チャゲ&飛鳥が解散するらしい。
今さらチャゲアスがということもないのだが、同じ年の人間としてはついにあいつらも解散するんだという思いである。
同じ年というか、彼らとは同じ時代に博多で学生時代を送ったことになる。
彼らは大宰府の第一経済大学、僕は西新の西南大学、もうひとりついでに言うなら同じ時期に九州産業大学には1学年上に長渕剛がいた。
あの頃の博多ではフォークソングが主流で誰もがギターを弾きながら歌っていた。
チャゲ(柴田秀之)や飛鳥(宮崎重明)も別々に音楽やっていた。
長渕はいち早く上京してデビューを果たしたが「雨の嵐山」という、さだまさし張りの叙情的なドフォークが全く売れず、泣く泣く博多に帰りまた一からやり直していた。
78年か79年か忘れたけどヤマハのポプコンの福岡大会に一応学生シンガーソンガライターとして歌っていた僕も出場したのだが、その大会では再起をかけた長渕剛は「巡恋歌」という曲で優勝した。
すべての楽曲の発表が終わり、出場者の僕らも会場で座って発表を聞くのであるが、僕の隣の席に座っていた長渕は祈るように「グランプリは・・」のアナウンスを聞いていた。
福岡大会ではもう一人グランプリがいた。
それがチャゲ(柴田秀之)で、その大会に一人でギターの弾き語りで出場していた飛鳥(宮崎重明)は歌唱賞をもらった。
僕は残念ながら参加賞のみとなったがこれだけの面子をみても当時の博多の音楽レベルは高かったといえる。
その後にヤマハの薦めもあって彼らはグループになったのであるが、あくまでバンドとしての活動をしていた。
デビューするに当たって残りのメンバーを切り捨てて、「チャゲ&飛鳥」としての二人組だけで上京する時には捨てられる形になった他のメンバーとのごたごたがあったことも音楽仲間から聞いたことがある。
しかし、なんのかんの言っても彼らは上京して成功した。
しかも音楽史に残る活躍を果たし、他のミュージシャンが真似できないほどの長い間、第一線で解散もせず続けてきたのは凄いことである。
50歳も過ぎて今度はそれぞれの目指すものがあっての解散だろうからいいんじゃないとは思うけど、確かに飛鳥はソロでも十分稼げるだろうし、今までの楽曲の印税もほとんど自分に入る。
しかし、チャゲはというとチト不安である。
実際、チャゲが帽子とサングラスを外せば誰も気が付いてくれないはずだ。
解散して初めて博多に置き去りにしてきたバンドのメンバーの気持ちが少しは分かったりしてね。
彼らがそれぞれソロになっても同級生としてはどこか応援していたい気持ちはある。
同級生ミュージシャンといえばスタレビの根元要もいるが彼らも息の長いバンドである。
やっぱひとつの事を長くやり続けるってのはたいしたもんである。
今さらチャゲアスがということもないのだが、同じ年の人間としてはついにあいつらも解散するんだという思いである。
同じ年というか、彼らとは同じ時代に博多で学生時代を送ったことになる。
彼らは大宰府の第一経済大学、僕は西新の西南大学、もうひとりついでに言うなら同じ時期に九州産業大学には1学年上に長渕剛がいた。
あの頃の博多ではフォークソングが主流で誰もがギターを弾きながら歌っていた。
チャゲ(柴田秀之)や飛鳥(宮崎重明)も別々に音楽やっていた。
長渕はいち早く上京してデビューを果たしたが「雨の嵐山」という、さだまさし張りの叙情的なドフォークが全く売れず、泣く泣く博多に帰りまた一からやり直していた。
78年か79年か忘れたけどヤマハのポプコンの福岡大会に一応学生シンガーソンガライターとして歌っていた僕も出場したのだが、その大会では再起をかけた長渕剛は「巡恋歌」という曲で優勝した。
すべての楽曲の発表が終わり、出場者の僕らも会場で座って発表を聞くのであるが、僕の隣の席に座っていた長渕は祈るように「グランプリは・・」のアナウンスを聞いていた。
福岡大会ではもう一人グランプリがいた。
それがチャゲ(柴田秀之)で、その大会に一人でギターの弾き語りで出場していた飛鳥(宮崎重明)は歌唱賞をもらった。
僕は残念ながら参加賞のみとなったがこれだけの面子をみても当時の博多の音楽レベルは高かったといえる。
その後にヤマハの薦めもあって彼らはグループになったのであるが、あくまでバンドとしての活動をしていた。
デビューするに当たって残りのメンバーを切り捨てて、「チャゲ&飛鳥」としての二人組だけで上京する時には捨てられる形になった他のメンバーとのごたごたがあったことも音楽仲間から聞いたことがある。
しかし、なんのかんの言っても彼らは上京して成功した。
しかも音楽史に残る活躍を果たし、他のミュージシャンが真似できないほどの長い間、第一線で解散もせず続けてきたのは凄いことである。
50歳も過ぎて今度はそれぞれの目指すものがあっての解散だろうからいいんじゃないとは思うけど、確かに飛鳥はソロでも十分稼げるだろうし、今までの楽曲の印税もほとんど自分に入る。
しかし、チャゲはというとチト不安である。
実際、チャゲが帽子とサングラスを外せば誰も気が付いてくれないはずだ。
解散して初めて博多に置き去りにしてきたバンドのメンバーの気持ちが少しは分かったりしてね。
彼らがそれぞれソロになっても同級生としてはどこか応援していたい気持ちはある。
同級生ミュージシャンといえばスタレビの根元要もいるが彼らも息の長いバンドである。
やっぱひとつの事を長くやり続けるってのはたいしたもんである。