映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(29)夏の日の恋(映画「避暑地の出来事」)

2005-08-31 00:04:57 | 映画音楽
 朝の通勤時にラジオから「夏の日の恋」が流れてきた。
 暑い暑い…と言いながら今年の夏も、いよいよ終わりを迎えたようだ。子供の頃は夏休みも少なくなって、新学期が近づくと宿題を片付けるのに大忙しだったっけ。十代末期から二十代末期になってからも、やはり夏の終わりには言い知れぬ寂しさを感じたものだ。
 あの華やかな打ち上げ花火が真夏の象徴とすれば、夏の終わりは線香花火にも似て、なにか一抹の寂しさが漂った。
 「夏の日の恋」は60年代に公開された、{避暑地の出来事」の主題歌だが、サンドラ・ディーという若い女優の作品程度の、事しか知らないまま観ないで終ってしまった。
 しかしこの音楽は「ヴェニスの夏の日」と共に私にとって、真夏を象徴する音楽として今でも脳裏に残っている。
 この頃の私は映像派から活字派へと転換しつつある時期だった。だからフランソワーズ・サガン原作の「悲しみよこんにちわ」は読んだのに、ジーン・セバーグの同名の映画は見ていない…というチグハグが目立つようになった。ラジオを聞きながら本を読むことは、出来ないこともなかったので、主題歌だけはなんとなく自然と覚えたものだろう。
 今ではすつかりストリーなども忘れたが、この頃に読んだのが原田康子の「挽歌」だ。ヒロインの怜子(玲子だったかな?)の住む北海道に憧れたが、今でこそジャンボ機で一飛びの距離も、あの頃は大変だった。プロペラ機のYS11とかが開発された前後だと思うが、汽車で行くにしても時間と費用が大変でいつも計画倒れに終った。
「挽歌」も映画化され主演は森雅之と久我美子で、彼女は元華族の出身で清楚な感じがイメージの女優だった。映画は原作のイメージと一致しないことがあるが、この映画ではどうだったのか、結局は観ないまま終った。
 1960年代は、私にとっても大きい転換期だったし、いずれその頃のことも総括してみたいな…とも思つている。 

 

(28) 映画「誰が為に鐘は鳴る」

2005-08-28 01:03:56 | 映画
 十代初期に見た映画は従姉とのお付き合いのため、大体はぼけっーとして観たものが多いが、この映画は珍しく私が本気で観たくて、観たという忘れられない作品だ。
   戦いの山野に咲出し灼熱の恋!!待望の文芸巨編いよいよ公開迫る!!
 今でもしつかり覚えているキャッチ・フレーズや、渋い表情のゲーリー・クーパーと短髪のイングリッド・バーグマンが写ったポスターに、思わず惹き込まれてしまった17歳の私だった。
 第一次大戦のあと王制から共和制に変わったスペインで、1936年に軍部や右翼を中心とした勢力が反乱を起し、以後三年間にわたって両派が凄惨な内戦を展開した。原作者のアーネスト・へミングウエィは、記者として内戦を見聞した体験からこの小説を書いた。
この映画は共和派を支援するため、義勇兵として駆けつけたアメリカ人青年と、市長だった父をフアッショ派に殺され、共和派ゲリラと行動を共にするスペイン娘との恋物語だ。
 フアッショ派に丸坊主にされて、やっとここまで伸びてきた…という感じの、バーグマンのボーイッシュ・カットの髪型と、北欧系の端正な顔立ち、特にクーパーとの出会いのシーンでの、こぼれるような満面の笑みが、私にはとても可愛くチャーミングに見えた。
 生か死か…の危機的な状況下で二人が交わした有名なセリフ…「Kissの時に鼻は…」こんな会話が暗くなりがちな画面を、時には明るいものにした。
 燃えるようなロマンスと共に、戦争の非情さを描くのも忘れてはいない。冒頭で負傷した仲間が手足まといになるのを防ぐために、クーパーは止むなく仲間を射殺する。冷たい銃口を前に死を覚悟した仲間はクーパーに叫ぶ。「アディオス!」と…。共和国防衛という共通の目的と掟とは言え、やりきれないものを感じた。
 スペイン内戦は各国が最新兵器を続々と投入し、さながら新兵器の実験場だったといわれる。この対立の構図はそのまま第二次大戦に、引き継がれ更に多くの人命が失われた。
 
 この映画の外には彼女の映画を全く観ていないのも不思議なことだが、この謎に迫るため彼女の年譜を追ってみた。この映画が作られた1943年頃は彼女がハリウッド・スターとして最も輝いていた頃だった。しかし商業主義優先の映画界への不満から、独立して作った作品は評判が悪く失敗だった。
 ここでイタリアの監督ロベルト・ロッセリーニと恋に落ちる。夫と娘を捨てイタリアへ渡った彼女は、不道徳なスキャンダルとを起したとしてハリウッドから追放されたため、アメリカ映画から一時姿を消すことになった。
 「誰が為に…」が公開された1952年頃は彼女の新作は、イタリアン・リアリズム風の作品ばかりで、そこにはあの華やかなイメージはすでに感じられなかった。その後ハリウッドへの復帰や「追想」でのアカデミー再受賞の頃には、私の映画熱はすでにピークを越えていた。
 78年の「秋のソナタ」を晩年の作品として、1982年8月29日ついに帰らぬ人になった。最後の時には母の過去のすべてを許した娘の姿があったという。
 その日は奇しくも彼女の67歳の誕生日でもあった。
 「誰が為に鐘は鳴る」このタイトルはイギリスのある詩人の詩の一節だそうだ。
 私はこの鐘を今は亡き大女優イングリッド・バーグマンに対する、愛惜と鎮魂のために鳴らしてやりたい…と思う。                                たそがれ

(27) アンチェインド・メロデイ(映画「ゴースト ニユーヨークの幻」)

2005-08-25 22:13:15 | 映画音楽
 近年になってこの「アンチェインド・メロデイ」という曲をよく耳にするようになった。そしてこの曲が1990年の映画「ゴースト ユーヨークの幻」の映画主題曲だったということを知ったのは、NHKテレビで放送された「アメリカ映画音楽ベスト100」を観てからだった。
 Unchined Merody…この曲を初めて聴いたのは十代末期か二十代初期ごろ、当時のラジオ人気番組の「S盤アワー」で、ジューン・ヴァリという女性歌手が歌っていた。彼女は以前にアルゼンチン・タンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」をジャズ化した「ストレンジ・センセーション」邦題「妖しきときめき」(だったかな?)を歌ってヒットした歌手だった。
 私のCD Boxには彼女の曲は「涙のチャペル」というのが収録されている。この曲は日本語盤を雪村いずみが歌っていたが、歌詞を少し思い出してみると…
 丘の上のチャペル 鳴り渡る鐘 私はひとり 泣き濡れて祈る
 慰めは夢のマリア 銀色の十字架 悩みは消え果て…
といった歌詞だったと思う。ジューン・ヴァリはなにか悲壮感が漂う、絶叫型の歌手だったようだが当時はグレン・ミラーやダイナ・ショアなどソフト・ムードが主流の中で、個性の強い彼女の歌は目立っていた。
 前置きが長くなって肝心の映画「ゴースト ニューヨークの幻」についてだが、「アメリカ版お化け映画」だそうだ。この種の映画は幼少の頃本気で恐くなったので、大人になっても敬遠してきたのだが、この映画のテレビ放送があり折角の機会なので観てみた。
 この映画のクライマックスはやはりヒロインが、幽霊になって現れた恋人と再会するシーンで、主題歌がより効果的に使われていたように思う。
  愛しい人よ その手が触れるのを待っていた
  時が過ぎるのが あまりにも遅くて…     (画面からのメモ)
 この黒髪がとても印象的な女優デミ・ムーアは90年のこの作品で一躍有名になり、96年の映画「素顔のままで」という作品では、ギャラ13億円と途方もない大スターになったそうな。
 歌手ジューン・ヴァリについて最新情報がないか検索してみた。「50年代初期から中期にかけて甘美にして優美な歌声で、人々を魅了した歌手…」としてCDが紹介されていたが、前記の「涙のチャペル」のほかは知らない曲ばかりだった。
 しかし別の記事で「1955年映画『アンチェインド』の主題歌として、ジューン・ヴァリが初めて歌う。1965年ライチャス・ブラザースの歌で再発売、その後はB・クロスビーやE・プレスリーなどの歌手によって歌い継がれ、『ゴースト…』の主題曲として再び世に知られるようになった…」と記されていた。
 Oh my love my darling …で始まる二十世紀なかば頃のこの曲が、二十一世紀になった現在でも歌われている…ということは私にとっても愉快で嬉しいことである。
                               たそがれ
         通信回線やっと復旧しました。これからもよろしくお願い致します。


(雑記帳 1) 今日はブログお休み

2005-08-21 11:33:02 | 雑記帖
 夏バテではないのですが今日はブログをお休み頂くことにしました。
 というのは実はとんでもないハプニングが発生したのです。今年から光ファイバーとかいう高速回線にしたのですが、PCが古いので(Win98Me)調子が悪くメモリーやリソース不足で、不要なアプリケーションを削除したりして対応していました。
 ところが先日、突然 ネット接続も電話も不通になり、点検してもらったらどうも外線が悪いらしい。ひょつとしたらカラスがつついて、断線しているのかも判らないとのこと電話はケータイを借りたのですが、自宅のネットは依然として普通のままです。
 とりあえず娘の家のPCで更新中です。復旧に数日かかるという事ですが、最新の武器もカラスとには勝てないそうで 対策が急がれます。
   直り次第に再開しますので、よろしくお願いします。      たそがれ

 (26)リリー・マルレーン(映画リリー・マルレーン」)

2005-08-19 19:57:41 | 映画音楽
 「リリー・マルレーン」と言う歌を知っていますね? これは第二次大戦中にドイツ人女性歌手により歌われ、アフリカ戦線のドイツ軍の間で流行し、その歌は戦っている敵の連合軍兵士の間でも人気を呼んだそうです。
 戦場ででこの曲がスピーカーから流れてくると、一瞬銃声がピタリと止んで敵味方ともに、この歌に耳を傾けた…と言われました。 
 近代戦の中でそんな暢気なまさか…と思っていたのですが、この曲の日本語歌詞を見てひょっとしてこれは事実かも判らないな…と思うようになりました。
      夜霧深くたちこめて 灯りともる街角に
      やさしくたたずむ恋人の姿
      いとしいリリー・マルレーン いとしいリリー・マルレーン 
         (中略)
      目を閉じれば見えてくる 街灯りに君の姿
      活きて帰れたら 再び会えるね 
      いとしいリリー・マルレーン いとしい リリー・マルレーン  
                           (作詞 片桐和子)
  あとは私の空想です…
 最前線で戦う兵士たちが、この歌を耳にしたときに,瞼に浮かんだのは…
 ふるさとに残した愛する人の面影…それは恋人…それとも幼な子の笑顔…
 人それぞれ思いは違っても 祖国で待っている 愛する人のために
 どうしても 生きて帰らねば…という気持ちは同じだったのでは…と思います。
 日本の軍歌にありました…『夢に出てきた父上に 死んで帰れと励まされ…」
 これではどうすればいいの、お父さん…と言いたくなりますね(露営の歌より)
 
 原歌詞ははもちろんドイツ語ですが、日本語の歌詞は東京音大卒で当時はナベプロで、所属タレントのプロデユースなどに当たっていた、片桐和子氏が歌手の梓みちよさんのため書いたそうです。この歌詞を貰ったとき梓さんは一読して、心を打たれ涙が止まらないほど感動したと言われます。
 映画は1990年代初めに西ドイツで製作されたようですが、あまりなじみのない国の映画なので、日本でどうだったのかはよく判りません。
 この歌がたとえ一瞬の間でも戦場に平和をもたらしたとすれば、それは敵味方や思想 信条の違いを超えて聞く人のはーとをに訴えるものがあったからでしょう。
 たとえそれが単なる架空の「伝説」だったとしても、あの頃に戦場で戦った人々たちには、一生忘れることの出来ない心の歌になったことと思います。
                            たそがれ        
        
 

(25) クワイ河マーチ(映画「戦場にかける橋」)

2005-08-16 00:07:42 | 映画音楽
 この映画が公開された1957年頃は私の映画熱も急速に下降しつつあった。この年は洋画では「道」「昼下がりの情事」「汚れなき悪戯」「素直な悪女」などの名作や問題作が封切りされたようだ。しかし私は知らん顔で「喜びも悲しみも幾年月」「幕末太陽伝」などの邦画を観ていた。強いて思い出せば「ジェルソミーナ」とか、BBことブリジッド・バルドーの名前ぐらいは知っていたかな…映画に関する知識はこの程度まで後退していた。そして関心は社会現象一般の事柄に注がれるようになった。 
 この頃は戦後十年余を経て敗戦の傷跡も回復途上にあった頃だが、同時に今まで隠されていた真実が明るみになることが多くなった。それは開戦や終戦に至る過程や、戦争犯罪など特に私の関心を集めたのは戦時捕虜の問題だった。
 私たちが戦時中に受けた教育は要するに「捕虜になる前に死ね」と言うことだった。太平洋戦争開戦前後に示された「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と言う語句の為に、多くの生命が失われたのは事実である。
 先月もサイパン島で女性などの非戦闘員が、米軍の捕虜になる前に死を選んで断崖から身を投じると言う、悲惨でショッキングな当時のフイルムがテレビで写されていた。
 その一方で旧帝国陸海軍の指導者たちが、敗戦時に「戦陣訓」の規定をどのように考えていたのかが不思議だった。それは私たちは「戦陣訓」が敗戦により空文なったことや、捕虜の処遇を定めた国際法の存在など、私たちは全然知らなかったからだ。
 太平洋戦争中にタイービルマ間を結ぶ約400kmの鉄道が建設され、工事に従事した連合軍捕虜一万五千人、現地人3万人が病気、過労、栄養不足で犠牲になったと言われる。
 この映画では英軍捕虜がイギリス人のプライドをかけて、橋を完成させようとし収容所を脱走したアメリカ兵は橋を爆破しようとするなど、味方同士で正反対の行動を取った。
 実際に日本軍がこんな風に武士道的に対応したのか、英国軍捕虜が明らかな利敵行為に対してほんとに積極的に日本軍に協力したのか、話が都合よく出来すぎていていかにも映画向きの作り話がバレバレのようで、私たちの間では冷めた見方が多かったようだ
 イギリス軍将校がすぐにジェネーブ条約などを持ち出して抵抗したり、英軍捕虜が口笛に乗って颯爽と行進したり,どちらが勝者か敗者かさっぱり判らなくなった。この映画の主題歌「クワイ河マーチ」はミッチー・ミラー楽団の演奏で私の手元にあるが、この音楽を聴くと勇壮とか懐かしいと言うよりも重苦しい感じを受けた。
 第二次大戦を題材にした映画は、戦争が美化されて描かれていることが多いように感じるが、近代戦の悲惨さ、非情さ、冷酷さなどの真実に迫った映画は、私は観ていないが「プラトーン」(87年)など、ベトナム戦争以降にならないと現れないような気がする。
 映画とは関係がないが戦後六十年の終戦の日、某大新聞が「戦争責任を再点検しよう」という社説を掲げていた。
 当時の政治家や軍部の責任は当然としても、これに追従して無批判に戦争を美化して、戦争を推進し多くの国民を死地に追いやった、当時のマスコミや報道関係者に責任が全くないと言うのか、先ず自らを反省し再点検すべきではないか?と感じた。                                                            

(24)大脱走のマーチ(同名の映画)

2005-08-13 00:07:26 | 映画音楽
 私が観た最後の劇場映画なので、この作品はどうしても外したくなかったのに、肝心の主題曲が殆ど記憶に残っていない。そこで本稿を書くにあたりこの主題曲を、一度は聴いてみる必要に迫られてネットで検索してみた。ちょうど都合よくこの曲にぶつかったので聴いてみた。軽い感じのマーチだがもう一つピンと来ない。当時としてはかなりヒットしたとのことなので、映画を観ながら聴くとまた印象が変わるかも判らない。
 この映画は第二次大戦で厳重な警備のもとに置かれた、ドイツの捕虜収容所からの連合軍将兵の集団脱走を扱った作品で実際にあった話だそうだ。この年代の映画はほぼ定型化されていたようで、ドイツ軍兵士はどこか間が抜けていて将校は少しばかり理性と教養があり、特に連合軍兵士たちの薄汚れた格好に比べて、おしゃれなコスチュームは私たちでも憧れに似たものを感じたぐらいだ。
 大体ドイツの高級軍人は旧貴族出身のものが多く、不要な血を流すのを好まなかったようで、ヨーロッパの伝統文化に敬意や尊重の気持を持つ者も多く、近年テレビで観た「戦場のピアニスト」でもそんなシーンがあったと思う。ドイツに占領されていたパリの貴重な文化遺産が、戦火で破壊されることなく残ったのもそのせいだろう。
 収容所での捕虜に対する処遇はそう悪くなかった…にもかかわらず何故脱走しなければならなかったのか?と言う疑問が残るが、欧米では捕虜になることは特に恥ずべきことではなかったと同時に、機会を見ては脱走する義務も課せられていたからだろう。
 しかしナチスとかヒトラー親衛隊などはかなり非道だったようで、この映画での脱走失敗者に対する結末などは、多分ナチスの仕業ではないかと思う。
 この映画での私の最大の関心は公開前から評判の高かった、スティーブ・マックイーンのバイクでのアクロバット・シーンだろう。後から実はスタントマンだったとか、バイクはドイツ製でなかったとか、鉄条網は実はゴム製だったとか、いろいろ判ってきたが彼自身バイク乗りとしてはかなりの腕前だったようだ。だから別に彼やこの映画の評価が下がる訳ではない。
 当時の道路はまだデコボコや石コロだらけの道が多く、転倒は珍しいことではなくボクサーの怪我…いわば勲章みたいなものだった。そのくせもっと大きなエンジンを載せたバイクが夢だったが、これには免許証と言う大きい壁があった。
 当時の私は125cc限定つまり第二種原付免許だったのに、その後の再三の法改正で知らない間に、タナボタ式に大型二輪免許に化けているのには吃驚した。ということはあの頃憧れていた・ナナハンとかサイドカーに乗れる…と気がついたとき背筋がゾクッとした。
 でもねぇー考えてみると…冬は寒いし雨フリはいやだし、コケたら起すの重いしパンクしたらどないするねん…という訳で相変わらずコケる恐れのない四輪を愛用中だ。
 こうして我が最良の時代は足早に去って行き、残ったのは遠い日の思い出だけ…でもそれで良かったのではないか…と思う昨今である。
                               たそがれ




(23)史上最大の作戦(同名の映画)

2005-08-10 00:25:36 | 映画音楽
 私が最後に観た劇場映画はなんだろう…と調べてみたら、1962年の「史上最大の作戦」1963年の「大脱走」あたりが最後のようで、どちらも戦争に関連した映画ばかりだった。有名女優が全く登場しないピンクムードゼロの映画ばかりで、それではもう少しお色気のある映画はなかったのかといえばそうでもなく、この年は「太陽は一人ぼっち」「噂の二人」など、私好みの作品も結構あったようなのに全然観ていないのは不思議だった。
 なにか理由があるはずだが…と考えたらすぐに判った。ちょうどこの年に転職したのだ。新しい職場に慣れるのにせい一杯で、悩ましいラヴストりーものは意識的に敬遠していたのだろう。戦争ものや歴史物は最初から結末が判っているので、割合と気楽にみられたのだろう。
 この映画は第二次大戦で連合軍の反攻が始まった、1944年のノルマンディ上陸作戦を題材にした作品だ。ドイツ軍は占領下のフランスへの連合軍の上陸地点として、英仏間の最も距離が短いドーバー海峡を予想していた。しかし連合軍は悪天候の中をドイツ軍の予想外のフランス北部海岸への上陸を決行した。
 この海岸は写真を見ても断崖絶壁が連なる地形だったので、いかに不意打ちとは言え、ドイツ軍の抵抗も厳しくかなりの激戦になったようだ。しかしこの作戦の成功が対ドイツ戦の連合軍の勝利を決定的にした点で意味は大きい。戦後になって最も身近に起きた戦争は1950年の朝鮮戦争だが初期に釜山近辺まで追い詰められていた国連軍が、仁川上陸作戦によって逆転に成功した事例と共通している。
 この映画の特徴は当時の大スターが大量動員されていたことだ。ジョン・ウエィン ロバート・ミッチャム クルト・ユンゲルス ショーン・コネリー等々だ。ロバート・ミッチャムはマリリン・モンローと共演した「帰らざる河」以来だった。クルト・ユンゲルスの扮するドイツ軍司令官が、連合軍の猛攻に屈せず味方の増援が期待出来ないまま、絶望的な戦いを続ける姿は悲壮だった。
 主題歌は勇壮な感じのマーチで映画が公開された頃、佐々木功がテレビで歌っていたのを記憶している。
 第二次大戦が終ってすでに六十年の歳月が流れたが、地球上のどこかでテロ行為などでいまだに人命が失われている。真の平和が訪れるのはいつの日だろうか。
                                 たそがれ

(22) 別れのワルツ(映画「哀愁」)

2005-08-07 00:42:49 | 映画音楽
 大人と子供の境界線を彷徨っていた私を、映画や音楽の世界に引き込んだのは5歳年上の従姉のU子だった。大阪に住んでいた彼女は余程退屈していたと見えて、たまに訪れる私をしばしば映画に誘った。
 いつまでも私を子供扱いすることにはやや不満だったが、子供のフリをしている方がトクな事に気づくと、私は従順な弟分らしく映画や食事のお供をすることに決めた。
 当然のことながら私に映画の内容の選択権はなく…というより全然知らなかった…という方が正確かも判らない。私はもし尋ねられたら当時人気抜群だった「アチャコ青春手帖」と答えるつもりだったが、U子は何も聞かずに近くのローカルな映画館か、電車でミナミに向かうのだった。U子は私を子供扱いするくせに見るのはラブストりーが多く、私も興味や好奇心もあって大人の世界へと少しづつ近づいていった。
 この映画で私がまず関心を持ったのは主演男優のロバート・テイラーだった。第一次大戦当時のイギリス軍将校の凛々しいというか、カッコいいというか、今まで見慣れてきた日本軍将校の地味な格好に比べれば雲泥の差に感じた。
 主演女優のヴィヴィアン・リーはいかにも悲劇のヒロインといった印象だったが、このイメージが後年に観た「風と…」のスターレット・オハラの強気で気ままな性格と一致せず、まだ発達途上の私のお脳は大混乱した。その後の「欲望と言う名の電車」ではまた違う感じの女性を演じて「風と…」に続く再度のアカデミー賞を獲得したそうだ。病魔のため五十代の若さで他界したが、「美人薄命}とは彼女の為に用意された言葉のように感じられた。
 主題曲の「別れのワルツ」はどんなシーンだったのかな?もう一つは「アンニー・ローリー」だっかな?などとこのあたりになると、記憶がだんだんと曖昧になってくる。
 ロバート・テイラーが気に入ってその後、「クオ・ヴァディス」という作品を観た。帝政ローマ…暴君ネロの時代を背景に、迫害を受けていたキリスト教徒の娘と、ローマ軍の隊長の恋物語だが、ここで私はデボラ・カーというスターに出会った。V・リーと同じイギリス人で…と書き出すとまた止まらなくなるので又の機会にしょう。
 戦死したはずの恋人が生きていて、せっかく再会できたのに何故彼女は、死を選ばねばならなかったのか?私にも大体判ったつもりだったが、念のためU子に聞いてみた。U子は
少し困った表情で「いずれ大人になったら判る…」といって何も教えてくれなかった。
 この映画で描かれた戦争がもたらした悲劇的なラストは、多くの女性たちの涙を誘い、ウォタールー・ブリツジでのファーストシーンは、後年のNHK人気ドラマ「君の名は」のヒントになったといわれる。
 私が観た映画では初期のものだったため、消化不良の代表のような作品だったが、もう一度大人の視点から落ち着いて見直したい作品の一つでもある。
                                 たそがれ

  (21)タラのテーマ(映画 「風と共に去りぬ」)

2005-08-04 00:09:03 | 映画音楽
 誰にでも「古き良き時代」というものがあると思うが、この映画の舞台となったアメリカ南部の人々にとって「良き時代」とは地主と奴隷による階級社会が形成されていた頃である。
 裕福な地主の家に育ち自尊心が高く、我ままな性格の娘スターレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー〕が、南北戦争という歴史的な変革の時代を背景に、次々と起こる苦難の半生を持ち前の勝気な気性で乗り切って行く壮大な物語だ。 
 幼な馴染みのアシュレー(レスリー・ハワード)を忘れられないまま,愛のない結婚をするあたりは彼女の気持がよく判らない。気位が高く自信家の彼女はアシュレーがいとこのメラニー(オリヴァー・デ・ハヴィランド)と結婚したときにはじめて涙を見せる。
 戦火にあったアトランタの町からの脱出や、メラニーの出産の場面で見せた勇気には感動を覚えた。なにもかも北軍兵士に奪われて、空っぽになった邸宅で彼女は神に誓う。
 二度と飢えはしない!たとえ盗みをしようと、人を殺めようとも!
 生きるために盗みに入った北軍脱走兵を彼女はためらうことなく射殺する。敵だった北部の資本家と取引したり、大して好きでもなかったパトラー船長(クラーク・ゲーブル)と結婚するが…すべてが終って彼女に残ったのは…ふるさとのタラの赤い土 明日に希望を託そう…すべては風と共に過ぎ去ったのだ…
南北戦争により古い体制は崩壊して南部にも新しい時代が訪れてきた。
 この映画が公開された頃の日本の状況もよく似たものだった。敗戦により古い体制や価値観は消滅して、明治維新以来の大変革の嵐がやって来た。スターレット・オハラの生き方…その良否はともかく戦後の混乱の中で必死に生きた人々には、大きな感動と勇気を与えたようだ。
 女優ヴィヴィアン・リーのインパクトがあまりにも強烈だったため、私にはパトラー役のクラーク・ゲーブルの存在が薄く見えた。それよりも私はメラニー役のオリヴァー・デ・ハヴィランドに興味を持った。彼女は当時の私のお気に入り某大女優の姉だった。しかもこの姉妹は仲が悪かったので、本気でケンかをすれば、どちらを応援すべきか?大真面目で迷ったほどだが、その後はどうなったのかは聞いていない。
 原作は読んでいないがこの作品は南部人の視点から見た物語のようで、奴隷解放に努めた北部人が悪玉扱いであったり多少は違和感もあった。
 ラストシーンは彼女の固い決意を象徴するように、主題曲「タラのテーマ」が流れて約4時間の映画は終ったが、最初は疲れたばかりであまりよく理解出来なかったようだ。
 テレビの再放送やビデオがなければ、多分永久に消化不良(今でも完全消化といえないが…)のまま終ったかも知れない超大作であった。
                            たそがれ