ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

11/4のランニング

2006-11-04 22:30:21 | ジョギング
晴れ。

この間サッカーの応援で捻挫したおかげで今まで安静にしていたが、
痛みも引いてきていつもの整骨院の先生に「痛みがなければ走ってもいい」とゴーサインが出たので、2週間ぶりにランニング再開。

子どものサッカーの練習試合が隣町の小学校のグランドで行われたのでそれを観にゆっくりとジョギングで向かう。
ひねったところがまだ痛い。まだ決して万全ではないが調子は悪くない。

それにしても往復で15キロ近くもあった。
久しぶりの割にはちょっと飛ばしすぎてしまった。
でもこの調子なら年内に10キロ程度のレースには出られるかな。

今日の距離:14キロ
10月の走行距離:26キロ
累計走行距離:617キロ

奇跡の自転車/ロン・マクラーティ

2006-11-04 13:44:50 | 
ロード・ムーヴィーというジャンルがある。中田英寿ではないが、人生は旅になぞらえられる。
旅にまた移ろいがあるようにまた人生にも移ろいがある。その無常に人はいつも惹かれるのだ。
だからこのジャンルを扱った映画は多いしまた一定の需要もある。
小説にもこうしたジャンルの物語は多い。さしずめロード・ノベルといったところか。
この物語もそんなロード・ノベルの体裁をとる。

体重126キロ、43歳のスミシー・アイドは退屈な仕事と酒とタバコで自堕落な日々を送っていた。
ある日交通事故で一挙に両親を亡くした彼は、両親の遺品を整理していて長いこと行方不明になっていた姉の死亡通知を見つける。
そしてスミシーは姉の眠るカリフォルニアに向けて自転車で大陸横断の旅に出るのだ。

物語はスミシーの旅の行く先々での出来事と、精神的な病から自らを傷つけたびたび行方をくらます姉ベサニーとの生活の回想とが交互に展開される。
両親と姉との悲しくも楽しかった生活。交通事故にあって車椅子の生活となりながらもスミシーを兄のように慕っていた、隣家のノーマ。
自転車をこぎながら記憶をたどるスミシー。旅を続けるうちに彼はやがてポジティブに人生を見つめなおし、体重も落ちて体も引き締まっていく。
そしてそんなスミシーの旅を故郷で支え続けるノーマ。
やがてベサニーの行方不明と旅の終着とが交錯することによって物語もまた終わりに向かう。

読者はベサニーの病気によって家族が次第に悲しみに包まれ、スミシーが自堕落な生活へと落ち込んでいくさまと、
自転車の旅によってさまざまな人たちに出会いながら人生に意義を見出し、
ノーマとのぎこちない愛を深めていくスミシーとを交互に見ることになる。
そして知らず知らずのうちに西を目指してひた走るスミシーの「今」の方に引き込まれていく。

これは再生の物語である。旅することは再生することでもあるのだ。
そして私たちがスミシーの「今」にひきこまれていくのは、再生していくことが人生だと知らず知らずのうちに感じ取っているからだと思う。