寺社縁起研究会・関東支部

@近畿大学東京センター

第99回例会

2010年06月25日 | 例会履歴

2010.06.25 早稲田大学早稲田キャンパス

【研究発表1】武蔵国秩父札所観音霊場の形成にみる中世後期禅宗の地方展開―特に曹洞宗正法寺末、広見寺とその末寺を中心に―  小野澤眞
【要旨】秩父三十四箇所札所観音霊場信仰は近世に盛行するが、その成立は中世に遡る。『長享番付』と通称される史料によると、長享二年(1488)にはすでに三十三番まで霊場が確立していた。この霊場は武甲山を中心とする修験者の活動を母体にしていたようである。他方で当地の領主、丹党中村氏は西遷御家人となり播磨国宍粟郡に所領を得たことで播磨と関係を生じ、これによって播磨国書写山を淵源とする秩父札所縁起が生成されたとみられている。さて秩父郡・市には曹洞宗寺院が異様なまでに多い。札所寺院をみても、曹洞宗寺院が大半で、あとは臨済宗と真言宗智豊両派である。具体的には陸奥国黒石正法寺の末寺である宮地広見寺が室町期に秩父盆地に入り、それを拠点に末寺が拡散していった。札所寺院も包摂している。禅宗が山岳や水の信仰と親和的であることが背景にある。このことは正法寺の『正法年譜住山記』で明らかとなった。そしてそれを有利に進めるために、妙見宮(現秩父神社)社家勢力との協調関係がみてとれる。秩父には時衆の在地宗教者たる鉦打も存在したが、浄土系寺院はわずか一箇寺しかない。こうした過程をたどることで、曹洞宗が新仏教として地方展開する手法の例証とすることができるのである。

【研究発表2】『八幡愚童訓』と『平家物語』―「宇佐行幸」と鳩の奇瑞の記事をめぐって―  鶴巻由美
【要旨】『平家物語』巻八の「宇佐行幸」は諸本によって位置は異なるが、皇位に関わる託宣を下す宇佐八幡神が平家一門を見放したことを託宣歌によって明示しており、『平家物語』には欠かせない章段と言える。永仁元年(1293)~正安二年(1300)にまとめられたとされる『八幡愚童訓』甲本にもほぼ同内容がみられるが、『尊円序注』などの歌徳説話では全く異なる内容(この託宣歌を稚児の歌とする)となっており、歌意からすると後者の方が自然であると思われる。同じ和歌を巡って、『平家物語』と歌徳説話の二種類の話が流布していた可能性を考えると、元寇に際して示された八幡の威徳を述べ、公武に対する軍注状的性格を持つ『八幡愚童訓』甲本にとっては「宇佐行幸」の話を採用する方がその編纂意図にかなうものであったためではないか。また、八幡の使者である鳩にまつわる奇瑞についても『八幡愚童訓』甲本と『平家物語』諸本とでは共通の認識を持つ場合もあるが、両書の内容は必ずしも一致するものではなく、『八幡愚童訓』にとって威徳を示すにたる記事を取捨選択したことがうかがえる。以上、本発表では『八幡愚童訓』が参照した可能性のある先行資料をもとに『八幡愚童訓』と『平家物語』の重層的な関係を論じていきたい。