本年の削ろう会は川越でした。
今回は私も宿泊はできず一日目のみの参加でしたので、
講演会と道具買いであっという間に半日が終わってしまいました。
講演会には現代の名工、
とりわけ、飛鳥斑鳩の最後の宮大工といわれた西岡常一棟梁の内弟子「小川三夫さん」のお話が聞けるというとても貴重な機会でした。
小川さんは、
薬師寺東塔をはじめ、今まで携わってきた建築をスライドで見せながら、
古代の建築も、美を追求し、
直線、直角を守るだけでなく、人間の目の錯覚を考慮して、微妙に傾斜をつけている例(薬師寺の塔も左右の柱は内側に21ミリ倒れているなど)
また「木は生育のままに使え」という宮大工の教えのとおり、
「南側に節(枝が生えていた)がある柱を使っている事例」
などをお話いただきました。
続いては、
山口県岩国の錦帯橋を代々架け替えてきた大工、海老崎さんのお話。
木造で渡す橋は、100尺(およそ30メートル強)は不可能といわれている中で、
この錦帯橋は橋間が40メートルくらいある、きれいなアーチがついた橋です。
でも木造のために、
50年に一度架けなおしをしなければいけないのですが、
それを先祖代々担ってきたのが海老崎さんのお宅だそうです。
少しずつ木を組んで伸ばし、アーチを作っていくのはとても大変な仕事であることが
ビデオから感じましたが、
また同時に大変名誉な仕事だと思いました。
しかし、50年に一度の橋の架け替えだけでは飯を食っていくことはできないというのも
偽りない現実だそうです。
→岩国錦帯橋
最後は、
和釘づくりの白鷹さんです。
日本の古代から現代に至る和釘の変遷を独自に研究されていて、
意外にも、すでに中世から釘の質の低下が始まっていて、
安土桃山時代の釘は見た目重視の成金主義と評価されていました。
「昔のものはいい」
とは一概には言えないようですね。
いずれのお三方も、
生粋の職人でありながら、トークもうまい!
多くの職人をまとめたり、技術を伝えていくには、
こうした能力も必要で、
それを兼ね備えた稀有な方々だったと思います。
町を歩いていると、
「今日は、こんなイベントがありますよ」と削ろう会を教えてくださる方もいて、
削ろう会川越大会は、
川越商工会をはじめ、町一丸で取り組んでいる感じがしました。
実行委員会、事務局の方々ありがとうございました。
今回は私も宿泊はできず一日目のみの参加でしたので、
講演会と道具買いであっという間に半日が終わってしまいました。
講演会には現代の名工、
とりわけ、飛鳥斑鳩の最後の宮大工といわれた西岡常一棟梁の内弟子「小川三夫さん」のお話が聞けるというとても貴重な機会でした。
小川さんは、
薬師寺東塔をはじめ、今まで携わってきた建築をスライドで見せながら、
古代の建築も、美を追求し、
直線、直角を守るだけでなく、人間の目の錯覚を考慮して、微妙に傾斜をつけている例(薬師寺の塔も左右の柱は内側に21ミリ倒れているなど)
また「木は生育のままに使え」という宮大工の教えのとおり、
「南側に節(枝が生えていた)がある柱を使っている事例」
などをお話いただきました。
続いては、
山口県岩国の錦帯橋を代々架け替えてきた大工、海老崎さんのお話。
木造で渡す橋は、100尺(およそ30メートル強)は不可能といわれている中で、
この錦帯橋は橋間が40メートルくらいある、きれいなアーチがついた橋です。
でも木造のために、
50年に一度架けなおしをしなければいけないのですが、
それを先祖代々担ってきたのが海老崎さんのお宅だそうです。
少しずつ木を組んで伸ばし、アーチを作っていくのはとても大変な仕事であることが
ビデオから感じましたが、
また同時に大変名誉な仕事だと思いました。
しかし、50年に一度の橋の架け替えだけでは飯を食っていくことはできないというのも
偽りない現実だそうです。
→岩国錦帯橋
最後は、
和釘づくりの白鷹さんです。
日本の古代から現代に至る和釘の変遷を独自に研究されていて、
意外にも、すでに中世から釘の質の低下が始まっていて、
安土桃山時代の釘は見た目重視の成金主義と評価されていました。
「昔のものはいい」
とは一概には言えないようですね。
いずれのお三方も、
生粋の職人でありながら、トークもうまい!
多くの職人をまとめたり、技術を伝えていくには、
こうした能力も必要で、
それを兼ね備えた稀有な方々だったと思います。
町を歩いていると、
「今日は、こんなイベントがありますよ」と削ろう会を教えてくださる方もいて、
削ろう会川越大会は、
川越商工会をはじめ、町一丸で取り組んでいる感じがしました。
実行委員会、事務局の方々ありがとうございました。