時は昭和二十年冬…戦争の激化で殆どの若い男性の先生たちが戦争に赴く中で、まだ教壇に立っていたK先生も召集を受けて、戦場に向かうことになりました。
「教錬」の時間には本物の日本刀で叱咤する怖ーい反面、体罰公認だったこの時代でも余程でない限り、ピンタを飛ばすことはなかったので、私たちは先生を限りなく慕っていました。
やがて別れの日がやって来ましたが、勿論 国家存亡の危機に勇躍して死地に赴くのですから、女々しいことは云っていられません。私たちは勇ましい「軍歌」などを大声で歌いながら先生を激励しました。
雰囲気が盛り上がった頃…先生は急にしんみりとした表情になって「頼みがあるから聞いてくれ…実は流行歌が聞きたいんや」と言い出しました。
先生の意外な言葉に一瞬黙り込んだみんなの瞳は、云い合わせたように…ある一点…Mさんと云う女の子の座席に集中しました。
心を決めたMさんは立ち上がると「先生…どんな歌がええですか」先生は笑いながら「何でもええわ…」やがてMさんは静かに歌い始めました。
君がみ胸に 抱かれてきくは 夢の船歌 恋の歌
水の蘇州の 花散る春を 惜しむか柳が すすり泣く
Mさんはクラスでも指折りのオマセちゃんでした。長谷川一夫 上原謙など男性スターのブロマイドをいっぱい持っていました。やんちゃ坊主達は彼女から女優さんの写真を貰って喜んでいましたが、私も「李香蘭」の写真を貰いました。
家で得意げに見せびらかしたら、姉に取り上げられて仕舞いましたが、私はあの少しエキゾチックな容貌から彼女が、「中国人」だと信じて疑いませんでした。
敗戦時に彼女は祖国を裏切った重大犯として、あわや銃殺…になる手前で実は「日本人」だった…と云うことが証明されて助命される…などと云う大変な苦労を経験することなどは知るはずもなかったのです。
静かに耳を傾けていた先生は歌が終わると、なにか吹っ切れたような爽やかな表情で立ち上がると、みんなに向かって挙手の礼をしました。私たちも同じように先生のしぐさの真似をしてから、いつまでもいつまでも万歳を叫びました。
Mさんが歌ったのは多分先生の、お気に入りの歌だったのでしょう。目を閉じて聞き入る先生の胸に去来するものは、一体何だったのでしょうか。
やがて大阪にも爆撃の嵐を受けるようになり、私たちが「学童疎開」で各自それぞれ縁故を頼って田舎へ、あるいは集団で安全地帯へ引っ越したのは間もなくでしたが、これが先生や級友との永遠の別れとなりました。
この「蘇州夜曲」は今でも愛唱される名曲ですが、時々耳にすると必ずあの」幼い時の情景と、女優「李香蘭」を思い出します。「蘇州夜曲」は作詞は西条八十で作曲は服部良一で渡辺はま子が歌ってヒットした曲ですから、純粋な「チャイナ・メロディ」とは云えません。
しかし蘇州の美しい風光が思い浮かぶような、情緒に溢れたな歌詞とメロディは数十年立った今でも、我が心の歌としていつまでも生き続けることと思います。
昨年11月に中国琵琶奏者の葉衡陽氏の、演奏を聴く機会がありました。その席で演奏されたのもやはり「蘇州夜曲」で、この曲が単に日本人のみに止まらず中国の方にも、愛され親しまれていることを知って、尚一層好きに歌になりました。
2005.11.9 私のブログ 「中国琵琶を聴く」を読んで戴ければ幸いです。
去る7月9日(日)9.00AM テレビの「題名のない音楽会」で「蘇州夜曲」の作曲者 服部良一の曲が放送されることを友達が知らせてくれました。
この番組で彼の音楽に対する情熱は親子三代にわたり脈々と受け継がれ、更に新たなる感銘を受けました。
この番組に関する記事は次回に掲載しますので是非見て下さいね。
「教錬」の時間には本物の日本刀で叱咤する怖ーい反面、体罰公認だったこの時代でも余程でない限り、ピンタを飛ばすことはなかったので、私たちは先生を限りなく慕っていました。
やがて別れの日がやって来ましたが、勿論 国家存亡の危機に勇躍して死地に赴くのですから、女々しいことは云っていられません。私たちは勇ましい「軍歌」などを大声で歌いながら先生を激励しました。
雰囲気が盛り上がった頃…先生は急にしんみりとした表情になって「頼みがあるから聞いてくれ…実は流行歌が聞きたいんや」と言い出しました。
先生の意外な言葉に一瞬黙り込んだみんなの瞳は、云い合わせたように…ある一点…Mさんと云う女の子の座席に集中しました。
心を決めたMさんは立ち上がると「先生…どんな歌がええですか」先生は笑いながら「何でもええわ…」やがてMさんは静かに歌い始めました。
君がみ胸に 抱かれてきくは 夢の船歌 恋の歌
水の蘇州の 花散る春を 惜しむか柳が すすり泣く
Mさんはクラスでも指折りのオマセちゃんでした。長谷川一夫 上原謙など男性スターのブロマイドをいっぱい持っていました。やんちゃ坊主達は彼女から女優さんの写真を貰って喜んでいましたが、私も「李香蘭」の写真を貰いました。
家で得意げに見せびらかしたら、姉に取り上げられて仕舞いましたが、私はあの少しエキゾチックな容貌から彼女が、「中国人」だと信じて疑いませんでした。
敗戦時に彼女は祖国を裏切った重大犯として、あわや銃殺…になる手前で実は「日本人」だった…と云うことが証明されて助命される…などと云う大変な苦労を経験することなどは知るはずもなかったのです。
静かに耳を傾けていた先生は歌が終わると、なにか吹っ切れたような爽やかな表情で立ち上がると、みんなに向かって挙手の礼をしました。私たちも同じように先生のしぐさの真似をしてから、いつまでもいつまでも万歳を叫びました。
Mさんが歌ったのは多分先生の、お気に入りの歌だったのでしょう。目を閉じて聞き入る先生の胸に去来するものは、一体何だったのでしょうか。
やがて大阪にも爆撃の嵐を受けるようになり、私たちが「学童疎開」で各自それぞれ縁故を頼って田舎へ、あるいは集団で安全地帯へ引っ越したのは間もなくでしたが、これが先生や級友との永遠の別れとなりました。
この「蘇州夜曲」は今でも愛唱される名曲ですが、時々耳にすると必ずあの」幼い時の情景と、女優「李香蘭」を思い出します。「蘇州夜曲」は作詞は西条八十で作曲は服部良一で渡辺はま子が歌ってヒットした曲ですから、純粋な「チャイナ・メロディ」とは云えません。
しかし蘇州の美しい風光が思い浮かぶような、情緒に溢れたな歌詞とメロディは数十年立った今でも、我が心の歌としていつまでも生き続けることと思います。
昨年11月に中国琵琶奏者の葉衡陽氏の、演奏を聴く機会がありました。その席で演奏されたのもやはり「蘇州夜曲」で、この曲が単に日本人のみに止まらず中国の方にも、愛され親しまれていることを知って、尚一層好きに歌になりました。
2005.11.9 私のブログ 「中国琵琶を聴く」を読んで戴ければ幸いです。
去る7月9日(日)9.00AM テレビの「題名のない音楽会」で「蘇州夜曲」の作曲者 服部良一の曲が放送されることを友達が知らせてくれました。
この番組で彼の音楽に対する情熱は親子三代にわたり脈々と受け継がれ、更に新たなる感銘を受けました。
この番組に関する記事は次回に掲載しますので是非見て下さいね。