映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(大和路再訪)「興福寺・五重塔・猿沢池」 ①

2006-06-30 00:11:16 | 旅 おでかけ
 坂道をとろとろと下るとお馴染みの猿沢池です。相変わらず絵葉書みたいな景色ですが…だからと云って避けては通れない風景です。ちょうど緑もだんだんと深みを増して来て陽気もちょうど良い頃合です。

観光案内はこれぐらいにして、昨日少し触れた「関西仏塔十八寺」について、もう少し詳しく紹介してみましょう。
 一応,一番から十八番まで番号がついていますので、その順番で記載します。
 私は順不同でとりあえずお参りし易いお寺から…と云うことで、西国三十三箇所の場合はトップは明日香村の「岡寺」だったと思います。
 道順は我が家から利用しそうな最短ルートです。

 一番 一条山 家原寺(えはらじ)行基菩薩の生誕の地 智慧の神様 文殊菩薩を祀ります。    大阪府堺市家原寺町
   堺市は「みだれ髪」「君死にたまうことなかれ」など、情熱の歌人 与謝野晶子の生地です。 深い緑の森と紺碧の水を湛えた仁徳天皇の御陵の近くで、私は二歳から十歳までを過ごしました。従姉や従弟などがいますが親戚のお付き合い以外で、この歴史と文学の香り豊かな街を一度ゆっくりと、散歩してみたい…と思ってましたが丁度いい機会かも… 
 名阪国道ー阪和自動車道 堺JCで降りる…後は…ナビの云うままに走る…
    
 二番 磯長山 叡福寺( えいふくじ)大阪府南河内郡太子町 聖徳太子の廟あり
   国道170号線 近鉄長野線 喜志駅前の交番で聞くこと。それが一番!
   迷うと家内に笑われる…
  
 次の二個寺および十番「浄瑠璃寺」は京都府相楽郡加茂町です。 
 
 三番 補陀洛山 海住山寺(かいじゅうせんじ) 厄除け観音として有名
   国道163号線を、加茂駅とは反対方向に2キロ 
   桜 サツキ 紅葉 椿が綺麗です。
 四番 高尾山 岸船寺(がんせんじ)阿弥陀如来(藤原時代)ほか重文多数
  国道163号線から加茂方面 京奈和自動車道で来られた方は…木津ICから加茂方面へ       または国道24号線から加茂方面へ
 
 五番 登美山鼻高 霊山寺(りょうせんじ)1320年前に聖武天皇勅命で建立
  本堂は国宝、奈良市中町 阪奈道路の富雄…云うても判らん ナビまかせ
  1200坪の「バラ園」があり「薬師湯」もあるらしい… 
  拝観料? 勿論、要りますよ…

(大和路再訪)「興福寺・五重塔・猿沢池」 ②

2006-06-30 00:10:52 | 旅 おでかけ
 こんな穏やかな陽気に誘われるように、池のの畔ではアマの絵描きさんが大勢熱心に絵筆を走らせていられます。その中の一人に許しを戴いて撮らせて戴きました。でもインター・ネットで…とは云ってないので…この写真は「時間限定」です。
   前の続きです…
 第六番 万年山 慈尊院(じそんいん)1180年前に弘法大師母公の寺として信仰を集める。
  国道24号線九度山町付近 和歌山県伊都郡九度山町 有吉佐和子の小説「紀ノ川」の舞台にもなり、女性にも信仰されているそうです。
 第七番 高雄山 神護寺(しんごじ)平安時代に弘法大師が開創しました。
  国道162号線(周山街道)高雄 京都市右京区梅ケ畑高雄町
 第八番 二上山 当麻寺西南院 (たいまでらさいないん)重文十一面観音
  シャクナゲ、ボタン、紅葉等の花の寺として有名 水琴窟の妙音は人々を無我の境地に誘います。国道168号線当麻町 西名阪柏原IC
 第九番 霊禅山 久米寺(くめでら)聖徳太子の時代に開かれました。
  国道24号線 橿原神宮を目標で進む。つつじ、あじさいが美しい 
 第十番 小田原山 浄瑠璃寺(じょうるりじ)天平時代 行基の建立 
  岩船寺近辺
第十一番 高野山 金剛三昧院(こんごうざんまいいん) 弘法大師の開創
  国道24号線 九度山町から高野山道路へ入る、和歌山県高野山町 
   
  

(大和路再訪)「興福寺・五重塔・猿沢池」 ③」

2006-06-30 00:10:28 | 旅 おでかけ
 やはり緑に包まれた池と五重塔がは絵になりますね。
 私も一度真似をして見たいのですが、でも道具を揃えるだけでも大変のようだし、それに観光客の前で見つめられながら描くのはやはり勇気が要るし…
 まずそれ以前に「絵心」がないので、まぁムリですね。
  これも「時間限定」です。ごめんね…
   まだまだ続きます…
 第十二番 大悲山 願成就寺 慈眼院(じがんいん)開創は天武2年(678年)
  関西有数の古刹 阪和自動車道 中の郷ICから500m 大阪府泉佐野市
 第十三番 檜尾山 観心寺(かんしんじ)北斗七星を祀り南北朝時代の歴史を残す。
  国道170号線(外環状線)から河内長野市 そこからはナビ頼りじゃ…
 第十四番 元山 上千光寺(せんこうじ) 役行者が大峰山開創以前に開く
  女人禁制でないので女性の行を積む、希望者が多いことで有名だそうです。
  「心のリフレッシュ」が出来る寺 奈良県生駒郡平群町
   奈良から国道308号線から168号線…寺の看板が目印だそうな…
   判るかな?判らんだろうなぁ…




 

(大和路再訪)「佛塔十八古寺」

2006-06-30 00:09:53 | 旅 おでかけ
  続きです
 第十五番 生駒山 宝山寺(ほうざんじ)生駒「聖天様」商売の神様で知られる
  阪奈ー信貴生駒スカイラインー宝山寺 奈良県生駒市門前町
  生駒山ユーエンチは若い頃の遊び場でしたよ。今でもあるのかな?
 第十六番 独〇山 鏑射寺(かぶらいじ)聖徳太子開山 ツツジが美しい
  中国自動車道西宮北IC 国道176号線道場付近 神戸市北区道場町
 第十七番 甲山 神呪寺(かんのうじ)831年淳和天皇の勅願で創建された。
  よーく判らん…これこそどこへ行くやらナビ任せ…西宮市甲山町
 第十八番 〇一山 室生寺(むろうじ)古来から女性の参詣が許されたので「女人高 野」といわれた。国宝や重文の建物や絵画が多数所蔵されている。
 R422-上野ーR368ーR165-室生寺 どーも頼りないです…
   やっと終着です。流石にもう疲れましたわ…

 巧く打てない文字があり…〇〇の部分です。ミスプリご容赦… 


(大和路再訪)「興福寺五重塔」

2006-06-29 00:02:42 | 旅 おでかけ
 興福寺へお参りして真っ先に目に映るのは五重塔です。この塔はGWに近辺を通った時に車中から写してブログに載せました。しかしやはり}そばで写してみたいのでまた訪れました。
 五重塔は高さ50.8mと京都のの東寺に次いで二番目の高い塔です。730年に光明皇后により創建され今までに5回も焼失して、現在の塔は応永33年(1426年)に再建されたものだそうです。
 天にも届きそうな雄大な建築物を仰ぎながら、幾たびも戦火に遭いながらもその都度、修復に当たってきた人々の、苦労や熱意が伝わって来るようでした。

(大和路再訪「塔めぐり」

2006-06-29 00:02:15 | 旅 おでかけ
 少し道草です。
興福寺をはじめ「塔」と云うものは、なにかそのお寺を象徴するような感じで、特別な魅力を持って迫ってくるのですが、実は遠くから眺めるばかりで、まだ近くまで行ったこともない塔が案外と数多くあります。
 若い頃には京都の姉の家の二階からは「東寺」の塔が良く見えました。梅小路操車場に近かったので、貨車の入れ替え中の蒸気機関車の短い汽笛が何度も聞こえました。
 それと京情緒豊かな「八坂の塔」…若い頃は勿論、今でもあまり近くへ行ったこともなく、遠くから眺めるばかりです。この「八坂の塔」(法観寺)が祇園さん(八坂神社)と何故、全然違う場所にあるのかも不思議ですね。最近にも近所を歩いて通ったのですが、写真だけ撮りましたが…やっぱり眺めただけでしたね。(写真はいずれ…)でもこの数十年…眺めるばかりで…いずれ一度はお参りしなくてはね…
 戦時中…子供の頃に住んでいた大阪と、今住んでいる田舎の間を往復する度に、関西線の汽車の窓から眺めていた「法隆寺」の五重塔等々…心の中を郷愁みたいなものがふと横切ります。

 知人から「塔めぐり」とか云うパンフレットを貰いました。関西を中心に「塔」のあるお寺…「仏塔古寺十八寺めぐり」…ちょっと心を惹かれました。
 近いところは先月に『門前払い』でお参り出来なかった、南山城加茂町の「浄瑠璃寺」それに「岩船寺」「海住山寺」の三個寺です。天平の昔…「恭仁京」華やかなりし頃…貴人達が木津川の畔のこのあたりを、散策した時代の名残とも云えます。
 台風で壊れて近年に再建され「女人高野」でも知られる「室生寺」
 それに一度お参りしたこともある、寒ボタンでも有名な「当麻寺」
 子供の頃に遠足で行った記憶もある、楠正成ゆかりの河内「観心寺」など…
 一番遠いところと云えば高野山…冬季以外なら行けそうだし…パンフを見ながらなにか気分がワクワクして来ました。
 早速、カーナビに数箇所インプットしました。
 いつ行けるか…よく判りませんが…
 と、云う訳で当面は「お寺参り三昧」の、行き先には不自由しないようですね。

 

(大和路再訪)「興福寺南円堂」

2006-06-29 00:01:18 | 旅 おでかけ
 興福寺の諸堂ではこのお堂が五重塔に次いで親しまれていると思います。それはすでによく知られるように、西国三十三箇所めぐり第九番の札所だからです。
  春の日は南円堂にかがやきて 三笠の山に晴るるうす雲
の御詠歌で知られるお堂です。
 弘仁4年(813年)藤原冬嗣により創建されました。その後も戦火により焼失して現在の建物は徳川時代の寛保元年(1741年)の再建だそうです。
 西国三十三箇所めぐりは私も数年前に始めて、殆どお参りを済ませて残るはあと一個寺だけになりました。
 その残っているお寺とは…なんと本来は最初にお参りすべきはずの、第一番札所の紀州は那智山青岸渡寺なんです。
 殆どが日帰り圏であるのにここだけは、やっぱり泊まりでないと無理だし…と云うことと、マイ・カーで五条経由十津川あたり行って見たいな…などと、欲張ったことを考えて仕舞うので、いつまで立ってもお参り出来ないみたいです。
 それと今まで観光目的で何度も参っているし、余計に腰が重い…と云うこともあって、「熊野古道」がらみののツアーでもあれば丁度いいがな…と思ったりしています。

(大和路再訪)「興福寺金堂」

2006-06-28 06:13:45 | 旅 おでかけ
 興福寺の中心は金堂ですがこのお寺は710年に、藤原不比等により創建されました。その後焼失などで現存の金堂は文政2年(1819年)に再建だれたものです。
 しかし最近は老朽化が激しいので、境内に仮金堂を建てて本尊様の釈迦如来像をここへ移転して、来る興福寺創建1300年にあたる、平成22年を目標に解体修理が予定されています。

(大和路再訪)「春日大社」

2006-06-28 00:09:00 | 旅 おでかけ
 春日大社は平城京の守護神として、藤原氏系の称徳天皇の勅命により祀られ、古来から藤原氏の守護神としても知られています。
 東大寺へ参ると自然とこの神社へ、足が向く仕掛けになっているようです。
 天平時代は国家宗教としては、朝廷が信仰していた仏教が盛んだったように思いますが、那智山、伊勢、比叡山等々…お寺のそばにいつも神社があるのは、神仏混淆の頃の名残かも…

(大和路再訪)「石灯篭と神鹿ちゃん」

2006-06-28 00:08:24 | 旅 おでかけ
 参道に並んだ無数の石灯篭にはいつお参りしても圧倒されます。
 あちこちにおシカちゃんが沢山いましたので、ボスらしい一匹にシカセンベイをやりながら「仲間にワルサせんように頼んどいて…」と云ったら「うんうん…」と云う風に素直に頷いてくれました。
 勿論、ご利益は覿面(てきめん)!それからおシカちゃんは全然来ていません。我が家へ来るのはイノシシとサルばかりです。
それは現れる時刻とか足跡や狙う獲物によってすぐ判るのですよ。
 ひょっとしたら我が家の近くの餌になる新芽を、食い尽くしたのでそろそろと餌がなくなって来たからかも…??可哀相に…そいじゃ奈良へ来ればいいのに…
 …と思ったのですが、田舎育ちの我がおシカちゃんが、
  果たして都会のシカたちと友好的な人間関係…じゃない…「鹿間関係」(新語  です)を形成することが可能か、否か…
  観光客にシカセンベイをおねだりすることが出来るか…
  車の列を轢かれずに横断歩道を横切ったりすることが出来るか…
と云う訳でこの迷案も実現しそうもないようです。

 このあたりに「鹿苑」と云い、怪我や病気あるいは出産予定のシカを収容しているところがあると思うのですが…

 ところで笛を吹いてシカを寄せる「鹿寄せ」について、聞いてこようと思っていて忘れたのでH・Pで調べました。それは、コノ「鹿寄せ」に使う音楽が「ベートーベン」や…と云うことの真偽についてでした。
 実はそれは本当でナチュラル・ホルンと云う楽器で、ベートーベンの「第6}…」田園」の一部だそうな…メロディも聴いてみました。
 CDは一応はあるのですが普段は全然聴いていないので、突然思いつきで聴いてみても、結局は第何楽章のどのあたりなのかさっぱり判らず仕舞いでした。
                        (不勉強です…)
…と、ここで、突然…あることが閃いたのです!