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英語脳をつくる!~日本人はいかに効率良く英語を学べるか~

英語学習に関する事いろいろです。日本人がいかにすれば実用英語を身に付けられるか、その最短距離を考察!

英語学習法(17)

2004年12月11日 | 品詞
EG16の続きです。品詞としての「接続詞」には、どんなタイプがあるのかを、簡単に見てみたいと思います。以下、見ましょう。

(1)John likes dogs and Mary likes cats.
  (ジョンは犬が好きだ、そして、メアリーは猫が好きだ。)

(2)John likes dogs but Mary hates dogs.
  (ジョンは犬が好きだが、しかし、メアリーは犬が嫌いだ。)

(1)の‘and’「そして」や、(2)の‘but’「しかし」は、接続詞ですが、前半の文と後半の文をそれぞれつないでいます。このように、接続詞は、文と文をつなぐことも可能です。英語の場合、このように、文と文をつなぐ機能をもった接続詞に限定するならば、‘and’や‘but’以外にも、結構な数の接続詞があります。 (語句の接続に関しては、EG16、参照。)

(3)John ate dinner before Mary came home.
  (メアリーが帰宅する前に、ジョンは夕食を食べてしまった。)

(4)John ate potato chips when Mary ate beefsteak.
  (メアリーがステーキを食べているとき、ジョンはポテトチップを食べていた。)

(5)John ate nothing because Mary hated cooking.
  (メアリーが料理嫌いだったので、ジョンは何も食べていなかった。)

(3)の‘before’「~ 前に」、(4)の‘when’「~ とき」、(5)の‘because’「~ なので」も、接続詞として見なされています。確かに、これらの単語の前後には、それぞれ、‘John’を主語にもつ文と、‘Mary’を主語にもつ文がありますから、そういった文と文の接続をしている、という見方が可能です。

(6)Before Mary came home、John ate dinner. (訳同(3))

(7)When Mary ate beefsteak、John ate potato chips. (訳同(4))

(8)Because Mary hated cooking、John ate nothing. (訳同(5))

ところで、(6)~(8)は、基本的に、それぞれ、(3)~(5)と同じ意味をもっています。(6)~(8)と(3)~(5)のカタチの上での違いは、それぞれ、‘John’を主語にもつ文と、‘Mary’を主語にもつ文が、前後で入れかわっていることですが、しかし、もう1つ、違いがあります。

それは、(6)~(8)では、‘before’「~ 前に」、‘when’「~ とき」、‘because’「~ なので」といった接続詞が、文の先頭に位置している、ということです。つまり、接続詞の後には、‘Mary’を主語にもつ文と、‘John’を主語にもつ文が、間に接続詞を置くことなく、2つ立て続けになっている、ということです。

接続詞は、一般的な考え方としては、接続されるもの (文と文) の間に、はさまっているもの、と考えられますが、それは、日本語の接続詞の場合には、常にそうだと言えることであっても、一方、英語の接続詞の場合は、常にそうだとは限らない、ということなのです。

日本語と英語の接続詞の違いで、最も大きな点は、まさに、この点にあると言ってもよく、つまり、英語の接続詞には、日本語の文法を基準にした場合、とても想像がつかないような語順になることがある、ということなのです。ポイントは、接続の仕方が、ちょっと変わっていて、「接続詞+文2+文1」というカタチになるが、意味としては、「文1+接続詞+文2」と同等である、ということですね。

(9)And Mary likes cats、John likes dogs. (×) (訳同(1))
(10)But Mary hates dogs、John likes dogs. (×) (訳同(2))

(9)と(10)は、(1)と(2)の文を語順変更したものですが、両方とも、アウトです。(9)では、(1)の‘and Mary likes cats’の部分が、‘John likes dogs’の前に移動しているのですが、全くもって不可能です。一方、(10)でも、(2)の‘but Mary hates dogs’の部分が、‘John likes dogs’の前に移動しているのですが、これも、全くもって不可能です。

(3)~(8)の‘before’「~ 前に」、‘when’「~ とき」、‘because’「~ なので」といった接続詞は、「文1+接続詞+文2」から、「接続詞+文2+文1」のような語順変更が可能であったのに、一方、(1)の‘and’や、(2)の‘but’は、それが不可能である、ということから、英語では、同じ接続詞であっても、こういった違いから、タイプ分けがなされています。

(11)and (そして)、but (しかし)、or (または)

(12)when (~ とき)、before (~ 前に)、after (~ 後で)、since (~ 以来)、
   because (~ なので)、till (~ まで)、until (~ まで)、if (~ ならば)、
   whether (~ であろうとなかろうと)、though (~ であるが)、その他

(11)のグループの接続詞は、必ず、文1と文2の間に置かなければならないタイプで、語順変更はありません。一方、(12)のグループの接続詞は、文1と文2の間に置くのを基本としますが、語順変更が可能で、文2が文1の前に出る際は、同時に、接続詞が文2の前に置かれたまま移動しなければならないタイプです。

この語順変更を、言いかえるならば、(12)のグループの接続詞は、カタチの上では、常に、「接続詞+文2」のつながりが崩れることのないタイプである、ということになります。そして、(11)のグループに属する接続詞よりも、その数が圧倒的に多いのも、その特徴となっています。

(13)Mary hates dogs though John likes dogs. (訳同(2))
(14)Though John likes dogs、Mary hates dogs. (訳同(2))

このタイプ分けがあると、似たような意味の接続詞であっても、その振る舞い方は全く違う、ということになります。(13)から(14)への語順変更は、OKですが、それは、(12)のグループに属する接続詞‘though’「~ であるが」が使われているからです。

そこで、(13)と(14)は、意味としては、ほぼ、(2)と同じですが、しかし、(2)で使われている接続詞は、(11)のグループに属する接続詞‘but’なので、(10)のような語順変更がアウトになってしまいます。さらに、注意点としては、(13)の「文1+接続詞+文2」は、(2)では、「文2+接続詞+文1」の逆接続になっていることです。

日本語で考える際、(2)のように、(11)のグループに属する接続詞を使った文は、文の先頭から末尾まで、自然な流れで解釈できますが、しかし、一方、(12)のグループに属する接続詞を使った文は、語順変更が起こった、(14)のような「接続詞+文2+文1」のカタチの方が、むしろ、自然な流れで解釈しやすくなる、という特徴があります。

(3)~(5)の英語と、その日本語訳の流れの対比も、合わせて確認してほしいのですが、(3)~(5)は、文1と文2の対比が、ちょうど逆になるような順序になっています。しかし、一方、(6)~(8)の英語は、日本語訳の流れとうまく合致しているのがわかると思います。

(15)John thinks (that) Mary is selfish.
  (ジョンは、メアリーが我がままだと思っている。)

(16)John does not know (whether) Mary is selfish.
  (ジョンは、メアリーが我がままかどうか知らない。)

今度は、ちょっとタイプの違う接続詞です。(15)の‘that’「~ だと」や、(16)の‘whether’「~ かどうか」 ((12)のグループの‘whether’「~ であろうとなかろうと」とは、意味が違うことに注意) も、接続詞として扱うことになっています。 (EG41、参照。)

もちろん、文と文の間に置かれているからなんですが、(15)では、どうやら、‘John thinks’と、‘Mary is selfish’が、‘that’によって接続されている、ということになっているようです。(16)でも、同様に、‘John does not know’と、‘Mary is selfish’が、‘whether’によって接続されている、ということになっているようです。

ただ、(15)の‘that’や、(16)の‘whether’が、(11)のグループとも、(12)のグループとも、決定的に異なっている点は、接続詞と呼ぶ割には、あまり、それらしい活躍をしておらず、結構、省略されてしまうことが多い、ということです。(11)や(12)のグループの接続詞は、文1と文2を、意味的に自然なつながりにするために、なくてはならない、必要とされる接続詞です。

しかし、一方、(15)の‘that’や、(16)の‘whether’は、文1と文2をつないでいる、と言うよりは、むしろ、位置的には、文と文の間に現れているので、とりあえず、結果論的に、接続詞と考えておこう、という程度の発想に基づいているものです。ですので、本来は、別に無理して接続詞として扱う必要もないようなタイプのものです。

(17)[ That Mary is selfish ] is known to everyone.
   ([ メアリーが我がままだということは ]、皆に知られている。)

(18)[ Whether Mary is selfish ] is not important to us.
   ([ メアリーが我がままかどうか ] なんて、我々には重要なことではない。)

‘that’や‘whether’が、省略ができないケースについては、(17)や(18)のように、文の先頭で使われているような場合など、おおよそ、接続詞としての本来の機能うんぬんとは、無関係な状況で起こります。

これに加えて、(17)の‘that Mary is selfish’や、(18)の‘whether Mary is selfish’は、意味的には、文全体の主語になっているので、‘that’や、‘whether’は、文と文をつないでいる、というよりも、むしろ、ある文を、他の文の中の一部として組み込んでしまうはたらきがある、と見た方が、より本質的で正確な言い方になります。

(15)や(16)の例でも、やはり、‘that Mary is selfish’全体や、‘whether Mary is selfish’全体を、目的語として考え、より大きな文の一部になるように組み込んでいる、と見た方が、より本質的で正確な言い方ですので、やはり、接続をしている、というような印象は希薄です。 (EG41、参照。)

今回のポイントは、語句の接続ではなく、文と文の接続という観点から見た場合、接続詞は、一気に数が増えて、それが、大きく3つのタイプに分かれている、ということです。まず、最も単純と思われる、(11)のようなタイプと、やや日本語の感覚からは異質な(12)のタイプが、英語における主な接続詞ということになります。

しかし、‘that’「~ だと」や、‘whether’「~ かどうか」のように、文を、他の文の中の主語や目的語として機能させるように仕向けるタイプのものも、接続詞という扱いを受ける点で、英語では、かなり、接続の概念そのものが、ゆるく幅広い、と言えます。

これで、接続詞の種類が出揃ったことになります。今回は、品詞という観点で、サラっと紹介している程度なんですが、接続詞がらみの変形などは、結構ややこしいものがあり、なかなか英語学習者泣かせな部分がありますので、別の機会に詳しく見てみたいと思います。

■注 :(11)のタイプは、一般に、「等位接続詞」と呼ばれています。一方、(12)のタイプは、「従属接続詞」と呼ばれています。(13)~(16)の‘that’「~ だと」や、‘whether’「~ かどうか」は、一般に、「従属接続詞」のタイプに分類されていますので、学校で習う文法では、2タイプの分類ということになります。従属接続詞の概念は、「主文」と「従文」の接続という、「主」と「従」の関係で、文が接続されている、ととらえる観点から、そう呼ばれています。

●関連: EG16EG41

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英語学習法(16)

2004年12月11日 | 品詞
EG02、EG03、EG10、EG11、EG12、EG13、EG14、EG15と続いてきた品詞シリーズ。今回、「接続詞」を扱います。以下、見ましょう。

(1)John and Mary play tennis. (ジョンとメアリーがテニスをする。)
(2)John or Mary plays tennis. (ジョン、または、メアリーがテニスをする。)

(1)の‘and’や、(2)の‘or’が接続詞です。接続詞は、文字通り、あるものと他のものを接続するのが、その機能ですから、(1)や(2)の例を見る限り、簡単と言えば、簡単です。ただ、注意点として、英語では、主語と動詞の関係で、動詞の方に、「三人称・単数・現在」という概念によって、語尾に‘-s’を付けることが約束になっていますから、その点、気をつけておけば、OKです。

(1)の‘and’では、ジョンとメアリーを足し合わせて、合計2人と見なし、「複数」ですから、‘play’に‘-s’は付きません。しかし、一方、(2)では、ジョンとメアリーを足し合わせるようなことはせず、2人のうち、どちらかがテニスをする、という解釈ですから、結局、テニスをするのは、1人ということになり、「単数」ですから、‘play’に‘-s’が付きます。

しかし、このような意味の取り方という違いはあっても、前後のものを接続する、という仕事自体に関しては、‘and’も‘or’も、同じはたらきをしているわけですから、その点、接続詞という品詞は単純であり、扱いやすい印象があります。

(3)John and Tom and Mary play tennis. (ジョンと、トムと、メアリーがテニスをする。)
(4)John or Tom or Mary plays tennis. (ジョンか、トムか、メアリーがテニスをする。)

(3)や(4)のように、‘and’や‘or’は、いくつもの接続が可能です。‘A and B and C’「A と B と C」や、‘A or B or C’「A か B か C」というように、‘and’や‘or’は、それぞれ、接続されるものの間に、はさんで使うことができます。そして、基本的には、いくつのものを接続しようとも、その数には、制限がありません。

(5)John and Tom and Jack and Mary and Lucy and Susan play tennis.
  (ジョンと、トムと、ジャックと、メアリーと、ルーシーと、スーザンがテニスをする。)

(6)John or Tom or Jack or Mary or Lucy or Susan plays tennis.
  (ジョンか、トムか、ジャックか、メアリーか、ルーシーか、スーザンがテニスをする。)

というわけで、接続詞‘and’や‘or’は、かなり使いやすい印象がありますが、しかし、(3)~(6)のような使い方は、実際には、ほとんどないと言ってもよく、例え、いくつもの接続がなされたとしても、接続詞は1つだけで済ませるケースが大半です。

(7)John、Tom and Mary play tennis. (訳同(3))
(8)John、Tom or Mary plays tennis. (訳同(4))

(9)John、Tom、Jack、Mary、Lucy and Susan play tennis. (訳同(5))
(10)John、Tom、Jack、Mary、Lucy or Susan plays tennis (訳同(6))

(7)~(10)では、接続されるものが、いくつであっても、‘and’や‘or’は、1つだけで済ませています。発音の仕方もクセがあって、‘and’や‘or’の前にある、それぞれの語句は、1つ1つ上昇調イントネーションで発音され、最後の語句のみ、下降調イントネーションになります。

ところで、(7)~(10)のように、‘and’や‘or’を、1つだけで済ませる接続のやり方には、必ず、守らなければならないルールがあって、常に、最後に接続されるものの直前でのみ、‘and’や‘or’を使うことになっています。

つまり、‘A and B and C and D and E and F’「A と B と C と D と E と F」や、‘A or B or C or D or E or F’「A か B か C か D か E か F」は、それぞれ、‘A、B、C、D、E and F’や、‘A、B、C、D、E or F’、というように、最後の接続詞を残して、残りは全て消去してしまうのがルールになっているということですね。しかし、一見、このルールが破られているかのように見えるケースも存在します。

(11)John、Tom、and Jack and Mary、Lucy and Susan are two big trio singers.
   (ジョンとトムとジャック、そして、メアリーとルーシーとスーザンが、2大トリオ歌手だ。)

(11)では、6つのもの (6人) に対して、‘and’が3つ使われていて、パッと見た感じ、‘and’がデタラメに使われているように見えますが、実は、そうではなく、‘John、Tom and Jack’と‘Mary、Lucy and Susan’の3人ずつの組み合わせが、それぞれ1つのまとまりとなって、2組に分かれていることを示しています。

ですので、前半の組である‘John、Tom and Jack’というまとまり自体は、最後の接続詞のみを残すという、ルールに従って接続されていますし、一方、後半の組である‘Mary、Lucy and Susan’というまとまり自体も、同様に、最後の接続詞のみを残すという、ルールに従って接続されています。

そこで、「‘John、Tom and Jack’= X」と、「‘Mary、Lucy and Susan’= Y」が、最終的に、「X and Y」のカタチで接続されていると見なすことによって、結果的に、(11)のような接続方法は、ルール違反ではない、ということになります。では、以下、(11)の接続関係を、カッコでくくって示します。

(12)((A、B and C) and (D、E and F))

つまり、接続の方法として、(1)~(10)のように、並列的に横並びのものを単純につないでいる場合は、最後に接続されるものの直前でのみ接続詞が使われるので簡単ですが、一方、そうなっていない場合は、接続の仕方が、言わば、階層的になっているのではないか、と疑ってみる必要がある、ということですね。

こういったことをトータルで踏まえた上で、なぜ、(3)~(6)のように、「A 接続詞 B 接続詞 C ・・・」といった、逐一、接続詞を間にはさむやり方が、あまり好まれないのか、ということを考えてみた場合、ある1つの理由が明らかになります。

(13)John and Tom and Jack and Mary and Lucy and Susan are two big trio singers.
   (訳同(11))

つまり、(13)のような例をみたときに、一発で、(11)のような解釈が保証されないということなのです。確かに、(13)を見る限り、一体、誰と誰の組み合わせで、2組の大物トリオ歌手になるのかが、さっぱりわかりません。ですので、特に理由もなく、最後に接続されるものの直前でのみ接続詞が使われる、といった簡略式のルールが定着しているわけではないのです。

今回のポイントは、品詞の中の接続詞というものが、どのような使われ方をするのか、ということです。接続詞は、その名のとおり、あるものとあるものを接続するのが、その役割なので、単純明快であり、とても使いやすい印象がありますが、その使用法には、意外なコツがあるのがわかったと思います。

今回の(11)のような例は、あまり、頻繁にお目にかかれるものではありませんが、しかし、使うべきときには、やはり、使わなければならない表現方法であり、特に、(9)と(11)の間に、明確な解釈の差があるという事実は、単純な‘and’のような接続詞にすら、割と厳密なルールが存在しており、その使用法によって複雑な解釈を可能にしているという、効率性です。

日本語の場合、「~ と」、「そして」、「~ か」、「~ または」のように、‘and’や‘or’に対する語彙が、割と豊富にあるので、それを上手く使い分けていれば、解釈が複雑になることは、まずないのですが、一方、英語の場合、‘and’や‘or’だけで、複雑な解釈を、ヤリクリしなければなりません。

そこで、英語は、今回示したようなルールを設定して、その解釈を明確にするという手段をあみ出した、というわけですね。しかし、わかりやすさ、という点からは、ハッキリ言えば、語彙の豊富な日本語の方が優れているんですけど、そういった語彙依存型の人種である日本人には、やはり、慣れるのがちょっと大変な解釈方法ですね。

接続詞は、また次回、続きをやりたいと思います。

■注 :英語の接続詞は、種類分けがあり、今回、扱った‘and’や、‘or’は、文法的には、「等位接続詞」と呼ばれています。等位接続詞の他には、「従属接続詞」と呼ばれるものがあります。

●関連: EG02EG03EG10EG11EG12EG13EG14EG15

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英語学習法(15)

2004年12月11日 | 品詞
EG02、EG03、EG10、EG11、EG12、EG13、EG14、と続いてきた品詞シリーズ。今回は、「副詞」についてです。以下、見ましょう。

(1)美しい花 (〇)
(2)美しく花 (×)

(1)の日本語はOKですが、一方、(2)の日本語はアウトです。日本語の文法では、「美しい」は、形容詞となっていますが、一方、「美しく」を、その活用形と見なして、形容詞「美しい」の「連用形」と呼んでいます。つまり、「美しい」を、「うつくし+い」というように、分けて考えて、「うつくし」の部分に、「-い」や、「-く」といった、別のパーツを合体させて、活用させることで、その機能に変化をもたせる、といったやり方です。

ちなみに、「うつくし」は、「-い」で終わるカタチが、言わば、デフォルト (既定のカタチ) のようなものですが、この「-い」にしたって、活用語尾の一種であることに、何ら変わりはありませんので、(3)のように、名詞にくっついている場合は、一応、「連体形」という呼び方をすることになっています。

(3)美しい踊る (×)
(4)美しく踊る (〇)

そこで、「連体形」と「連用形」は、どのように違うのか、ということになるのですが、それは、(1)~(4)のコントラストが、最も端的に、その違いを示す例だと言えます。つまり、「美しい」のカタチでは、(1)のように、「花」という名詞にくっつくことが可能ですが、一方、「美しく」のカタチでは、(2)のように、「花」という名詞にくっつくことができません。

しかし、一方、「踊る」というような動詞にくっつく場合、「美しい (連体形)」と「美しく (連用形)」 の立場は逆転します。(3)のように、「美しい」は、「踊る」にくっつくことは不可能ですが、一方、(4)のように、「美しく」は、「踊る」にくっつくことが可能です。つまり、連体形とは、(1)のように名詞にくっつく機能のことであり、一方、連用形とは、(4)のように、動詞にくっつく機能のことであると言えます。

ところで、普通、文法では、(1)の「美しい」が、「男」にもたれかかるようなくっつき具合や、(4)の「美しく」が、「踊る」にもたれかかるようなくっつき具合を、「~ にかかる」とか、「~ を修飾する」、というように表現します。ですので、「美しい」は、「花」にかかることができるし、一方、「美しく」は、「踊る」にかかることができる、という言い方になります。

(5)ジョン、あるいは、トム

コトバは、常に、単語をつなぎ合わせて、あることを表現する、というシステムをもっているわけですから、「~ にかかる」、という言い方には、ある特殊な意味が込められています。(5)は、「ジョン」+「あるいは」+「トム」という、3つの単語をつないでいますが、しかし、(5)のような例では、どの単語がどの単語にかかる、というような言い方はしません。

基本的に、「~ にかかる」とは、「かかるもの」と「かかられるもの」という二者間での関係ですので、「あるいは」という表現は、何か1つだけの相手をするのではなく、前後に、「A、あるいは、B」というように、A に相当するものと、B に相当するものが必要である点、「~ にかかる」という概念とは無縁の表現です。

そこで、「~ にかかる」という言い方は、単語と単語の間に、主従関係 (依存関係) が成り立っている場合にのみ有効です。(1)では、「花」が主 (かかられるもの) で、一方、「美しい」が従 (かかるもの) という関係ですし、(4)では、「踊る」が主で、一方、「美しく」が従という関係です。

(6)とても美しい (〇)
(7)とても花 (×)
(8)とても美しい花 (〇)

今度は、(6)のように、「とても」と「美しい」がくっついていて、OKです。しかし、一方、(7)では、「とても」と「花」がくっつくいていて、アウトです。このことから明らかなように、(8)がOKになるのは、「とても」は、「美しい」にかかり、そして、「美しい」は、「花」にかかるという、あくまでも、二者間内での相対的な関係が局所的に成り立っているからだと言えます。

これを言いかえれば、(7)のように、「とても」と「花」は、両立できないハズなのに、(8)で、「とても」と「花」が両立できているように見えるのは、実は、そうではなく、「とても」が、「美しい」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからで、一方、その「美しい」は、「花」のみを相手にしていればよい性質をもった単語だからです。

つまり、「~ にかかる」とは、ある表現が、従の立場になって、主の立場であるものに、一方的に依存するという、二者間内での一方通行の関係を表しているものと言えるわけです。ここまでで、ようやく、英語の品詞における、「副詞」というものが、どういったものか、最低限の理解ができる準備が整ったことになります。

(9)beautiful flowers (〇) (訳同(1))
(10)beautifully flowers (×) (訳同(2))

(9)の‘beautiful’は、形容詞で、名詞‘flowers’にかかっていてOKですから、言わば、日本語の連体形みたいなものです。一方、(10)の‘beautifully’は、名詞‘flowers’にかかっていてアウトですから、言わば、日本語の連用形みたいなものです。

‘beautiful’と‘beautifully’は語尾の変化 (‘-ly’の有無) で機能が変わっていますから、「美しい」と「美しく」のように、活用していると言えますが、日本語とは違って、英語には、連用形という言い方はなく、形容詞‘beautiful’が、副詞‘beautifully’になった、という言い方をしますので、要するに、日本語では、連用形と呼ばれるものが、英語では、副詞だと理解しておけばよいということです。

(11)dance beautiful (×) (訳同(3))
(12)dance beautifully (〇) (訳同(4))

(11)では、動詞‘dance’「踊る」に、形容詞‘beautiful’「美しい」がかかっていて、アウトですが、一方、(12)では、動詞‘dance’に、副詞‘beautifully’「美しく」がかかっていて、OKです。これも、日本語(3)と(4)の可否と、全く並行的です。さらに、以下を見ましょう。

(13)very beautiful (〇) (訳同(6))
(14)very flowers (×) (訳同(7))
(15)very beautiful flowers (〇) (訳同(8))

(13)~(15)は、それぞれ、日本語(6)~(8)に対応していますが、やはり、全く並行的に、その可否が成り立っています。ここで、‘very’「とても」の品詞は何かと言いますと、英語では、副詞ということになっています。つまり、副詞とは、動詞だけではなく、形容詞にもかかることが可能だということです。

そして、(14)のように、‘very’は、‘flowers’にかかることができないのですが、一方、(15)がOKですから、やはり、‘very’は、‘beautiful’を相手にしているだけで、一方、‘beautiful’は、‘flowers’を相手にしているだけ、という、一方向の局所的な関係が、それぞれ成り立つことによって、最終的に、(15)がOKになるということです。

こういったことから、結局、連用形という呼び方であろうが、副詞という呼び方であろうが、何かにかかる、という点において、実質的な機能は同じであり、逆に、名詞にはかかることができない、という点においても、しっかりと定義できそうだとわかります。

(16)dance very beautifully (〇) (とても美しく踊る)
(17)dance very (×) (とても踊る)

(16)はOKですが、‘very’が副詞‘beutifully’にかかっていることは、(12)において、‘beautifully’が、‘dance’にかかっていて、OKであることに加えて、一方、(17)がアウトであることからわかります。つまり、‘beautifully’は、‘dance’にかかるが、一方、‘very’は、‘dance’にかかれないので、‘very’が生き残るためには、‘beautifully’にかかっている、と言うしかないわけですね。つまり、副詞が副詞にかかる、ということがあっても、OKである、ということです。

今回のポイントは、英語の品詞の中の1つとされる「副詞」が、どのような品詞であるか、ということです。今回、理解できたことは、副詞は、何かにかかる、ということが前提となる品詞だということです。

そして、その制限としては、名詞にかかることができず、一方、動詞、形容詞、副詞にかかることができる、ということです。日本語の連用形は、比較的、秩序だった活用の上に成り立っているので、そういった呼び方を重視しますが、それを副詞という呼び名で置きかえれば、英語でも日本語でも、実質的には、同じものを表す内容になっています。

ただ、英語の副詞は、その概念を幅広く応用させた、数多くの変種が存在しますので、それが、初心者泣かせな部分であり、また、学校で習う英語でも、うまく整合性のある説明ができなくて、混乱している部分でもあります。そこら辺は、品詞ではなく、副詞そのものを扱う回でじっくり見ていきたいと思いますので、またの機会です。

■注1 :(12)は、副詞が動詞にかかることを示すための例だったので、同じく、(17)で副詞‘very’が動詞‘dance’にかかるのがアウトでは、一見、矛盾しているように見えますが、これは、ただ単に、‘very’と‘dance’が意味的にマッチしていないという、別個の理由によるものですので、副詞は動詞にかかるという機能自体はあるが、それは意味がマッチするのが前提という、どんな言語表現にでも当てはまる、当たり前の条件をつければよいだけです。

■注2 :日本語の「とても」は、活用がありませんが、形容詞の連用形と同じ機能をもっています。このように活用がないけど、連用形と同じ機能をもつものに関しては、日本語でも、「副詞」という呼び方をしています。


●関連: EG02EG03EG10EG11EG12EG13EG14

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英語学習法(14)

2004年12月11日 | 品詞
EG12、EG13の続きです。品詞という視点から見た助動詞について、引き続き考察します。以下、見ましょう。

(1)John is reading the book. (ジョンは、その本を読んでいる。)

(1)は、ご存知のように、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」のカタチで、「~ しているところだ」、を表現する、進行形と呼ばれる文です。この「‘be’動詞+動詞‘-ing’」という、2つの動詞のうち、前半の‘be’動詞に関しては、助動詞である、というように解説されることがよくあります。

(2)‘Is John reading the book ?’-‘Yes he is.’
   (「ジョンは、その本を読んでいるところですか。」-「はい、そうですよ。」)

(3)John is not reading the book. (ジョンは、その本を読んでいる最中ではありません。)

確かに、(1)~(3)の‘be’動詞である‘is’は、‘read’が‘-ing’のカタチをしているので、原形ではないものの、動詞‘reading’を補助するために使われている、と言えるわけです。特に、(2)の疑問文では、主語‘John’の前に‘is’が移動しており、かつ、その答え方においても、補助される動詞‘reading’のない、‘is’で終わっています。

さらに、(3)を見ても、助動詞を使った否定文では、助動詞の後に、‘not’が現れるのが標準的であるところから、やはり、進行形である、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」の‘be’動詞にも、同様に、後に‘not’がきており、‘be’動詞に、助動詞としての性質が、色濃く出ていると言えそうです。 (助動詞としてのスタンダードな性質については、EG12、EG13、参照。)

(4)John is liked by his friends. (ジョンは、友だちから好かれる。)

(5)‘Is John liked by his friends ?’-‘Yes、he is.’
   (「ジョンは、友だちから好かれてるの。」-「うん、そうだね。」)

(6)John is not liked by his friends. (ジョンは、友だちから好かれていない。)

今度は、(4)~(6)の、「‘be’動詞+過去分詞」のカタチでつくられる受身文ですが、やはり、進行形である、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」の‘be’動詞と、全く同じ振る舞い方をしているのがわかります。過去分詞‘liked’は、もちろん、動詞‘like’の活用形ですから、原形ではありません。しかし、(4)の平叙文では、‘is’が、過去分詞‘liked’を補助していると言えます。

さらに、(5)の疑問文では、主語‘John’の前に‘is’が移動しており、かつ、その答え方においても、補助される動詞‘liked’のない、‘is’で終わっています。一方、(6)の否定文を見ても、やはり、進行形である、「‘be’動詞+動詞‘-ing’」の‘be’動詞と同じく、後に‘not’がきており、またしても、‘be’動詞に、助動詞としての性質が、色濃く出ていると言えそうです。

(7)John has finished his job. (ジョンは、仕事が終わったところだ。)

(8)‘Has John finished his job ?’-‘Yes、he has.’
  (「ジョンは、仕事が終わったところですか。」-「はい、そうです。」)

(9)John has not finished his job. (ジョンは、仕事を終えてはいない。)

今回の話の流れから、他に類似した振る舞い方をする構文を求めるならば、(7)~(9)のような、いわゆる、完了形、「‘have’+過去分詞」における、‘have’ (‘has’) にも、同じことが言えます。この場合、過去分詞‘finished’は、もちろん、動詞‘finish’の活用形ですから、原形ではありません。しかし、(7)の平叙文では、‘has’が、過去分詞‘finished’を、補助していると言えます。

さらに、(8)の疑問文では、主語‘John’の前に、‘has’が移動しており、かつ、その答え方においても、補助される動詞‘finished’のない、‘has’で終わっています。一方、(9)の否定文を見ても、やはり、(3)や(6)のような、進行形、受身文の否定文における‘be’動詞と同じく、‘has’の後に‘not’がきており、完了形の、‘have’ (‘has’) の場合も、助動詞としての性質が、色濃く出ていると言えそうです。

ここで、品詞としての助動詞のタイプ分けの基準ですが、①・動詞の原形を取り、かつ、②・疑問文のつくり方、③・疑問文の答え方、④・否定文のつくり方、といった点が、助動詞らしさを決定する上での基準となったのを思い出してほしいのですが、その分類としては、3タイプあり、「真の助動詞」、「変則型の助動詞」、「擬似助動詞」、があるというものでした。 (助動詞のタイプ分けについては、EG13、参照。)

特に、①~④を、部分的にクリアできない場合、「変則型の助動詞」に分類される、ということでしたので、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、後に動詞の原形を取らないという点で、①をクリアできない以外、②~④は、全てクリアしている、ということですので、一見、「変則型の助動詞」に分類されるのが妥当だと思われますが、ちょっと、結論は後まわしにして、もう少し調べてみたいと思います。

(10)John will must read the book sometime. (×)
  (ジョンは、いつかその本を読まなければならない。)

(11)John will ought to read the book sometime. (×)
  (ジョンは、いつかその本を読むべきです。)

(12)John will need to read the book sometime. (〇)
  (ジョンは、いつかその本を読む必要があります。)

(10)は、真の助動詞‘will’と、同じく、真の助動詞‘must’が共起できないため、アウトです。そして、(11)では、真の助動詞‘will’と、変則型の助動詞‘ought’が共起できないため、アウトです。しかし、一方、(12)のように、真の助動詞‘will’と、擬似助動詞‘need to’の組み合わせなら、OKにすることができます。

つまり、真の助動詞は、お互いに共起できず、また、変則型の助動詞とも共起できないのですが、一方、擬似助動詞とは共起できる、ということになります。では、こういったことを踏まえて、以下を見てみましょう。

(13)John will be reading the book tomorrow morning. (〇)
   (ジョンは、明日の朝はその本を読んでいるでしょう。)

(14)John will be liked by his friends sometime. (〇)
   (ジョンは、いつかは、友だちに好かれるでしょう。)

(15)John will have finished his job tomorrow morning. (〇)
   (ジョンは、明日の朝には、仕事を終えているでしょう。)

(13)では、真の助動詞‘will’の後に、進行形の「‘be’動詞+動詞‘-ing’」が続いても、OKです。一方、(14)でも、真の助動詞‘will’の後に、受身文の「‘be’動詞+過去分詞」が続いていて、OKです。そして、(15)でも、真の助動詞‘will’の後に、完了形、「‘have’+過去分詞」が続いていて、同様にOKです。

つまり、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、(1)~(9)をトータルで考えるならば、変則型の助動詞に分類すべき、という結果になるのですが、しかし、一方、(10)~(13)をトータルで考えると、そうとは言えず、むしろ、擬似助動詞に近い分類を受けるべきではないのか、という結果が出てしまいます。

ですので、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、もし、助動詞としての扱いを受けるのであれば、これまでの立てた3タイプの分類のうち、いずれにも属さないような、独自のステイタスを確立していると言わざるを得ませんので、結論としては、新しい4番目のタイプである、ということになります。

ただし、進行形や受身文の‘be’動詞、そして、完了形の‘have’は、助動詞らしさ、という点からは、変則型の助動詞と擬似助動詞の中間を占めるタイプであることは、今回の検証結果から明らかなので、そういったことを、考慮するならば、英語の中の助動詞という品詞は、それらしさを特徴付ける様々な特性を、多くもつか、それとも、少なくもつかで、格付けのような、言わば、序列化が存在している、ということになります。では、最後に、その序列をまとめて示しておきます。

(16)真の助動詞 > 変則型の助動詞 > ‘be’動詞 (進行形・受身文)・‘have’(完了形)
    > 擬似助動詞

今回のポイントは、英語の助動詞という品詞は、一般に、その定義からして、あやふやな印象があるものの、ただ1つ、助動詞らしさ、という点から見た場合、それらしさを特徴付ける様々な特性を、多くもつか、それとも、少なくもつかで、一定の格付けが存在する、ということです。

これで、品詞という視点から見た助動詞に関しては、一通り目を通して、その定義を固めたことになります。しかし、本来、助動詞は、今回のようなカタチの上での判別基準もさることながら、その意味的な使用法においても、結構、摩訶不思議なものが、多々ありますので、それもまた別個に調べていく必要がありますが、それについては、機会を改めて。

■注 :細かい意味の違いを考えなければ、大ざっぱには、‘will’=‘be going to’「~ だろう」や、‘may’=‘be allowed to’「~ してもよい」、と言いかえることが可能ですので、その点、‘be going to’や、‘be allowed to’も、それ全体で、助動詞のようなものとして、扱われる場合がありますが、しかし、今回見た‘be’動詞が、これらの一部となっているわけで、進行形や受身文の‘be’動詞と、全く同じ振る舞い方をしますので、位置付けとしては、やはり、「変則型の助動詞」と「擬似助動詞」の間に位置する助動詞ということになるか、または、こういった‘be’動詞を、サポート専用の助動詞と見なし、‘do’、‘does’、‘did’の仲間に加えて、擬似助動詞の分類を受けるか、どちらかになると思われます。ちなみに、‘can’=‘be able to’「~ できる」のようなものまで、含めて考える場合は、‘able’が、完全な形容詞ではありますが、やはり、その一部である‘be’動詞が、今回扱った‘be’動詞と全く同じ振る舞い方をする、という点で、‘be going to’や、‘be allowed to’と同列に扱うことになります。

●関連: EG12EG13

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英語学習法(13)

2004年12月11日 | 品詞
EG12の続きです。助動詞という品詞について、さらに考察してみます。以下、見ましょう。

(1)We ought to read the book. (私たちはその本を読むべきだ。)

(1)の‘ought’「~ すべきだ」は、‘ought to’のカタチで1つのカタマリと考えるならば、その後に動詞の原形がきていることになりますから、「助動詞‘ought to’+動詞の原形‘read’」という見方が可能で、結果的には、「助動詞+動詞の原形」の公式どおりになっている、と見なすことができます。

(2)‘Ought we to read the book ?’-‘Yes、you ought to.’
   (「私たちはその本を読むべきでしょうか。」-「はい、そうですね。」 )

(3)We ought not to read the book. (私たちはその本を読むべきではない。 )

しかし、(2)の疑問文では、‘ought to’全体が、主語‘we’の前に移動しているのではなく、‘ought’のみが‘we’の前に移動して、‘to’は、もとの位置に残されています。一方、(3)の否定文では、‘ought to not’ではなく、‘ought not to’となっており、‘ought’の直後に‘not’が現れています。

つまり、‘ought to’は、(1)のように、平叙文で見る限り、「助動詞‘ought to’+動詞の原形‘read’」と、あたかも、‘ought to’を、1つのカタマリとして考えていても問題はないのですが、(2)の疑問文や(3)の否定文のカタチになると、‘ought’は‘to’から切り離して、独立させなければならず、常に、‘ought to’を1つのカタマリと見なす立場からは、不都合が生じてしまいます。

こういったことから、本来は、‘ought’が、後に‘to’不定詞を後続させる、と見るのが正しい見方で、区切りの仕方としては、「‘ought to’+動詞の原形」と考えるのではなく、「‘ought’+‘to’不定詞」、という考え方でとらえて、初めて、(1)~(3)を統一的に説明できるようになります。

(4)We had better go home. (もう帰った方がよいね。)

(5)‘Had we better go home ?’-‘Yes、you had better.’
  (「帰った方がよいですか。」-「はい、そうですね。」)

(6)We had better not go home. (帰らない方がよい。)

(4)の‘had better’「~ する方がよい」も、助動詞として扱われることが多く、後に動詞の原形を取ります。しかし、だからと言って、‘had better’を1つのカタマリと見なしていては、(5)の疑問文が説明できません。(5)では、主語‘we’の前に移動しているのは、‘had’のみで、‘better’は、もとの位置に残っています。ただし、一方、(6)の否定文では、(3)の‘ought not to’とは違って、‘had better’の後に‘not’がきています。

この‘had better’のもう1つの特徴は、その‘had’のカタチからして、一見、過去の意味をもつかと思われがちですが、全くそんなことはなく、単純に、「~ する方がよい」の意味で使われている、という点です。もし、過去と結び付けて使うなら、「‘had better’+ ‘have’+過去分詞 (~ した方がよかった)」という、決まったカタチで表現しなければなりません。

(7)John used to walk in this park. (ジョンは、かつて、この公園をよく歩いたものだ。)

(8)‘Did John use to walk in this park ?’-‘Yes、he did.’
   (「ジョンは、この公園をよく歩いたんですか。」-「ええ、そうですとも。」)

(9)John did not use to walk in this park. 
   (ジョンが、この公園をよく歩いたということはなかった。)

(7)の‘used to’「かつては、~ したものだ」、に関しては、助動詞‘did’の力を借りて、(8)の疑問文や、(9)の否定文を表現するのが一般的ですので、「‘use to’+‘did’→‘used to’」と考えるのが普通のようです。 (類似の振る舞い方をする表現に、‘has to’(‘have to’) 「~ しなければならない」、がありますが、EG12、参照。)

そして、‘used to’のもう1つの特徴としては、「~ したものだ」という意味からして、過去形で使われることを前提とした表現である、ということです。ですので、当然のことながら、もともと、‘used to’には、現在形にして、‘use to’「~ することにしている」、というような用法はありません。

ここまで見て明らかなように、一概に、助動詞といっても、その振る舞い方は、細かく見ていくと千差万別で、‘can’や‘may’などの助動詞以外に、今回、見た例までもひっくるめて、全て同じ助動詞という枠で扱っていたならば、実際の定義としては、手の施しようがないというのが現状です。ですので、助動詞に関しては、ある程度のタイプ分けをしておくのが、一応の整理をつける上では有効かと思います。

まず、‘can’や‘may’といった、動詞の原形を取る典型的なタイプの助動詞を、「真の助動詞」として、一方、今回見た、‘ought’や、‘had better’などは、「変則型の助動詞」 (要するに、例外扱い) というように、分類します。そして、助動詞として扱う割には、結局、‘do’、‘does’、‘did’のような助動詞のサポートを受けるタイプを、「擬似助動詞」というように、タイプ分けしておくと整理がつけやすいと思います。

(10)助動詞: will (~ だろう、~ するつもりだ)、would (‘will’の過去形)、can (~ できる)、
         could (‘can’の過去形)、may (~ してもよい)、might (‘may’の過去形)、
         must (~ しなくてはならない)、need (~ する必要がある)、shall (~ でしょう)、
         should (~ すべきだ (‘shall’の過去形でもある))、
         do (does) (サポート専用の助動詞)、did (‘do’、‘does’の過去形)

(11)変則型の助動詞: ought (~ すべきだ)  (‘to’不定詞を取る)、
               had better (~ する方がよい)  (疑問文で‘had’が分離する)、

(12)擬似助動詞: have to (~ しなくてはならない)、need to (~ する必要がある)、
            used to (~ したものだった)

一応、(10)が、最も素直で、典型的な助動詞の振る舞い方をする語群であるということです。つまり、タイプ分けの基準としたのは、①・動詞の原形を取り、かつ、②・疑問文のつくり方、③・疑問文の答え方、④・否定文のつくり方、といった点でのスタンダードになる、ということです。 (助動詞のスタンダードな用法については、EG12、参照。)

(11)は、(10)をクリアする上での基準を、部分的にクリアできない、例外扱いをせざるを得ない助動詞で、‘ought’は‘to’不定詞を取る点を除けば、(10)の仲間入りがOKです。一方、‘had better’は、疑問文で、‘had’が‘better’から分離するという点を除けば、やはり、(10)の仲間入りがOKとなります。

(12)は、前述のとおり、結局は、‘do’、‘does’、‘did’のような助動詞のサポートを受けるタイプで、本質的には、普通の動詞であり、慣用的には、助動詞扱いされていますが、今回のように、3タイプに分類分けするならば、最も助動詞らしくない部類になります。

今回のポイントは、英語の品詞の中でも、助動詞は、よく観察してみると、他の品詞ほどには、ハッキリとした定義にもとづいて分類されているわけではない、ということです。もし、定義があったとすれば、精々、動詞を補助する動詞、といった程度のものですが、それだけでは、実際の使用に関しては、何の役にも立たないでしょう。

というわけで、助動詞は、品詞としては、ある程度の整理が必要であり、もう少し言うべきことがありますので、次回、また扱いたいと思います。

■注1 :今回は、助動詞の振る舞い方を検証するために、あえて、様々なチェックを行っていますが、もともと、‘ought to’や、‘had better’を、疑問文や否定文で使う場合、その容認度の判断には、揺れがあります。特に、‘ought to’は、疑問文、否定文の両方で使うことは、避けた方がよいとされ、一方、‘had better’では、疑問文での使用が好ましくない、と判断される傾向がありますので、今回、上げた例があるからといって、実際に会話などで使うことは、あまりお薦めできません。

■注2 :(2)の疑問文は、その答え方が、‘Yes、you ought to.’となっていて、その‘ought to’が、あたかも、1つのカタマリであることの証拠であるように感じられますが、しかし、‘You are always doing what you want to (do).’「君は、いつも、やりたいことばかりやってるんだね。」、のような例でも、 ‘to’不定詞は、‘to’だけ残して、終わってしまうことがよくあります。これは、同じ動詞 (‘doing’と‘do’) の重複を避けたい場合に用いる文法操作で、「代不定詞」、などと解説されることがよくあります。ですので、(2)の‘Yes、you ought to.’は、むしろ、代不定詞という、独立した他のルールにもとづくものですから、‘ought to’が1つのカタマリである証拠にはなりません。

■注3 :‘used to’「よく ~ したものだ」は、イギリスで使われる場合は、異なる振る舞い方をすることもあります。(8)の疑問文を、‘Used John to walk in the park ?’とすることは、あまりありませんが、一方、(9)の否定文ならば、‘John used not to walk in the park.’とすることは、結構、認められています。


●関連: EG12

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英語学習法(12)

2004年12月11日 | 品詞
EG02、EG03、EG10、EG11に続いて、英語の品詞です。「助動詞」と呼ばれるものについてです。以下、見ましょう。

(1)You may read the book. (その本、読んでもよいですよ。)
(2)May I read the book ? (その本、読んでもよいですか。)

(1)と(2)の‘may’「~ してもよい」という単語が、助動詞と呼ばれるものです。助動詞は、その名のとおり、動詞を補助する動詞であり、必ず、他の動詞と共に使われます。ですので、(1)と(2)では、‘read’「~ を読む」という動詞を補助するために使われている、と考えられます。

そして、助動詞は、(2)のように疑問文をつくる際に、その文の主語の前に移動して、結果的に、主語と助動詞の語順が入れかわります。ですので、平叙文である(1)と、疑問文である(2)では、主語と助動詞の位置関係が逆になっていますね。

(3) a. John can read the book. (ジョンは、その本を読める。)
   b. Can John read the book ? (ジョンは、その本を読めますか。)

(4) a. John should read the book. (ジョンは、その本を読むべきです。)
   b. Should John read the book ? (ジョンは、その本を読むべきですか。)

(5) a. John must read the book. (ジョンは、その本を読まねばなりません。)
   b. Must John read the book ? (ジョンは、その本を読まねばなりませんか。)

(3a-b)の‘can’「~ できる」、(4a-b)の‘should’「~ すべきだ」、(5a-b)の‘must’「~ しなければならない」も、(1)や(2)の‘may’「~ してもよい」と同じく、全て助動詞です。そして、(3a-b)~(5a-b)の各ペアの(b)からわかるように、主語と助動詞の語順変更が、疑問文をつくる上でのルールであることも、(2)と何ら変わりありません。

(6)‘May I read the book ?’-‘Yes、you may.’
   (「その本読んでもよいですか。」-「はい、いいですよ。」)

(7)You may not read the book. (その本を読んではいけません。)

(6)は、疑問文での答え方ですが、‘yes’「はい」の後は、「主語‘you’+助動詞‘may’」のように、助動詞で終わらせるカタチになっています。そして、(7)は、否定文ですが、助動詞‘may’の直後に、‘not’が現れています。やはり、このような、疑問文の答え方や、否定文のカタチが、一般に、助動詞の特徴であると言われています。

(8)John has to read the book. (訳同(5a))
(9)Does John have to read the book ? (訳同(5b))

そこで、(8)ですが、(8)の‘has to’は、(5a)の‘must’の置きかえとして使われています。意味としては、(8)と(5a)は、細かい点を抜きにすれば、大ざっぱに、ほぼ同じです。ですので、この点、‘has to’も、助動詞と見なしてもよさそうなものですが、一方で、(9)を見ると、疑問文のつくり方が、単純に、主語‘John’と‘has to’の語順変更ではなく、かわりに、‘does’が文の先頭に現れています。

(10)John reads the book. (ジョンは、その本を読みます。)
(11)John does read the book. (訳同上)

そこで、(10)ですが、‘reads’というように、‘read’の後に、‘-s’が付いています。一方、(11)は、(10)の文全体を強調するような文ですが、‘does’が、現れて、そのかわりに、‘read’の後あった‘-s’が消滅しています。つまり、(10)と(11)の比較からは、「‘read’+‘does’→‘reads’」という考え方ができそうです。

(12)Does John read the book ? -‘Yes、he does.’
   (「ジョンは、その本を読みますか。」-「はい、読みますよ。」)

(13)John does not read the book. (ジョンは、その本を読みません。)

(12)の疑問文は、もちろん、(10)をもとにしていますが、やはり、‘does’の出現によって、‘read’は、‘-s’がつかないカタチになっています。ついでに、その答え方を見ると、「主語‘he’+‘does’」で文を終わらせるカタチになっています。一方、(13)の否定文でも、‘does’の出現によって、‘read’は、‘-s’がつかないカタチになっています。

そこで、(10)のような、「‘read’+‘does’→‘reads’」の変形を、例外的に、‘does’固有の特徴と考えれば、(11)~(13)の‘does’は、(1)~(7)で示された助動詞のルール (①・疑問文のカタチ、②・その答え方のカタチ、③・否定文のカタチ) に、全て従っていることがわかります。

(14)John does have to read the book. (訳同(5a))

(15)‘Does John have to read the book ?’-‘Yes、he does.’
   (「ジョンは、その本を読まねばなりませんか。」-「はい、そうですね。」)

(15)John does not have to read the book. (ジョンは、その本を読むには及ばない。)

ここで、(8)と(9)の‘has to’に戻って考えると、どうやら、「‘have to’+‘does’→‘has to’」であると結論付けるのが、正しい見方ではないかと思われます。(14)は、(8)の文全体が強調されたカタチであり、(15)は、‘has to’の疑問文の答え方であり、(16)は、‘has to’の否定文ですが、これら全てが、‘does’の出現によって、‘has’ではなく、‘have’が現れる結果となっています。

こういったことを、統一的に説明するには、‘has to’は、結局のところ、‘must’と意味がほぼ同じだからと言っても、真の意味での助動詞ではなく、‘read’と同じ、一般動詞であり、その一方で、‘does’を助動詞と見なすことで、その助けを借りて、①・疑問文のカタチ、②・その答え方のカタチ、③・否定文のカタチ、をつくるしかないということになります。

今回のポイントは、英語の品詞でも、割とその定義があやふやな感じのある助動詞の定義についてです。最も一般的と思われる普通の定義は、今回扱った、‘may’、‘can’、‘should’、‘must’、‘does’などのように、その後に動詞の原形がくる、といった感じのもので、要するに、「助動詞+動詞の原形」、で理解するといったものです。

もちろん、初歩的な観点からは、そういった定義でも、十分に実用的だと思われますし、助動詞の数自体は、そう大して多いわけでもありませんから、あれこれ考えるのが面倒なら、マルっと暗記してしまってもよいようなものです。

しかし、長期的な視野に立って、英語を自在に使えるようにするためには、ある程度は精度の高い判別基準を知っておいた方が、やはり得策であることは間違いないと思われますし、助動詞を使った英語表現は、日常的にも、頻度が圧倒的に高い割には、結構、雑に扱われている印象があるのも確かです。助動詞の品詞としての見方は、また次回に続きをやりたいと思います。

●関連: EG02EG03EG10EG11

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英語学習法(11)

2004年12月11日 | 品詞
EG02、EG03、EG10に続いて、英語の品詞です。「冠詞」と呼ばれるものについてです。以下、見ましょう。

(1)a pen (ペン (1本))
(2)an apple (リンゴ (1個))
(3)the car (そのクルマ (1台))

(1)~(3)のそれぞれの名詞‘pen’「ペン」、‘apple’「リンゴ」、‘car’「クルマ」の前に付いている、‘a’、‘an’、‘the’は、全て、「冠詞」という品詞分類を受けているものです。冠詞は日本語の品詞に存在しない、英語独特の品詞です。その単語数としては、英語の品詞全般で最小であり、(1)~(3)であげた3つが全てですので、もう他には、冠詞と名のつく単語はありません。

しかも、(1)の‘a’と、(2)の‘an’に関しては、ただ発音上、直後の単語が、母音か子音かで、どちらかが選ばれるだけで、単なる語形変化として見なされています。ですので、それを考慮すれば、実質的には、(1)の‘a’と(2)の‘an’は、1つの単語と見なしても全く問題はなく、結局、冠詞はたったの2つしかない、ということになります。

そして、冠詞は、原則として名詞につく、というルールがありますので、まずは、名詞なしには存在し得ないと記憶しておいてもかまわないでしょう。ところで、冠詞は、(1)の‘a’や、(2)の‘an’ を、「不定冠詞」と呼び、一方、(3)の‘the’を、「定冠詞」と呼びます。

「不定」と「定」の概念は、何かとややこしいのですが、大ざっぱに分けて考えると、あるグループから、任意に選ばれたものが「不定」で、一方、指定を受けて選ばれたものが「定」、というような違いがあります。「不定」の場合、「ある ~」と表現され、一方、「定」の場合、「その ~」と表現される、と言えば、わかりやすいと思います。 (詳しくは、EG72、EG73、参照。)

ですので、(1)は、ペンというグループの中で、とにかく、「ある1本のペン」、(2)は、リンゴというグループの中で、とにかく、「ある1個のリンゴ」であり、指定されていない、ということになります。一方、(3)は、クルマというグループの中で、予め、「その1台のクルマ」という、指定を受けていることになります。

(4)a stylish wooden chair (おしゃれな木製のイス)
(5)the big useless PC (その大きくて役立たずのパソコン)

ところで、冠詞は、語順という視点から考えると、その用法は、極めて単純なので、その点、扱いやすい品詞であると言えます。まず、名詞につく際は、原則的に、その最先頭につきます。(4)や(5)の例では、形容詞が付いている名詞のさらに前に、それぞれの冠詞がついています。

つまり、冠詞は、名詞の最先頭につく、というルールさえ知っていれば、様々な表現がくっついて、どんなに名詞が長くなっても、冠詞をどこに入れるか、などと迷うことはありません。これを言いかえれば、冠詞から始まって、名詞で終わる場合、そのカタチは、ある1つのカタマリとなっていると見なすことができます。

(6)John is an only child. (ジョンは、1人っ子だ。)
(7)John is only a child. (ジョンは、ほんの子供だ。)

(6)は、冠詞‘a’と‘child’「子供」の間に、‘only’がはさまっていますから、‘an only child’全体で、1つのカタマリと見なし、「唯一の子供 → 1人っ子」と解釈します。一方、(7)は、‘a chlid’が、1つのカタマリではあっても、‘only’は、その外にあると見なし、「たかが、ほんの」という意味の程度表現にとらえて、‘a chlid’という1つカタマリを、程度評価している、と解釈します。

ここで、不定冠詞‘a’と定冠詞‘the’の役割に関する注意点ですが、どちらも同じ冠詞という枠でくくられているからと言って、全ての側面において対極的な位置にある、と考えるとマズい場合があります。

(8) a. a table (〇) (テーブル (単数))
   b. a tables (×) (訳同上 (複数))

(9) a. the table (〇) (そのテーブル (単数))
   b. the tables (〇) (訳同上 (複数))

(8a)は、不定冠詞‘a’と単数形‘table’の組み合わせがOKで、一方、(8b)は、不定冠詞‘a’と複数形‘tables’の組み合わせがアウトです。これは、一見、当たり前で簡単なことですが、重要なのは、一方、(9a-b)の定冠詞‘the’によるペアが、単数‘table’と複数‘tables’で、両方ともOKであり、結果的に、(8a-b)と(9a-b)の可否が、並行的ではないというコントラストです。

これは、不定冠詞には、「不定」という概念以外に、「単数・複数」の区別という、もう1つ別の概念が含まれているのに対し、一方、定冠詞には、「定」という概念はあるが、「単数・複数」の区別という、もう1つ別の概念は含まれていない、ということによるものです。

つまり、冠詞は、その名前こそ、「不定冠詞・定冠詞」などと呼んで区別されているのですが、実際は、「単数・複数」の区別をもつか否か、という全く別の問題にも支配されている品詞なんですね。ですので、冠詞は、本来、「定・不定」という観点からは、対極的な位置付けにある、と言ってもよいのですが、一方、「単数・複数」の区別に関しては、一方にはあるが、他方にはない、としか言えません。

そこで、結果的に、定冠詞は、「定・不定」の区別のみを見ていればよい冠詞であるのに対し、一方、不定冠詞の方は、「定・不定」以外に、「単数・複数」の区別という、別の仕事もやらなければならないので、その点、定冠詞よりも仕事量が多い冠詞、ということになります。

(10)tables (テーブル (複数))

そして、不定冠詞は、単数形にのみ付き、複数形に付いてはならない、といった、「単数・複数」の区別があるように、「定・不定」の区別とは、別の仕事もやらなければならない関係上、その不定冠詞という名前の割には、(10)の‘tables’のように、まさに不定である複数形の名詞に付くことができない、(だから、(8b)がアウトになる) という変な矛盾もかかえてしまっているわけです。

今回のポイントは、日本語にはない品詞である、「冠詞」の概要です。冠詞は、不定冠詞と定冠詞の2タイプしか存在せず、その名のとおり、意味的には、「定・不定」の区別をする役割を担っています。そして、語順という点からは、お互いに、全く同様の振る舞い方をするので、これらの点からは、とてもスッキリとした見通しのよい品詞と言えるのですが、その一方で、混乱の原因となっている要素もあります。

それは、一般に、不定冠詞における、「単数・複数」の区別をする仕事に関しては、「定・不定」とは全く別の概念であると強調して解説されることがほとんどない、ということです。このため、「定冠詞・不定冠詞」の名前の由来が、共に「単数・複数」の概念と何らかの関係をもっているのであろう、と誤解されたり、「単数・複数」の概念を、不定冠詞に特有の付随概念とは見なさず、なぜか、定冠詞までも含めて論じるといった、変な説明がなされるフシが多く見られます。

ですので、「定冠詞」と「不定冠詞」の名前の由来における正しい理解は、ただ単に、「定・不定」の概念において、対極を成すから、というだけのものであって、あくまで、「単数・複数」の概念については、別個のものと考え、不定冠詞のみにおける付随的な仕事である、と理解するべきなのです。

なお、今回は、冠詞という品詞の紹介ですので、大ざっぱにしか扱っていませんが、「定・不定」の概念は、別の機会に詳しく扱いたいと思いますので、そのときまで。

■注 :冠詞における語順の例外は、‘how’、‘too’、‘so’、‘as’の4つの単語のうち、いずれかが絡んだ際に起こります。例えば、‘John is too busy a worker.’「ジョンは忙しく働き過ぎだな」、という文では、‘too’があるために、本来の語順‘a busy worker’に、例外的な変更が起こっています。

●関連: EG02EG03EG10EG72EG73

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英語学習法(10)

2004年12月11日 | 品詞
EG02、EG03に続いて品詞です。今回、日本語にはない品詞で、前置詞と呼ばれるものです。以下、見ましょう。

(1)a book of poems (詩の本)

(1)の‘of poems’の部分は、「詩の」、という意味で使われています。そこで、単純に考えると、‘of ~’は、日本語で、「~ の」に当たる表現だな、とわかります。日本語の文法では、「~ の」という表現を、助詞と呼んでいますが、一方、英語では、‘of ~’を、「前置詞」と呼んでいます。

この前置詞という呼び名の理屈は単純で、(1)の‘poems’「詩」のような名詞の前に置いて使うという、文法上の機能を言い表しています。ポイントは、名詞の前に置くのが約束となっているということで、「前置詞+名詞」の使い方が基本です。ですので、原則として、他の品詞の前には置けません。

(2)I go to Japan (日本に行く)

(3)の‘to ~’「~ に」もまた、前置詞であり、‘Japan’「日本」という名詞の前に置かれています。そこで、(3)の英語‘to’+‘Japan’のカタチが、日本語の、「日本」+「に」のカタチに対応していることから、前置詞の機能を感覚的にとらえるとしたら、やはり、日本語の助詞みたいなもの、という感じが一見するんですが、実は、前置詞の概念は、助詞の概念とは、ちょっと異質のものです。

(3)I have a book in my bag. (バッグの中に本をもっています。)

(3)の前置詞‘in ~’は、「~ の中に」に対応しています。このケースを、単純に一字一句考えると、‘in ~’は、日本語の、「の (助詞)」+「中 (名詞)」+「に (助詞)」という、3つの単語に、一度に対応していると言えますから、意味的には、日本語の助詞よりも、やや濃い内容を表現している、と言えそうです。

あと、‘over ~’「の上に」、‘under ~’「~ の下に」、‘by ~’「~ のそばに」、‘beside ~’「~ の横に」などと言った前置詞も、同じ感覚で考えていくと、日本語の助詞よりも、やや意味内容が濃い、と思われます。つまり、英語の前置詞は、日本語の助詞ほどには、文法上の機能優先型とは言えず、意味内容の面からも、豊かさを感じさせる品詞であると言えます。例えば、前置詞‘on ~’も、通常、「~ の上に」という日本語がよく当てられますが、以下の例からは、どうでしょうか。

(4)a fly on the table (テーブルにとまっているハエ)
(5)a fly on the ceiling (天井にとまっているハエ)
(6)a fly on the wall (壁にとまっているハエ)

よく解説書で説明されることがあるように、「空間」に関する認識では、前置詞は、対応する日本語訳よりも、概念的な理解の方が重要である、とよく言われています。例えば、(4)~(6)の前置詞‘on ~’ですが、この場合、全ての‘on ~’に、「~ にとまっている」、という日本語訳が与えられています。しかし、だからといって、「~ にとまっている」という日本語訳も、「~ の上に」という日本語訳とあわせて共に暗記しろ、と言っているわけではありません。

そんなことよりも、むしろ、‘on ~’が言い表している基本概念としての内容は、「接触」であり、(4)のように、ハエが上を向いていようが、(5)のように、下を向いていようが、(6)のように、横を向いていようが、とまっている場所に、ピタッと触れていることが重要で、それにそった日本語訳が、たまたま、「~ の上に」となったり、「~ にとまっている」、となったりするだけのことなんですね。

というわけで、前置詞は、その意味内容としては、割と情報量がある表現なので、その分だけ、扱いは複雑なものになります。(4)~(6)では、‘on ~’の「空間」に関する認識だったわけですが、しかし、別に、‘on ~’は、空間について表現するための専用表現というわけでもありません。もっと抽象的な概念についても、よく使われます。

(7)I leave my message on the answering machine. (留守番電話に伝言を残しますね。)
(8)I am on the soccer team. (サッカーチームに所属しています。)
(9)The CD is now on sale. (そのCDなら、今発売中ですよ。)

(7)~(8)では、‘on ~’が、空間的にどうのこうの、というようなものではありません。ただ何となく、(7)では、留守番電話に、ペタッとメッセージがくっ付いている、というような感じかな、とも思えるし、(8)では、サッカーチームという1つの枠に、そのメンバーがくっ付いている、ということかな、とも取れます。さらに、(9)では、特定の売り出し期間があって、それにCDがくっ付いているのだろう、と解釈するわけですね。

(10)a. I arrived on Japan (×) (日本に到着しました。)
   b. I arrived in Japan (〇) (訳同上)

(11)a. I got lost on the mountain. (×) (山で迷子になりました。)
   b. I got lost in the mountain. (〇) (訳同上)

(12)a. I persist on my belief. (×) (信念を貫きます。)
   b. I persist in my belief. (〇) (訳同上)

しかし、前置詞の厄介なところは、意味に関する概念上の理解があれば、百発百中かというと、それほど単純なものではない、ということです。(10a-b)~(12a-b)の各(a)は、全て‘on ~’の使用がアウトです。これは、‘on ~’の「接触」という基本概念からは、よく問題点となりやすいものです。

まず、(10a)では、日本に到着したということは、すなわち、日本領土に足を踏み入れ接触したと言えるではないか、と考えられます。(11a)でも、山に足を付けて立っている以上、山に接触していると言えるではないか、と考えられます。(12a)でも、信念を貫く、ということは、信念にピッタリと貼りついている、と考えられます。しかし、それにもかかわらず、(10a-b)~(12a-b)の各(a)は、全て‘on ~’の使用がアウトです。

一方、(10a-b)~(12a-b)は、各(b)のように、全て‘in ~’を使えばOKになります。‘in ~’の基本概念は、「何かの中にある」、といった感じです。(10b)では、イメージとしては、日本領土の中に入る、といった感じのようです。(11b)では、山の中で迷う、といった感じで、(12b)では、自分の信念の中にいてそれを貫く、といった感じのようです。

つまり、(10a-b)~(12a-b)の可否が示しているのは、‘on ~’の基本となる「接触」の概念や、‘in ~’の基本となる「中にある」の概念のように、どちらも成り立ちそうな場合であっても、その両方ともが、常に正しい英語になるとは限らず、なぜか、一方しか選ばれない場合がある、ということなのです。日本人にとっては、間違いなく、この前置詞の選択は、最も難しいと感じられる文法項目の1つでしょう。

今回のポイントは、日本語の品詞にはない、英語独特の品詞で、前置詞という品詞です。特に、前置詞は、日本語の助詞に、直接的な対応があるような品詞かと思われやすいんですが、いろいろと意識して考えてみると、そうとは言えない側面があるのがわかったと思います。

そして、その使用や選択基準は、実に摩訶不思議であり、解説本などでも、何となく説明がなされることはよくあるのですが、結局は、百発百中の説明力を誇るものはなく、ある程度は、片っぱしから基本例文を覚えていって慣れる、ということに依存するより、他に方法がないと断言してもよいでしょう。

ただ、個々の前置詞がもっている固有のイメージは、全くもってデタラメなものではなく、拮抗する前置詞の候補の中から、最終的に選ばれる際の選択基準が恣意的で問題になる、ということなので、その点をわきまえるならば、その基本概念を知っておく価値は十分にあると思われます。前置詞は、様々な側面から考察すると、結構、面白い発見があったりしますが、それについては、またの機会にでも。

●関連: EG02EG03

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英語学習法(09)

2004年12月11日 | 名詞
名詞編です。EG04の続きです。今回、ペアの概念です。以下、見ましょう。

(1)I have a jeans. (×) (私は、ジーンズをもっています。)
(2)I have jeans. (〇) (訳同上)

(1)はアウトで、一方、(2)がOKである、ということなんですが、英語では、「ジーンズ」というものを、どう考えているのか、ということになります。まず、(1)がアウトになるのは、‘jeans’の語尾の‘-s’が、実は、複数形を表す語尾の‘-s’である、ということに原因があるんです。

ですので、実は、日本語の「ジーンズ」は、「ジーン」+「ズ」という成り立ちになっているわけですね。そこで、(2)のように、(1)から、‘a’を外してしまえば、OKになる、ということです。でも、これじゃ、ジーンズを、1着だけで表現するには、‘a jean’にしなきゃならないのか、ということになりますが、そうではありません。

(3)I have a pair of jeans. (〇) (私は、ジーンズを、1着もっています。)
(4)I have two pairs of jeans. (〇) (私は、ジーンズを、2着もっています。)

(3)や(4)のように、英語では、‘a pair of ~’「1対の ~」や、‘two pairs of ~’「2対の ~」、という表現がついて初めて、ジーンズの数が正しく表現できる、ということなんです。日本語としては、ちょっと変な表現なんですが、英語の考え方としては、‘jeans’は、脚が2本あるから、その2本をもって複数と見なす、という発想になるようです。

ですので、英語の場合、もともとが複数形である‘jeans’「ジーンズ」を、ハッキリと、1着、2着と表現するには、「1対」だの、「2対」だのを、逐一、付けたさなければならない、ということになり、ちょっと面倒です。この点に関しては、もう諦めるしかないのですが、しかし、表現方法には、一定の傾向があります。

(5)a pair of earrings (イヤリング (左右両方))
(6)a pair of shoes (クツ (1足))
(7)a pair of socks (靴下 (1足))
(8)a pair of chopsticks (箸 (1ぜん))

(5)~(8)の場合、どれも、(1)の‘a pair of jeans’「ジーンズ1着」と、1つの共通点があります。それは、左右対称で、1つの機能をもつ、ということです。例えば、(5)の複数形‘earrings’場合、単数形‘earring’が、それぞれ、片方を指していて、左右対称となるこれら2つが、1組になって、1つの機能を果たすものになる、ということです。

(6)~(8)の場合も同様で、「クツ」、「靴下」、「箸」は、左右対称となるものが、1組になって、1つの機能を果たすものになります。こういったことから、英語の場合、「左右対称で1つの機能」、という側面があるものは、それを重視した表現方法を好む傾向があります。

そこで、問題は、やはり、その「左右対称で1つの機能」、と見なす境界線はどこにあるのか、ということになりますが、これも、理屈で、どうこう定義できるようなものではなく、イメージ重視という、英語独特の世界観に依存することになります。

(9) a. a shirt (〇) (シャツ (1着))
   b. a pair of shirts (×) (訳同上)

(10) a. a jacket (〇) (上着 (1着))
    b. a pair of jackets (×) (訳同上)

(9a)や(10a)のような、単純な表現がOKで、一方、(9b)や(10b)のような、‘a pair of ~’がアウトですが、しかし、考えようによっては、「シャツ」や「上着」も、左右対称で1つの機能をもつ、と言えます。腕を通す袖が左右対称になって、常についているからですね。

でも、イメージとしては、むしろ、身に付けた際の「胴体」の方に重点を置いている表現であるため、左右1組の袖は、機能の一部ではあっても、「シャツ」や「上着」の象徴的な機能ではない、と見なされるようです。ですので、どの程度、左右対称となっているパーツが、その象徴的な機能とされるか、その重要度がポイントになるようです。

(11)a pair of scissors (ハサミ (1丁))
(12)a pair of glassess (メガネ (1つ))

そこで、(11)と(12)は、(5)~(8)と比べると、ちょっと、使いづらい感じがします。というのも、(5)~(8)の、「イヤリング」、「クツ」、「靴下」、「箸」は、もともと、それぞれのお互いが分離しているペアだからです。一方、(11)と(12)の「ハサミ」や「メガネ」は、日本語では、1つの固体を指す表現なので、もともと、分離不可能なものとして見ています。

しかし、英語の感覚では、(11)の‘scissors’「ハサミ」は、左右対称となる2枚の刃が組み合わさって、1つのハサミとしての機能を成す、という考え方で、単数形の‘scissor’だと、片方の刃しか指せません。一方、(12)の‘glasses’「メガネ」も、左右対称となる単数形‘glass’が、左右対称1組になって、「メガネ」と呼ばれる、1つの機能をもつものになる、ということです。

ですので、ある程度、ペアの感覚がわかりやすい、分離可能なものの場合とは違って、分離不可能な「左右対称で1つの機能」を表す、(11)の「ハサミ」や、(12)の「メガネ」の例は、「ジーンズ」の場合と同じく、日本語と英語の感覚のズレを、端的に示している例と言えます。

今回のポイントは、名詞という品詞に関して、日本語と英語で、表現方法が異なる「ペア」の概念です。とりわけ、英語には、見た目の感じから、ペアのイメージが想起しやすいものに関しては、その左右対称性を、全面に押し出した表現を用いる傾向が強い、ということです。

そして、そういった傾向が、左右で分離不可能なものにまで及んでいる場合は、日本語の感覚からすると、意表を突くものになりやすい、ということですから、攻略のコツは、左右対称で1つの機能を果たすのが特徴だな、と思われそうなものに出くわしたら、それが、複数形を標準とした名詞であるかどうか、意識してみる、ということですね。

●関連: EG04

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英語学習法(08)

2004年12月11日 | 名詞
EG05、EG06、EG07の続きです。物質名詞に関する注意点を、補足説明します。以下、見ましょう。

(1)a brick (〇) (1個のレンガ)
(2)a building in brick (〇) (レンガ作りの建物)

(1)の‘a brick’「レンガ1個」は、可算名詞です。一方、(2)の‘brick’「レンガ (素材)」は、‘a’がつかない不可算名詞として扱われています。「レンガ」は、一般的に、単一物質から成るものなので、物質名詞として見なされます。

(3)a piece of chalk (〇) (チョーク1本)
(4)a chalk (×) (訳同上)

ここで、「チョーク」ですが、(3)のように、不可算名詞として扱って、OKになり、一方、(4)のように、直接‘a’をつけて、可算名詞として扱うのは、アウトです。これは、‘chalk’を可算名詞として見なすためには、①・一般的に有意義な象徴的役割があるか、そして、②・デザインとしての完結性が感じられるか、といった概念を、同時に満たしていなければならないからです。 (EG05、EG06、EG07、参照。)

そこで、(4)がアウトになるのは、結果として、①はクリアするが、一方、②はクリアしていない、といった判断が一般的で、同時に、①と②を満たしていないことによるものです。‘chalk’が、②をクリアできない理由としては、チョークは、デザイン性のない、常に同じ形状であり、かつ、その切断面が、いかにも、他からの連続性を感じさせてしまい、どうも、デザインとしての完結性に乏しい、といったことにありました。

こういった視点で、今度は、(1)の‘a brick’「レンガ1個」が、OKである事実を考えてみます。すると、果たして、①と②を同時に満たしていると言えるのか、という疑問がわいてきます。まず、「レンガ」は、①の視点からは、複数集まって、建物の壁などを形成するのが本来の役割なので、それ単体では、単なる1パーツに過ぎず、一般的に有意義な象徴的役割があるとは考えられません。

さらに、②の視点からも、「レンガ」は、常に箱型の形状をしていますから、微妙ではありますが、一応、積み重ねて、連結することが前提であることからも、他からの連続性を感じさせるもので、デザインとしての完結性が感じられるようなものとも思えません。

つまり、このような見方をする限り、‘brick’「レンガ」は、①も②も、両方ともクリアできないので、本来ならば、不可算名詞としての扱いを受けたままでなければならない、ということになり、(1)のように、‘a brick’と表現することは、不可能ということになってしまいます。これは、一体、どう考えたらよいのでしょうか。

そこで、改めて、「レンガ」と「チョーク」を比較してみることにします。まず、①の視点ですが、チョークは、それ1本が、黒板に文字を書くなどして、独立した用途を担っているため、1本で使うことが、予め前提になっています。一方、レンガは、その前提からして、もともと、その1個が、全体の中の1パーツとしてつくられたものです。

これを、もう少し詳しく言うと、レンガは、バラバラのパーツ状態が、その目的として、最初から成立している人工物なので、この点、単体で使うことにこそ、意味を見出すチョークとは、根本的に、その本来の在り方が違います。

次に、②の視点ですが、チョークは、前述のとおり、その外観が、ブツ切れ感の強く漂う見た目なので、デザインとしての完結性はありません。一方、レンガも、前述のとおり、積み重ねて、連結することが前提であることからして、他からの連続性を感じさせるもので、デザインとしての完結性が感じられるようなものとは、一見、思えないわけです。

しかし、やはり、レンガのデザインは、チョークと決定的に異なっている点があります。それは、そのデザインは、意図的にある目的を達成するためのものである、ということです。つまり、その箱型の形状には、まさに、積み重ねて連結すること (連続性を感じさせること) が、他ならぬ、デザイン上の意図であり、そこから完成する、いわば、「レンガ模様」こそが、デザインとして成立している、ということです。

こういったことを考慮すると、要するに、「レンガ」は、根本的に、「チョーク」のような物質名詞とは、逆の発想でとらえるべき名詞であり、その概念が、スタート時点で、既に異なっていることが理解できると思います。レンガは、積み重ねて連結するという目的を達成するために、あえて、わざと箱型の形状を選んでいるわけですから、その意図さえ理解できれば、このことが、逆に、①と②を同時にクリアする要件に転じることになります。

レンガ1個は、壁全体の構造の一部になるパーツではあるものの、それが同時に、唯一の本来的な在り方として意図されているのだから、その意図にそって考えるならば、むしろ、そのこと自体が、逆に、①・一般的に有意義な象徴的役割を果たしている、と言えます。

さらに、レンガは、建物の壁になった時点でも、なお、継ぎ目の筋が消されることなく、1つ1つの存在がハッキリとわかるように、わざとデザインの構成要素として、視覚的にも、その個々が存在を主張するように、予め意図されています。ですので、その「レンガ模様」の中で、1個1個のレンガが、②・デザインとしての完結性が感じられる、というのが、一般的なイメージとして認識されていると思われます。

要するに、「レンガ」は、それ単体では、単なる1パーツに過ぎないことが、まさに、①をクリアする理由になってしまいます。さらに、壁として組み上がってからの見た目が、デザインの完結性を感じさせるので、他からの連続性を感じさせる箱型の形状それ自体が、まさにデザインそのもの、ということになり、②をクリアする理由になってしまいます。

ですので、チョークなどのような、単体使用が前提となる物質名詞とは、明らかに、逆発想的とも思える、特殊な視点が必要になるケースだと言えます。

(5)a stone (〇) (石ころ1つ)
(6)stone (〇) (石材)

ちなみに、補足的に、(2)の不可算名詞‘brick’「レンガ素材」の扱いにも、簡単に触れておきます。(5)の可算名詞‘a stone’「石ころ1つ」は、(1)の‘a brick’「レンガ1個」に相当する例ですが、一方、(6)の不可算名詞‘stone’「石材」は、(2)の‘brick’「レンガ素材」というように、並行的な関係として、扱うことができます。

そこで、「レンガ」は、パーツとしての使用が前提であるか否か、という違いはあるものの、一応、「石」の仲間に類する物質名詞だと理解できますね。 (EG05、参照。)

(7)a tile (〇) (タイル、瓦 (かわら) 1枚)
(8)a roof of tile (〇) (瓦屋根)

(7)の可算名詞‘a tile’「タイル、瓦1枚」の場合も、「レンガ」の仲間に類する物質名詞です。そして、パーツとしての使用が前提となる点も同じです。特に、「タイル」の場合は、「レンガ」と全く同様の考え方ですが、一方、瓦の場合は、その形状が、ある程度、デザイン性があるので、「レンガ」よりも、わかりやすい例だと思います。もちろん、(8)のように、不可算名詞として、「瓦素材」の意味もあります。

(9)a corn (×) (コーン1粒)
(10)a rice (×) (米1粒)

ここで、(9)の‘a corn’「コーン1粒」も、(10)の‘a rice’「米1粒」も、共にアウトですが、これを、(1)の‘a brick’「レンガ」が、OKであることと、比較してみたいと思います。「コーン1粒」や、「米1粒」は、もちろん、「レンガ1個」とは異なり、その形状が、人工的に意図した目的に基づいて、加工されているわけではありません。

ですので、「レンガ1個」とは、当然、扱いが異なり、ストレートに、①・一般的に有意義な象徴的役割を果たしているか否か、という視点からは、果たしていない、ということになり、可算名詞の扱いがアウトになります。 (EG05、EG06、参照。)

今回のポイントは、物質名詞の「可算・不可算」の境界線の基準となる、①・一般的に有意義な象徴的役割があるか、そして、②・デザインとしての完結性が感じられるか、という視点ですが、これらを境界線に据える際には、ちょっとした注意点が必要になる、ということです。

①と②の基準は、対象となる名詞の、「本来の在り方」を考慮した上で、適用されなければならないので、何も考えずに、①と②を適用してしまうと、場合によっては、今回の‘brick’「レンガ」のように、全く、逆のパターンも発生してしまいます。まあ、何ともややこしいんですが、これも、ヒトの認識の在り方という、極めて心理的な部分を扱った現象なので、仕方ないですよね。

■注 :‘wood’「木材」も、パーツとしての使用が前提となる物質名詞ですが、‘a brick’「レンガ」とは違って、一般的には、‘a wood’として、可算名詞にすると、アウトです。これは、「レンガ」が、常に、箱型である、というイメージが、一般的に定着しているのに対して、一方、「木材」は、様々な形状に加工されるため、独自の形状が、一般に定着していないからだと思われます。

●関連: EG05EG06EG07

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英語学習法(07)

2004年12月11日 | 名詞
EG05、EG06の続きです。「物質名詞」です。以下、見ましょう。

(1)a hair (〇) (髪の毛1本)
(2)hair (〇) (全体の頭髪)

(1)も(2)も、髪の毛を表していますが、それぞれ、表現の対象は異なっていて、(1)の可算名詞‘a hair’の場合、「髪の毛1本」になり、一方、(2)の不可算名詞‘hair’場合は、「頭に生えている髪の毛全体」を指しています。そこで、(1)であろうと、(2)であろうと、どちらも、単一の物質的な感じがしますので、両者には、どのような差があるのか、考える必要があります。

単純に考えるならば、頭髪は、1本1本の髪の毛がたくさん集まることで、でき上がっていると言えますから、複数形にして、‘hairs’だと考えたくなります。しかし、(2)の不可算名詞‘hair’の場合、ただ単に、髪の毛の集合を意味しているわけではありません。

むしろ、頭から生えている、髪全体がひとつのまとまりを成して、そのスタイルが整髪によって整ったり、一方、風になびいて崩れたりなどすることが、頻繁に起こるわけですから、どこか、つかみ所のない様々な形状をもっているような感じが、一般的な認識としてあります。ですので、この「形状不定」という点をとらえて、イメージとしては、頭髪全体が物質的な側面を強く感じさせるものとなっているようです。

では、一方、(1)の可算名詞である方の、‘a hair’「髪の毛1本」の場合はどうか、ということになりますが、髪の毛は、例え、1本であろうとも、単一の物質であることに違いはないので、それを、あえて可算名詞とするには、物質的な側面があまり強く感じられないような要因がどこかにある、と考えなければなりません。

(3)a chocolate (〇) (チョコレート1個)
(4)a chalk (×) (チョーク1本)

(3)の‘a chocolate’「チョコレート1個」はOKですが、一方、(4)の‘a chalk’「チョーク1本」はアウトです。チョコレートもチョークも、同じ物質名詞ですが、「可算・不可算」の扱いには、差があるわけです。これは、デザインとしての完結性がイメージできるかどうかが、ポイントとなっています。

チョコレートは、様々なデザインが工夫されていることが、一般的な認識であり、そのことが、物質感の払拭に一役かっていますが、一方、チョークは、単調なブツ切りの状態が一般的な認識ですので、どうも、デザインの完結性に乏しく、まだまだ物質感が強く漂う外観ということになります。 (EG06、参照。)

(3)と(4)のような差は、デザインの完結性という視点で、一応の説明は可能ですが、このような視点で見た場合、(1)の‘a hair’がOKなのは、デザインとしての完結性があるからだと、果たして言えるのかという疑問がわいてきます。そもそも、一般的には、髪の毛1本に、デザインとしての概念など、入り込む余地はない、と考えるのが普通です。

(5)a pipe (〇) (パイプ)
(6)a ditch (〇) (溝、水路)
(7)a road (〇) (道路)

そこで、(5)~(7)の例ですが、どれも可算名詞です。まず、(5)の「パイプ」の場合は、最も単純で、細長い管が一般的です。(6)の「溝、水路」の場合は、一般的に、やや複雑な構造のものもありますが、やはり細長い形状が特徴的です。(7)の「道路」ともなると、信号があったり、横断歩道があったりと、もっと複雑な感じはありますが、それでも、細長い形状が特徴となっています。

というわけで、これら、(5)~(7)は、それなりの構造をもっているし、また、その機能も、かなり明確なので、その点、物質感には乏しいのですが、イメージ上の共通点はあり、どれも、細長い形状が特徴です。そこから、浮かび上がるイメージとしては、「線」というものがあります。この「線」のイメージは、ヒトの認識上の基本概念の1つとも言えるものです。

(8)a line (1本の線)

(8)の可算名詞‘a line’「線」は、(抽象名詞ではありますが) その切れ目を意識する必要など、全くない可算名詞で、例え、どこまでも果てしなく続いていたとしても、「1本」という概念でとらえることが許される名詞です。つまり、例え、目には見えなくとも、どこかにたどり着いて、そこが切れ目になっているのだろう、というような、想像をさせる余地があるので、それだけで、可算名詞として、OKなんですね。

この「線」のイメージは、それに近い形状をもったものを表す名詞を、可算名詞として、特化させるはたらきがあります。(5)~(7)の場合は、多少、物質感に乏しい例ですが、別の視点から、よく考えてみると、「パイプ」、「溝」、「道路」といったものは、それが設置されている場所によっては、先がどこまで続いているのかわからないまま、「1本」として、とらえてしまうことがよくあります。

「線」の概念は、細さが感じられ、そして、相対的に長さが感じられる、ということにつきると思われますが、こういった「線」のイメージが強いと、物質感の強い名詞も、それに影響されて、可算名詞となってしまう傾向があります。今度は、ある程度、物質感の強い、他の例も見てみましょう。

(9)a thread (〇) (1本の糸)
(10)a wire (〇) (針金1本)
(11)a tape (〇) (テープ1本)

(9)~(11)の「糸」、「針金」、「テープ」の場合、どれも、単一の物質から成るものですが、しかし、細さと長さが感じられるものですから、「線」ととらえて、「1本」となり、‘a’をともなう可算名詞の扱いを受けます。しかし、これらは、逆に、細さと長さが感じられない形状になった時点で、不可算名詞としての扱いを受けるようになります。

(12)a spool of thread (糸巻き1巻)
(13)a coil of wire (針金1巻)
(14)a roll of tape (テープ1巻)

(12)~(13)の「糸」、「針金」、「テープ」の場合、どれも、巻いた状態になってしまっているので、もはや、「線」のイメージが失われて、単一物質の塊に感じられます。その巻き方は、もちろん、常に一定ではなく、様々な巻き方がありますので、「形状不定」の物質というイメージの変化が現れて、物質感の強さが色濃くなります。ですので、‘a’をともなうことのない、不可算名詞の扱いを受けています。

ところで、この「線」のイメージは、かなり強力な認識概念らしく、①・一般的に有意義な象徴的役割があるか否か、そして、②・デザインとしての完結性が感じられるか否か、といった概念を、簡単に凌駕してしてしまうほどの力があります。 (①については、EG05、②については、EG06、参照。)

例えば、OKである、(1)の‘a hair’「髪の毛1本」の場合、なかなか、①に合致するようなイメージがあるなどとは、想像できませんし、また、既に述べたように、②の概念なども、介入する余地がありませんので、本来ならば、アウトになってしまうところです。しかし、それにもかかわらず、ただ単に、その形状が、細く、長い、と判断されて、「線」のイメージが確定した時点で、一発で可算名詞として、OKになってしまうんですね。

「線」のイメージが、強力な認識概念であることは、(5)~(11)の全ての例で、例え、それがどこかで終わってしまうような、切断された「線」であっても、OKにできる、という事実からも、よく理解できると思います。例えば、(4)の‘a chalk’「チョーク1本」はアウトですが、その原因は、他からの連続性を感じさせるような、ブツ切り感が漂う形状のためで、②のイメージに乏しい、とされたことにあります。

しかし、(5)~(11)の場合、「パイプ」、「溝」、「道路」、などは、どれも、どこかで途切れているのだろう、というようなイメージは、誰でももっているし、一方、「髪の毛」、「針金」、「テープ」などは、ハサミで切り取ってしまえば、まさに、ブツ切り状態にすることが可能です。それでも、なお、細く、長い、という「線」のイメージが漂っていれば、可算名詞として、OKにできるわけです。

こういったことからも、「線」のイメージは、名詞の「可算・不可算」を決定する上では、①や②の概念の、さらに上に位置するような、一段高い上位概念である、と言えます。ヒトは、ある対象を、デザインとしての完結性があるか否かで区別する傾向がある一方で、単純に、「線」として認識できるか否かにも、意識をはたらかせて区別をする、という認識活動を行っているわけですね。

今回のポイントは、デザイン的な完結性とは、全く無縁の概念である、「線」のイメージです。このイメージは、ヒトの認識活動上、非常に重要なウェイトを占めているため、その認識の発現例として、かなり物質的な感じのする名詞をも、可算名詞に変化させてしまう威力があるのがわかりました。ヒトは、基本となる認識概念から、対象をとらえようとする生き物である、というのは、なかなか面白いものですね。

■注 :「チョーク」は、どうやら、細く長い、とは見なされないようなので、①や②の条件をクリアすべき対象になるようです。確かに、実物を見れば、わかるとおり、細いというには、案外、太さがあり、また、長いというには、案外、短いものです。

●関連: EG05EG06

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英語学習法(06)

2004年12月11日 | 名詞
EG05で扱った「物質名詞」の続きです。以下、見ましょう。

(1)a rice (×) (米1粒)
(2)a grape (〇) (ぶどう1粒)

(1)の‘a rice’「米1粒」はアウトで、一方、(2)の‘a grape’「ぶどう1粒」」はOKである、ということですが、お互いに、独自の形状をもつという点は、共通していますし、物質である、という点も共通しています。しかし、その一般的な扱いは、異なっていますので、その基準となる、目を付けるポイントとしては、有意義な象徴的役割が、たやすくイメージできるかどうかにあります。

(3)a grain of rice. (〇) (米1粒)

「米1粒」は、一般的に、有意義な象徴的役割が、たやすくイメージできないようで、むしろ、物質的な側面を強く感じさせると思われていますので、(3)のように、‘a grain of ~’「~ 1粒」として、その粒の単位を、別に表現してやらなければなりません。米は、どちらかというと、たくさんの粒を、十把一絡げにして茶碗に盛る、などというような扱いが普通ですからね。

しかし、一方、ぶどうは、房からちぎって1粒ずつ食べることが一般的ですから、‘a grape’「ぶどう1粒」がOKになります。というわけで、ぶどう1粒と米1粒は、一般的に見方が異なるわけですが、このように考えていくと、以下のような例も、ある程度は合点がいきます。

(4)a sugar (×) (砂糖1粒)
(5)a salt (×) (塩1粒)

(6)a pinch of sugar (〇) (砂糖ひとつまみ)
(7)a spoon of salt (〇) (スプーン1杯の塩)

(4)の‘a sugar’「砂糖1粒」も、(5)の‘a salt’「塩1粒」もアウトです。砂糖や塩の場合も、粒子が細かいものの、米と同様に、液体ではなく固体であり、その1粒1粒が、一応は形状をもっていると言えますが、しかし、あまりにも粒が小さすぎて、やはり、一般的に、その1粒に対して有意義な象徴的役割が、たやすくイメージできません。そこで、むしろ、物質としての側面を強くとらえて、(6)や(7)のように表現するのが、妥当となるわけですね。

ここまでの考えで、とりあえず、一般的に有意義な象徴的役割がイメージしやすいかどうかが、名詞の「可算・不可算」を決定している要因であることは、理解できると思いますが、しかし、実は、このような説明では、まだ不十分であると思われる、結構、身近な反例があります。

(8) a. a chalk (×) (チョーク1本)
   b. a piece of chalk (〇) (訳同上)

(9) a. a paper (×) (紙1枚)
   b. a sheet of paper (〇) (訳同上)

学校で習う際も、強調されることが多いので、よく知られていると思いますが、「チョーク1本」や、「紙1枚」を、(8a)や(9a)のように、ただ単に、‘a’を付けただけで表現すると、アウトです。そこで、(8b)の‘a piece of ~’や、(9b)の‘a sheet of ~’のようにして、表現しなければなりません。

しかし、ここで、簡単にわかるように、「チョーク1本」にせよ、「紙1枚」にせよ、有意義な象徴的役割を果たす状況など、いくらでも想像できますし、また、そういった状況を、特殊なものであり、一般的ではない、などと言って切り捨てることは、いくら何でも無理だと思われます。

チョーク1本は、学校の授業などで、黒板に字を書くという、極めて一般的な用途が定着しており、一方、紙1枚だって、別に、複数枚で使うことが一般的であるにしても、逆に、1枚だけで使うような状況も、同様に一般的と言えるレベルにあると言っても、何ら不自然ではありません。ですので、「チョーク1本」や、「紙1枚」の有意義な象徴的役割をイメージするたやすさは、「米1粒」、「砂糖1粒」、「塩1粒」などのイメージのしにくさとは、雲泥の差があると言えます。

(10) a chocolate (チョコレート1個)
(11) a cup of hot chocolate (カップ1杯のホットチョコレート)
(12) chocolate in powder (粉末状のチョコレート) 

そこで、今度は、‘chocolate’「チョコレート」を考えてみたいと思います。チョコレートには、様々な側面があり、(10)のように、固体である場合もあるし、また、(11)のように、液体である場合もあるし、また、(12)のように、ケーキのトッピング (例えば、ティラミス) などの粉末の状態である場合もあります。

しかし、(10)のように固体の場合のみが、‘a chocolate’「チョコレート1個」のように、直接‘a’をつけて可算名詞として扱えます。チョコレートは、明らかに単一の物質から成るものですが、(8a)の‘a chalk’や、(9a)の‘a paper’がアウトであることとは対照的です。

ですので、(10)の‘a chocolate’のような場合は、物質的な側面が強く感じられないケースに該当する、ということになり、物質的な側面が強く感じられる‘chalk’「チョーク」や‘paper’「紙」とは、決定的に扱いが異なります。

そこで、物質としての側面が強く感じられる「チョーク1本」の場合と、そうではない「チョコレート1個」の場合は、どのように、一般的なイメージの違いがあるのか、ということになりますが、そのポイントは、どうやら、その形状にあると言えそうです。と言うのも、「チョーク1本」の場合、その形状が、常に、単純な棒状であるのに対して、一方、チョコレートの場合は、様々な形状があり、一般的に、1つのデザインとして完結しているものが多いのが特徴です。

具体的には、「チョーク1本」の形状は、その製造過程で、もとはさらに長い棒状だったものが、スパスパと切断されて、手頃なサイズとして、その1本1本ができ上がったような、切断面を簡単にイメージさせるような印象を、色濃く残しています。つまり、デザインとしての完結性が希薄に感じられ、かつ、切りとった一部という、物質的感覚を、なおも保っている形状ということになります。

このことは、「紙1枚」にも当てはまります。やはり、その形状は、その製造過程で、もとはさらに広い面積の紙だったものが、スパスパと切断されて、手頃なサイズとして、その1枚1枚ができ上がったような、切断面を簡単にイメージさせるような印象を、色濃く残しています。やはり、これも、デザインとしての完結性が希薄に感じられ、かつ、切りとった一部という、物質的感覚を、なおも保っている形状ということになります。

(13)a stone (〇) (石ころ1つ)

(13)のような、‘a stone’「石ころ1つ」に関しても、デザインの完結性という点では、「チョコレート1個」と同じ視点でとらえることができます。「石ころ」の形状には、個体差はあるにしても、他から切りとったような、連続性を感じさせる印象はありません。

(14)a bread (×)
(15)a slice of bread (〇) (スライス切り1枚のパン) 
(16)a loaf of bread (〇) (パン1塊)

(14)の‘a bread’「食パン1個」は、アウトです。‘bread’「食パン」は、なかなか難しい部類に入りますが、一般的に、(15)のような、スライス切りした状態で、目にすることが最も多いと思います。これは、当然、外見上からも、切ったような他からの連続性を感じさせる形状になっていますから、デザイン上の完結性は感じられず、‘a slice of ~’「スライス切りの ~」が表現として、妥当ということになります。

一方、(16)のように、まだ、スライス切りされていない状態の大きな塊であるパンはどうかというと、これも不可算で、‘a loaf of ~’「1塊の ~」で表現することになっています。この場合、個体差はあるにせよ、デザインは、(13)の「石ころ」と同じく、連続性を感じさせない完結性があるように思えますので、‘a bread’で表現したい、と考えたくなります。

しかし、「食パン1塊」は、一般的に有意義な象徴的役割、という点では、イメージを欠いています。「食パン」は、スライス切りしない状態で、大きな塊のまま、ガブリと噛みつくようなことは、一般的には、まずありません。ですので、この点、(10)の「チョコレート1個」のように考えるわけにはいきません。

そこで、「食パン」は、一般的に有意義な象徴的役割、という点では、やはり、スライス切りした状態の方で、圧倒的に、そのイメージが浸透していますから、(15)のような、スライス切り状態の方が、主役として認知されているという、特殊なケースに該当します。

つまり、物質名詞が、可算名詞として使われことがOKとなるためには、①・一般に有意義な象徴的役割が感じられるか、という視点に加えて、②・デザインとしての完結性が感じられるか、という2つの条件を、同時に満たしていなければならず、①と②の、どちらかがクリアできない場合、不可算名詞のままでなければならない、ということになります。

今回のポイントは、物質名詞の中でも、よくわかりにくい、「可算・不可算」の境界線を決定する基準の1つの目安です。一般的に、有意義な象徴的役割を果たすと考えられるか否か、という視点に加えて、見た目の印象も、「可算・不可算」の決定に影響を及ぼしている、ということです。それは、デザインとしての完結性があり、他からの連続性を感じさせないような外観をもつ、ということが重要である、ということです。

しかし、このような基準は、結局のところ、主観的なものであることに変わりはありませんから、一応の目安ということ以上に、期待感をもって臨むことは禁物です。ただ、このような視点が身に付いていると、感覚的には、比較的、抵抗感なく、名詞の習得効率は上がっていくと思われますから、まあ、1つ技ということですね。

■注1 :特定の状況に限り、‘a sugar’が、OKになる場合があります。ただし、(4)のように、「1粒」という意味ではなく、「1杯」という意味です。コーヒーに砂糖をいれるような場合、そのような状況は、日常的で、頻繁に起こっていることなので、一般的に、例えば、‘two sugars’「砂糖2杯」、などというような表現が、OKになりやすいようです。

■注2 :「食パン」以外にも、「パン」は、「チョコレート」と同様に、様々な形状があり、デザイン上も、それなりに完結性の感じられるものがありますが、それでも、‘a bread’「パン1個」は、アウトです。というのも、日本語の「パン」と、英語の‘bread’には、認識の差があり、あくまでも、英語の‘bread’は、普通の「食パン」が守備範囲だからです。「パン」は、様々な単語があり、「食パン」以外は、‘a roll’「ロールパン1個」や、‘a bun’「小型の丸パン1個」など、一般的に、別の単語で表現します。


●関連: EG05

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英語学習法(05)

2004年12月11日 | 名詞
EG03では、品詞の中の名詞を扱いました。そこで、EG04からは、名詞編となったわけですが、今回、物質名詞と呼ばれるものについてです。以下、見ましょう。

(1)a water (×) (水)
(2)a glass of water (〇) (コップ1杯の水)

液体である‘water’「水」は、一定の形状をもたず、異なるパーツで構成されているわけでもないので、物質名詞です。そこで、(1)のように、‘a’をつけて、数えられるもの、と見なすことはできませんので、(2)のように、‘a glass of ~’「コップ1杯の ~」を付けたすことで、コップ1杯の形状を表現することになります。

(3)a bottle of water (ボトル1杯の水)
(4)a bucket of water (バケツ1杯の水)
(5)a tub of water (桶1杯の水)

(3)~(5)もまた、(2)と同じ発想にもとづくものです。要は、「水」は一定の形状をもたないものなので、何らかの器に入れた時点で、その器の形状が、数えられる単位としてシフトしている、ということですね。ですので、こういったことが、物質名詞の基本的な性質とは言えますが、一言で物質とは言っても、いろいろあります。果たして、液体であることが、物質名詞の基準と言えるんでしょうか。

(6)a stone (〇) (石ころ1個)
(7)We use stone for the tool. (その道具に (素材として) 石を使う。)

(6)のように、‘a stone’「石ころ」は、数えることができる名詞とされています。確かに、道端に落ちている石は、1個、2個と数えることができます。しかし、一方、異なるパーツで構成されているわけでもない、単一の物質から成るものなので、その点、物質であることに変わりはありません。ただ、あえて、「水」との違いは何かというと、液体ではなく、固体である、ということができます。

そこで、(7)の場合は、‘a stone’となっていなくても、OKです。「石」は固体であっても、削ったりして変形させて、何かの素材に用いることが可能ですから、石という物質を何かの材料とした場合、数えられない名詞に変わってしまうわけですね。この点、固体である「石」だって、「水」と同じ扱いを受けていると言えます。

しかし、(6)と(7)の対比から、固体である場合、「可算・不可算」の基準は、物質であるか否か、というよりも、むしろ、素材としての側面が色濃くあらわれているか否かの方が重要、ということになります。

(8)a river (〇) (1本の川)

じゃ、液体は、どんなときでも不可算かというと、それも怪しいもので、‘river’「川」は、1本、2本と数えますから、‘a river’というのが、正しいんですね。ただ、「川」という表現は、単に液体であることのみが、「川」足り得る要素ではありません。つまり、どこかの土地に発生した、大きな水の流れであることが大事な要素となるので、水だけで、川の定義が成り立っているわけではありません。

(9)a rice (×) (米1粒)
(10)a grain of rice (〇) (訳同上)

(11)a bowl of rice (茶碗1杯のご飯)

今度は、反対に、明らかに固体なのに、数えられない物質名詞です。(9)の‘rice’「米」ですが、米1粒でも、(6)の‘a stone’「石ころ1個」のように、数えることができません。米1粒は、(10)のように、‘a grain of ~’「~ 1粒」を使わなければなりません。「米」も「石」も、どちらも、単一の物質からなり、1つ、2つ、と数えられる形状をもっているのに、それぞれ扱いが違うわけです。

そして、さらに、(11)のように、茶碗につがれた状態でも、‘a bowl of ~’「茶碗1杯の ~」と表現しなくてはなりません。そこで、(2)~(5)の「水」は、一定の形状をもたないので、何らかの器に入れた時点で、その器の形状が、数えられる単位としてシフトしている、と述べましたが、固体である「米」に対する扱いも、まさに、液体である「水」に対する扱いと同じなんですね。

(12)an ice (×)

(13)a piece of ice (〇) (氷1かけら)
(14)a cube of ice (〇) (氷 (アイスキューブ状で) 1個)

次に、液体である「水」が、固体に変化した「氷」ですが、この点、個体である「石」に近い物質名詞になったと言えます。しかし、「可算・不可算」の基準に、もはや、液体も固体もないわけですから、例え氷であっても、(12)がアウトで、(13)や(14)が、OKであると言われれば、それまでなんですね。

「水」が固体となり、「氷」になっても、なお、「石」よりも「水」に近い扱いを受けているわけです。その原因は何なんでしょうか。それを考える前に、以下のコントラストを見ましょう。

(15)an iceberg (氷山1つ)
(16)a mountain (山1つ)

(15)は、(13)や(14)の氷が、さらに巨大化した、‘an iceberg’「氷山」なんですが、これは、不思議なことに、数えられるんです。物質という観点からは、ただ単に、サイズが巨大な氷という解釈になりますが、一応、「山」を意味する‘-berg’が語尾に付いていますから、その時点で解釈の変化が発生した、ということでしょうか。

(15)との比較で、(16)の‘a mountain’「山」ですが、これも数えることが可能な名詞として扱われています。しかし、「山」も、よく考えてみれば、物質としては、土が大きく隆起した、言わば、巨大な土の塊ですから、そういう観点からは、物質名詞だと考えたくなります。

ただし、「山」も、(8)の「川」と同じように考えれば、ただ単に、巨大な土の塊という側面だけではなく、どこかの土地に発生し、その土地とのつながりをもった大きな土の隆起であるわけですから、土地と関係なしには在りえないという、付加価値的な解釈が、定義上、必要です。

こういった解釈の仕方があると、(15)の「氷山」の場合も、海を土地に例えた、海面からつながる「山」のような付加価値的イメージがないと、単なる巨大な氷という物質のままであり、数えられる名詞の仲間入りはできない、ということになります。ですので、「氷山」にせよ、「山」にせよ、それなりに、固有の特徴づけが得られていることから、単なる氷や土とは、一線を画す名詞となっている、と思われます。

では、(6)の「石ころ」が可算で、一方、(9)の「米粒」が不可算なのは、どういったことに起因するのでしょうか。これに対する1つの考え方は、ヒトにとって、何か有意義な象徴的役割がイメージできるか否か、ということになります。

例えば、石ころは、それを投げつけて、ヒトを傷つけるような描写は、テレビや本などで、よく見かけますので、そういった意味では、石ころは、あたかも、弾丸の1発のように、象徴的、かつ、有意義な扱いを受けるものとして、イメージが定着していると言えますが、一方、米粒は、これぞまさに、米粒の象徴的な扱い、というものを、なかなか想起することができません。つまり、米粒の扱いは、こうだ、と言えるような、一般的扱いが、象徴的に認知されていないのです。

ここで、(12)の‘an ice’「氷」がアウトであることを、改めて考え直すと、どうやら、「氷」には、「石ころ」ほどには、有意義な象徴的役割が、なかなかイメージできない、ということになります。氷は、漠然と、何かを冷やす目的で使われることが多いので、その点、イメージは、あるにはあるのですが、石ころほどには、形状が重視されるポジションにはない、と言えます。

つまり、氷が何かを冷やす形状は様々なので、どんな形状が象徴的かを、ハッキリとイメージできない、ということになり、むしろ、単なる物質としての側面の方が、まだ、なお強いと感じられます。この象徴性の強弱が、決定的に、「氷」と「石ころ」を隔てているものと思われます。

(17)a grape (〇) (ぶどう1粒)
(18)a corn (×) (コーン1粒)

(17)の‘a grape’「ぶどう1粒」はOKですが、一方、(18)の‘a corn’「コーン1粒」はアウトです。物質という観点からは、どちらも同じですし、房からちぎったり、穂軸からかじったりするように、実になるベースが、それぞれにあるという点も同じです。

しかし、通常、ぶどうは、1粒ずつ食べるのが一般的であることからも、その1粒は、有意義な象徴的扱いを一般に受けていることがわかります。一方、コーンの場合は、1粒ずつ食べることが、一般的とまでは見なされていません。むしろ、調理などで、複数の粒を十把一絡げに扱うことの方が一般的です。

以上のことから考えていくと、物質がどうのこうの、という点よりも、むしろ、こういった、一般的な扱いという、イメージから発する視点の方が、「可算・不可算」の基準としては妥当である、ということになります。このように考えていくと、物質であるか否か、による分類では、意外と、「可算・不可算」の基準がハッキリしないことがわかります。

今回のポイントは、物質名詞という名前がついている名詞は、その分類の仕方から、具体的にどんな役割を果たしてくれるのか、という疑問です。残念ながら、今回、観察した少数の例からだけでも、ハッキリとわかるのは、何の役割も果たしていない、ということです。

よく、解説書などに、名詞の分類基準として、「物質名詞」という項目がありますが、これは、ハッキリ言ってしまえば、そういう観点からは、「可算・不可算」が、都合良く説明できる場合もある、という程度のものでしかなく、物質であるか否かを考えていれば、それだけで全て (または、大半) の名詞が説明できるほど、単純なものではありません。

これは、結局のところ、ヒトが感じ取るイメージに起因するもので、その概念が流動的だからです。これが意味するのは、社会的な認知度に比例して、ある名詞に対する「可算・不可算」の基準が、大きく変わってしまう可能性も示唆している、ということです。よく問題になる、飲み物の「ビール」が、‘a glass of beer’「ビール1杯」を標準的とする一方で、‘a beer’もまた、OKになるという事実は、こうした、ヒトの認知的感覚の社会的推移にあるのは、言うまでもありません。

■注 :(14)の、‘a cube of ice’「氷 (アイスキューブ状で) 1個」の場合も、グラスに入れたりして、飲み物を冷やすこと、といったように、比較的、その用途は、限られており、有意義な象徴的役割が、一般的に認知されていると言えます。しかし、この場合は、‘an ice cube’「アイスキューブ1個」、という表現の方が、先に一般化してしまったために、(14)の表現は、‘an ice cube’とのコントラストを明確にするため、用途よりも、やはり、形状の方に重点を置いた表現として、そのまま、残されることになってしまったようです。

●関連: EG03EG04

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英語学習法(04)

2004年12月11日 | 名詞
EG03の続きです。品詞の中でも、名詞についてです。以下、見ましょう。

(1)I read a book. (私は、本を読む。 (本は1冊))
(2)I read books. (私は、本を読む。 (本は2冊以上))

日本語で名詞と呼べるものは、英語でも、大方、名詞です。しかし、日本語との違いで、ちょっと厄介なのは、逐一、モノであるかないかを気にしながら、(1)の‘a book’「1冊の本」、一方、(2)の‘books’「2冊以上の本」のように、「単数・複数」を考えて、表現しなければならないことです。

(3)I have information. (〇) (私は、情報をもっています。)
(4)I have an information. (×) (訳同上)

しかし、(3)のような場合、‘information’「情報」は、モノではありませんから、(4)のように、‘an information’とやってしまうと、アウトになってしまいます。でも、考えようによっては、「情報」だって、1つ、2つと数えることはあります。つまり、モノではない、という理由で、数えることはない、と断定するのは、間違っていることになります。

(5)I have a piece of information. (私は、情報を1つ、もっています。)
(6)I have two pieces of information. (私は、情報を2つ、もっています。)

だから、(5)や(6)のようにして、‘a piece of ~’「~ 1つ」や、‘two pieces of ~’「~ 2つ」という表現の力を借りて、個数を表してやることになっています。つまり、‘piece’「片、個」を使って、‘a piece’ (単数) または、‘pieces’ (複数) というような、「単数・複数」の概念を、別の単語に任せてシフトしてやる、という発想です。英語は、こういった発想で、名詞の「単数・複数」を表すことを、よくやるコトバです。

(7)a glass of water (コップ1杯の水)
(8)two glasses of water (コップ2杯の水)

(7)では、‘a glass of ~’「コップ1杯の ~」、一方、 (8)では、‘two glasses of ~’「コップ2杯の ~」、というように、「コップ」を単位として、‘a glass’ (単数)や、‘glasses’ (複数)で、「水」を表現しています。しかし、水は、「カタチをもったモノ」ではないにしても、一応、目には見えるし、手で触ったりすることはできるので、完全にモノではない、とは言い切れず、「カタチをもたないモノ」、ぐらいには考えられます。

(9) a piece of chalk (1本のチョーク)
(10)two pieces of chalk (2本のチョーク)

今度は、「チョーク」ですが、チョークも、また、‘a piece of ~’「~ 1つ」や、‘two pieces of ~’「~ 2つ」という表現の力を借りて、本数を表してやることになっています。そこで、何でチョークが?と思われるかもしれませんが、チョークの場合、チョークの素材である粉が、ギュッと固まって、1本のカタチになっている、という発想があるため、イメージとしては、「チョークの素材が加工されたモノ」、と見なしているわけです。

(11) a pen (1本のペン)
(12) two pens (2本のペン)

じゃ、(11)や(12)がOKになる、「ペン」の場合はどうなんだ、ということになりますが、ペンの場合、それ用のパーツを組み立てて、初めて、「ペン」というモノになる、という見方をしますから、逆に、ペンが分解されれば、個々のパーツそれ自体は、ペンではない、ということになり、最終的に完成したものが、ペンという、「カタチをもったモノ」、と見なされます。

(13)a lemon (レモン1個)
(14)tea with lemon (レモンが入った紅茶)
(15)a slice of lemon (レモン一切れ)

(13)の場合、普通に、レモン1個の発想ですが、一方、(14)の場合、レモンが丸々1個入った紅茶、という意味ではなく、レモンの果汁なり、ほぐした実という、「レモン素材」が入っているという発想になります。(15)も、レモンがスライス切りされた時点で、「レモン素材」という方向に、見方が変わっています。

つまり、‘lemon’「レモン」の場合、固体としてのカタチが基準なのか、それとも、素材としての側面が基準なのか、ハッキリしていません。このように、ただ単に、イメージに帰着させて、名詞の「数える・数えない」を決めている側面があるので、理由付けとしては、何となく、それらしく説明することはできますが、結局は、結果論でしかない場合もあります。

今回のポイントは、名詞の数え方にまつわる、日本語と英語の発想のギャップです。日本語と違って、英語には、名詞の「単数・複数」という概念が、常に付きまとうため、その影響の1つとして、今度は、じゃ、数えられる名詞と数えられない名詞の境界線は、一体、どこに求めるのか、という問題が発生してしまいます。

ある程度、ハッキリと、モノだと言えるような場合は、それほど、認識にズレもなく、対応は可能ですが、たまに意表を突くようなものもありますし、カタチの変化にともなって、認識の仕方が、ガラっと変わってしまうケースもあります。

これは、モノである・モノでない、とか、目で見える・見えない、とかいった単純な発想では処理できない問題で、個々の単語から連想されやすい、「イメージでとらえる」、という、より抽象的な、異質の概念がはたらいているからです。このため、ある程度は慣れが必要であり、日本語の感覚からは、如何ともしがたいものがあります。

とりあえず、後付け的な説明は、いくらでも可能ですが、説明されても、ハア、そうですか、としか言えない側面があるのも事実ですので、まずは、こういった事実を受け入れるだけの度量があるかないかが、キモとなります。

■注 :名詞の分類の仕方としては、「美」、「理由」、「情報」、などといった、目では見えなない、「概念」、を表す名詞を、「抽象名詞」、と呼びます。一方、固体として表すことが不可能な、「水」、「ワイン」、「ガス」などや、一方、固体ではあっても、常に、一定の形状で認識されない、「肉」、「土」、「雪」などを、「物質名詞」、と呼びます。しかし、こういった分類が、「可算・不可算」の、絶対的な基準、というわけではありません。

●関連: EG03

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英語学習法(03)

2004年12月11日 | 品詞
今回も品詞の分類です。名詞と呼ばれるものについてです。以下、見ましょう。

(1)本、机、時計、リンゴ

(1)の語群のそれぞれの単語は、品詞で分類すると、全て、「名詞」と呼ばれるものになります。とりあえず、共通する特徴としては、全て、モノである、ということになりますが、その他にも、特徴はあります。

(2)本を読む、机を動かす、時計を壊す、リンゴを食べる

(2)では、(1)の単語に、「~ を」を続けて、「読む」や、「動かす」などの表現をくっつけています。つまり、「~ を」という表現を足し合わせて、他の表現とくっつけることが可能、という特徴もあるということになります。これで、2つの特徴が名詞にはある、ということになりましたが、しかし、1つ目の「モノである」、という特徴は、名詞の全般的な特徴ではない、ということが、以下の例からわかります。

(3)科学、自然、貧乏、制御
(4)科学を学ぶ、自然を愛する、貧乏を蔑む、制御を失う

(3)の語群のそれぞれの単語は、やはり、(4)のように、「~ を」を続けて、「学ぶ」や、「愛する」などの表現をくっつけることができます。ですが、(1)の語群とは違って、(3)の語群は、全てモノではありませんから、この点、(1)と(3)には、共通点がありません。しかし、「~ を」を続けて、他の表現とくっつけることができるという点では、共通しています。

ですので、日本語の場合、どちらかというと、名詞というものは、「~ を」がくっつくかどうかの方が、分類上のポイントである、と言えそうです。では、(1)や(3)のような名詞が、英語ではどうなっているのか、というと、やっぱり名詞として扱うことになっています。

(5)book (本)、desk (机)、watch (時計)、apple (リンゴ)
(6)science (科学)、nature (自然)、poverty (貧乏)、control (制御)

(5)と(6)にあるように、日本語で名詞として扱われるようなものに対応する英語の表現は存在します。そして、(5)や(6)の英語を、実際に辞書で調べても、名詞として扱うことになっています。しかし、英語の場合、日本語の「~ を」に対応する表現がありませんから、仕方なく、違う表現方法を求めねばなりません。 (「~ を」については、EG01、参照)

(7)read a book (本を読む)、move a desk (机を動かす)、break a watch (時計を壊す)、
  eat an apple (リンゴを食べる)

(8)study science (科学を学ぶ)、love nature (自然を愛する)、disdain poverty (貧乏を蔑む)、
  lose control (制御を失う)

そこで、(7)は(2)の日本語を、それぞれ英語で表現したものです。一方、(8)は(4)の日本語を、それぞれ英語で表現したものです。そこで、まず、(8)を見てわかるのは、英語では、例えば、‘study’「学ぶ」の後に、直接、‘science’「科学」をくっつければ、そのまま、「科学を学ぶ」の意味になるし、残りの英語も、‘love’「愛する」の後に、直接、‘nature’「自然」をくっつければ、そのまま、「自然を愛する」の意味になる、というように、同じ法則に準じている、ということです。

そこで、英語では、「~ を」に相当する専用の表現がなくても、日本語の「~ を」を含んだ意味を表現できることがわかりますが、どうやら、日本語では、「名詞+を+動詞」になる表現が、英語では、「動詞+名詞」で表現できるようです。 (動詞については、EG02、参照)

そこで、今度は、(7)になりますが、例えば、‘read a book’「本を読む」という表現では、「動詞+名詞」の法則に準じて、‘read book’とはなっていません。‘a’が‘book’「本」の前についていますが、これは日本語の名詞と大きく異なる特徴です。

そこで、この‘a’ですが、英語の名詞にくっついて、「単数 (=複数ではない)」という概念を表現することになっています。つまり、(7)の‘a book’は、「1冊の本 (=2冊以上ではない)」という意味になるわけですね。ですので、‘a desk’「机」、‘a watch’「時計」、‘an apple’「リンゴ」は、全て、1つであり、2つ以上ではない、ということを表しています。 (発音上、母音で始まる名詞の場合は、‘an’をつけますので、‘a apple’とはなりません。)

英語では、このように、名詞によって表現されるものが複数でない場合、複数ではないということを示す印として、‘a’(または、‘an’) を名詞の前に置くという法則があるわけです。しかし、じゃ、‘a’がつかない(8)の場合は、どうなるんだ、ということになってしまいますが、一応、(7)と(8)は、(5)と(6)に準じて、モノとして扱えるかどうかを基準にして分類されていますので、初歩的には、モノではない、という観点からは、とりあえず、‘a’を必要とはしない、と考えることができます。

(9)read books (本を読む)、move desks (机を動かす)、break watchs (時計を壊す)、
  eat apples (リンゴを食べる)

そこで、(9)では、(7)の名詞から、それぞれ、‘a’(または、‘an’) を外したのですが、そのかわりに、‘books’、‘desks’、‘watches’、‘apples’というように、語尾に‘-s’(または、‘-es’) が不加されています。このようにすると、今度は、‘books’が、「複数 (=単数ではない)」という概念を表現することになり、「2冊以上の本 (=1冊ではない)」という意味になります。ですので、‘desks’、‘watches’、‘apples’も、全て、2つ以上であり、1つではない、ということを表しています。

つまり、ここまででわかったことは、日本語の名詞の場合は、特に意識しなくてもよいことを、英語の名詞の場合は、意識しなければ、正しい表現にならない、ということです。

日本語の場合、「本を読む」は、本が何冊かなんて、情報としては大事ではなく、とにかく、本を読んだことがわかれば、それで文法的に問題ないわけですが、一方、英語の場合は、‘read a book’や、‘read books’のように、逐一、読んだ本が、1冊であるか、それとも、2冊以上であるのかを、情報として盛り込まなければ、文法的にならないわけです。

(10)I have a book. (本 (1冊) をもってるよ。)
(11)I have books. (本 (2冊以上) をもってるよ。)

(10)の場合、予め、本が1冊であることが、相手に情報として伝わります。一方、(11)の場合、予め、本が2冊以上であることが、相手に情報として伝わります。そこで、日本語のように、本をもっているよ、などと言われても、少なくとも、1冊だけかな、なんて考える必要はないわけですね。

ですので、英語では、「数」が意識できる名詞であれば、それを文の中に情報として組み込んで相手に伝える必要がありますが、一方、「数」が意識できない(6)の語群のような名詞であれば、それは必要ない、ということですね。

今回のポイントは、日本語の中で、名詞であることを示す文法の役割と、英語の中で、名詞であることを示す文法の役割が、ほぼ並行的であることを明確にした、ということです。それは、動詞との関わり方が、どちらも一定した法則の上に成り立っている、ということです。英語の中で、ある単語が名詞であるか否かは、すなわち、日本語の「~ を+動詞」で表現される場合と同じく、動詞の相手となれるか否かで決定される、と言ってもよいでしょう。

ただし、日本語の名詞と決定的に違う点は、英語の名詞は、「数」の概念に、少々うるさいところがあるということです。今回の例は、まだ単純な方ですが、レベルが上の方になると、もっと厄介な名詞も存在します。

ハッキリ言ってしまえば、日本人の学習者にとって、これは、えらくシンドイ部類に入るので、如何ともしがたい難点ですが、一方で、救いがあるとすれば、コミュニケーション上は、これがマスターできていないと、意思伝達が不可能になるほどの最重要項目でもない、ということです。ですので、今回の重要事項は、むしろ、動詞と関わって初めて、名詞という概念が意味を成す、ということの方ですね。

●関連: EG01EG02

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