ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

その日のまえに/重松清

2007-07-01 23:21:45 | 
今日は父の月命日である。
1ヶ月前の今日、父は突然亡くなってしまった。

子どもたちの運動会に九州から両親を呼んだ。
いつもなら家を離れたがらない父が珍しく母とともに東京に出てきた。
3年前に心臓を患いペースメーカーを埋める手術をした。
その入院中に心臓発作をおこして一度心停止にまで追い込まれて以来、
父は随分と老け込んだし、また臆病にもなっていたようだった。
そんな父が珍しく上京してきた。
母に聞くと出発の前の晩は子どもの遠足の前の日のように興奮して眠れなかったのだそうだ。
久しぶりに子どもたちと触れ合う姿は本当に嬉しそうで、
夜は寝相の悪い子どもたちを気遣いながら枕を並べて寝た。
僕が仕事でいない日中は僕らが手をつけられなかった庭の手入れや、
部屋の模様替えなどを、「明日はこれをしよう、あれをしよう」と言いながら精力的にこなした。
サッカー観戦に誘ったら、一緒に応援したいと言って立ちっぱなしのゴール裏で見よう見まねで声を上げて応援した。
疲れるから座って見られる席にしようかと言ったのに、いつもならそうしたはずなのに、若者に混じって90分間立ち続けた。
いつになく、何一つ文句言うこともなくこちらの言うままに家の仕事をし、あちこちに出かけ本当に楽しそうに過ごしていた。

でも、本当は相当に疲れていたのだと思う。前の晩も胸が痛いともらしていた。
気がつかなかった、うかつだった。
滞在1週間目の金曜日。朝激しい心臓発作とともにあっという間に逝ってしまった。
何も言い残すことなく、別れの言葉もなく、僕たちが覚悟をする間もなく、
本当は横浜の中華街に食事に行こうと言っていたその日は、永遠に閉ざされた。
最後の1週間を穏やかに楽しく過ごした後で、その1週間の新鮮な記憶を僕らに植え付けて父は逝った。

両親の死に目には会えないとどこかで覚悟していた。
なのに、めったに東京に来ない父が東京の僕の家で死んだ。
田舎に住んでいるときにはしょっちゅう衝突を繰り返していた。
ここ何年も父とは年に数度、電話でぎこちなく、続かない会話を交わす程度だった。
もう何年も父とは薄い関係が続いていた。
その父が僕の家から旅立っていった。そのことに言いようもない激しい感情が沸き起こってくる。
父が僕の家で死んだということ・・・。

重松清氏の著作の中でこの本だけは読めなかった。こういうのは「つらすぎるよな」と思っていた。
父が亡くなって初めて手にとってみた。
ここに出てくるのはいずれも不治の病に冒されて死期を悟った人たちばかりだ。
だから僕のケースとは随分と違う。
けれども愛する人たちと永遠に別れていくことの何たるかを僕は見出したかったのかもしれない。

父の初七日も過ぎてから読み始めたからか、とりわけ僕の心に入ってきたのは「その日のあとで」という最後の一篇だった。
そこに書かれているように、あれ以来僕の心にもずっと重石がある。
不意にその重石に触れて感情が乱れてしまうこともあれば、その重石のことを忘れていることにふっと気がつくときもある。
そうしたことを繰り返しながら、その重石は少しずつ軽くなっていくのだろうか。
そうやって父のことを少しずつ忘れていくのだろうか。
この短編を読みながら主人公と同じような心情の変化に自分を重ねていた。

父の声や笑い顔を今も鮮明に思い出すことが出来る。
今までだって半年や1年会わないことだってざらにあった。
だから今回もそうなのだと思えば、まだ忘れるほどの時間が経ったわけでもない。
もしもそうして父の記憶が薄れていっても父は許してくれるだろうか。

疲れが出たのだろう。先週ものごごろついてから初めて入院してしまった。
すっかり回復したが明日の診察までは酒を断とうと思っていた。
でも今夜ばかりはいいだろう。ふるさとの焼酎で父の遺影と呑もうと思う。
重石はまだここにある。


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