映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

ケ・セラ・セラ(映画[知りすぎていた男」)

2005-06-30 06:29:48 | 映画音楽
 「アメリカ映画音楽ベスト100」も古い作品と言うと、流石に捜すのに骨が折れました。何分にも映画を観る回数が少なかったので当然ですが、それでもラジオでよく聴かされていた曲がありました。それは[映画音楽ベスト100」の中で48位にランクされた「ケ・セラ・セラ」です。
 この曲がヒットした1956年ごろと言うと、現東京都知事の石原慎太郎氏の[太陽の季節」の映画化などで[太陽族]という若者世代が生まれました。そして日常会話の中で頻繁に使われたのが「ケ・セラ・セラ」という言葉でした。
 この歌はアルフレッド・ヒッチコックが監督したサスペンス映画[知りすぎていた男」に挿入され、アカデミー主題歌賞を獲得しました。わが敬愛するドリス・デイがジェームス・スチュアートと共演した作品で、レコードも世界的にヒットして「ケ・セラ・セラ」は流行語になりました。
 「Qea sera sera]という言葉はラテン語(だったと思う…?うーん 自信がない…)で[どうでもなるさ…」という意味だったと思います。日本語盤は誰が歌っていたのか忘れたが、
  「ケ・セラ・セラ なるようになるさ 先のことなど判らない…」
といった歌詞だったと思います。とにかく便利な言葉で仕事などで行き詰まると「これから先のことは知らん あとは神様の御心のままに…」などといって途中で放り出すときなどに使いました。
 ここで1940-50年 を代表する大スター、ドリス・デイについて調べてみました。1924年に
アメリカ オハイオ州に生まれ,幼時はバレリーナに憧れましたが、交通事故で足を痛めて断念し、音楽の道に専念、1944年「センチメンタル・ジヤーニー」が大ヒット、その後も1950年「二人でお茶を」
1953年「カラミティ・ジェーン」で女優としても認められました。
 ネットでCDの通販の広告があったので試聴してみました。江利チエミが日本語盤を歌っていた「ア・ガイ・イズ・ア・ガイ」の原曲です。
 「私のママがいいました。男はみんな狼よ…(中略)… 私だって アバンチュールを楽しみたーい」
チエミの歌はこんな歌詞だったかな? 試聴なのでアッという間に(30秒ぐらい)終りました。
 CDは12曲入りで5、250円也。彼女の歌の代表曲は一応は揃っているので遠慮しました。
                                    たそがれ 
 




ハイ。ヌーン(映画「真昼の決闘」)

2005-06-28 06:19:55 | 映画音楽
 先日NHKのBSで放送された「アメリカ映画ベスト100」の中で、25位に映画1「真昼の決闘」の主題歌「ハイ。ヌーン」が入った。1952年頃に公開された古い映画だが、あの息づまるような緊迫感はいまだに忘れられない。
 舞台は西部の田舎町、保安官(ゲーリー・クーパー)に刑務所へぶち込まれた悪人が、刑期を終えて出所して保安官にお礼参りにやって来る…という知らせが入り、市民たちは恐怖に怯えていた。婚約者(グレース・ケリー)との結婚式を明日に控えた保安官は、市民に助力を求めるが後難を恐れる市民たちは誰も彼を助けようとしない。しかし対決の時は待ったなしで刻々と迫ってくる…といったような筋書きだったと思う。
 彼も保安官である前に1人の人間であり、結婚を控えて「死にたくない」という恐怖感と「悪人をやっつけねば…」という正義感の間で悩む…観客も我がことのように恐怖感を共有したという点で西部劇としては異色な感じを受けた。
 そんな不気味な雰囲気を盛り上げる上で重要な役割を果したたのが、主題歌「ハイ・ヌーン」だろう。
 恒例によって私のCD・BOXを覗いてみると「High noon」をテックス・リッターが歌っていた。
 オールド・フアンなら大抵は覚えているのが
    Do not forsake oh my darrin'  On this our wedding day
 という冒頭の歌詞だろう。
 このとき婚約者の女性は…悩みながらもラストの対決シーンで…婚約者を演じたグレース・ケリーは無名の新人だったが、この映画をきっかけに大女優への道を歩みモナコ王妃にまで登りつめたが、交通事故により他界したことは知られている。
 半世紀以上もたった現在でもこの曲が忘れられていないのは、数奇な運命を辿った女優グレース・ケリーに対するアメリカ国民の、惜別と鎮魂の気持ちが込められているのではないかと思う。
                                       たそがれ



 


魅惑の宵 (映画「南太平洋」)

2005-06-26 00:58:13 | 映画音楽
 私が「映画音楽」をテーマにをブログつくりを始めた日、偶然のことだがNHK衛星放送で「AFI(アメリカ映画協会)が選んだ、アメリカ映画音楽ベスト100」という番組が放送された。大いに心が動いたが後で見るつもりでビデオに録画してそのままブログ作り続けた。
 録画中ちょつとだけ覗いて見たらジーン・ケリーが、雨の中で傘をさして踊るシーン…勿論「雨に唄えば」だ。
ちょうど梅雨時期だし定番の曲だが一向に降りそうもない空模様に、投稿のタイミングを失ったまま現在に至っている。1週間ほどしてからこの番組のビデオを見た。取り上げられた曲は、私たち世代から見ると殆どが1970-90年代の、割合と新しい曲ばかりだった。
 気になる第一位はなんと私がブログで取り上げた「虹を越えて」で、J・ガーランドの名曲が今でもアメリカ人の心の歌になっていることを知って嬉しくなった。また私が対象にしている曲は全体からいうと僅かで私のブログが、テレビ放送の二番煎じになる可能性は少なくなった。
 
さて、この映画「南太平洋」の主題曲「魅惑の宵」が100曲中の28位になった。この映画が製作されたのは1957年、日本公開1959年、不思議なことに私たち年代が主題曲の「魅惑の宵」という曲をを知ったのは、映画封切よりずーっと早い1953年だ。
 「魅惑の宵」「バリ・ハイ」などの主題曲は、当初はブロードウエイの舞台劇に挿入され,好評のため数年間の超ロングランを行ない一年前の前売り券が売り切れたといわれる。日本でこの曲が受けたのは当時は日本にわんさといたアメリカ駐留軍の影響がが大きいと思う。
 その頃我が国の電波事情はFEN(米駐留軍極東放送)が、高出力の電波を使って将兵向けに放送を流していた。その強力な電波に私たちの安物ラジオは圧倒された。米ソ冷戦を反映して北のモスクワ放送、西からは北京放送…仕方なく米軍向け放送を聞いていて、しばしば耳にするのが「魅惑の宵」だった。
 マントヴァーニ・オーケストラの演奏する南国の、甘く開放的でロマンチックなムードに思わず惹きこまれていった。
 当時の私のアイドルはデビー・レイノルズだったが、この映画の主演女優ミッチー・ゲイナーがもう少し早く登場していたらアイドルの座は彼女だったかも判らない。ロッサノ・ブラッツイはイタリー人なのにイギリス映画「旅情」に出てみたり、どちらかいえば欧米系映画のほうが多いようだ。
 
私のCD・BoXを開けてみると「魅惑の宵」を世に送り出したマントヴァーニ・オーケストラのCDは、この
[Some Enchanted Evening]のほか前記の映画「旅情」の主題歌「ヴェニスの夏の日」など映画主題曲が数曲、そして「イタリアン・フアンタジア」として「オ・ソレ・ミオ」などの名曲がズラリ…ムード・ミュージックの王者にふさわしいヴォリュームで収録されている。
また別のCDだが懐かしの「ジャズ・スクリーンテーマ」の中に「バリ・ハイ」をS盤アワー華やかなりし頃に活躍したペリー・コモが唄っている。
 「South Pacific]に浮かぶというハワイとタヒチを足したような架空の島、夢の楽園「バリ・ハイ島」で繰りひろげられる物語だが、私が知っている最後のミュージカル映画かも知れない。
                                      

 

 
 
 

シークレット・ラヴ(映画カラミティ・ジェーン)

2005-06-24 23:10:45 | 映画音楽
 正直に言って私はこの映画を観ていない。しかしあえて取り上げるのは主題歌の「Secret Love]と歌手のドリス・デイが大好きだったからだ。映画そのものは西部を舞台とした喜劇風の内容と記憶している。
 「カラミティ」というのは日本でいう[疫病神]の意味で女の子でありながら、いつもカウボーイ風の格好をして、拳銃を腰に歩き廻って問題を起こしては村人たちを困惑させていた。
 こんなお茶目でやんちゃの彼女にも、外見に似合わず人知れず恋に悩む日があった…といった設定だったと思う。この映画が公開された1955年は私にとっては観たい映画のラッシュの年だった。限られた小遣いと時間では見られないのが当然で、見損なった映画も多数ありこの作品もその一つと思われる。
 歌はとても綺麗なバラードで彼女の純粋な恋心が伝わってきそうな歌だった。
  Once I had a secret love That lived withim the heart of me 
私はこの歌を昔はフルコーラスで覚えていたが、今では遠く忘却の彼方へと飛び去った。わずかに覚えているのはラストの
      And my secret love`s no secret any more
という部分だけになってしまった。これも来年あたりにはきれいに忘れているかも知れない。
 若い頃、私はこのドリス・デイという歌手か女優か、どちらが本職か判らない器用な女性がすぐに好きになった。テネシー・ワルツ]のパテイ・ペイジ はじめ人気歌手は大勢いたが、私に限らず全世界のアイドルだったと言っても過言ではないだろう。
私のCD.BOXはやはり彼女のヒット・ソングが一番多い。
[二人でお茶を」「センチメンタル・ジャーニー」「ケ・セラ・セラ」「シャンハイ]「ドミノ]等々…
 日本語盤は「秘めたる恋」というタイトルで出ていたようだが、誰が唄っていたのか?どんな歌詞だったのか覚えていない。「ドミノ」はペギー・葉山 「シャンハイ」はひばりだと思うがあまり自信はない。
 敗戦の混乱を経験して平和の有難さを実感しながら、あの時代に生きた人々がこの歌を聴いて、彼女の歌がどんなに私たちを慰めてくれたことか、…
 そして中には遠い日の初恋の人を想い、胸がキュン、涙がポロリという人もいるかも?

遥かなる山の呼び声(シェーン)

2005-06-23 00:01:27 | 映画音楽
 フオーク世代、ロカビリー世代などと言われますが、私はいわば「S盤世代]とでもいうのでしょうか。
 今からずいぶん昔の話ですが夜のラジオ放送で、「S盤アワー」という番組がありました。ラルフ・フラナガン楽団の「唄う風」がオープニング・テーマで、帆足まり子という女性が綺麗な声で日本ビクター・レコードの、新譜紹介や甘いトークを囁いていました。
 当時はまさに空前のジャズ・ポピュラー・ブームで、[想い出のワルツ」を唄って雪村いずみがデビューしたのもこの番組でした。とても新鮮なイメージで登場した彼女の第二作は、映画「シェーン」の主題歌日本盤でしたが、映画とともにレコードも大ヒットして歌手としての地位を不動のものとしました。
 この映画は西部劇でありながら、そこにはインディアンも騎兵隊も登場せず、熱烈なラヴ・ストりーが展開する訳でもなく、緑に包まれたワイオミングの自然を背景に、繰りひろげられる人間味豊かな物語です。さすらいのガンマンと牧場主との男同士の友情 彼に憧れる少年との心の交流、そして牧場主の妻へのほのかな愛と思慕の気持ち、見せ場はやはり決闘での早撃ちと、少年との別れのラスト・シーンでした。
 この映画で私はシェーン役のアラン・ラッドもさることながら、むしろ控えめで家庭的な妻役のジーン・アーサーに惹かれました。彼女は1930年代に「歴史は夜作られる」などで活躍していた女優で、20年ぶりのカム・バックでした。また音楽のヴィクター・ヤングはこの作品をはじめ、多数の映画音楽を生んだ名作曲家として、映画音楽史上に永久に名を残すことになりました。
 映画が公開されたのは1953年、封切りが見たくてわざわざ京都まで汽車に乗って観に行きました。
 いずみの歌う「遥かなる山の呼び声」の歌詞の一節… ちょっと唄って見て下さい…
   「青いたそがれ 山は招くよ 呼んでいるよ  広い草原に 陽は落ちて…」
 出てきたぞ!「たそがれ」が… もっとほかにもあるよー(前号にもあるよー)
   「たそがれの銀座 大通り…」「たそがれのともしびは ほのかにともりて…」(お年がバレバレ)
歌詞は知らないがウエスタンで「たそがれのワルツ」〔これ菅原洋一「知りたくないの」の原曲と違う?)それからポピユラーで「トワイライト」 誰か止めてー。
 尚、私が以前から持っているCDは「The Call Of the Far-away Hills] (V・Young)でした。勿論
総本家ヴィクター・ヤング・オーケストラの演奏です。ほかに輸入盤でヴォーカル盤も発売されていましたが、歌手の名は覚えていません。ご存知の方お教え下さい。
 いずれにしても私の十代初期を鮮やかに彩ってくれた、永久に忘れられない名曲の一つでした。
                                       たそがれ


ムーラン・ルージュの歌 〔イギリス映画 赤い風車)

2005-06-21 00:18:58 | 映画音楽
 知人のKさんは絵描きだそうだ。図書館へは行っても美術館は素通りという私は絵心なんてあまりない。 ところが不思議なことに私は「ロートレック」という画家の名前だけは知っていた。それはこの薄幸の画家の生涯を描いた[赤い風車1という1953年の映画があつたからだ。
 トウルーズ・ロートレック… 彼は十九世紀のパリ モンマルトルのキャバレー「ムーラン・ルージュ」に夜毎現れて、飽きることなく踊り子たちの絵を、書き続けたことで有名な画家である。この酒場の名物は巨大な赤い風車だった。これはこの酒場のみならずパリの庶民たちのシンボルでもあったといわれる。
 大高ひさお作詞の古いカラオケ・ソング「カスバの女」にも
  [セーヌのたそがれ瞼の都 花はマロニエ シャンゼリゼ 赤い風車の踊り子の…」
と歌われたように本国で食いつめて、遠くアルジェに流れついた元パリっ子たちの涙と郷愁を誘った。
 私はこの映画は見ていないが、彼が酒場で最期の時を迎えた時,踊り子たちが現れて永遠の別れを告げる…というラスト・シーンを見てみたいと思う。
 私のCD・BOXには主題歌の[The Song From Moulin Rouge]がある。パーシー・フエース楽団の演奏で、
フエリシア・サンダースという歌手が歌っている。「Whenever we kiss I worry and wonder …」
 歌詞も懐かしいがメロディもとても綺麗で、私はパソコンにインプットして今でも時々聴いている。
 海外へ行く機会はあまりなさそうだが、もしパリにでも行ければモンマルトルへも行ってみたいな…などと夢を見るこのごろだ。
                                        たそがれ

虹を越えて映画 「オズの魔法使い」

2005-06-19 23:58:39 | 映画音楽
 梅雨の天気は気まぐれ…さっと降っては止み、夕暮れの空に七色の虹が鮮やかな円を描いていました。こんな時思わずハミングしたくなるのが「Over the Rainbow]…いうまでもなくアメリカ映画「オズの魔法使い」の主題歌です。最近、私はこの映画のDVDを買いました。内容が子供向けの上に私のパソコンは古いので、DVDは対応出来ないのに何故?それは、この曲が若い頃の楽しい思い出を秘めていたからです。
 私は昔 某放送局の音楽番組のリクエスト・マニアでした。当時金五円也のはがきを持ってポストを往復するのが日課でした。そして初めて電波に乗った希望曲がこの曲だったのです。放送されたのは子役で主演していたジュデイ・ガーランドの歌ではなく、ローズマリー・クルーニーで、彼女は当時江利チエミの歌で日本でもヒットした「家へおいでよ」を歌っていた人気歌手でした。
 三年程前にムード・サックスのサム・テイラー が演奏するCDを、昨年はジュデイ本人が歌ったCDを、
そして今度のDVDにの購入により、めでたくジュデイ・ガーランド・シリーズが完成を見ました。
 今でも私はラジオ派で、我が家でケータイといえば、ポケット・ラジオの代名詞になっています。
家族から見るとガラクタに見える(?)古いCDやビデオそしてDVDなど、とにかく持っているだけで幸せ、
それは十七歳の昔に帰れる近道だからなのです。
                                         (たそがれ)
 

太陽がいつぱい (同名のフランス映画)

2005-06-16 22:42:48 | 映画音楽
 日本列島もほぼ梅雨に入ったようだ。しっとりと雨にぬれた紫陽花の花を見るのも風情のあるものだ。
いつの間にか雨もやんで小鳥のさえずりと共に明るい光が差し込んできた。こんな時いつも思い出すのはあのアラン・ドロンをスターに押し上げたフランス映画「太陽がいっぱい」だ。
 紺碧の地中海 きらめく太陽 貧しい青年が計画したしたある計画とは…見てから長い年月が立ち詳しいことは忘れたが、A・ドロンがその計画の為に友人のサインを懸命に練習する場面を思い出す。この映画と共にヒットしたのが同名の主題曲だ。   
地中海やエーゲ海などと聞けば連想するのが映画とは関係はないが「真珠とりのタンゴ」だ。
 燦々と降り注ぐ陽光 きらめく白波に戯れるのは…などと勝手に都合の良い想像をして1人で胸を躍らせたものだ。青春再び返らず…「あの古き良き時代に返りたーい」と心の中で叫ぶこの頃だ。

 初めてブログを立ち上げました。映画も音楽も好きなのでテーマを「映画音楽」にしました。勿論、主体はスクリーン・バック・ミユージックですが、勝手に拡大解釈して「映画or音楽」という感じで、ひょっとして本来のテーマから反れるも判りません。何分古い人間なので新しいのも知らない年代です。
 今ではあまり聞かない「シネマスコープ」「テクニカラー」といった言葉が、普通に使われていた時代に生きた年代とだけ申し上げてておきましょうか。
  ではよろしくお付き合いの程を…