ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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ローマ人の物語Ⅴ-ユリウス・カエサル ルビコン以後-/塩野七生

2008-01-11 05:51:00 | 
ガリアを制圧しローマの覇権下に収めたカエサルは、いよいよ共和制を打ち破るべくルビコン川を渡る。
旧体制の権化である元老院派のトップはポンペイウスその人。
カエサルはギリシアの地においてポンペイウスと相まみえ、これに勝利するとついにローマの最高権力者となる。
ポンペイウスは敗走したアレクサンドリアでローマ兵に殺され、これを追ってアレクサンドリアに上陸したカエサルはクレオパトラと運命の出会いを果たす。
このあたりの歴史の大きなうねりは興奮なしには読み進められない。

カエサルは新秩序を樹立するべく政治改革に着手する。
事実上元老院が牛耳る寡頭制の共和制はローマに内政の混迷をきたしていた。
カエサルは事実上機能不全を起こしていた共和制の改革を断行するのである。
つまり帝政への移行である。
カエサルは「寛容(クレメンティア)」の精神を旗印に他民族や思想信条の異なる人たちであってもローマに取り込んでいく。
そして複合的な他民族国家の統治はひとりの為政者が行うほうがよいと考えたのだった。
独裁というのは現代においてはネガティブなイメージでしかないが、カエサルの独裁は自らを利する権力を手中に収めることが目的ではない。
後世の独裁者と大きく違うのはその部分ではないかと思う。

終身独裁官として最高権力者になったカエサルにキケロをはじめとする元老院派の知識人たちは不快感を感じるようになる。
歴史的にローマの人たちは王制に強いアレルギーがある。
カエサルが王になろうとしているのではないかという疑念である。その怨念がカエサル暗殺という負のパワーを生み出していく。

カエサルが暗殺されたとき政治改革はほぼその形をなし、ローマは再び強固な国として地中海世界を治めていくはずだった。
そのグランド・デザインはほぼ描けていたはずなのに歴史は皮肉な作用を及ぼしてしまう。
カエサル暗殺を契機にローマは再び混迷していくのだ。
カエサルが後継者に指名していたオクタヴィアヌス(カエサルの妹の孫)はこのときまだ18才の若者に過ぎなかった。

オクタヴィアヌスとカエサルの片腕だったアントニウスはカエサル暗殺の首謀者であるカシウスやマルクス・ブルータスらを打ち破る。
反カエサル派を一掃した若いオクタヴィアヌスはアントニウスと今度は権力の座を巡って鋭く対立していくのだ。

ローマが再び内戦の混乱へと向かう中でカエサルの愛人としてカエサルの子どもまでもうけていたクレオパトラは
アントニウスに巧みに接近して愛人となり、アントニウスとともにオクタヴィアヌスと剣を交えることになる。
オクタヴィアヌスはアグリッパとマエケナスという同年代のブレーンとともにアントニウスを退け、クレオパトラを自死に追い込んだ。
そしてここにようやくカエサルの描いた帝政ローマが始まることになっていく。

イタリアの高校の教科書には「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。
カエサルだけが、この全てを持っていた。」
と書かれているそうだが、類まれなるリーダーシップと卓越した先見性をもって今につながるヨーロッパ世界の礎を築いた彼の功績は大きい。
現代においても使われているカレンダーの基本形であるユリウス暦をはじめ、
ガリア征服の過程で生まれたヨーロッパの諸都市などはカエサルなしにはありえなかった。

今から2000年も前にここまで成熟した考え方を持つ為政者がいたということに感嘆する現代の私たちは、
逆に感嘆するほど精神性においてさほどの進歩がないということを物語ってはいないか。
歴史から多くのことを学びながら、しかも文明や科学が比べようもないぐらい発達した現代においてなお
人間心理に懊悩するとは、人間とはかくもままならない存在なのだと。


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