映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(祇園祭)「菊水鉾」

2006-07-21 00:08:56 | 旅 おでかけ
 やがて「菊水鉾」の垂れ幕を持ったおっちゃんが先頭を進んで来ました。この鉾はくじ引きによる順番によると十七番目だそうです。と、云うことは大体半分ぐらいの山や鉾が、すでに通過して行ったことになります。
それでもまだこの「菊水鉾」を含めて十六基の山鉾の巡行が見られる訳です。

(祇園祭)「カミシモのおじさんたち」

2006-07-21 00:08:17 | 旅 おでかけ
 「菊水鉾」の垂れ幕のあとをカミシモ姿に威儀を正したおじさん達が続きます。時代劇で見かけるこの衣裳も、なかな格式があっていい感じです。大小でも腰に差せばお侍みたいな気分にも…
 私も氏神様の祭礼の時は羽織と袴を着用しますが、カミシモはありませんから尚更立派に見えました。

(祇園祭)「いよいよ鉾だ!」

2006-07-21 00:07:28 | 旅 おでかけ
 カミシモのおじさんたちに続いて掛け声も勇ましく、若者達が曳く「菊水鉾」がだんだんと近づいて来ました。
 「菊水鉾」は四条室町あたりの町内の鉾だそうで、町内にある井戸にちなんで名付けられたそうです。
 「鉾」にはその象徴としてトップを行く「長刀鉾」には、本物のお稚児さんが乗りますが外の鉾には人形を載せます。
 菊水鉾はの「稚児人形」は中国南陽の菊水の露を飲んで、「七百歳」まで生きたという「菊慈童」という「童」(わらべ)をかたどった人形を載せています。
 この鉾は一時は中断していましたが戦後になってから、昭和27年に八十八ねんぶりに復活したそうです。 物不足の時代にこの伝統的な鉾巡行の再開に、漕ぎ付けられた町内の人達のご苦労の程が偲ばれます。

(祇園祭)「若い衆」

2006-07-21 00:06:58 | 旅 おでかけ
 予想以上の大雨ですが綱を引く若い衆は、ずぶ濡れになりながらも大頑張りです。この人たちのことを「綱方」と云い、30人から50人の若い世代の人が当たります。10トン以上のでかい鉾が、勇ましい掛け声と共に大きな車輪を軋ませながら動き出すのは壮観です。

(祇園祭)「屋根の上の若い衆」

2006-07-21 00:06:20 | 旅 おでかけ
 屋根の上には数人の若い衆が上がっています。陽は雨で濡れているのであまり派手なパフオーマンスは見られませんが、扇子を片手に勇壮な姿が見られたことでしょう。屋根までは約8mの高さがあり屋根の広さは4.5m×3.5mぐらいで、あんまり広くないし今日は派手な動きは自粛されているようです。
 屋根の上の若い衆を「屋根方」と云い矛先を支える「真木」の動揺を加減したり、電線とかいろいろの障害物を調整する大事な役目です。

(祇園祭)「菊水鉾も一時停止」

2006-07-21 00:05:17 | 旅 おでかけ
 烏丸四条ー四条河原町ー河原町御池ー四条御池の区間を焼く二時間ほどかけて、巡行する訳ですが、途中の四条堺町では「くじ改め」と云う、行事が行われタリ、四条河原町では勇壮な「鉾回し」が行われたりするので、行列は動いては進み進んでは止まり…の繰り返しで進んで行きます。
 この鉾もここで丁度一時停止中です。目の前で止まって呉れたのでこれ幸いとこの「菊水鉾」の足元からてっぺんまで観察して見ました。
 この鉾の車輪の直径は2mぐらいあって発進や停止の時は、若い衆が大きなかけ声で行列を止めてから歯止めを取ったり、外したりなかなか大変みたいです。

(祇園祭)「天まで届け…」

2006-07-21 00:03:59 | 旅 おでかけ
 「鉾」でも一番目立つこの先端部分は「鉾頭」と云い、高さが20m以上もあって周辺のビルにも届きそうな感じです。
 写真で見ていてもよく判りませんが、それは見上げるような高さで悪魔も見ただけで驚いて退散するのは確実です。
 今から千百余年,貞観11年(869)悪疫が流行り、これは神の祟りとして7月14日に御輿を担いだり祈祷をして疫神の祟りをお祓いしたのが始まりと云われます。
 その後南北朝の時代から京都の民衆の間で、自然発生的に成長してきた祭でもあります。

(祇園祭)「コンチキチン」

2006-07-21 00:03:15 | 旅 おでかけ
 あの「コンチキチン」と云う独特の鳴り物は、なにか祭らしい雰囲気を盛り上げてくれます。一時停止している鉾の胴体部分ですが、これは「胴巻き」と云い豪華な模様が入っています。
 ここの上から紐が吊り下げられて、先のほうに鳴り物が取り付けられています。
お囃子などと共にこの鳴り物が鳴って、あのなんとも云えない音色が都大路に流れてると、お祭気分に人々の心もなにか華やいで来るのです。