ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

J1第30節 FC東京対川崎フロンターレ(調布・味の素スタジアム)5-4

2006-11-12 01:55:55 | サッカー
雨。

原元監督は「2点取られたら3点とって勝てばいい、3点取られたら4点とって勝てばいい。
東京のような他に娯楽の多い巨大な街ではエンターテイメント性の高いサッカーでなければお客は呼べない」
と常々話していたが、今日の試合はそれを地で行くような展開だった。

しかし今日は最終的に勝負には勝ったが、内容的には完敗だったのではないか。
東京の逆転劇は相手の2人もの退場に助けられたものであり、不可解な判定によって試合が崩れなければ4対1にした時点で川崎完勝の流れだった。

今日は試合前から打ち合いになるような予感がしていた。川崎は優勝戦線に踏みとどまるには勝たねばならない重要な一戦だし、
東京はで去年も演じて見せた、上位いじめで存在感を発揮するということでモチベーションも上がっているだろうから、
お互いが前に出てくる展開が予想された。

案の定、前半から中盤での競り合いの激しい展開となった。
ボールが行き交う濃密な展開だったが、伊野波、増嶋の若いCBコンビがジュニーニョ、我那覇といったところを抑えきれず早い時間帯に失点する。
前線の二人を抑えても後ろから飛び出してくるマギヌンや中村にはてこずったし、さすがに上位にいるチームの勢いを見せつけられた。
前半を3-1で折り返したところで、正直なところ今日は難しいかなと思った。

更に後半早々1点追加されたところで、勝負はあったかと思われた。
川崎にとっては無理に押し上げる必要もなくなったわけで、東京は相当に苦しくなった。
それでも東京は馬場のすばやいFKを戸田が流し込んで懸命の追い上げ。
ところがその直後ジュニーニョが2枚目の警告を受けて退場。ここから試合の行方が混沌とし始めた。
東京のベンチは、石川を下げて鈴木を投入、続けて宮沢、平山を投入した。宮沢のキックを平山に合わせようという意図か。
作戦は奏功し平山のヘッドで1点差に詰め寄る。

この直後マルコンが遅延行為で2枚目の警告を受けてこの試合二人めの退場。
この時点で84分。東京は俄然押せ押せになる。
川崎は防戦一方となり東京の同点は時間の問題と思われた。そしてロスタイム。川崎の時間稼ぎもあって6分という長いロスタイムが取られた。
そしてようやくそのときが来た。宮沢の起死回生の同点弾。さすがにここまでかと思われたが、ドラマはまだ終わりではなかった。
ロスタイムも終了間際、ミドル・レンジから今野が放ったシュートが線を描いて川崎ゴールに吸い込まれていった。
そのままタイムアップ。

まるで絵に描いたような結末。東京は前回ホームのガンバ戦に続いてあまりにも劇的な逆転劇を演じて見せた。
しかし、それでも決して後味のいい試合ではなかった。
もっと敷衍してこの試合の意味を考えると、終盤のJリーグはこれでつまらないものになってしまった。
つまらなくしてしまったのは拙いジャッジだった。
前半の展開を見る限りここまで荒れる要素のある試合ではなかった。順当にいけば川崎のワンサイド・ゲームだった。
不可解なジャッジからたびたびゲームを切り、不必要なカードを乱発し、そのバランスを別のところで補おうとするレフリーによって、
選手は惑わされ、精神的に疲弊してしまった。川崎の露骨な遅延行為もジャッジがその誘因になったことは否めないと思う。

結果的にレフリーは試合をコントロールすることに失敗した。
それによって今回はたまたま東京のほうにプラスに作用しただけで、逆の結果を招いても決しておかしくはなかった。
こういうジャッジが繰り返されるとリーグ自体をつまらなくしてしまう。
フェアな形で戦えなかった川崎は気の毒としか言いようがない。

ガンバが鹿島に完敗し、浦和は横浜にしぶとく勝った。
このまま浦和がいってしまうのか。

Joao Gilbertoコンサート(丸の内・東京国際フォーラム ホールA)

2006-11-10 01:01:18 | 音楽
Joao Gilbertoの「最後の奇跡」と銘打たれたコンサート。
2003年の初来日以来、日本と日本のファンにすっかり魅了されてしまったJoaoの3回目の来日公演の千秋楽を見に行ってきた。
年齢的にもこれが最後かもしれないということでこんなサブタイトルがつけられたのだろう。

チケットには「出演者の都合により開演時間が遅れる場合があります」との注意書きがしてある。
そして会場に入ると、「本人の希望で公演中は空調をオフにするので、云々」との看板が出ている。
なんだか面白そうな展開だ。

Joao Gilbertoは完璧主義者だそうだが、それにしても大きな会場で聞こえるかどうか分からない空調まで切ってしまえとは面白いではないか。期待が膨らむ。

そして、開演時間はチケット記載のとおり何と開演時間からきっかり1時間遅れでスタートした。
待ち時間の間、今ホテルを出ましたとか、今会場に到着しましたとか、アナウンスが入る。
アーティストの動静をいちいち伝えるコンサートなんて初めてだ。放送のたびに会場に苦笑がもれる。
このあたりの感覚はブラジル人なのだろう。こんなことで怒っていてはいけない。
それにしても、時間はルーズなのに空調を切るほど音に敏感という、この著しくバランスを欠いた感覚というのがいい。
日本人にはこういうバランス感覚はない。そこが面白い。

20時。ようやくコンサートが幕を開ける。
空調の電源を切るだけあって、フィンガー・ピッキングのアコースティック・ギター1本とささやくようなヴォーカルでは、
しわぶきひとつできないほどの緊張感が漂う。
私は端のドアの近くに座っていたが、実際遅れてくる人たちのドアの開閉音が気になるほどだ。

音楽の内容からいって、国際フォーラムのキャパは大きすぎるような気がする。
Joaoのこだわりも理解できなくはないが、これだけのオーディエンスがいるとそこから発せられるノイズがちょっとしたことで進行の妨げになってしまい、
あまり意味がないようにも思えるのだ。
もっと小さい小屋の方がいいのだろうが、
5000のキャパが連日埋まるということであれば本人の年齢的なことを考えても仕方がなかったのだろう。
個人的には中野サンプラザぐらいのキャパが精一杯なような気がした。

彼のギターと声だけで一瞬にして会場の雰囲気が変わってしまう。
5000人が75才を超えた一人の老音楽家の奏でるギター1本と声だけの演奏で
一気に違う場所に連れて行ってもらえるのだから、ただただ感嘆するだけだ。

ボサ・ノヴァは濃淡の濃い音楽だと思う。
マイナーからメジャーにいくときのコントラストが木漏れ日の光と影のようにくっきりとしている。
私はどちらかというとその深いブルーに魅せられているのかもしれない。

その光と影をJoaoはこともなげに淡々と繰り広げていく。
血肉という言葉がふさわしいほどに、なんの衒いもなく奏でられる音楽は一切の思考から隔絶されて、あるがままの姿を提示する。
あたかもJoao自身がボサ・ノヴァそのものであるかのように。

ボサは私にとっては何度も何度も繰り返して聴くような音楽だ。
だから今日のようにかなりの緊張感を持って対峙した2時間あまりは正直なところ結構疲れた。
ある意味でこんなに緊張感と疲労感の残ったライブは初めてだったかもしれない。

Joaoは日本のオーディエンスを絶賛している。
例えばそれは奥ゆかしさだったり、温かみだったりするのだろう。
今日の観客も最後は会場中がスタンディング・オベーションで賛美したが
彼はそうした、ほのぼのとした奥ゆかしさの中にあるほのかなぬくもりを感じたのかもしれない。
欧米ではとてもこうはいかないだろう。
日本のオーディエンスの精神性の高さも垣間見られたようなコンサートだった。

Calendar Girl/Julie London

2006-11-07 21:39:02 | 音楽
11月3日が結婚記念日で毎年ジャズのCDを一枚買うことにしている。
ジャズには秋が良く似合う。まあそんな理由からだ。
初めての結婚記念日のときがToots Thielemans。今回は初めてヴォーカルものを買った。

Julie London。
シンガーというよりも女優としてのキャリアの方が有名かもしれない。
歌い手としての彼女はちょっとハスキーでセクシー。その美貌とあいまってセックス・シンボル的な存在だった。
お色気たっぷりのスモーキー・ヴォイスに酔いしれた年配男性も多いのではないかと思う。
1月から12月までの月をテーマにした曲で構成された企画盤で、
大滝詠一の『Niagara Calendar』はその企画といいジャケットの構成といい、アイデアの元はこのアルバムではないかと思われる。

Julie Londonは2000年に鬼籍に入ってしまった。
その妖艶な美しさとウィスパー・ヴォイスで在りし日を偲びながら、秋の夜長を過ごしたい。

第86回天皇杯サッカー4回戦FC東京対バンディオンセ神戸(調布・味の素スタジアム)7-0

2006-11-05 23:27:48 | サッカー
晴れ。

触れる機会がなかったので最初に、テレビ観戦した先日のナビスコカップの決勝戦のことを書いておこうと思う。
ファイナルらしい緊張感のあるゲームだった。やはりファイナルのあの独特の雰囲気はいいものだ。
互角の戦いでこれは延長までもつれるかと思ったが、アマル・オシム新監督のもとで「勝ちたい」という強い思いが勝った千葉が鹿島を振り切った。
鹿島は運にも見放されていたが、現在置かれているチームのトータルでの勢いの差がそのまま出たと思う。
それにしても阿部は精悍さを増し名実ともにチームのリーダーになった。ここ最近の成長を感じさせる選手だ。
ジェフ千葉の関係者の方々に心からおめでとうと申し上げたい。

さて、今日の天皇杯。
ここ数年東京は毎回天皇杯の緒戦にはてこずる。
相手が格下と舐めてかかっているわけではないのだろうが、どうもおっとりと相手に合わせてしまう。
そのあたりもやはりメンタリティなのか。
まあ、そんなことも含めて違うカテゴリーの相手との対戦も楽しめる天皇杯の緒戦はやはり楽しみだ。
4回戦の観客動員が少ないのが私にとってはむしろ不思議なくらいだ。

バンディオンセが3回戦で横浜FCを破った試合はテレビでたまたま見ていたが
しっかりとしたディフェンスからカウンターを仕掛けてくるところなどははつらつとしたチームだった。

相手を十分スカウティングできていない、ということもあるのだろうが序盤はどうしても様子見というか、
自分たちのペースを掴みあぐねていてぎこちない。
バンディオンセにとってはJFLの上のJ2のそのまた上の相手であるから、ある種の開き直りで積極的にアタックしてくる。
フィニッシュに至るところでの拙さはJのクラブとは比べるべくもないが、
それでもディフェンスの背後を狙われるシーンもあったりして、決して簡単な相手ではない。

15分ぐらいまでそんな感じでバタバタとした展開になったが、相手のミスで増嶋のゴールが決まった17分ごろから、
ようやく落ち着いてボールが廻るようになってきた。
33分にルーカス、43分に馬場と小気味よく加点して前半を折り返してからは完全に東京のペースとなった。

後半も約10分おきに点を加え、終わってみれば7-0と堂々と格の違いを見せ付けた。
たぶんに相手にボールを持たせていた時間帯もあったが、決定的なシーンを何度か作られたのは課題か。

バンディオンセは前半の3失点が重くのしかかって自分たちのサッカーができなかった。
特にディフェンス面に課題があった。DFとGKの間にボールを入れられたときの処理があいまいで、そこで再三ピンチを招いていた。
東京が長めのボールをディフェンスラインの背後に入れてきたときの処理の約束事がなかったようだ。

塩田が久しぶりのスタメンながら安定感のある仕事をした。土肥の後継者として申し分のないキーパーに育ってきたのが嬉しい。
そして馬場の好調ぶりも終盤戦に向けての好材料。
ノリオも復帰して豪快なゴールを決めてくれたし、今日の修正点をしっかり確認して来週は川崎に一泡吹かして欲しい。

11/4のランニング

2006-11-04 22:30:21 | ジョギング
晴れ。

この間サッカーの応援で捻挫したおかげで今まで安静にしていたが、
痛みも引いてきていつもの整骨院の先生に「痛みがなければ走ってもいい」とゴーサインが出たので、2週間ぶりにランニング再開。

子どものサッカーの練習試合が隣町の小学校のグランドで行われたのでそれを観にゆっくりとジョギングで向かう。
ひねったところがまだ痛い。まだ決して万全ではないが調子は悪くない。

それにしても往復で15キロ近くもあった。
久しぶりの割にはちょっと飛ばしすぎてしまった。
でもこの調子なら年内に10キロ程度のレースには出られるかな。

今日の距離:14キロ
10月の走行距離:26キロ
累計走行距離:617キロ

奇跡の自転車/ロン・マクラーティ

2006-11-04 13:44:50 | 
ロード・ムーヴィーというジャンルがある。中田英寿ではないが、人生は旅になぞらえられる。
旅にまた移ろいがあるようにまた人生にも移ろいがある。その無常に人はいつも惹かれるのだ。
だからこのジャンルを扱った映画は多いしまた一定の需要もある。
小説にもこうしたジャンルの物語は多い。さしずめロード・ノベルといったところか。
この物語もそんなロード・ノベルの体裁をとる。

体重126キロ、43歳のスミシー・アイドは退屈な仕事と酒とタバコで自堕落な日々を送っていた。
ある日交通事故で一挙に両親を亡くした彼は、両親の遺品を整理していて長いこと行方不明になっていた姉の死亡通知を見つける。
そしてスミシーは姉の眠るカリフォルニアに向けて自転車で大陸横断の旅に出るのだ。

物語はスミシーの旅の行く先々での出来事と、精神的な病から自らを傷つけたびたび行方をくらます姉ベサニーとの生活の回想とが交互に展開される。
両親と姉との悲しくも楽しかった生活。交通事故にあって車椅子の生活となりながらもスミシーを兄のように慕っていた、隣家のノーマ。
自転車をこぎながら記憶をたどるスミシー。旅を続けるうちに彼はやがてポジティブに人生を見つめなおし、体重も落ちて体も引き締まっていく。
そしてそんなスミシーの旅を故郷で支え続けるノーマ。
やがてベサニーの行方不明と旅の終着とが交錯することによって物語もまた終わりに向かう。

読者はベサニーの病気によって家族が次第に悲しみに包まれ、スミシーが自堕落な生活へと落ち込んでいくさまと、
自転車の旅によってさまざまな人たちに出会いながら人生に意義を見出し、
ノーマとのぎこちない愛を深めていくスミシーとを交互に見ることになる。
そして知らず知らずのうちに西を目指してひた走るスミシーの「今」の方に引き込まれていく。

これは再生の物語である。旅することは再生することでもあるのだ。
そして私たちがスミシーの「今」にひきこまれていくのは、再生していくことが人生だと知らず知らずのうちに感じ取っているからだと思う。

Awakening/佐藤博

2006-11-02 23:57:27 | 音楽
もうただただ懐かしい。1982年発表のアルバム。82年は僕にとって特別な年だった。
僕は高校一年生で赤いギンガムチェックのシャツにリーバイスの501を合わせて緑のコンバースのローカットを履いていた。
ステディな彼女が初めてできて、大滝詠一の『A Long Vacation』と山下達郎の『For You』を二人で口ずさんだ。
携帯なんかない時代に交換ノートをつけて、自転車でどこまでも走り続けた。16の夏。
あれから20年以上を経ても僕の中の核をなす部分は変わっていないような気がする。

この佐藤博のアルバムもそんな懐かしさとともにある。
いささか時代の雰囲気を感じさせるが決して古くはない。
それは佐藤博が当時の最新のテクノロジーに貪欲に挑んだ結果である。
もちろん楽曲のもつ力も大きい。そして彼の独特のタッチのピアノも。
山下達郎が『For You』に収録されている「ふたり」のピアノをどうしても佐藤博に弾いて欲しくて
ロスまで口説きに行ったという逸話も残っている。
そのお返しなのか達郎が2曲でカッティング・ギターを弾いている。

今も休みの日になると年甲斐もなくコンバースを履いている。
僕の中では「あのころ」とともにあるエヴァー・グリーンだ。


Randezvous In Rio/Michael Franks

2006-11-01 22:00:28 | 音楽
3年ぶりのMichael Franksの新作。すでに数ヶ月前からCDショップで目にしていたけどようやく手元に。

3年前の『Watching The Snow』は冬のアルバムだった。
彼そのものといった雰囲気で展開されるウィンター・ソングの数々はとてもハート・ウォームだった。
そして、今作はジャケットのような強いコントラストを持った夏のアルバムだ。
タイトルに"Rio"が出てくるように、ボサ・ノヴァを意識においた作品。
『Watching The Snow』からはコンセプトを変えた連作といってもいいと思う。

レイド・バックした彼のヴォーカルは『Sleeping Gipsy』の頃とほとんど変わらない。
独自の世界観があってその普遍性がまたいい。
この歳になってくると「変わらない」ということがひとつの重要な価値観になってくる。
そういう意味でこの新作でも変わらないMichael Franksは安心して聴ける。

彼の音楽を聴くとゆったりと人生を過ごそうじゃないかという気にさせられる。
裏ジャケの、昔と比べるとずいぶん穏やかな表情をしている彼を観ると余計にそう思う。
これから冬に向かうのでちょっと間をおいて春先になったらまたゆっくりと聴いてみたい。