縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

ゴヤと歴史の“if”

2006-03-31 23:50:00 | 芸術をひとかけら
 今日は先週のプラド美術館展の話の続き、ゴヤである。ゴヤの絵を取り立てて好きというのではないが、彼の生きた時代、そして彼の人生には興味がある。

 ゴヤは、当時の、18世紀の多くの画家達がそうであったように、宮廷画家であった。王族や貴族の肖像画や家族の姿を描いていた。綺麗で感じの良い絵だが、それ以上のものではない。彼の最初というか最大の転機は1792年、46歳のとき、原因不明の病で聴力を失ったことである。この後、政治の腐敗や宗教の堕落、一般大衆の無知と愚鈍など、辛らつな風刺に溢れた版画集『ロス・カプリチョス』を発表する。又、神話や宗教画の世界でしか認められていなかった裸体画、『裸のマヤ』を描いて物議を醸したのもこの頃である。
 そしてナポレオン軍の侵入と内戦。市民の反抗を描いた『マドリッド、1808年5月2日』や同じく『5月3日』。これは『裸のマヤ』などとともにプラド美術館にあるが、王家に仕える者としての愛国心の表れであろうか。

 これに続くのが『黒い絵』と言われる一連の絵画である。『わが子を食らうサトゥルヌス』が有名だが、そこにかつての宮廷画家としての面影はまったく見られない。人間の狂気や愚行、グロテスクとさえ言える人物、奇怪な世界。人の世界の闇や、心の暗部を描いている。
 ゴヤが単なる宮廷画家で終わっていれば、後世にこれだけ名を残すことはなかっただろう。年とともに画風というか、描く対象や描き方が変わったからこそ、人々の印象に残って来たのだと思う。

 よく歴史で“if”を考えてはいけないと言われるが、もしゴヤが聴力を失うことがなかったなら、ゴヤはそのまま安穏として王族・貴族の人物像だけを描いて人生を終わり、今では忘れ去られた存在だったのかもしれない。
 同じことはベートーヴェンにも言える。もし彼が聴力を失うことがなかったなら、あれほどまでに完成された、計算しつくされた音楽、運命や第九を作曲することができたであろうか。
 もしモーツァルトが長生きをしたとすれば、一生涯、何の憂いもなく、軽快で流れるように美しい旋律の音楽を作り続けたのであろうか。人間、長生きをすると、病に苦しむこともあれば、様々な問題に直面し、悩み、絶望することもあるだろう。そうした経験の中でモーツァルトはどのような曲を書いたことだろう。

 もっとも、これは大芸術家に限った話ではない。ごく普通の人間にも当てはまる話だ。幼いとき、人は多くの、それも数え切れない可能性を持っている。それなのに年を取るにつれ、これは自分に向いていない、それは自分には無理だ、あれをやって失敗したらどうしよう、などど思い、可能性を捨てているのである。言ってみれば、大人になるとは可能性を捨てる、狭めることの積み重ねである。もし、あのとき、違う道を選んでいたら・・・・。
 自分の選んだ道を正当化することは必要だと思うが、いつまでも夢を失わないことも大切だ。ときにぼんやりとゴヤの絵を眺め、そんな思いに耽るのも悪くはない。

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
モーリス・ユトリロの、白の風景画 (にゃんこままの部屋)
2006-06-08 23:49:34


絵や、音楽のことについても、深い知識と、見解をお持ちなのですね。

先日、TVで、ユトリロの絵に関する特集をやっていたので、記事にしました。



私のブログを見て下さい。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。