映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(季節の便り)(1)「サクラチル 葉桜」①

2006-04-30 04:55:16 | 季節の便り
 折角咲いた桜も今年は雨や風の日が多くて散っていきます。
   「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」
 林芙美子さんの詩の一節が自然と浮かんできます。
 私は少年時代に読んだ新聞連載の「めし」と云う小説がお気に入りでした。
 戦前、戦中にかけて幼年期を大阪で過ごしたので、戦後の大阪の町や人が生き生きと描かれているこの小説が大好きでした。
 戦争の激化や学童疎開などで田舎に引っ込んでいた私は、大阪が懐かしくて…恋しくて…帰りたくて…敗戦後の数ヶ月は、涙をこぼしながら生きていたのですよ。
 
 
 

(季節の便り)「サクラチル 葉桜」②

2006-04-30 04:54:01 | 季節の便り
 冷たい雨に打たれて歩道に散って花びらは、透き通ってまるで蝶の羽根みたいです。
 私が幼少期を送ったのは大阪府堺市でした。
 家や学校は鬱蒼とした森と碧い水を湛えた御堀に囲まれた、仁徳天皇の御陵の近所にありました。
 あの頃は、近所にも田んぼや原っぱや木立などもあって、学校の帰りには道草食いながら帰りました。
 今はすっかり住宅地に変貌して仕舞いましたが、私が住んでいた頃には蝶々やトンボが飛び交う豊かな自然がありました。
 姉が愛読していた「みだれ髪」「君死にたまふことなかれ」などで知られる、与謝野晶子の生地でもあり歴史と文化の香り豊かな町でもありました。

(「お宝発見だっ!)(12)「懐かしの映画主題歌」

2006-04-29 00:22:41 | 映画音楽
 ご存知の方も多数いられることと思いますが、私のこのブログの原点は『映画音楽」でした。若い頃に観た映画…観たかった映画…観なかったけどお気に入りの映画主題歌…こんなのばかりを、ブログに好き放題書いては自己満足していました。
 五十年ほど貯めていた思いを一挙に掲載してスカッとしたのですが、後が続かず普通の映画記事、懐かしのヒットソング その外いろいろな方面に手を出して現在に至っています。今日は久しぶりに始発点に戻って『映画音楽」の世界に戻ってきました。

 『映画の友」の昭和27年10月号には、当時の映画主題歌の歌詞集が掲載されていました。その中で私の目を惹いたのが「セプテンバー・ソング」でした。
 この歌は私もブログに書きましたが、メロドラマの原点とも云うべき『旅愁」の主題歌でした。
 海へ山へ…とあり余った青春のエネルギーを、思いっきり発散させていた夏の日が終わって、秋風が頬を撫ぜる頃…この曲が妙にもの哀しく耳に沁みて、華やかに過ぎていった日々が想い出されて寂しくなったことも…
 この曲はフランク・シナトラの歌でCDがあるのですが、歌詞カードがないので欲しいな…と思っていたのでほんとに天の助けでしたよ。

 この外にブログで触れた音楽では「イースター・パレード」があります。上記と同じCDなので歌詞がありませんでした。が…これも天の助けで歌詞が手に入りました。これは私のCDではビング・クロスビーが歌っていますが、ジュデイ・ガーランドとフレッド・アステアの若い姿が思い出されます。
 
 私は見損ないましたがお気に入りスターだった、ス-ザン・ヘイワードの映画で
「我が心に歌えば」の同名の主題歌の歌詞がありました。これもCDがあるのでラッキーであります。
 
 また映画『真昼の決闘」より『ハイ・ヌーン」これはCDも歌詞カードもあるので、ひょっとしたら今でも歌えるかな?この曲は若くして他界したモナコ王妃グレース・ケリーの鎮魂の歌ですね。

 映画「ホワイト・クリスマス」…あれっ これは同名の映画を、昔観たことあるよ…ビング・クロスビーとダニー・ケイ、それに女優ではヴェラ・エレンそれに、「南太平洋」のミッチー・ゲイナーも…でもこの主題歌は往年の名作、「スウィング・ホテル」の主題歌だったのですね。

 などと書き始めると止まらなくなるのでこのあたりで…

(「お宝発見だっ!)(12 )懐かしの映画広告「旅愁」

2006-04-29 00:20:27 | 映画
   アメリカ映画「旅愁」パラマウント映画 1952年作品
     ジョセフ・コットン(「第三の男」「ナイヤガラ」)
     ジョーン・フオンティーン(「皇帝円舞曲「レベッカ」)
       監督 ウイリャム・ディターレ
     主題歌「セプテンバー・ソング」歌 フランク・シナトラ
      (彼の出演映画「錨を上げて」「踊る大紐育」「地上より永遠に」)

 「哀愁」「旅愁」「旅情」…この3本は私にとって
              終生忘れられないラヴ・ロマンスの原点です。

 ブログに何度も書きました。これからもまだまだ懲りずに…???
 

   

(お宝発見だっ!)(10)「イタリア五人女…シルヴァーナ・マンガーノ」

2006-04-28 00:07:31 | 映画
 申し訳ないけれども私は当時のイタリアを代表した、この大女優の映画を現在に至るも一本も観ていません。彼女が「苦い米」で見せた豊満なヴォリュームは(勿論、雑誌のグラビヤですが)戦後の食料不足でやせ細っていた私を圧倒しました。
 彼女の特技は歌が歌えたことでした。私が知っているのは「アンナ」と云う映画で、確か修道院の尼僧みたいな格好で出ていた…様な気がするのですが、あまりアテにはなりません。
 さてこの映画「アンナ」と同名の主題歌ですが、これは当時に流行った「バイヨン」というリズムで構成されていたのが特徴ですが、「バイヨン」はブラジルの民族音楽で割合と活発なリズムでテンポも早い曲でした。
 彼女は映画の中でも勿論…と思いますが、レコードもヒット・チャートにも入っていたし、音楽番組のリクエストも結構あったし、そこそこ売れたように思います。言葉はイタリア語かどうかよく判りませんが、英語でなかったことは確かなようです。そんな訳でリズムやメロディだけは私も自然に覚えたし今でも記憶していますよ。

 当時は生田恵子と云う歌手がバイヨンの名手で、「東京バイヨン」とか「東京ティティナ」とか、バイヨン風のレコードを出していたように思います。
 シルヴァーナ・マンガーノは当時のイタリヤ製のスクーターと共に、我が国を掻き回しましたが私にとっては、彼女が歌えて(勿論、内職程度…)レコードも出ていたので覚えていたのは幸いなことでした。
 ちなみに「バイヨン」をNETで検索したら…
  「ブラジル北東部で人気のある民族音楽 そのブラジルから来た人が、ブレンドした高級コーヒー」だそうでした。
 今じゃブラジルでは「サンバ」だけか…と思っていたら、「バイヨン」と云うリズムがまだこんな形で残っていたとは…ちょっぴりと嬉しくなりました。

(「お宝発見だっ!)(11)「イタリア五人女…アンナ・マニャーニ」

2006-04-28 00:04:09 | 映画
 「イタリア五人女」と云うタイトルの手前、四人で止める訳にはいかないので、私にとって最も苦手で馴染みの少ない…しかしイタリア映画史上では絶対に無視出来ない大スターに登場して頂きました。
 で、一体何と云う映画に出ていたのか…と云うと、貧困と混乱に悩む戦後のイタリアの厳しい現実を、冷徹な眼で描いたイタリア映画のスター…と云う程度のことで具体的にはさぁーと云う程、イタリア映画については知識ゼロの始末でした。
 と云う訳で「お宝」本から拾いますと…彼女は「無防備都市」で見せたあの迫真の演技…火のような情熱を見せる女…あのイングリッド・バーグマンと、ロッセリーニをめぐり争った…と云う彼女の気性…と紹介されていました。
 映画「われら女性」では、どんな脚本が用意され、どんな演技を見せるのか…興味深々…と云うところだ…と云う風に書かれています。
 とにかく今は写真の不敵なな面構えから見ても、おそらく凄い演技力の大女優であったのだろう…と今は想像するのみです。

(お宝発見だっ!) (8) 「イタリア五人女 イザ・ミランザ」

2006-04-27 00:03:54 | 映画
 1952年当時で下位から4番目のランクされている女優…外の4人に比べれば最も目立たなかった無名に近かった女優ですが…
 イタリア映画では「鉄格子の彼方」「輪舞」と云う映画に出ていた…と云うのですが、このあたりはずい分古い映画なのでさすがの私もお手上げです。
 非常に個性的な容貌の女優が多い、イタリア女優の中では美人タイプの女優でしたが、彼女が出ている映画を観ていたにも拘わらず、近年になるまでそのことも気付きませんでした。
 それはイギリス映画で、デヴィッド・リーン監督作品 …キャサリン。ヘプバーンとロッサノ・ブラッツイ…と云えば…勿論あの名作「旅情」でござります。
 彼女の出番はキャサリンがヴェニスに着いて、泊まったホテルの女主人の役でした。どんな会話を交わしたのか…気になりますね。
 私も気になって来ましたし…明日でももう一度観なくっちゃ…ね…

(「お宝発見だっ!)(9)「イタリア五人女 イングリツド・バーグマン」

2006-04-27 00:02:48 | 映画
 夫と子供を残してロベルト・ロッセリーニ監督と「道ならぬ恋」に走った彼女は、大スキャンダルとしてハリウッドを揺るがし、彼女は当時は道徳観が厳しかったハリウッドからも絶縁されます。
 彼との結婚で「イタリア女性」になった彼女は彼と撮った作品「ヨーロッパ1950年」などもは興行的には不成功に終わり、彼女にとっては冬の時代が訪れますが、それは奇しくも私の映画熱の最盛期と一致します。
 以前にブログで触れたように私は彼女の映画を、「誰が為に鐘は鳴る」以来全く観ていないのは、私と彼女の出会いが全くすれ違いに終わったからで、その後も「カサブランカ」一本を観たのに過ぎません。 
 彼女のイタリア時代の作品はハリウッド時代のイメージを、ぶっ壊すのに十分だったようで某批評家は「彼女が野良着を着てニワトリを追っている写真を見て涙がこぼれた」と云っていたのを記憶します。 
 華やかな脚光を浴びていたハリウッド・スターから、一転してイタリアン・リアリズムの旗手に変身した彼女に対する目は厳しく、離婚そしてハリウッドとの和解と復帰…でもその頃は私のシネマ熱は下降期にあり、このような経緯さえ知らないままに終わり現在に至っていました。
 ハリウッド時代の彼女の映画はレンタル・ショップにもありますが、イタリア時代の作品はあまり見かけません。
 その中で「イタリア旅行」は市立図書館にもあるし、晩年の作品「秋のソナタ」(「冬のソナタ」じゃないよ…)も、機会があればぜひ観てみたいものだと思っています。

(特報!)「追悼 アリダ・ヴァリ」

2006-04-26 00:08:28 | 映画
 昨日の新聞は4月22日にローマ市内の病院で、元女優アリダ・ヴァリさんが死去したと報じていました。年齢は84歳でした。
 1949年の「第三の男」で一躍有名になり1954年の「夏の嵐」で、更に国際的にも女優として不動の地位を得ました。
 イタリア映画界の為に活躍して来た、彼女の冥福を心からお祈り致します。

(お宝発見!) (7) 「イタリア五人女ーアリダ・ヴァリ」

2006-04-26 00:03:47 | 映画
 実は「映画の友」誌に表題の特集があり、5人のイタリア女優の記事がありました。私は描写があまりにも現実的過ぎる故に、長年イタリア映画を敬遠して来ましたので、イタリア女優ではこれと云うお気に入りはいませんでした。が近年はそのリアルな描写に共感を覚えるようになっていました。
 イタリア女優ならやはりアリダ・ヴァリ…と思っていたところへ、飛び込んできたのが彼女が他界した…との新聞記事でした。
 
 アリダ・ヴァリ…と云えば反射的に想い出すのは…
  誰もが鮮明に記憶しているあの場面…枯葉の舞い散るウイーンの街、
  寒々とした並木道を近づいてくる一人の女…
 決して忘れることの出来ない「第三の男」のラスト・シーンですね。
 
 そして…恋ゆえに…夫を裏切り、やがて国を裏切って行く哀しい女…
 勿論、「お宝」の雑誌にはこのルキノ・ヴィスコンティ監督の「夏の嵐」は、まだ製作されていなかったので掲載されていません。
 
 私の評価ではトップ・クラスに上げた彼女も、1952年時点では「第三の男」の名演技にも拘わらずランクは5番目にしか過ぎませんでした。
 実は1952年頃5人のイタリア人女優が、それぞれ一つづつのエピソードを演じる…と云うオムにパス型式の「われら女性」が製作されていたのでした。
 彼女はローマのナイトクラブ歌手役で、三角関係に悩む女性を演じるそうですが、彼女自身が私生活ではそんな噂があったから、きっと上手に演ずるのではないか…とゴシップめいた話しも掲載されていました。
 では彼女の上を行く大女優がもっと外にいた…その大女優とは…誰だったのでしょうか?    (続く)