映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(妄想ひとり旅) (14) 「白糸の滝」

2006-03-31 00:02:06 | 旅 おでかけ
 河口湖から次の目標の「白糸の滝」へ向かいました。
 現在は途中には朝霧高原などもあって牧歌的な風景が見られますが、昭和初期にあったのかどうかはよく判りません。
 今はお土産屋が立ち並ぶ道も、あの頃はひっそりとして「音止(おとめ)の滝」と「白糸の滝」の二つの滝が、富士山の溶岩から湧き出た清冽な地下水を集めて、滔滔と音を立てて流れ落ちていました。
 「音止の滝」は水流が一箇所に集中して流下しているので,水量が多く水音は轟々として話し声が聞こえにくい程です。
 言い伝えによれば源平時代の頃,曽我兄弟の敵討ちと言う故事がありましたが、その時に二人の密談が聴こえにくいので、「黙れ!」と一喝したら一瞬水音が止んだ‥と云うことで「音止の滝」だそうです。
 これに比べて「白糸の滝」は幅が広くて、水流が分散して落下しているので水音はそれ程ではありませんが、二十数メートルの高さですから、やはり壮観には違いありません。
 
 ここで思い出すのが名作「滝の白糸」です。この作品とこの名所が関連あるのか、どうか、詳しい筋書きも大半は忘れましたが、旅芸人「白糸」はふとしたことから罪を犯して裁判を受ける身になりました。
 この裁判を担当することになったのは‥いかなる運命の神様のいたずらか、奇しくもかって援助していた苦学生だったのです‥‥彼女に支えられて学業を終えた彼は、その後に裁判官((検察官かも?)に任官されていたのです。
 さて彼女の運命は如何相成りまするか?‥私がうっすらと覚えているのはこのあたりまで‥おあとは泉鏡花原作の小説でも読むことにしましょうか。
 泉鏡花‥本名は泉鏡太郎‥戦後のヒット曲で小畑実が歌っていた、「湯島の白梅」でお馴染みの「婦系図」(おんなけいず)の原作者でもあります。
 先に触れたように「音止の滝」は、狭い川幅に水流が集中しているので、勇壮で男性的なのに比べ「白糸の滝」は水流が分散していますから、優しくて細やかで繊細な女性的な感じを受けます。
 苦学していた青年に援助の手を差しのべていた、心優しき悲劇の旅芸人「滝の白糸」のネーミングは、この滝のイメージからつけられたのかも知れませんね。
 ここは今まで何度か来たことがありますが、その度に思い出すのがこの名作であり、哀しい旅役者「滝の白糸」の面影でした。
 
 「白糸の滝」は富士山の西側にありますから、長尾峠とは反対の方向から写したことになります。こうなると南側‥つまり太平洋岸からも写して見たくなりました。富士川を伝って下ることにしましたが、その道筋に忽然と現れた珍しい風景に私は釘付けになりました。
 さて、そこには21世紀の現代では、おそらく見ることも出来ない風景が‥
    詳しくは次回に‥
 

(妄想ひとり旅) (13) 「河口湖」

2006-03-30 00:11:17 | 旅 おでかけ
 乙女峠で一日過ごしたので茶店の軒先を借りて泊まることにしました。
昔はここに関所があって旅人は留め置かれたので、「お留」→「乙女」に転化したそうです。
 ところで今までは富士山を東方向から写したので、次は北方向から撮ることにしました。と云うことは「河口湖」あたりになる訳ですが,カーナビで調べたら東名高速 御殿場ICあたりから国道138号線を行けば良いそうです。しかし昭和6年時点ではそんな道は勿論ありませんので、草深きあるのか,ないのかさっぱりわからない道を草木をかきわけながら山道を辿りました。
 そのうちパッと視界が開けたと思うと、木の陰からやっと河口湖が見えてきました。太陽光線の関係もあり湖畔の道を辿りながら、夕暮れ近い富士山の撮影に適した場所を探すのが大変でした。
 静まり帰った湖面を見つめていると、ふと思い出した歌がありました。
   <山の寂しい湖に 一人来たのも悲しい心>
 戦前にの高峰三枝子のヒツト曲ですが、私が一番好きなところは‥
  <水にたそがれ迫る頃 岸の林をしずかに行けば
   雲は流れてむらさきの  うすきスミレにほろほろと
   いつか涙の陽が落ちる(作詞 佐藤惣之助 作曲 服部良一「湖畔の宿」)
 私には姉が二人もいたので子供の頃から、こんな叙情歌謡ばかり聴きながら育ちました。覚えなければ不思議です。もう一つお気に入りの歌もがありました。
  <落ち葉散る散る山あいの 青い静かな湖恋し
   星かすみれか真珠の玉か 乙女ごころの夢のいろ 夢のいろ>
  (作詞 西条八十 作曲 早乙女光 「湖畔の乙女」)
 はかなく消えた淡い恋に打ち沈む傷心の女性と、山あいの美しい自然風景‥はるか遠いふるさとの湖に、思いを馳せる乙女心が伝わってくるようです。
 草むらに腰を下ろし懐旧の念に駆られているうちに、いつの間にか陽は西に沈み静かな湖面は鉛色に沈んで夕闇が迫って来ました。
   
昭和初期のモノクロ写真は正確には、北ではなく西北方向になりますが、静かなたたずまいを見せるこのの写真からは、観光客で賑わう現在の河口湖は想像出来ませんね。
 昨年11月に私は富士五湖を訪れましたが、その頃のブログに記事を書きましたのでよろしければご覧下さい。

(妄想ひとり旅) (12)「乙女峠」

2006-03-29 00:07:25 | 旅 おでかけ
 「乙女峠」‥なんて綺麗な語感なんでしょうか。
 私の近辺にある「XX峠」は日本書紀の時代には、お化けとか山賊などが出没したと云う物騒な峠でした。
 それに対してとても優美で憧れを感じる呼称ですね。どうしても行きたくなった私は、歩くことx時間‥やがて到着した峠から見る富士山はほんとに絶景でした。
 
 茶店がポツンと一軒ありお茶を所望すると、たすきがけの可愛い娘さんが駿河特産の銘茶を入れてくれました。富士山を眺めながらお茶を味わう‥なんて落ち着いた贅沢な憩いのひとときでしょうか。
 しばし瞑想に耽っていた私が我に返りったとき、富士山の方向にやや憂いを含んだ瞳を向けている、うら若き女性の横顔が目に入りました。
   <‥じっと見つめる女が一人 (中略) 
    ああ 恋は終わっても 好きです あなた‥♪>
 こんな演歌がぴったりの風景‥真白の富士を思わせる清楚な姿‥  
 「富士を見つめる憂愁の佳人‥」これは「絵」になる‥と思ったのですが、不思議なことに私のデジカメはいつの間にやら、クラシック・カメラに入れ替わっていたのです。この種のカメラは「シャッター速度」「絞り」「焦点距離」等すべて被写体や、天候や光線の量などを勘案して合わす必要があるのです。
 そんな訳で焦っていると余計に巧くいかず、スタンバイ出来た頃には‥‥彼女の姿は忽然と消えていました。我が願望はこうしてシャボン玉のように、はかなくも哀しくも‥夢か幻にと消えたのであります。
 (天の声あり‥ こらっ!ラヴ・ロマンスの見過ぎだっ!)(反省‥)
 
 昭和初期に「ここは交通の便利が悪いが前方をさえぎるものがないので、富士山を撮るには最高の場所だ」と絶賛されていました。今は立派なドライブウエイが出来て、大変行きやすくなっているようです。

 引用した演歌は 作詞 やしろよう 作曲 伊藤雪彦「木曽路の女」でした。
 

 


(妄想ひとり旅) (11)「長尾峠」

2006-03-28 00:03:02 | 旅 おでかけ
 この峠は富士山を写すのには有名な場所と云うので、箱根の湯は後回しにしてここへ行くことに決めました。御殿場駅から自動車の入れる道があり、タクシーを雇えばよいとのことでしたが、予算不足のため「テクシー」つまりあまり自身はないけど、自前の足で‥となりました。
 お天気の方は神様のお蔭で上天気が約束されていたので、心配することもなく汗を拭き拭き坂道を登ることx時間‥着いたところは成る程、眺望は凄ーく良かったです。近くに見えている建物は登山自動車のガレージだそうですよ。クルマを雇っていれば楽だったかも知れませんが、当時のお金で数十円も助かりました。
 標識を見ると尾根を辿って行くと「乙女峠」と云うところへへ行けるそうな‥
 近くには足柄峠とか、金時山とか昔話にでてくる地名があるようです。
 食いしん坊の私は「金時」と云うと真っ先に、「宇治金時」を連想して仕舞うのですが‥それにヒシ型の布に「金」と大書した「腹当て」とか‥どこを切っても同じ顔という「金太郎飴」なども‥
 確か子供の頃に「足柄山の金太郎 熊にまたがりお馬の稽古‥」なんて歌や、昔話ががあったっけ‥
 と云うことは‥この辺はクマが出ると云うことか‥と突然ブルブルと恐怖感が持ち上がって来ました。でも後へはもう引き返せません。
 私の近辺はサル イノシシ シカは珍しくないのですが、クマはいないし‥万一にも出合ったら、どないするねん‥それでも私は気になるアノ地名‥
 幼い頃の郷愁が甦って来るような地名に混じって‥‥「乙女峠」‥なにか胸がキュンとなりそうな感じ‥
 なんて素敵なネーミングなんでしょうか‥私はさっきの恐怖感はどこかへ消し飛んで、どうしてもこのロマンチックな名の峠へ行きたくなりました。
 ひょっとしたら新しい「出会い」があるかも‥
  伊勢正三の詩の読みすぎ(?)で‥
   「別れ」にばかりこだわっていた私にも‥
     ひょっとしたら‥?なにか‥ルンルン ♪♪♪気分に
       も一度 春が‥‥?思わず胸にときめきが‥♪♪♪
   ‥と勝手に自分に都合の良いイメージを描きながら‥「乙女峠」の名に魅せられた私は、ただひたすら坂道を歩むのでした。(続く)   
        
 以前に彼の「22歳の別れ」のCDを聴いていたら、急に胸の中を通り過ぎていくものを感じたました‥のでダラダラと記事を書いていたのですが、新企画「妄想ツアー」にハマリ込んだため、しばらく中途半端でお預けになりそうです。

(妄想ひとり旅) (10)「箱根旧街道」

2006-03-27 00:31:33 | 旅 おでかけ
 十国峠を喘ぎながら登ると箱根でした。昔のことですが観光バスでこのあたりを通った時バスガイドさんが、「箱根は何県と思いますか?」とお客さんに尋ねました。「神奈川県」「イヤ静岡県や‥」と口々に答えますと、ガイドさん曰く「残念でしたー ここは『天下の険』でございます」と答えるのが一時期には流行りました。「箱根の山は天下の険♪♪」と云う歌も、最近はあまり聴かれなくなりました。
 しかしこの問題をド真剣に考えるのは最初だけで、二度目になると問題を全部言う前にお客の方が、先に答えを云って仕舞うので面白みがなくなりました。
 ひどい時はお客の方がガイドさんが言う前に、逆質問する有様でこの定番クイズは通用しなくなりました。
 
 昭和初期の箱根ともなると面白くも珍しい風景に出食わすものです。なにか異様な人影が!今なら不審人物として全国指名手配されそうな人影が‥と思いきや‥それは昔懐かしい天秤棒を担いだ「おっちゃん」いや‥「おじさん」でした。
 中身は何か‥お荷物は「金魚」?まだ春なのに‥まさか‥でもこの姿からは関西ではすぐに大和郡山の{金魚エー」のおっさんを連想するのですよ。勿論、こんな姿は昭和2ケタの私ですら見たことはないのですが‥
 さて、ここから芦ノ湖の方へ下って、箱根の湯にどっぷり浸かって疲れを休めるか、それとも富士山を写す絶好の場所へ登るか二者択一を迫られました。
 富士山を写すのに良い場所‥と云えば勿論‥皆さんもご存知のアノ場所です。
 でも天候が心配‥ 「Oh !神様 なんとかしてんか」とお願いすると
 神様より「よしよし まかしときー」と云う返事がありました。
という訳で富士山の撮影ハイキングにに向かうことになりました。
 それにしてもあのおじさんの担いでいた荷物の中身は、一体何だったのでしょうね?ご存知の方お教え下さい。
 私はあの風体では絶対に「大和」の「金魚」だと確信していますが‥
  でも気になりますねー 




(妄想ひとり旅) (9) 「十国峠」

2006-03-26 00:12:46 | 旅 おでかけ
 昭和初期の世界に迷い込んだ私は夜が明けると、箱根へ行くつもりで山道を疲れた足取りでとぼとぼと歩き始めました。勿論、今と違ってドライブウェイなんてありません。そもそも自動車自体の数が少なかった頃です。
 当時の解説によると{標高は七百五拾米で眼下に熱海町を見下ろし、初島や遠く噴煙をたなびかせる大島や、伊豆七島を望み眺望絶佳である」と記されています。
 それにしても排気ガスや騒音に悩まされることもなく、山道を歩いて行くとなにか今まで忘れていたものが、戻ってくるよう感じがして来ました。
 昔「十国」を見渡すことが出来る‥ことから「十国峠」と云われたそうですが、さて十国って‥駿河 伊豆 三河 遠江 武蔵 それから‥甲斐 信濃 高い山なら見えるでしょうか?
 関東の方は判りません。「関八州」とか云いますが‥御存知の方お教え下さい。

 (注)この記事の本文の一部あるいは、すべてがバーチャルですから適当にご判断下さい。正確な記述は正規の案内書をご覧下さい。
 掲載写真と引用文は昭和6年(1931年)に「改造社」から出版された「日本地理大系 中部編}から抜粋したものです。
 古い写真なので見難いと思いますが、時の流れにより失われた古い時代を知る「手がかり」として、もう一度だけ光をあてて見たいのです。
 引用文は当時の表現を使用しました。

 このブログは「遊び」の心でご覧下さい。
 マトモによんで戴くとお叱りを受けるかも‥
 

(妄想ひとり旅) (8) 熱海風景

2006-03-25 00:14:42 | 旅 おでかけ
 「バーチャル・ツアー」は便利なもので、「デゴイチ」に牽かれて始発駅を出た「ブルー・トレイン」は、長距離夜行列車が少なくなったお蔭で東海道本線をスイスイと走り、もうちゃんと熱海駅に到着しました。
 が、到着したときから何か様子が変でした。自動改札ではなくて改札係のおじさんが、はさみをカチャカチャしながら暇そうに立っているのです。
 「歓迎! モーソーツアーご一行様」ののぼりも全然ありません。それもそのはず‥このツアーは参加者は私一人なんですから‥駅前に「乗合自動車」と言う看板がありましたのでそこへ行って見ました。
 それは現在の「路線バス」のことで今みたいなワンマンでなくて「紺の制服 身に着けた」まるで「東京のバスガール」みたいな、女性の車掌さんが「発車オーライ 明るく明るく走るのよ‥‥♪♪♪ 毎度ご乗車有難うございます」と案内を始めました。
 早速、「熱海の町がよく見える高台」に連れて行って‥と頼んだら、適当なところで降ろしてくれました。そこから市内を望遠鏡で展望すると、前には道路のど真ん中にあったはずの「金色夜叉」の「貫一お宮の石碑」は何故か海岸にありました。聞いてみると元来この石碑は海岸にあったもので、石碑が勝手に移動した訳ではない‥と云うことでした。
 私が以前に泊まった某ホテルも姿を消してありません。夜になってもあの「百万ドルの夜景」はなく、文字通り灯が消えたような寂しい景色でした。「ああ、これがアノ不夜城と呼ばれた熱海の夜景なのか?」と信じられぬ思いで独り言を言いました。
 するとどこからともなく「天の声」が聴こえてきました。「よく聞けよ!お前は昭和初期の世界にいるのだ!もう21世紀の世界には永久に戻れないのだ!」と恐ろしい声が聞こえて来たのです。。。。。
 私は必死の思いで「そんな殺生な‥無茶苦茶でござりますがな‥ほなブログの更新でけへンやおまへんか?」とお願いしました。
 すると天の声は「わても生まれは関西やねん‥それに免じてブログ更新の時間だけ21世紀に戻したるさかい、用が済んだらすぐに戻って来んとあかんでぇ」とのお告げがありました。
 こうして昭和初期の世界でありながら、幸いにして「関西出身」の神様のお蔭で、パソコンだけは使っても良い‥と云う、不思議で不条理な世界に迷い込んで仕舞ったのです。
 (注)写真は昭和6年時点での熱海の町の展望です。当然のことながらこの頃にはカラー写真はありませんからすべてモノクロです。 

(妄想ひとり旅)(7) ブルー・トレインの始発駅?

2006-03-24 00:02:21 | 旅 おでかけ
 これはある第3セクター鉄道の駅風景で今回のツアーの始発駅に予定しています。今はひっそりしていますが、春からのお出かけシーズンになると、観光客などで休日などにはもう少し賑わうようになります。
 これでもこの町は今から遡ること一千有余年の天平時代、聖武天皇の御代に都が置かれたことがある由緒ある町です。世が世であればお公家さんがこのあたりを闊歩したことでしょう。
 遺跡発掘もされていて謎の全容が,徐々に解明されつつあります。
 「モーソー・ツアー}はこの駅からスタートします。
  参加者大歓迎です!

(妄想ひとり旅) (7の続き)

2006-03-24 00:01:07 | 旅 おでかけ
 第3セクターのこの鉄道は始発駅を出て約15km、25分ぐらいで終着駅に到着してJR線に接続します。
 初夏ごろになると山つつじの花や、爽やかなもえぎ色に包まれた高原を、ホトトギスの声を聞きながらジーゼル・カーがのんびりと走ります。
 途中でこの線路は工事中の第2名神高速道路や、一般国道の3線がクロスします。現在の名神高速道路は滋賀・岐阜県境付近が、雪の難所になっていますのでこの高速道路が完成するとこれも解消して便利になります。
 新しく出来る高速道路は制限速度140km/hともいわれ、東海、関東方面への所要時間は大幅に短縮されます。
 でも大阪方面は高速道路建設見直しのあおりを受けて,できるかどうかは未知数です。いずれこのあたりの山の中に、高速道路のインター・チェンジが出来る予定です。

(妄想ひとり旅)(5) ブルー・トレイン スタンバイ!

2006-03-23 00:12:35 | 旅 おでかけ
 旅客列車なんですから本来は「デゴイチ」でなく、優美なスタイルで「貴婦人」の異名を持つ「C51」蒸気機関車が良いのですが、それには又模型屋へ走らねばならず、この際贅沢は言っていられません。
 客車は「スハフ12」と「オハ12」いう二つの型式ですが、これは模型ながらもテール・ランプが点灯したり工夫されています。
 と云う訳で機関車と客車を並べた写真を孫にに見せたら、「あっ!この機関車の前輪脱線してるんと違う‥」「ブルトレの前のレールないでぇ‥走れへんでぇ」と散々でしたが、ほんまに孫たちは正直で‥全然手加減してくれません。
でも孫たちもマニアではないので一目で判る箇所はともかく、更に詳しいことは知らないらしく助かりました。
 ナンバー・プレートもついてないとか、とか欠陥探しはいくらでも‥
                         (下のページに続く)
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