寺社縁起研究会・関東支部

@近畿大学東京センター

第113回例会

2014年03月16日 | 例会履歴

2014.03.16 神奈川県立金沢文庫

【シンポジウム 鎮護国家の祈りと言説】

網野善彦「異形の王権」をめぐって  坂口太郎
【要旨】中世の天皇と密教との関係を考える上で、後醍醐天皇は大きな存在である。後醍醐の研究史を振り返ると、 1986年に発表された網野善彦氏の「異形の王権―後醍醐・文観・兼光―」が重要な位置を占めている。網野氏は後醍醐の密教への傾倒を「異形」と評したが、近年では後醍醐を含んだ鎌倉後期の王権全体が密教と緊密な関係を結んでいたことが明らかにされている。本報告では、(1)近代以降の後醍醐研究の軌跡をたどるとともに、(2)網野説で展開された後醍醐論に吟味を加え、(3)鎌倉後期の王権と密教について若干の展望を示したい。

戦う神を求めて―『対馬記』を読む―  鶴巻由美
【要旨】蒙古襲来によって鎌倉幕府は国家=日本として、異国との武力による対峙を余儀なくさせられる。この「武力による護国」は、それまで政治の表舞台に出ることを回避してきた幕府にとって否応もなく権力者としての責任をも引き受けざるを得ないことを意味した。自身が拠って立つ位置を明確にするためにも「武力による護国」を正当化する言説を求めたとき、異国との戦いに勝利した「八幡」がふさわしかった。その際、蒙古との戦いという現実を歴史に投影した言説として称名寺聖教『対馬記』(全海書写)が生み出されたのではないかと考える。

宝珠造立とその系譜  高橋悠介
【要旨】「能作性宝珠」と呼ばれる人造宝珠の造立に関しては、白河院周辺で宝珠仕立の修法を開拓した範俊に始まり、東大寺大仏再建にあたり重源と共に宝珠を造立した勝賢、また寛元四年(1246)に上賀茂社で宝珠を造立した金剛王院実賢の事蹟などが知られる。こうした宝珠造立は、鎌倉亀谷の釈迦堂を拠点として活動していた定仙(1233~1302)が著した聖教にも言及されており、定仙自身も建治三年(1277)に鶴岡八幡若宮での宝珠造立に関わっていた。本報告では、中世王権と関わる密教修法における宝珠の意義をふまえつつ、宝珠造立の具体相と歴史について考察してみたい。