マタイ伝を原典にて24章まで読了する。
気づいたことを一つ。
私は聖書を原典にて読む際、一つのことを必ず念頭に置いている。
それは、「著者のメッセージにとって、何が根本概念だったのか?」ということだ。
福音書記者はギリシャの歴史家ではない。
歴史家であれば、事実を重んじるから、別に何の意味もなく、事実を書くこともある。
しかしヘブライ人の感覚に、時間的順序を尊ぶというな科学的な観点はない。
彼らはみな、歴史の事象を、神の御心として読もうとするから、あまり順序を気にしない。
しかも、強烈なメッセージ性のあるマルコ伝を用いて、
自分なりに書きかえるほどのメッセージ性のあるマタイ伝であれば、
必ず何か一つに集約される根本概念があるはずだ。
私はまず最初に、「義(δικαιοσυνη)」こそ、
福音書記者マタイの根本概念だと思った。
なぜなら、Q資料にはない箇所に、
マタイはことあるごとに「義」を挿入しているのである。
しかしそれは山上の垂訓だけの話であって(マタイ伝5章~7章)、
それ以後は、今度は「憐れみ(ελεοσ、σπλγχνιζομαι)」という語が、
主流な言葉として登場するのである。
では、イエスの憐れむ姿が、マタイの最も伝えたかったことなのか?
しかしそうであれば、マタイ伝の最初(1章~3章)と最後の記事(26章~28章)が、
全く別枠で理解せねばならぬことになる。
そうすると、またぞろ歴史家としてのマタイとして受け取らねばならなくなる。
一体、何が福音書記者マタイをこの福音書の執筆に突き動かしたのであろうか?
答えは単純だった。
それは、マタイ伝の劈頭に書いてあった。
「ダビデの子」である(マタイ伝1-1)。
イスラエルの王ダビデに約束された神の約束、
(イザヤ・エレミヤ・エゼキエルら預言者も、このダビデの約束の線上にある)
その約束を成就する者として、イエスは紹介されている。
だからマタイは、ことあるごとに、「ダビデの子」という言葉を、
民衆の口に乗せるのである。
だが、私の言いたいことは、旧約の成就としてイエスが紹介されているというだけでなく、
マタイはダビデの生涯に照らしてイエスを見ているということだ。
ダビデの生涯に照らしてマタイ伝を読む時に、
(サムエル記Ⅰ・Ⅱ)
マタイがなぜマルコ伝を書きかえたのか、諸々の疑問が解決される。
なぜマタイは、イエスが洗礼を受ける際、
「あなたは」という箇所を「この人は」に書きかえたのか?
(マタイ伝3-17)
それは、ダビデがサムエルから油を注がれる箇所が念頭にあったためだ。
なぜマタイは、悪魔の試みを詳細に記述することを思いついたのか?
(マタイ伝4-1~4-11)
それは、ダビデが油注ぎの後、ゴリアテに立ち向かい、勝利した姿が念頭にあったからだ。
なぜマタイは、神殿清掃の際、盲人と足なえをマルコ伝に反して登場させたのか?
(マタイ伝21-14)
それは、ダビデがエルサレムにて盲人と足なえが神殿に入ることを禁じたことを念頭に置いて、
イエスは逆に盲人も足なえも神殿に歓迎されると主張したかったからだ。
なぜマタイは、マルコ伝にない裏切者ユダの自殺を、わざわざ挿入したのだろうか?
(マタイ伝27-5)
それは、ダビデが最も重要な部下アヒトフェルに裏切られ、
しかもアヒトフェルが首をつって自殺したことを念頭に置いていたからだ。
書き出せばきりがないが、マタイはダビデの生涯を念頭に置いて、
このイエス伝を書いているのである。
「イエス様をダビデに比したところで、内容的には何の影響もないのではないか?」
そう問われれば、私は断固として「否!」と叫ばずにはいられない。
なぜなら、アヒトフェルの自殺の後で、ダビデの勝利が始まる。
同様に、ユダの自殺の後で、復活者イエスの勝利は始まるのである。
アブサロムの反乱鎮圧後、ダビデはその勝利を喜ぶ前に、
息子アブサロムの死を嘆く。
「お前が死ぬのならば、私が代わりに死ねばよかったのに」(サムエルⅡ19-1)
同様に、ユダの失敗の後で、復活者イエスは、
救いを受け入れない者に対して、嘆いているのではないだろうか?
さらに、ダビデの最後の言葉は、その子ソロモンによる神殿の建設である。
(歴代誌Ⅰ28章)
同様に、マタイ伝の最後も、復活者イエスによる全世界への宣教である。
マタイは教会(εκκλησια)というものを、
イエスに文字通り従い、不従順な者を憐れみ、
全世界に向かう集団として考えていたのではないだろうか?
マタイ伝を最後まで読了していないから、あくまでも途中経過の感想である。
しかし、もしマタイ伝がサムエル記と照らして読まねばならぬものならば、
「教会」や「神の国」や「律法」など、多くの西洋神学的主要概念が、
2000年間通用してきたその意味を失うことは明らかだ。
気づいたことを一つ。
私は聖書を原典にて読む際、一つのことを必ず念頭に置いている。
それは、「著者のメッセージにとって、何が根本概念だったのか?」ということだ。
福音書記者はギリシャの歴史家ではない。
歴史家であれば、事実を重んじるから、別に何の意味もなく、事実を書くこともある。
しかしヘブライ人の感覚に、時間的順序を尊ぶというな科学的な観点はない。
彼らはみな、歴史の事象を、神の御心として読もうとするから、あまり順序を気にしない。
しかも、強烈なメッセージ性のあるマルコ伝を用いて、
自分なりに書きかえるほどのメッセージ性のあるマタイ伝であれば、
必ず何か一つに集約される根本概念があるはずだ。
私はまず最初に、「義(δικαιοσυνη)」こそ、
福音書記者マタイの根本概念だと思った。
なぜなら、Q資料にはない箇所に、
マタイはことあるごとに「義」を挿入しているのである。
しかしそれは山上の垂訓だけの話であって(マタイ伝5章~7章)、
それ以後は、今度は「憐れみ(ελεοσ、σπλγχνιζομαι)」という語が、
主流な言葉として登場するのである。
では、イエスの憐れむ姿が、マタイの最も伝えたかったことなのか?
しかしそうであれば、マタイ伝の最初(1章~3章)と最後の記事(26章~28章)が、
全く別枠で理解せねばならぬことになる。
そうすると、またぞろ歴史家としてのマタイとして受け取らねばならなくなる。
一体、何が福音書記者マタイをこの福音書の執筆に突き動かしたのであろうか?
答えは単純だった。
それは、マタイ伝の劈頭に書いてあった。
「ダビデの子」である(マタイ伝1-1)。
イスラエルの王ダビデに約束された神の約束、
(イザヤ・エレミヤ・エゼキエルら預言者も、このダビデの約束の線上にある)
その約束を成就する者として、イエスは紹介されている。
だからマタイは、ことあるごとに、「ダビデの子」という言葉を、
民衆の口に乗せるのである。
だが、私の言いたいことは、旧約の成就としてイエスが紹介されているというだけでなく、
マタイはダビデの生涯に照らしてイエスを見ているということだ。
ダビデの生涯に照らしてマタイ伝を読む時に、
(サムエル記Ⅰ・Ⅱ)
マタイがなぜマルコ伝を書きかえたのか、諸々の疑問が解決される。
なぜマタイは、イエスが洗礼を受ける際、
「あなたは」という箇所を「この人は」に書きかえたのか?
(マタイ伝3-17)
それは、ダビデがサムエルから油を注がれる箇所が念頭にあったためだ。
なぜマタイは、悪魔の試みを詳細に記述することを思いついたのか?
(マタイ伝4-1~4-11)
それは、ダビデが油注ぎの後、ゴリアテに立ち向かい、勝利した姿が念頭にあったからだ。
なぜマタイは、神殿清掃の際、盲人と足なえをマルコ伝に反して登場させたのか?
(マタイ伝21-14)
それは、ダビデがエルサレムにて盲人と足なえが神殿に入ることを禁じたことを念頭に置いて、
イエスは逆に盲人も足なえも神殿に歓迎されると主張したかったからだ。
なぜマタイは、マルコ伝にない裏切者ユダの自殺を、わざわざ挿入したのだろうか?
(マタイ伝27-5)
それは、ダビデが最も重要な部下アヒトフェルに裏切られ、
しかもアヒトフェルが首をつって自殺したことを念頭に置いていたからだ。
書き出せばきりがないが、マタイはダビデの生涯を念頭に置いて、
このイエス伝を書いているのである。
「イエス様をダビデに比したところで、内容的には何の影響もないのではないか?」
そう問われれば、私は断固として「否!」と叫ばずにはいられない。
なぜなら、アヒトフェルの自殺の後で、ダビデの勝利が始まる。
同様に、ユダの自殺の後で、復活者イエスの勝利は始まるのである。
アブサロムの反乱鎮圧後、ダビデはその勝利を喜ぶ前に、
息子アブサロムの死を嘆く。
「お前が死ぬのならば、私が代わりに死ねばよかったのに」(サムエルⅡ19-1)
同様に、ユダの失敗の後で、復活者イエスは、
救いを受け入れない者に対して、嘆いているのではないだろうか?
さらに、ダビデの最後の言葉は、その子ソロモンによる神殿の建設である。
(歴代誌Ⅰ28章)
同様に、マタイ伝の最後も、復活者イエスによる全世界への宣教である。
マタイは教会(εκκλησια)というものを、
イエスに文字通り従い、不従順な者を憐れみ、
全世界に向かう集団として考えていたのではないだろうか?
マタイ伝を最後まで読了していないから、あくまでも途中経過の感想である。
しかし、もしマタイ伝がサムエル記と照らして読まねばならぬものならば、
「教会」や「神の国」や「律法」など、多くの西洋神学的主要概念が、
2000年間通用してきたその意味を失うことは明らかだ。
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