映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

 (CD落書帳) 「冬が来る前に」

2005-11-30 00:02:26 | 音楽
    (フオーク&ニュー・ミュージック・アルバム)
      「私の青春譜」より    歌 紙ふうせん 
   作詞 後藤悦治郎 作曲 裏野 直 編曲 梅垣達志    
    
    <小麦色に焼けた 肌は色もあせて
     黄昏わたし一人 海を見るの>
  
  あとは私のイメージです。< >は引用部分です。
  私のブログ「海岸通」を想い出して戴ければ。。。嬉しいです。

       汀にひとり佇めば  ふと甦るあの言葉
       遠く広がるあの海も 私と同じ鉛色
       あの日と同じ鴎なら 私の心伝えてね

    <落葉つもる道は 夏の思い出道
     今日もわたし一人 バスを待つの>

       野山の木々も色づいて 冬の装いも近い頃
       私の心も冬支度    自然が眠りに入るとき
       私の心も閉ざされる

       初夏 頬なぜる緑の風も
       真夏 透明の山の冷気も
       晩夏 コバルト・ブルーに燦く海も
       初秋 灰色のあの人の言葉も
          今はもう返らない 追憶のかけらに‥

       「白い恋人たち」が音もなく 私の窓辺を訪れる頃
       私の心はすでに冬      遠いメモリはリセットし
       春一番が吹く頃に      涙を忘れた女として
       も一度だけ出直そうと    ひそかに想う私だけど‥

       それでも私は忘れない    ラスト・タイムのあの言葉
       遠のく船の白い跡      心に沁みるあの汽笛
       朱色に映えるあの夕陽    生きてる限り忘れない

     <冬が来る前に
      もう一度あの人と めぐり逢いたい>

       悲しみの秋はもう終わり
       溢れる涙が涸ぬ間に
       心が閉じるその前に 
       夢でもいいから‥もう一度

  やがて明日からは彼女にとって、寒く長ーく寂しい冬が訪れて来るのです。
  女性心理なんて私にとっては、ウチの家内も含めて永遠の謎なんです。
  ですから私のブログも続くのですよ。 

    

      
       

        
       
      

(雑記帳) 古都、京都ぶらぶら散歩「百万遍」「京大11月祭」

2005-11-29 00:10:31 | 音楽
 五条東大路で百万遍へ行くために、市バスを待つことにしました。京都市民は観光客に非常に親切で、休日には主な街角などでボアンティアの人による、臨時の観光案内所が開設されますので、早速バスの系統番号を尋ねました。
 行き先などを告げると距離 方向を記した地図や、市バスの系統番号などを教えてくれるのです。
 目的のお寺は東大路を北方向に4キロにあり、正式には「長徳山功徳院」と号し、「百万遍知恩寺」と称するそうですが、一般的に「百万遍」といわれ、1213年創建のお寺です。
 元弘年間(1330年代)に病気が流行したときに、百万回の念仏を唱えて霊験があったことから、この寺号を朝廷から賜ったそうです。世界一の大きな念珠が本堂に安置されていました。お参りの後は次の目的地「金戒光明寺」へ向かうために、再び東大路を南に歩いて戻ることにしました。
 京都大学に近づいてくると、なにか周辺がざわめいてきました。和服をお召しの若い女性方を時々見かけましたが、京都では別に珍しくないし‥などと思いながら、もらったビラを見ると「京都大学11月祭」と書いてありました。
 成る程、波田陽区みたいな格好のお兄さんが、手招きしてくれるので思わず引き込まれそうになりましたが、こちらも予定がいっぱいです。でもポスターを眺めながら歩くのも結構楽しいものでした。
 目を引いたのが「京都大学交響楽団演奏会」曲目はヴェルディの歌劇「アイーダ」より「凱旋行進曲」ああ、これならサッカー好きの孫の愛唱歌だ‥。「京都大学マンドリン・クラブ」おお、明治大学に負けずに頑張ってくれ‥
「生物学部」とかスポーツ関係などのイベントが、いっぱい溢れていました。
 若い学生さんたちの、エネルギーのお裾分けを頂きながら、陽射しも穏やかな晩秋の東大路を、ぶらぶらと南へと歩きました。
 
 

(雑記帖) 「古都、古寺ぶらぶら散歩 五条坂あたり」

2005-11-28 00:04:37 | 旅 おでかけ
 正林寺から坂道をだらだらと下って、再び東大路通りに出ました。
 この通りも昔はどまん中を京都市電が走っていましたが、何分車の数が少なかったし、庶民の足として結構利用度は多かったと思います。
 私が二十歳ぐらいの時は片道13円 往復25円で、往復買うと1円安くなり、なにかトクをしたような気分になりました。あの頃は「タカが1円」ではなかったのですよ。
 1冊130円の回数券を買うと、11枚あり1枚トクをするので、タマに利用しましたが実際には使い切る前に紛失したり,洗濯してしもたりで、あんまり大してトクにはならなかったように思います。
 小遣い節約のためには、出来るだけ乗り換えせずに行けるように、電車の運転系統を覚えて、その番号の電車が来るまで気長に待ったリしました。
 さて、五条坂をテクって清水さんまで上がるつもりでしたが、坂の入り口から凄い車の列で大渋滞が発生中で歩行者も大変そうなだし、何度もお参りしているので今日は堪忍してもろて、次の目的地「百万遍」へ行くことにしました。
 ここから北方向で約4キロありとても…ということで市バスに乗りました。

(シネマ落書帖)(45)映画「シェルブールの雨傘」

2005-11-27 09:30:38 | 映画音楽
 この映画の音楽をラジオで始めて聴いたのは、1970年代になってからで公開されてから、すでに十年以上も立っていました。それは「懐かしの映画音楽」という番組でしたが、この時同時に初めて聞いたのが「白い恋人たち」でした。
 この二曲はなにか印象に残り、いつかこの映画も見たいな‥と、思いながらそれから三十年程がたってしまい、DVDで実際に観たのはつい先日のことです。
 戦争という人類最大の愚行が愛し合う二人‥傘屋の娘ジュヌヴイエーヴ(カトリーヌ・ドヌーブ)と、恋人ギー(ニーノ・カステルヌオーヴォ)に、悲しい運命を与えてしまいます。
 このあたりは「ひまわり」とよく似ていますが、「ひまわり」では妻が待つロシアに帰ったアントニオが、果たしてあの北の大地に根付くことができるのだろうか‥と,前にはブログで余分な心配をしました。
 やりきれない思いのまま終わった「ひまわり」に比べて、「シェルブールの雨傘」の場合は偶然に再会した二人の別れのシーンでは、深い悲しみと寂しさの中でも、なにか心休まるものを感じました。
 音もなくしんしんと降りしきる雪の中で、黙って見つめあう二人の脳裏に,今はもう遠くなった愛の日々の記憶が,駆けめぐったことでしょう。
 給油中の車の座席には彼の子供が‥もし彼が感情のまま子供を抱きしめていたら‥また変わったストリーになったことでしょう。去っていく彼女を彼が見送った後で、妻が子供を連れて帰ってきて、何事もなかったように平穏なクリスマスを迎えます。
 幸せとは‥結局平凡な生活の積み重ねなんですね。
 セリフのすべてにメロディをつけて出演者全員が、オペラみたいに歌いながら物語を進めていくという大胆な発想は、最初は戸惑いましたが、しばらくするとだんだん慣れてきたのか、耳に快く響くようになりました。
 歌声はすべてプロの歌手による吹き替えだったそうですが、だからといってそれがこの作品の価値を下げる訳でもありません。
 シェルブールという町は十七世紀以来、幾度も戦火に遭った悲しい町だそうですが、あえてこの町を舞台に選んでこの名作を作り上げました。
 それに当時は21歳だったカトリーヌ・ドヌーブというスターも、非常に強いインパクトを与えたようで、世代を超えて愛されていたスターではないだろうかと感じました。 

(雑記帖) 「古都、古寺ぶらぶら散歩 五条通」

2005-11-26 07:22:57 | 旅 おでかけ
 五条烏丸で右折する前に京都駅の方向をチラと振り向くと、東本願寺の繁みと共に京都タワーが見えました。若い頃は高層建築も少なかったので、ちょっと高いところでは南方向に東寺の五重塔がよく見えたし、これが古都の象徴と思っていたのですが、今ではすっかり変りましたね。
 五条通りは道幅は広いし、いつもは車でもスムーズに通り抜けるので、あまり気がつきませんが烏丸通りに比べると、メイン・ストリートとしては少し情緒が足りませんね。など云ううちに五条大橋に来ましたが、よく考えてみると三条大橋や四条大橋は、歩いて渡ることもありますが、この橋はクルマ以外で通ることはまずありません。歩いて通ってみて橋の袂で見つけた、昔風の欄干や「ぎぼし」は新発見でしたね。(写真)
 NHKのドラマの主人公で悲劇の武将義経と、比叡山の荒法師弁慶の出会いの場所として有名な場所です。
 このあたりは加茂川を渡ると京阪電車の踏み切りや、琵琶湖疎水(運河みたいなもの)があったのですが、電車は地下に潜り疎水の上は道路になり変りましたね。
東大路を更に東山の方へ坂道を進んで、目的のお寺へ着きました。
 あまり知られていないお寺ですが、正式には「小松谷正林寺」といい、平家の全盛時代の小松内大臣 平重盛の邸宅跡で、平家滅亡の後にお寺が造営されたそうです。このお寺は「ご詠歌」を習っている家内のリクエストによるもので、住職の奥様となにかそんな話をしてました。
 次の目的地はおなじみの「清水寺」で近道をして…という、こちらの勝手な予定も「昔は行けたのですが、清水さんの方が裏門をしめはりましたし…」という奥様のアドバイスで、元の道をまただらだらと下ることになりました。

(雑記帖) 「古都、古寺ぶらぶら散歩 烏丸通」

2005-11-25 21:30:08 | 旅 おでかけ
 ブログではいつも「恋」と「夢」と「愛」が、生甲斐みたいな私ですが、実は数年前から関西を中心に家内と二人で、お寺参りを実行しているのですよ。
 たいていはクルマなのですが、たまには歩こうか…と今回は電車で行きました。前にもたまに一度を利用した数日後に尼崎事故があり、それ以来は電車もご無沙汰してました。
 私は京都の幹線道路では烏丸通りが一番好きですね。特に東本願寺近辺は道幅も緑地帯もたっぷりあるし、ぶらぶら歩きにはちょうど良いですね。
 このあたりは私達の若い頃は、仏具屋さんが多かったのですが、今ではどうなのかな…
と思って歩いてたら、道端のお店のウインドウに仏像が飾られていました。
「お東さま」の門前あたりは紅葉や黄葉が、程よく混じったいい風景で、お参りの人達や修学旅行のお生徒などで賑わっていました。(写真)
 この日の第一目標は五条東大路あたりの「正林寺」というお寺です。市バスも凄い人で乗るのも結構時間がかかりそうなので、烏丸通りから五条通りをウオーキングすることにしました。
 ひょっとしたらクルマでは味わえない、新しい発見があるかも…                                                                              
  
 

(雑記帖) 「晩秋」(4)京の古寺散歩「永観堂」

2005-11-24 14:34:59 | 旅 おでかけ
 晩秋…ゆく秋を惜しむように、休日は観光地には大勢の人たちが,お出かけになられたようです。私も勤労感謝の日に自然の描く芸術の,おすそ分けにあずかるべく、「もみじ」といえば《ここ》《ここ》といえば「もみじ」と,云われるほど有名な「永観堂」へお参りして来ました。
 正式には「永観堂禅林寺」863年に開かれた由緒あるお寺です。東山を背景に紅葉と緑が池に映え、滝や庭園など均整のとれた、自然美と人工美が満喫できました。
 「京都一日古寺ぶらぶら散歩」メインの「映画」と「音楽」の幕間に、ぼちぼちとはさんで行きたく思いますので、よろしければご覧下さい。

 永観堂は紅葉の季節に合わせて、ちょうど「宝物展」が開かれていますので、この期間中は拝観料が大人は金壱千円也です。夜は五時半からライト・アップされて紅葉がライトに映えてとても綺麗だろうと思います。
 紅葉や仏像に宝物それから庭園など、ゆっくりと鑑賞すれば半日でも、急いでも一時間ぐらいはかかりそうに思います。
 残りわずかな今年の想い出に、次の休日には是非お出かけください。

 ※下手な写真ですみません。実際はもっと綺麗なんですよ。
  クリックすれば拡大されます。

 

(シネマ落書帖)(44)映画「悲しみよこんにちは」

2005-11-24 00:22:55 | 映画
 パリのナイトクラブでセシル(ジーン・セバーグ)が、ボーイ・フレンドと踊る場面が、モノクロ・フイルムで始まります。そしてけだるいようなジュリエット・グレコの歌声が流れます。
   <メランコリーが私の道連れ かすかな悩みが私の友
    毎朝 私は云う 悲しみよこんにちは…と
    笑いのない私のほほえみ 愛情のない私のくちづけ
    忘れ得ぬ人を思うときの ほろ苦いこの悲しみ>
 この歌詞はF・サガンの原作には、なかったように思いますので、この映画のために作られたオリジナルの詩のようです。あの忘れられない夏の日の出来事の後、なにか投げやりで、やけっぱちみたいな、セシルの気持が表現されていて、大いに気に入りました。
 これを彼女は英語で歌うのには私は慌てました。アメリカ映画なんだからこれで当たり前なんですが、勿論、どちらで歌おうと意味は判らないのですが…舞台がパリなんだから、少し違和感があったように思います。やはりシャンソン風なのを期待してたのですが…でもパリの庶民の哀歓を綴ったという、シャンソンの雰囲気とは、ちょっと違うかな?なんでも私好みのシーンでした。
 グレコはシャンソン歌手としては後発で、少し年代的に若いので私のCDアルバムにも収録されていないようです。フランス映画に出たシャンソン歌手は、以前にもこのブログで触れたと思いますが、ジャクリ-ヌ・フランソワやアンドレ・クラヴォーなど、珍しくはないのですが、彼女はアメリカ映画に出た珍しい存在のようです。
 今年七十七歳の彼女は現役歌手として今年の十月に来日して、その若々しい声はフアンを魅了したそうです。 
 回想が途切れて舞台がパリから南仏の別荘地になると、眩いばかりの鮮やかなブルーがが、目に飛びこんで来ます。これから進行する物語をカラーで、強く観客に印象づける意図が感じられます。、
 さて、私はこの映画でセシル、或いはアンヌ(デボラ・カー)のどちらを応援すべきか?迷いましたね。
 心情的にはセシルの行動も理解出来ないことはないし、かといって良いことをしたね…とほめることもできないし、やはり大人がデリケートな若い女の子の気持に、もう少し理解してやるべきだったし…と複雑な気持になります。
 それにしても「高慢で気取り屋で押し付けがましい…」と、セシルに嫌われる役どころを演じたデボラ・カーも、「めぐり逢い」のテリーと大違いでお気の毒でした。
 受験勉強を強制され、恋人との交際も禁止されたセシルは、勉強のフリだけして父の元愛人も巻き込んで彼女の追い出しに、全力で取り組みます。それにしてもアンヌをじりじりと追いつめていく冷徹さの後で、自分が招いた結果に恐くなり、パリへ去って行くアンヌに告白して止めようとします。結果として悲劇は避けられないのですが、ここだけが唯一の救いとも感じます。
 日本では大ヒットしたこの作品も、海外では不評だったそうですが、次作品の「勝手にしゃがれ」ではヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)の花として注目されました。その彼女も1979年に四十代の若さで世を去りました。事故なのか、自殺だったのか、死因は今でも不明と云われていますが、もっと活躍したスターだったのにと惜しまれます。

 写真は少し見にくいですが、映画の舞台になった南仏コート・ダジュール(紺碧海岸)です。
 夢でもいいから、やっぱり行ってみたいな…