寺社縁起研究会・関東支部

@近畿大学東京センター

第118回例会

2018年03月11日 | 例会履歴
2018.03.11 金沢大学東京事務所
 
【研究発表1】『御遺告七箇大事』の新出写本について  藤巻和宏
【要旨】後七日御修法・避蛇法・奥砂子平法…といった真言密教の秘法類と如意宝珠との関わりを説くものとして、『御遺告七箇大事』(三宝院流)と『御遺告七箇秘法』(勧修寺流)というテクストがある。後者は数本の伝本が知られているが、前者については、これまで智積院蔵・宝永五年(1708)写本の存在が知られるのみであった。このたび近畿大学中央図書館で収蔵することとなった宝暦五年(1755)写本は、智積院本と一部重なる書写奥書を有する新出伝本である。本書を紹介しつつ、智積院本のみからは見えてこなかった新情報について検討する。
 
【研究発表2】四天王寺を襲った守屋の亡霊と津波・補遺  松本真輔
【要旨】2013年2月に当研究会で「地震災害に関連した奉幣使告文――付・四天王寺を襲った守屋の亡霊と津波」という題目の報告を行ったが、今回はこの「付」についての補遺(続編)となる。四天王寺は創建当時大阪「玉造」の「岸」にあったとされていたが、この地域は徐々に陸地化していた。しかし中世においてもこの移転説は継承され、今度はその原因を津波と関わらせながら寺の破壊と移設再建という形で新たな説話として再生されていた。今回の報告では、津波の比喩としての鯨(鯨波)の問題とあわせて、この移転説の生成と展開について考えてみたい。
 
【研究発表3】薬勝寺大般若会と中世般若野荘  黒田 智
【要旨】天文十四年(1545)四月八日未明、越中国砺波郡般若野荘に下向していた右近衛大将徳大寺実通とその家人十数名が何者かによって殺害された。この殺害事件は、越後守護代長尾氏の侵攻の記憶とともに、長くこの地の人びとに語り継がれることとなった。やがて実通は後花園天皇の皇子淳良親王と名をかえ、親王塚とよばれる宝篋印塔としてまつられ、その忌日には薬勝寺において大般若会が修されることになった。薬勝寺縁起や同寺に残る大般若経、過去帳を手がかりに、親王塚伝承誕生の背景と中世般若野荘の在地秩序について考えてみることにしたい。

第117回例会

2016年03月01日 | 例会履歴
2016.03.01 近畿大学東京センター
 
研究発表1】興福寺南円堂の壁画に関する問題  小野佳代 
【要旨】興福寺南円堂は弘仁四年(813)に藤原冬嗣によって創建された八角円堂である。『山階流記』南円堂条によると、平安時代の南円堂には、天台祖師の慧思と智、真言祖師の一行・惠果・善無畏・金剛智、法相祖師の玄奘らの祖師画が描かれていたという。本発表では、法相寺院の興福寺南円堂に、なぜ法相以外の真言や天台の祖師が描かれたのか、またその理由は何であったのかについて論じ、さらにこれらの祖師画の南円堂内における配置についても言及してみたい。
 
研究発表2】『赤淵大明神縁起』の創生―越前朝倉氏の始祖伝承―  木村祐輝 
【要旨】『赤淵大明神縁起』は、一乗谷に鎮座した赤淵神社の来歴を記すのみならず、但馬日下部氏の起源譚でもある。本研究では、縁起の内容を検討するとともに、越前朝倉氏五代当主義景が縁起を作成した背景について考察する。

第116回例会

2015年11月14日 | 例会履歴
2015.11.14 近畿大学東京センター
 
【研究発表1】『発心集』後人裏書攙入説  森新之介
【要旨】『発心集』は、蓮胤鴨長明(久寿二年[1155]か~建保四年[1216])が晩年に編纂した仏教説話集である。伝本には版本八巻と写本五巻があり、八巻本の慶安四年版は、今日伝存の諸本で最も原形に近いと見てよい。しかし、複数箇所は後人の増補でないかと、夙に野村八良や永積安明、橘純孝によって考証されてきた。これらを整理して簗瀬一雄は、前六巻の偶数巻末と後二巻の全体は後人の増補だとする説を唱えた。本発表では、通説で蓮胤の作だとされている複数箇所が、本来後人の裏書であったことを明らかにしたい。
 
【研究発表2】『江島縁起』の系統比較とその成立背景の検討  鳥谷武史 
【要旨】本発表で対象とする『江島縁起』は、江島を舞台とした江島神社の創始譚として、同社関係の研究に資するところが大きい。しかし、同所に関わる宗教者の存在を考えるとき、伊豆・箱根・鎌倉にまたがる信仰圏を考慮して読み解く必要がある。同縁起の系統は、真名本および仮名本の二系統に分類されるが、両者の間には、文体の差にとどまらず、増補・改編の過程で、大きな違いが生じている。本発表では、両系統の内容比較を中心としつつ、奥書の記述をもとに、成立年代・制作背景の検討をおこなう。また、文中に言及される弁才天の信仰にも着目し、中世に著述された弁才天偽経との関連について言及したい。

第115回例会

2015年02月16日 | 例会履歴
2015.02.16 近畿大学東京センター
 
【研究発表1】古代寺社縁起の研究展望   藤巻和宏 
【要旨】ここ20年ほど、日本文学や美術史の方面で寺社縁起研究が急速に進展してきたが、いずれも中世・近世の研究が主流である。こうした研究の“起源”として必ず言及されるのが、1975年の岩波思想大系『寺社縁起』と奈良博『社寺縁起絵』であるが、これらは総合化という意味において注目される。しかし、これを遡る時期に、古代史研究者によって総合化の目論見がなされていたことは意外に知られていない。薗田香融「承和三年の諸寺古縁起について」(『魚澄先生古稀記念 国史学論叢』1959年)がそれである。本発表では、薗田論文の紹介を基点とし、あまり注目されていない古代の寺社縁起の研究の可能性について展望を述べる。
 
【研究発表2】通度寺(韓国梁山市)の縁起と同寺聖宝博物館所蔵『三蔵法師西遊路程記』  松本真輔 
【要旨】韓国三大寺院の一つとも言われる霊鷲山通度寺は韓国慶尚南道梁山市に位置する古刹で、その起源は新羅第二十七代善徳女王の時代(在位 632-647)に遡ると言われる。本発表では跋文に泰定五年(1328)から崇徳七年(1642)までの年記がある通度寺の縁起『通度寺事蹟記』などを軸にその沿革をたどるとともに、同寺聖宝博物館に所蔵されている絵巻『三蔵法師西遊路程記』の内容について検討したい。この絵巻は展覧会などでしばしば展示されてきたが詳しい研究がまだない。また、通度寺龍華殿内壁には『西遊記』のうち六回分についての壁画があることが近年確認されており、同寺の天竺への指向性がかいま見える資料となろう。

第114回例会

2014年08月04日 | 例会履歴

2014.08.04 近畿大学東京センター

【研究発表1】立山縁起の系統について  山吉頌平
【要旨】越中の霊山・立山において、その信仰の担い手となった芦峅寺(あしくらじ)、岩峅寺(いわくらじ)に伝わる縁起は、近年の注目にも関わらず、綿密に網羅的な分析を加えられたことがなく、その系統を示した唯一の論文の結論にも疑問点が少なくない。そこで本発表では、両寺で作製された縁起や書上、その他山外でつくられた立山の記事を持つ紀行文などの史料を総合的に分析し、中世以来の古縁起の散逸後に形成された現存する江戸期の縁起がどのように形成されていったのかを考察し、その系統関係を提示してみたい。

【研究発表2】遁世者と妻子―『発心集』『閑居友』『撰集抄』の諸相―  和田あや香
【要旨】『発心集』『閑居友』『撰集抄』は、多くの遁世に関わる説話をおさめ、ひとくくりに同系列とみなすことができるとされている仏教説話集である。これら三説話集には、妻子をふり捨てて遁世する男性たちの姿が描かれている。まさに遁世者と妻子は一対の存在のようである。発表者は、遁世者が社会集団から離脱する際に、「捨てがたきよすが」となる妻子の存在に注目した。今回の発表では、それらの捨てられる妻子たちの描かれ方から、『発心集』『閑居友』『撰集抄』に登場する遁世者の諸相を調査・考察した結果を報告したい。


第113回例会

2014年03月16日 | 例会履歴

2014.03.16 神奈川県立金沢文庫

【シンポジウム 鎮護国家の祈りと言説】

網野善彦「異形の王権」をめぐって  坂口太郎
【要旨】中世の天皇と密教との関係を考える上で、後醍醐天皇は大きな存在である。後醍醐の研究史を振り返ると、 1986年に発表された網野善彦氏の「異形の王権―後醍醐・文観・兼光―」が重要な位置を占めている。網野氏は後醍醐の密教への傾倒を「異形」と評したが、近年では後醍醐を含んだ鎌倉後期の王権全体が密教と緊密な関係を結んでいたことが明らかにされている。本報告では、(1)近代以降の後醍醐研究の軌跡をたどるとともに、(2)網野説で展開された後醍醐論に吟味を加え、(3)鎌倉後期の王権と密教について若干の展望を示したい。

戦う神を求めて―『対馬記』を読む―  鶴巻由美
【要旨】蒙古襲来によって鎌倉幕府は国家=日本として、異国との武力による対峙を余儀なくさせられる。この「武力による護国」は、それまで政治の表舞台に出ることを回避してきた幕府にとって否応もなく権力者としての責任をも引き受けざるを得ないことを意味した。自身が拠って立つ位置を明確にするためにも「武力による護国」を正当化する言説を求めたとき、異国との戦いに勝利した「八幡」がふさわしかった。その際、蒙古との戦いという現実を歴史に投影した言説として称名寺聖教『対馬記』(全海書写)が生み出されたのではないかと考える。

宝珠造立とその系譜  高橋悠介
【要旨】「能作性宝珠」と呼ばれる人造宝珠の造立に関しては、白河院周辺で宝珠仕立の修法を開拓した範俊に始まり、東大寺大仏再建にあたり重源と共に宝珠を造立した勝賢、また寛元四年(1246)に上賀茂社で宝珠を造立した金剛王院実賢の事蹟などが知られる。こうした宝珠造立は、鎌倉亀谷の釈迦堂を拠点として活動していた定仙(1233~1302)が著した聖教にも言及されており、定仙自身も建治三年(1277)に鶴岡八幡若宮での宝珠造立に関わっていた。本報告では、中世王権と関わる密教修法における宝珠の意義をふまえつつ、宝珠造立の具体相と歴史について考察してみたい。


第112回例会

2013年11月02日 | 例会履歴

2013.11.02 近畿大学東京事務所

【研究発表】外川仙人堂信仰と出羽三山参詣  佐藤 優
【要旨】外川仙人堂は、山形県最上郡戸沢村古口地区に鎮座する。現在は、子どもの疳の虫封じや航海安全に利益があるとされ、毎年8月19日に挙行される例大祭には、山形県以外からも多くの参拝者で賑わう(2009年8月18、19日・発表者調査)。さて、仙人堂については、享和三年 (1803)に再版された略縁起が残されており、この内容などについては、『世間話研究』第19号(世間話研究会、2009年)に報告させてもらった。しかしながら、この報告の後に、千葉県野田市・我孫子市・印西市にも「仙人権現」と刻字された石祠が現存していることが判明した。そこで、今回の報告では上記の作業をふまえ、千葉県内の「仙人権現」と外川仙人堂の関わりについて考察してみたい。具体的には、上述した地域における外川仙人堂信仰について、勧請経緯など史資料に基づき報告してみることにする。さらに、近世後期、上総国から出立した出羽三山参詣道中記も取り上げて、出羽三山参詣という大きな枠組みの中から千葉県における外川仙人堂信仰の意味づけをとらえ直してみたい。


第111回例会

2013年08月08日 | 例会履歴

2013.08.08 近畿大学東京事務所

【資料紹介】宝珠院の略縁起数種について  藤巻和宏
【要旨】大阪市の菅原山天満寺宝珠院の調査において、このたび近世から近代にかけての略縁起が数種発見された。これらを紹介するとともに、すでに 『大阪市文化財総合調査報告書』23(2000)で紹介されている『摂州西成郡大坂天満菅原山天満宮寺宝珠院略縁起』と、それぞれの縁起との関係を考えてみたい。

【研究発表】『三国遺事』万波息笛説話の「波」とは何か  松本真輔
【要旨】新羅の都、慶州に作られた感恩寺の創建縁起を含む『三国遺事』万波息笛説話は、新羅の護国思想の示すものとしてかねてから注目を集めてきた。今発表では、「万」の「波」が「息」むという名を持つこの笛の「波」について、『三国遺事』「賢瑜珈海華厳」条とあわせて考察してみたい。


第110回例会

2013年03月04日 | 例会履歴

2013.03.04 近畿大学東京事務所

【研究発表1】南都諸寺僧形像考―鑑真像と行信像の造立をめぐって―  小野佳代
【要旨】奈良時代の南都諸寺には数多くの僧形像が安置されていた。しかし僧形像の多くは本尊の周辺に安置され、主役として造立されることが少なかったことから、奈良時代の僧形像の造立状況については思いのほか意識されてこなかったのではなかろうか。そこで本発表では、まず奈良時代の南都諸寺の僧形像の安置状況を史料によって確認したうえで、天平宝字七年(763)に造立された唐招提寺・鑑真和上坐像の意義を改めて問い直し、鑑真像がわが国の僧形像史に与えた影響力の大きさについて考えてみたい。さらに、鑑真像につづく法隆寺夢殿の行信僧都坐像については、その人物像に不審な点が多く、造立事情についても再考の余地を残しているように思われる。行信像の造立事情や意義についても併せて考察を加えてみたい。

【研究発表2】インドにおける大乗仏教の展開と密教の黎明―『蘇婆呼童子請問経』をどのように解釈すべきか―  杉木恒彦
【要旨】およそ6世紀頃のインドの大乗仏教にて編纂された『蘇婆呼童子請問経』は、薬叉たちの王である持金剛に対し、「真言をとなえる等の儀礼実践を行っても結果が生じないのはどうしてですか」というスバーフ(蘇婆呼)の質問から始まる。それに対し、持金剛は「発菩提心や十善戒等の大乗仏教の基本的な戒が全ての根本であるからそれを守らねば真言を唱えても意味がない」と答える。そして、憑依魔や男女の薬叉など様々な霊的存在から自らを守る(あるいはそれらを飼い馴らす)技術や、各種な優れた能力を得る方法など、様々な修行方法・日常の行のあり方を説く。比較的近年の研究では、伝統的な僧院の外で活動を繰り広げる出家の仏教修行者たちの教団の存在を仮定し、本経典はその教団における行を説いたものであるとする解釈がある。だが本発表では、このような解釈に対し異議を唱え、当時の経典編纂史的コンテクストも踏まえながら、新たな解釈を試みたい。


第109回例会

2012年10月27日 | 例会履歴

2012.10.27 近畿大学東京事務所

【研究発表1】中世寺院における寺誌の生成と継承―東寺を中心に―  貫井裕恵
【要旨】日本の中世社会では、仏教とりわけ真言宗をはじめとする顕密仏教が重要な位置を占めており、関連する史料も多い。近年寺院史料調査のめざましい進展により、寺院史料論の体系化が進められつつある。本報告では、膨大な寺院史料等により編纂されている寺誌に着眼したい。寺院の、自らの歴史を叙述している寺誌は、これまでいわば百科事典として多くの研究に供されることが多かったが、寺誌そのものもまた歴史的背景を負って成立しており、超時代的史料たりえないのである。そこで南北朝期東寺において編纂された『東宝記』を中心に、その成立背景から編纂、保存・利用について俯瞰することで、中世寺院における寺誌の担った役割を考えたい。さらに寺院史料論のなかに寺誌を位置づけてみたい。

【研究発表2】参詣と和歌  高橋秀城
【要旨】寺院への参詣および巡礼(巡拝)に和歌は付きものである。御詠歌(巡拝歌)といった信仰と深く結び付いたものから、参詣途次での名所旧跡を詠ったものまでその範囲は広い。本発表では、成田山参詣記や高野山参詣を目的とする紀行文・参詣記事を対象とし、和歌がどのような場面・場所で詠まれたのか見ていくことで、その意味を探りたい。併せて、真言僧侶の修学と巡礼との関わりを考えたい。


第108回例会

2012年08月07日 | 例会履歴

2012.08.07 近畿大学東京事務所

【研究発表1】建永二年における専修念仏者の斬首配流事件  森新之介
【要旨】建永2年(1207)2月、専修念仏者の安楽房遵西と住蓮は斬首となり、その師たる法然房源空は配流となった。この事件については旧くか ら、源空の専修念仏宗の盛行を妬んだ南都北嶺が讒訴したことによるものだ、と理解されてきた。近年、上横手雅敬や平雅行によって研究が進められているが、今なお数多くの不審が存する。そもそも、従来「建永の法難」と通称されてきたこの事件が、当時後鳥羽院による不当な弾圧と目された形跡は殆んどない。「法難」という通念すらも懐疑し、事件を根本から検証する必要があると考えられる。そこで本発表では、これまで十分には検討されてこなかった遵西住蓮の斬首時期に着目し、源空配流の意義や後鳥羽院の宗教政策について一つの仮説を提示したい。

【研究発表2】散佚『武州太田荘惣社鷲明神十巻縁起』考―鷲宮神社(埼玉県北葛飾郡鷲宮町)の古縁起とお伽草子「源蔵人物語」―  佐々木雷太
【要旨】埼玉県北葛飾郡鷲宮町に鎮座する鷲宮神社は、鎌倉幕府からの尊崇を受けた、関東屈指の古社として著名である。しかし、現在の鷲宮神社では、中世以前に遡る古縁起の存在は確認されず、その片鱗が『林羅山詩集』所載「癸巳日光紀行〈八十七首〉」に窺われるのみである。既に平瀬修三氏は、この「癸巳日光紀行〈八十七首〉」に抄録された鷲宮神社古縁起が、お伽草子「源蔵人物語(浅間御本地)」との関連を想定させる内容であることを指摘された[同氏「『神道集』巻第六「三嶋明神事」考」『伝承文学研究』6(昭和39年)]。しかし、この平瀬氏のご指摘は、お伽草子「源蔵人物語(浅間御本地)」の作品研究において充分に検討され活用される機会が少なかったものと想定される。本発表では、「癸巳日光紀行〈八十七首〉」 のみならず、従来注目されなかった資料をも参照し、鷲宮神社古縁起と、お伽草子「源蔵人物語(浅間御本地)」との関連についての考察を試みる。


第107回例会

2012年05月12日 | 例会履歴

2012.05.12 近畿大学東京事務所

【研究発表1】「二尊院縁起絵巻」について―作品紹介とその特質―  土谷真紀
【要旨】京都府・二尊院に所蔵される「二尊院縁起絵巻」(全二巻)は、16世紀半ばころ狩野派によって制作された絵巻である。美術史の領域において、本絵巻に関する専論はなく、狩野元信研究や室町絵巻研究のなかで触れられるに過ぎなかった。発表では、まず本絵巻の紹介をおこない、画面と内容構成について考察する。本絵巻の内容は、二尊院の草創から絵巻制作時(室町時代半ば)に至るまでの寺史が軸となっているが、詞書には記されないにもかかわらず、詳細に描き込まれる段がある。今回は、下巻第五段に描かれる武家行列と下巻第八段の巻末に配される「米俵を運ぶ人馬」の描写について分析を試み、本絵巻が、初期狩野派の絵巻であると同時に、応仁の乱以降、盛行をみた室町期の寺社縁起絵巻の一翼を担う貴重な一例であることを提示したい。

【研究発表2】中世大和長谷寺の造営と律家  大塚紀弘
【要旨】長谷寺は創建以来、9回ほど大火を経験しており、本尊十一面観音立像および観音堂の焼亡も7度に及ぶ。その際の再興事業については、関係史料の豊富な室町後期を中心に、先行研究で追究されており、寺内の安養院や往生院、さらに本願院が、勧進聖の拠点となったことが指摘されている。ただ、勧進聖や彼らの集住した院家の性格については、未だ検討の余地が残されているように思われる。そこで本報告では、平安後期から鎌倉中期にかけての3度の再興事業に注目し、その経過を跡づけるとともに、勧進聖の集団が中世の長谷寺で果たした役割について考察したい。


第106回例会

2012年02月03日 | 例会履歴

2012.02.03 近畿大学東京事務所

【研究発表1】慶政の書写活動―『伝屍病口伝』『辟鬼珠法』の奥書から―  太田有希子
【要旨】橋本進吉が「慶政上人伝考」(『大日本仏教全書』第73巻)の中で『伝屍病口伝』『辟鬼珠法次第』の奥書を紹介して以来、これらは慶政の伝記研究において必須のテキストとなっている。しかしながら、これらのテキストに言及する先行研究の多くは、慶政の学問や血脈を論じるものばかりで、管見の限りでは、テキストそのものを本格的に扱った研究はまだない。そこで本発表では、まずこれらのテキストについて詳細な検討を行い、そこから慶政の書写活動の一端を明らかにしてみたい。

【研究発表2】地震災害に関連した奉幣使告文―付・四天王寺を襲った守屋の亡霊と津波―  松本真輔
【要旨】本発表は、大地震に関連した寺社への奉幣使派遣とそれに伴う告文の内容についての検討を目的とする。中心となるのは貞観十一年(869)に発生した東北地方の地震である。告文は同時期に発生した新羅の海賊と合わせて日本の脅威を説いており、自然災害とあわせて所謂「護国」思想の問題とも密接に絡み合っているものと思われる。発表者の関心は聖徳太子信仰の中心地の一つである四天王寺において新羅調伏思想が現れる問題にあり、その淵源となる時代背景についての整理を試みるのが本発表の目的である。また、地震災害に関連して、中世の聖徳太子伝に現れる四天王寺の津波襲来伝説についても触れてみたい。


第105回例会

2011年12月03日 | 例会履歴

2011.12.03 近畿大学東京事務所(外苑前)

【研究発表1】宝珠院の所蔵資料について―三宝院流との関わりを中心に―  藤巻和宏
【要旨】今年の6月より、大阪市北区の菅原山天満寺宝珠院の調査を開始した。現在は真言宗御室派に所属する寺院で、かつては大阪天満宮の神宮寺であったとも推測されている。近世に作成された縁起によると、空海により建立され、菅原道真とも関係があったということだが、草創期の詳細を伝える資料はない。時代はくだり、応永三年(1396)に摂津国豊島郡と大和国添下郡を寺領として寄進されたことや、山科言経(1543-1611)・古田織部(1544-1615)・藤原惺窩(1561-1619)ら著名な文化人との交流などが、資料から断片的ながらも指摘されている。調査を開始してまだ間もないが、現在までに明らかとなったことを、特に真言密教三宝院流と関わる資料の存在を中心に報告する。

【研究発表2】室町期の公家と勧進帳―中原康富を中心に―  伊藤慎吾
【要旨】室町期は寺社の修理・再興が頻繁に行われていたが、その際、多くの場合、当該寺社の縁起とともに修理・再興の趣旨を綴った勧進帳が作成された。これらには、終始、内部で作られるものもあれば、外部に依頼するものもある。依頼する先の多くは公家衆であった。その中でも文章や書道に巧みな公家に集中する。さて、中原康富は15世紀中葉の公家であるが、やはり文章をよくし、勧進帳を数通綴っていることが確認される。本発表では中原康富を取り上げることで、寺社がどのように公家に依頼し、どのような関係から草案・清書の担当が決められるのかを考えてみたい。


第104回例会

2011年08月01日 | 例会履歴

2011.08.01 近畿大学東京事務所(外苑前)

【研究発表1】『粉河寺縁起』の構成と受容―奥書に見る書写者と書写地・信仰・時代背景―  土橋由佳子
【要旨】三十三話の構成をもつ長禄二年(一四五八年)書写『粉河寺縁起』(続群書類従所収)の奥書には、『粉河寺縁起』を書写した人物名をそれぞれ「明徳四年」「応永十九年」に記している。これは、同構成でなる『図書寮叢刊 諸寺縁起集』(底本・宮内庁書陵部所蔵・伏見宮家旧蔵本)に収められた宝徳四年(一四五二年)後祟光院貞成親王書写の『粉河寺縁起』にはない。そこで本発表では、『粉河寺縁起』の構成に見る特徴にふれつつ、続群書類従本の奥書に見る人物、書写された場所を追う。さらに伏見宮家旧蔵本の書写年の背景も含め、縁起書写・生産の場とともに、粉河寺信仰などの周辺と受容について考察する。

【研究発表2】匂いをめぐる身体経験と信仰について  吉村晶子
【要旨】「聖なるもの」が何であるのかは、周知のとおり長きにわたる議論が重ねられてきたテーマである。発表者はこれまで、〈匂い〉という身体経験を足掛かりに「聖なるもの」が聖者と人びととの関わりのなかでいかに立ち上がるのかを考えてきた。聖者と人びとの間に立ち込めた匂いは、聖性の確信を与える「奇跡」の経験として共有されるが、こうした匂いの交感ともいえる奇跡は、匂いをめぐる人びとの日常経験に根差した側面がある。日常と聖なる世界とを結ぶ経験の回路は、奇跡や聖性の真実性を増幅し、それを伝え聞いた人びとにも、自らも経験したいという欲望を生み出していく。こうした共感や羨望のまなざしが、日本の古代から中世の信仰を語るテクストのなかで、どのように機能しているのか。『今昔物語集』『宇治拾遺物語』をはじめとした説話や縁起などから、匂いを題材にした語りを扱い、聖なるもの、あるいは穢れと身体経験とのかかわりについて考察してみたい。