ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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京都・壬生を巡る旅

2007-03-25 10:36:10 | 
ひょんなことから、京都で数時間を過ごすことになった。滞在時間は4時間弱。
この限られた時間ではあちこち欲張って廻ることは出来ない。
思い立ったのが、新選組ゆかりの壬生界隈。
徒歩でも廻れる範囲だから数時間の滞在にはうってつけだ。
近藤勇生誕地のほど近くに住んでいる私としては一度は訪れてみたい場所だった。

四条大宮に降り立ってまず目指したのは光縁寺。
新選組副長の山南敬介の墓がある。山南家とこの寺の家紋がたまたま同じだったことから住職との交流が始まり、
彼がこの地で自刃してこの寺に葬られた。朽ちかけた小さな墓石が印象的だった。
他にもここには藤堂平助、伊東甲子太郎、谷三十郎、野口健司など多くの新選組隊士たちが眠っているという。

光縁寺から歩いて数分のところに新選組の屯所だった前川邸、向かいに八木邸がある。
前川邸は非公開だが、休日は新選組グッズを売る土産店として公開している。
近藤や土方ら試衛館組が前川邸に寝起きしており、芹沢鴨や新見錦らは八木邸で生活していたそうだ。

八木邸(壬生屯所)は公開されており、芹沢鴨、平山五郎が土方、沖田らに惨殺された座敷にも入ることが出来る。
まさにその暗殺の現場となった座敷でボランティアのガイドに話を聴くのだが、
「ちょうどお嬢さんが座ってはるこのあたりに芹沢鴨が寝てはって、めった刺しにされたんですね。」
と説明されると、そこに座っていた女の子が複雑な表情を浮かべている。
鴨居にはそのときの刀傷と逃げ出した芹沢が躓いたという文机が残っており、
140年の時を超えてなお残る生々しさが印象的だった。

八木家の現当主はこの地で和菓子屋さんを営んでおり、
屯所餅という上品な甘さのお菓子と抹茶のもてなしを受けて一息ついた。

傘をささなくてもいいほどの、春の小雨が降ったりやんだり。
どんな季節のどんな天気でも京都はそれに合った風景を見せてくれる。

屯所のほど近くには壬生寺がある。
広い境内では新選組隊士たちがいわゆる兵法訓練を行っていたそうで、
ここで大砲も放っていたというから驚く。
映画「壬生義士伝」のワンシーンで見たのはここのことだったのかと合点する。
境内の隅には、壬生塚があり、芹沢鴨、平山五郎、河合耆三郎ら隊士の墓がある。

五条通を越えて南下する。
細い路地、人々の普段の営みのあるなかにかつての花街、島原がある。
浅田次郎の作品でも有名な「輪違屋」。島原太夫、いわゆる"こったい"の置屋である。
今でもその伝統を引き継いでお茶屋として営業しており、したがって観光客には非公開。
まあ私ごときが一見で入れるような世界ではない。
一度は体験してみたいけれどもこちらの見識や作法のなさまで見抜かれそうで、
こういう遊びは遊ぶ側の人間的な度量というか器の大きさも試されることだろう。
古くからの住宅街にひっそりと佇んでいるのが印象的だった。

更に南下していくと角屋がある。置屋に対する揚屋。
置屋から太夫や芸妓を呼んで遊宴を開いていた、今で言う高級料亭。
国の重文にも指定されている非常に格調の高い宴会場で一般にも公開されている。
普段は非公開だという2階の広間がたまたま特別公開されていたので上がってみた。
蝋燭の煤で天井も壁も真っ黒に煤けている。
襖や格子の障子、鴨居にも装飾が施されており、その贅沢さと往時の文化的な成熟度が伺える。
かつて幕末の勤皇の志士たち、坂本龍馬、西郷隆盛、山縣有朋、伊藤博文、大隈重信らも饗宴を開いたという。
新選組もここを訪れており、床柱には刀傷も残っている。

わずかな滞在時間だったが、とても有意義な壬生・島原の旅だった。
京都は今までにも何度か訪れたことがあるが、幕末にまつわる地を訪れたのは初めてだった。
壬生も島原もその歴史が普段の生活の場所に溶け込んでいる。
有名な神社仏閣ばかりではなく、
こうした細い路地裏に普段の営みと長い歴史が寄り添っているところもまた京都の面白いところだ。


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