映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(シネマ雑記帳) ( 82) 「阿弥陀堂だより」

2006-07-14 05:20:21 | 映画
阿弥陀堂だより 我が家で昔からお祀りしている本尊様は「阿弥陀如来」ですから、本来はもっと早く観るべき映画だったのかも判りません。しかし私が気になったのはこの映画が、私のお寺の宗派や本山の推薦だったからでした。でも観終わってから割合と宗教臭が感じられなかったので、逆になにか少し救われたような思いがしました。
 
 新人賞を貰ってからその後は一向に売れない作家の夫…
 有能な医師でありながら原因不明の心の病気を持つ妻…
 山里で「阿弥陀様」のお守りをしながら、ゆったりと生きている老婆うめ…
 都会でのストレスや矛盾をすべて背負い込んだような疲れた夫婦が、豊かな自然のと中で人々との交流を通じて心の平安と生き甲斐を見つけていく…と云う物語でした。
 
 考えてみれば有り余る物質と便利で快適な生活道具に囲まれて、日々の暮らしや子育てに頑張っていた現役世代の頃…ストレスや鬱積した不満の中で自らを省みることもありませんでした。
 心の安定とは…落ち着くところは…と云う訳で、急に付け焼刃みたいに始めた「お寺参り」も決して悪いことではありません。
 が、大事なことは平凡な日々の生活や、日常のなにげない人とのお付き合いの中で、自然に会得していくべきもなんだ…と云うことを、この映画は教えてくれているように思いました。

 写真の古色蒼然とした今にも壊れそうなお寺が我が家の「菩提寺」です。
 写したのはいつごろか少し忘れましたが今年の春頃のようです。
 ご本尊は「阿弥陀如来」ですから映画の仏様と、同一系列かとも思われます。
 お寺に伝わるものとして豊臣秀次の遺品と云われる掛け軸が、県指定文化財として伝わっていることから、開創は安土桃山時代ではないかと推定されます。
 
 法然上人を開祖とする浄土宗ですが、仏間の様式から見て昔は天台宗であったものが、江戸時代に改宗したものではないか…と云う説もあります。
 天台宗総本山の比叡山に近いことや、現在でも神社には天台宗のお寺が祀られていること、更に徳川将軍家は浄土宗をご贔屓にされていたと云う事実から、時の権力者の都合により宗旨変えしたのかも知れません。
 と、すると我が家の先祖様の信仰心も、いい加減なものだったようですが私もその血を引いているのかも…と、変なところで納得しました。
 最近は「仏像ドロ」が流行っているとか…で、お守りもなかなか大変なんですよ。
 「県指定重文」の掛け軸は県で修復して貰って、普段は公的施設に預託して一年に一度ほど…秋のお彼岸の頃に里帰りして戴いています。
 いろいろと謎めいた部分も秘められているようなお寺ですから、民俗学的には解明すべき興味ある箇所もも沢山あるのかも判りません。

 本来の映画の話題から全然外れて仕舞いましたが申し訳ありません…
 一年前に比べて住む世界がだんだんと変って来たのかも…??
 
 

(比叡山紀行)(10)「比叡山ケーブル」

2006-07-14 05:19:48 | 旅 おでかけ
 前回の続きです。
 杉木立の山道を辿って行くとやがてケーブルの「延暦寺駅」に着きました。所用で下山されるらしい二人程のお坊さんを乗せたケーブルが下りて行きました。
 このケーブルはもう数十年も乗った記憶がありませんが、あの頃…登るにしたがって眺望がだんだんと開けて来て、紺碧の水を湛えた琵琶湖が大きく眼下に広がって来て、沖島や近江舞子の方まで見渡せました。
 今と違って琵琶湖大橋もJR湖西線の不細工な高架もなかったし、江若鉄道と云う単線の私鉄がゴトゴトとのんびりと走っていました。
 国道バイバスもなければ特急サンダーバードも走っていなかった頃の比叡山麓は、緑の田圃や小鳥がさえずる里山などの自然がいっぱいののどかな田園地帯でした。

 出札のおねえさんにホームで写真を撮らせてほしい…と頼みますと、「もう5分程で到着ですから、その直前までいいですよ。どうぞどうぞ…」と気持ちよく改札口を開けてくれました。
 レールの間のワイヤーがビンビンと小刻みに揺れて、ケーブルを巻き上げているのが良く判ります。やがて緑の木立を縫うように、赤いボディのケーブル・カーが急勾配の線路を登って来るのが見えてきました。
 俄かカメラマンは大忙しでしたがいよいよ到着の寸前に、ホームから待合室へ戻りますと大勢のお客さんが下りて来ました。

(比叡山紀行)(11)「お遍路さん」

2006-07-14 05:19:13 | 旅 おでかけ
 上りのケーブルから下りたお客さんの中には、白い浄衣を身につけたお遍路さんのような女性の方がいられました。信仰の山に相応しくその白装束は周りの景色とマッチしていました。
 私も「四国八十八箇所」参りもしたいのですが、「西国三十三箇所」のあと僅か一箇所がなかなか…と云うようなことでは無理ですね。
 それも本来はトップに参るべき第一番札所の、紀伊国那智山の「青岸渡寺」がまだなんですから不信心もいいとこです。
 勿論、観光目的なら何度も行っているのですが「西国…」を始めてからは、まだ一度も…ですから程遠いことです。

 昨年の春先に高松自動車道を走っていたら、鳴門市の手前あたりで「四国八十八箇所」第一番札所「霊山寺」の案内板が目に入りました。時間がないのでお参りはしませんでしたがあの時に、お参りしていたら今頃はハマリこんでいたかも…?
 でも、四国と云うとクルマは少しキツイしフエリーの方が楽かな…などと、心は少しづつ飛んでいるのですが、何分一足遠いとなかなか実行が伴いません。