチャード・ウイドマークが、シャィアン族討伐で苦悩する良心的な白人将校を演じていた。
又「ダンス…」では、先住民の血を引く監督の作品だったから…いずれも先住民に対する温かい理解や思いやりに溢れていて感動した。
 私たちの若い頃なら多分、観られなかった形の西部劇だったと思う。
 

 

 (雑記帖 4) 小説 「悲しみよこんにちは」(2)

2005-10-06 01:30:24 | 雑記帖
字数オーバーのため、順序が逆になりました。下のページから読んで下さい。
 
(下のページの続き) ▽     ▽     ▽
 こんな心のすれ違いが二人の亀裂を更に大きくしていきます。発展途上にある女の子のデリカシーというものを理解する…この作品に私は大きなヒントを与えられたように思います。あの頃は結婚や子育てなど全く念頭になく、ひそかにセシルを応援していた無責任な私でしたが、自分が現実に父親の立場になったとき、さてどうするの…と思案したことも。
 歳月が流れ娘たちも「ふつーのママさん)になった今、これも遠い昔のことになりました。
 立場は変わって娘たちも、今は息子たちの未来の方が心配のよう…
 
原作者のフランソワーズ・サガンは自分自身、自由奔放な生活を送り薬物常用を告白したり、その生きざまに批判はありましたが、自らのゆるぎなき信念で生き、2004年9月24日に69歳で永眠しました。シラク大統領は「フランスは輝かしく繊細で傑出した作家を失った」と最高の賛辞で彼女を悼みました。
 揺れ動く女の子の気持をみずみずしい文章で綴った、この小説の訳者朝吹登水子さんは
「意味の深い微妙なニュアンスの言葉の中にサガン独自の世界があった」と言っています。
この朝吹登水子さんがサガン氏の後を追うように、旅立たれたのは奇しくも一年後の今年9月2日でした。                
                     (あさぶき とみこ  新潮社刊)

 原作のイメージがこわれる…と、あの頃は映画を観なかった私でしたが…でも、やっぱり今ごろになって気になって来ました。
 あの頃は全然知らなかったのですが、ファースト・シーンで、ジュリエット・グレコのシャンソンが聴けるのですよ。
この映画のための、オリジナルの曲と歌詞かな 私のシャンソン・アルバムにもないし…
   忘れ得ぬ人を思うときの  ほろ苦い、この悲しみ…
 ヌーヴェル・ヴァーグの花, ジーン・セバーグ(セシル)と「クオ・ヴァデイス」では初々しい娘役、「めぐり逢い」ではすれ違い悲恋の女性のデボラ・カー(アンヌ)
 さて、どんな映画になったのかな?これからでもDVDのレンタル捜そうかな…

 それに、一度いって見たいですねぇ 
   紺碧の空と地中海 赤い屋根の白い家 燦々と輝く太陽と熱い砂…
   南仏 リビエラ コート・ダジュールの海岸へ… (今夜 夢でね…)
                      (長くなりましたが、これで終わり)